ちょっとだけ切ない短編集の記事一覧

2020/04/24

【プレゼン10分前】気がついてしまった罠

「どうする?」

「どうするも、提案書は出したのだろう?」

「提出した」

 俺は、システム屋のプログラマをしている。
 社長にはしっかりと説明して、俺の肩書はプログラマになっている。人が少ない零細企業なので、プログラマでも仕様書も書けば、客先に提案を持っていく、それだけではなくメンテナンスからハードウェアの修理まで何でもこなす。

 今日は、以前から話が社長の所に話が来ていた、大規模システムのプレゼンを行う日だ。

「行くしか無いか」

「すまん。無駄な時間だな」

 俺のボヤキに社長は謝罪の言葉を口にする。

「いいですよ。俺しかわかる人間が居なかったのですから」

「負担ばかり増えてしまっているよな?」

「大丈夫です。これも仕事です」

「そうか」

「それよりも、社長。この仕事が取れたらどうします?馬鹿みたいな規模ですよ?」

「ハハハ。それこそ無理だろう。大手が持っていくだろう?おこぼれで十分だ」

「そうですね。でも、確かにこのメンツに入れただけでも大金星ですよ。どこを貰いましょう?」

「谷。それで、何人月の見積もりだ?」

「社長・・・。見てないのですか?」

「俺が見てわかると思うか?」

「そうですね。680人月です」

「は?」

「だから、680人月です。単価は、120で出してあります」

「ちょっと待て!谷。数字がおかしくないか?」

「いえ、おかしくないですよ」

「予備見積もりの時には、300人月だったよな?」

「えぇそうです。先方からの要望を入れた結果です。よくプレゼンに呼ばれましたよ。絶対に呼ばれないつもりで作った見積もりなのですけどね。これに、ハードウェアとソフトウェアのライセンスとサーバとメンテナンスを別枠で書いてありますが、概算です。保守も要望プラスアルファで積み上げてあります。保守は先方常駐で1割。待機で1割。予備で1割です」

「谷。金額ベースだといくらだ?」

「え?知りたいですか?」

「是非教えてくれ」

「81,600万です。概算部分は29,511万としています。数字合わせですけど、合計111,111万です。保守はハードウェアとソフトウェアとサーバを除いて、初年度は24,480万です」

「はぁ?お前。馬鹿だろう?どう考えても無理な金額だろう?」

「えぇそう思いますよ。受けたくなかったから出した見積もりだったのですけどね??なんでプレゼンに呼ばれたのでしょう?」

 巨大プロジェクト。
 従業員10名程度の会社が受けられる規模ではない。そんなこと、自分たちでわかっている。
 300人月の仕事だとしても、全員で取り掛かっても、30月かかる約3年だ。その間に他の仕事が出来ない。支払い条件に寄っては手弁当で3年間過ごさなければならない。社長には悪いが仕事が採れた瞬間に会社が潰れる未来しか見えてこない。だから、絶対に通りそうもない規模の見積もりを作成した。

 金額を裏付ける資料はしっかりと作った。
 プレゼンは真剣に行う。俺たちは、顧客に対するプレゼンではない。同じ土俵に上がった大手SIerに対するプレゼンなのだ。どこでもいいので、SIerが受注した後で値段交渉が行われるのだろう。そのときに、俺たちが出した高めの見積もりが意味を持つはずだ。
 SIer は1円でも高く受注した。顧客は1円でも安く発注した。その鬩ぎ合いが行われる。俺たちの出した見積もりをSIerは盾にも鉾にもするはずだ。そして、一部でも俺たちに仕事を回してくれる。このときに単価が生きてくる。120と出している。俺たちの規模の会社の単価ではない。直請けでも100か110が妥当だ。2次受けなら80でも高いと言われる可能性がある。120で出しているので、SIerは俺たちに出す仕事は顧客に見える場所では、120か130だと定義するはずだ。そして、俺たちに適正価格である80で出してくる。少しだけ粘れば90くらいにはなるだろう。それでも、SIerは30が何もしないで懐に入る計算になる。出す仕事の規模に寄るが、3人/月で2年間仕事を行えば2,160万の利益が見込める。バッファーを作ることができるのだ。
 俺たちの狙いは受注するSIerに技術力を示して、仕事を流してもらおうとする行為だ。

 プレゼンを行う会社に到着した。
 受付で社名を告げると、何度かやり取りをした主幹会社の責任者が現れた。

 大規模なシステム開発ではよく行われる話なのだが、顧客が自社内にシステム部門を持っていても、システム屋やSIerと全面的なやり取りができるわけではない。そのために、懇意にしているシステム屋に声をかける。
 声をかけられた会社は、顧客側に立って話を進めるのだ。アドバイザー的な役割を行う。メンテナンスや保守管理は、システム完成後に引き渡して主幹会社が業務と美味しいところを持っていくのが一般的だ。しかし、この主幹会社はすでに顧客とのコンサル契約を結んでいるために、保守やメンテナンスも全部含めたプレゼンを行う話になっている。

「谷さん。本日はよろしくお願いいたします。弊社も、御社に期待しているのですよ」

「すみません。緊張して早く来すぎましたか?」

「そうですね。時間まで30分ほどあります。準備をしていただいても構いませんが、谷さんの所はトリになっています」

「最後なのですか?」

「えぇそうですが?」

「事前連絡では、3番目となっていたので、少しびっくりしてしまいました」

「そうですね。今回は、顧客からの要望と他社さんの都合で順番が変わってしまいました」

「いえ、構いませんよ。今日は何社ですか?」

「5社です。お伝えした通り、プレゼンは60分程度でお願いします」

「承知しております」

「部屋は使えますので移動しましょう」

「わかりました。お願いします」

 会議室は思った以上に広かった。
 100名位は入られるだろう。前面にあるスクリーンと手元にあるタブレットが連動しているのだろう。

「そこを、お使いください」

 示された席には、俺の名前と社長の名前が書かれた札が置かれている。周りも同じように名札が置かれている。

 やられた!
 これは、出来レースだ。

 担当者が席を外した。広い会議室には、俺を社長だけになった。パソコンのセットアップをするフリをして周りを見る。カメラは存在しているが手元を撮影していない。これなら大丈夫だ。WIFIは使っても大丈夫だと言われたが、自前のテザリング回線を使う。

『社長。途中で帰ってください。それから、俺からのメッセだと知られないようにしてください』

『どうした?』

『出来レースです』

『そうなのか?』

『はい。名札を見てください。1つ以外は中小です。プレゼンと入札を行ったというアリバイを作りたいのかも知れません』

『それなら俺が居ても問題ないよな?』

『いえ、最後に大手は必ず全部の会社を巻き込もうとします。そのときに社長が居ると回答を求められます。俺たちの番になる前に会社から電話をさせて抜けてください』

『巻き込まれるのなら予定通りではないのか?』

『事情が違います。単価60や50で出している会社が居ると』

『そうか、工数でやり取りして、単価を安くして』

『規模の割に納期がキツめだった理由が分かりました。火付け案件です』

『どうする?』

『全力でプレゼンを行います。合流を求められたら”社長が居ないので即答できない”と返事します』

『わかった。できることはあるか?』

『社長にこの話を持ってきた人に連絡してください。できればすぐに俺に連絡するように言ってください』

『わかった。話を持ってきたのは、宮腰先生だぞ?お前も知っているよな?』

『はい。存じております。俺から連絡して問題ないですか?』

『ちょっと待て、まだ余裕はあるよな?』

『はい。大丈夫です』

『連絡する』

 社長は軽く肩を叩いて会議室から出た。
 思った通り担当は表で待機していた。社長は喫煙所の場所を聞いて移動した。先生に連絡をしてくれるのだろう。

 5分後に俺のスマホがなった。宮腰先生からだ。すぐに折り返すと伝えて、主幹会社の外に出た。プレゼン開始まで20分ある。事情を確認するには十分な時間だ。

「先生。谷です。お忙しい時間にもうしわけありません」

『いいよ。それで?松田君が怒っていたけど何があったの?』

 現状と俺の推測の上での考えを伝えた。先生は黙って俺の話を聞いてくれた。プレゼンなんかよりも緊張した。
 話が終わったときに、先生から5分だけ待つように言われて、電話が切れた。

 4分後、知らない番号から電話が入った。
 先生関係者なのは間違い無いだろう。電話に出て驚いた。

 すべての事情がわかった。
 最悪の予測が当たってしまった。

 本来なら、1年後に完成予定だったのだ。それを1年伸ばして、システム会社を飛ばして新しい技術を使って納期の短縮を行うと説明されていたようだ。
 主幹会社と大手SIerからの提案のようだ。今日のプレゼンでは、金額面は”受けるのなら”という前提がついていると説明されていたようだ。技術力を持っている会社を集めてシステムのプレゼンを行うと言われていたようだ。

 今更テーブルをひっくり返せない。
 説明を聞いて、こちらが聞いている情報を伝えた。プレゼンの開始を2時間遅くしても問題ないかと聞かれたので、問題ないと答えた。

 一旦電話が切られた。社長が走り寄ってきた。

「谷!」

「大事になりそうです」

「だな」

 プレゼン開始の10分前になってテーブルがひっくり返った。

 俺は、ハイヤーで到着した先生と一緒に顧客が待っている喫茶店に向かった。
 大どんでん返しだ。俺が顧客側の立場になってシステム全部の面倒を見なければならなくなった。いわゆる、主幹となった。当初からプロジェクトに関わっていた、SIerと大手システム屋は切られた。主幹会社も全部のシステムから手を引くことになった。

 そして2年後・・・。システムは無事に動き出した。
 しかし、俺はベッドの上だ。首を切られた主幹会社の担当者に刺されて入院している。

2020/04/24

【情報の虜囚】悪意と善意

 綺麗だな。
 あちらこちらで僕が撒いた種が増えている。拡散され続けている。こんなに嬉しいものだったのだ。

 街の中にも青い紫陽花が増えている。

 街だけじゃなく国中を覆うように種を拡散しなければならない。

 僕の望みは、この国の隅々まで青い紫陽花を咲かせることだ。

 見届ける必要はない。
 種は拡散し始めた。僕の手を離れたのだ。もう止まらない。止める手段が存在しないのだ。
 伸び切ってしまった手足を切り落として小さいベッドで眠らない。受領した快適を手放せる者がどれほど居るのだろう。種の拡散を止める方法は存在しない。

 だから、僕は結末を見届けないで、君が待つ場所に行く。
 待っていてくれているよね。僕が行ったことを褒めてくれなくてもいい。前みたいに叱ってくれよ。僕は、君と一緒に居られればそれで満足なのだ。

 おやすみ。
 彼女を傷つけ僕を生み出した人たち。

 おやすみ。
 最後まで善意の塊だった人たち。

 おやすみ。
 興味本位で僕と彼女を晒した人たち。

 おやすみ。
 多くの関心を持たなかった人たち。

 あなたたちには、きっと悪意が安らかな眠りと一緒に訪れてくれるでしょう。
 おやすみ。いい夢を・・・。
 悪夢の方がましだと思える楽しい夢を見てください。

「アオイ!!」

 アオイは僕の目の前で凍りついた笑顔のままビルの屋上から飛び降りた。

「アオイ!アオイ!アオイ!アオイ!!」

 なぜ!なぜ!
 僕を押さえつける!アオイの所に行かせろ!

 僕を押さえつけている奴らも、下でアオイを見ていた奴らも、全部、全部、全部、全部、全部、殺してやる!

 アオイが僕の前から居なくなってから、アオイを見つけるまで1週間かかった。
 奴らがアオイを殺した。マスゴミとかいうクズが知りたくもない情報を教えてくれる。

 アオイは、いじめを苦に自殺したと報道した。知りもしないアオイの心情を話すコメンテータとかいう雌豚が居た。

 いじめ?最後には、服を脱がされて写真を撮られるのが”いじめ”。準強姦であり脅迫だ。
 アオイが持っていった料理が冷えていたからと殴った。殴ったのが同級生だったから”いじめ”なのか?暴行だ。

 アオイ。僕は、君が死を選ぶまでの1週間。側に居られなかったのが悲しい。僕を一緒に連れて行ってくれなかった?
 僕は、アオイと一緒に行きたかった。

 アオイが居なくなって何日が過ぎたのだろう?

 アオイが居なくても腹は減るし眠くもなる。僕はなんで生きている?

 アオイが最後に見せた凍りついた笑顔。アオイの笑顔ではない。アオイの笑顔で無いのなら、アオイではないのか?アオイはまだ生きている?

 アオイが僕を連れて行かない理由はない。一緒にいると言ってくれた。

 前に聞いた、アオイのお母さんが眠る場所に行ってみよう。アオイが居るかも知れない。僕を待っている。

 マスゴミのクズが騒いでいる。丁寧に僕に説明してくれた。アオイをイジメていた奴らは罪に問われなかった。主犯格の1人は所在さえわからないらしい。
 どうでもいい。奴らが死ぬのは確定した未来だ。僕が決めた。イジメじゃない。準強姦と脅迫と暴行だ。誹謗中傷もしている。16歳のアオイの下着姿を撮影して拡散したのだが児童ポルノにも該当するはずだ。いじめではない。いじめという言葉で誤魔化すまねをするマスゴミにも手伝ってもらう。

 アオイのお母さんが眠る墓所の近くに立派な紫陽花が咲いている。
 赤色の紫陽花に混じって一部だけ青い花をつけている。アオイが好きだった青い紫陽花だ。

 人の悪意は拡散する。悪意から死に繋げればいい。肉体的な死だけが、死ではない。社会的な抹殺も死と変わらない。心の死は周りの人たちの肉体と心の疲弊に繋がる。

 僕は、拡散する悪意を仕込む。アオイが好きだった花の別名を使う。

 悪意をばらまくウィルスは”手毬花”。仕込んでから開花するまでに3-4年は必要だ。まだまだ、悪意は有る。拾い集めて拡散させる準備をしなければならない。

 悪意を拡散するのは、悪意を持たない傍観者だ。
 傍観者も悪意を拡散することで、傍観者から加害者になる。加害者であり被害者だ。苦しめばいい。自分の大切な人が自分を大切に思ってくれる人が、自分の行為で悪意に染まるのだ。

 僕のウィルスは、ただ悪意を拡散するだけだ。
 秘密の暴露ではない。デマ情報の拡散だ。消えない傷となって拡散され続ければいい。ただ悪意を拡散するだけのウィルスだ。

 悪意は仕込んだ。
 読み方で、受け取り方で、感じ方が変わる。読んだ人たちの心に悪意が満ちていくだろう。誰にも止められない悪意の拡散。

 悪意が芽吹くとき、青い紫陽花が咲き誇るだろう。

 それは本当に小さな出来事だった。あとから考えてもきっかけというには小さすぎる。よくあるニュースだった。
 いじめを原因とする自殺。中学校でのいじめだった。女子が自殺した。珍しくもない事案でニュースにもならなかった。

 実際に、俺が勤めていたTV局では、取材にもいかないで警察発表を取り上げただけで終わりになった。他に取り上げるべきニュースが大量にあった。

 ニュースはこれで終わりになるはずだった。

 しかしこのニュースはきっかけで終わらなかった。
 いじめの加害者の名前がSNSで拡散されたのだ。拡散されたのは、キー局の報道局長の息子が関わっていると情報だ。住んでいる地域も違えば年代も違う。知る人が見ればすぐにデマだと気がつく情報だ。いつもなら、デマだと情報が出たら拡散も下火になって擁護される。

 しかし、この事案は違った。
 キー局が昼のニュースで取り上げたのだ。デマ情報であり、デマを拡散するのは犯罪行為だと拡散を止めるのに躍起になった。新聞や雑誌も、デマである根拠を述べて本人のインタビュー記事まで掲載した。火消しに躍起になった。
 火消しが何よりの証拠だという情報がSNSで拡散された。新聞や雑誌の記事を書いた人たちの過去の犯罪だとする情報も拡散された。

 この状況はおかしいと思い始めている。
 皆がおかしいと思いながらも拡散は止まらない。皆が善意や正義感から拡散している。情報を調べもせずに拡散する。

 完全にデマだと分かる情報もあるが、デマではない情報も含まれる。
 マスコミをあざ笑うように、マスコミが報道できなかった情報が悪意を持った内容で拡散している。真実が含まれる拡散が存在する。マスコミも一部のものしか知らないような情報も入っている。

 芸能人のスマホから情報が流出することもある。流出情報が拡散される。同じように作られた悪意を持った情報となり拡散される。

 誰もが被害者で、誰もが加害者になってしまっている。
 笑えない情報まで拡散された。国の予算案が事前に投稿され拡散されるに至って政府は徹底的な捜査を検察に依頼した。

 予算案がよく作られたデマだとわかってからは、デマを流した者が誰だったのかを特定する動きが加速した。
 マスコミも調べたがデマの発信元にたどり着くことが出来なかった。ことになっている。実際にはたどり着いた。情報の発信者は霞が関にある一部の省庁の端末からだった。コンピュータウィルスが疑われたがウィルスには侵されていなかった。

 そして、マスコミや警察が調べていることが公になると、デマを流したのは政府与党の関係者だというデマ情報が拡散した。
 拡散の連鎖を止めることが出来ない。

 ついに政府は特措法を制定するが、特措法を制定してまで拡散を止めたい理由は政府与党が隠したい不都合な情報があるのだと拡散された。マスコミや野党の反対にあって政府与党は廃案にした。

 最初のいじめを行っていた奴らの首謀者が自殺した。
 政府与党に恥をかかせたのは、自殺に追い込んだいじめを実行していた奴らだという悪意ある記事が投稿されまたたく間に拡散した。マスコミも、政府与党への忖度もあり”デマ記事”として拡散されている情報だと報道した。
 自殺に追いやったとマスコミが批判に晒される悪意が拡散される。悪循環になっているのは誰が考えてもわかることだ。
 この悪意の厄介な所は、やらなければやらないで”拡散されている情報が正しい”を思われてしまう。反論すれば、別の悪意ある拡散が始まる。拡散している人たちは、善意の人たちだ。新しく広がる情報の精査をしている間に次の悪意が拡散される。

 マスコミと警察が認識しているだけで、”悪意の拡散”に寄る自殺者はついに1,000人を越えた。認識していない自殺者も居るのだろう。

 誰もが被害者で誰もが加害者だ。
 ついには、物品の過不足まで拡散され始めた。

 最初は、地方銀や都市銀の各銀行の資本比率の情報が金融庁から出たのがきっかけだった。資本比率は銀行の体力を示す。確かに情報としては正しい。資本比率が低い銀行は合併するリスクがあると情報が拡散された。株価が下がると資本比率が低い銀行から倒産するリスクが高まるという情報悪意だ。
 銀行へ取り付け騒ぎとりつけさわぎに発展した、いくつかの地方銀と一つの都市銀が倒産した。バタバタバタと連鎖倒産が発生した。地方銀に頼っていた企業も大量に倒産した。政府は支援策を出すが、銀行ばかり優遇するのか?大企業ばかりが優遇するのか?悪意が拡散された。

 誹謗中傷に近い情報も流れる。
 皆が情報に翻弄される。地方の都市の一つが拡散された悪意で壊滅的なダメージを受けた。

 人口1億人を越えていた状態から、拡散された悪意が芽吹いたときには1億人を割り込んだ。
 死因の第一位が自殺になり。情報に踊らされた人々の狂気は殺人を許容するようになるまで4年の歳月しか必要としなかった。

 武器を持った警察隊や自衛隊がデマを拡散した者たちをテロと同じ行為だと断罪するというデマが拡散されて、人々は自分を守るために武装した。

 そして、国中に咲き誇る情報花の紫陽花は青く美しく咲き誇って居る。
 人口は今月末には5,000万人を切るだろう。まだまだ悪意は止まらない。

 風で飛ばされた新聞には、8年前に起きたイジメの加害者たちの首が被害者の墓前に置かれていたと告げるニュースが書かれていた。

2020/04/24

【都会へのUターン】地獄だった田舎暮らし

「オーナー。どうしましょうか?」

「お前は、何度言えばわかる。俺のことは”まさ”と呼べと言っているだろう!?」

「だって、オーナーはオーナーじゃないですか?」

「いいから、まさと呼べ!次は無いからな」

 いつもの朝の風景だ。

 俺は、新宿・・・。と、言っても有名な歌舞伎町ではなく曙橋という場所で生まれ育った。
 新宿で過ごして大学も新宿にある2流の大学に入った。何も考えずに入れたIT企業に入社した。ブラック企業一歩手前の会社だった。働いて身体と心を壊した。地元に居るのが怖くなった。TV番組で取り上げられていた田舎暮らしに憧れを持って、比較的近くて田舎暮らしができそうな港町に引っ越しを決意した。結婚もした。結婚相手も東京で生まれ育った人だ。嫁もブラック職場で身体と心を壊して田舎暮らしに憧れを持っていた。

 嫁との田舎での暮しは、楽しく問題はなかった。
 田舎暮しが新鮮に感じていた。見るもの、感じるもの、すべてが輝いて見えた。東京・新宿という街が色あせて見えていた。

 それが幻想だったと気がついたのは子供が産まれて幼稚園を探しているときだった。

 幼稚園に子供を預けるという当たり前だと思っていたことで批判されたのだ。
 周りとの歯車が合わなくなってしまった。

 俺たちの行動が監視されているように感じてしまった。
 実際には監視ではなく、俺と嫁は10年近く住んでも”よそ者”でしかなかったのだ。

 俺の職業も良くなかった。ブラック企業だったが、そこで培った技術は本物だ。その技能を使ってWebプログラマやサーバ運営を行っていた。地方の会社にはまだサイトに毎月5-10万も払っている場合もある。人から紹介されて、そのサイトを月額1万未満(1,000円を切る場合もある)で預かっていた。
 クラウドを使うまでもなく、自宅に置いたサーバで運営できる規模の会社がほとんどだった。港町らしく魚を扱ったり、釣り船のサイトだったり、小さいサイトが多くあった。しかし大手ショッピングサイトの営業に騙されて出店していた。出店料の割に売上が出ていなかった。俺には時間が有ったのでそれらの会社に足繁く通ってパソコンを教えたりサイトの作り方を教えたり、都会からやってくるIT営業の相手追い出しをしたりして信用と信頼を得ていった。

 田舎では旦那が家にいて、嫁が外に働きに出るのは”おかしな家”と認定されるようだ。
 子供(娘)を幼稚園に迎えに行くのが旦那だと”おかしい”と言われるのだ。また、俺も嫁も実家とは仲違いをしたわけではないのだが、子供が産まれてから1回しか両親が来ていないのも田舎からしたら”おかしい”と見えるようだ。

 娘が通う小学校を選ぶときに、私立に行くという選択肢も有ったのだが、嫁も俺も学歴を重要視していない。娘にどうしたいのかを聞けばいいと思っていた。
 これも田舎の人にとっては”おかしい”と見えたようだ。私立に行けるのなら行かせるのが当然。学歴がよいほうがいいに決まっている。子供の進路は親が決める。そんなことを嫁は職場で捲し立てられたようだ。

 徐々に嫁の精神がおかしくなってきた。

 ”とどめ”は娘の言葉だった。

”小学校に行かなきゃダメ?”だ。
 娘の話を聞いた。俺と嫁が”おかしい”から娘と遊んじゃダメと友達に言われたと泣きながら教えてくれた。

 小学校入学を来年に控えた時期だった。決断するには時間が少ない。

 だが確実に田舎にとっては普通のことだが、俺と嫁には違和感しかない状況が頻発した。
 娘の数少ない友達が、娘が居ないのに勝手に家に上がりこんで俺の仕事部屋に有ったパソコンで遊んでいた。親に抗議しても”子供のしたことだから”で終わらせようとする。訴訟すると言い出す。都会に住んでいた人は怖いとか、何でも裁判にすればいいと思っているのかとか、俺が悪いとでも言いたい様子だ。

 嫁も職場で孤立し始めた。
 看護師をしている嫁は、患者には良くしてもらって居る。話も面白い知識も豊富、東京の話とかもできる。嫁は患者からは慕われていた。それがやっかみを産む土壌になってしまっていた。”いじめ”や”ハラスメント”のような行為にはなっていないのが、嫁もいつまでも居ても”よそ者”でしか無いと認識してしまう状況になっていった。

 娘が祭りに誘われなかったと泣いて帰ってきた。
 もう限界だった。憧れていた田舎での生活はブラック企業から逃げ出したいがために見えていた幻想だったのだ。ブラック田舎という言葉はないが俺たちはブラックな田舎に掴まってしまったのだ。

 俺のところに旧友から連絡が入った。
 その夜、嫁に話しをした。

「なあ。Uターンするか?」

「ん?Uターンって田舎に帰る事だよね?」

「そうだな。俺とお前なら、東京に帰ることを指すと思うけど?」

「そうね。確かにUターンだね」

 嫁は真剣な表情ながら笑ってくれた。俺の表現が面白かったようだ。

「昔の知り合いが新宿で店をやっていたけど、身体を壊して田舎暮らしをしたいと言って俺に相談してきた」

「え?それで、どうしたの?」

「俺が感じたことを全部、正直に話した」

「それじゃ、田舎には来ないのね」

「できれば、田舎で生活したいと言い出した」

「え?どういうこと?なんで?」

「そいつは独り身だし、親の遺産が入ったと言っていた。この家と新宿に奴が持っていた家と店舗を交換したいと言い出した」

「騙されてない?」

「俺を騙すメリットが無いからな。家の権利書と店舗の権利書を先に渡してもいいと言っている」

「乗り気なのね?」

「うーん。6:4かな?お前が反対したら辞めるつもりだ。疑問点を全部潰してそれでも信じられないと思ったら辞めればいい。先方にもそう伝えるつもりだ。それで、先方がダメと言ったら辞めればいい」

「そうね。それなら、前向きに考えましょう」

 俺と嫁は、Uターンを前向きに考えることにした。
 その上で、娘のためという甘えは出さないと決めた。最終的に俺たちの選択に娘が巻き込まれるのはわかっているのだが、タイムリミットだけを決めて娘には引っ越すかも知れないとだけ伝えた。

 俺の仕事の都合で引っ越しをするかも知れないと娘には伝えた。

「パパ!私のためならいい、引っ越ししなくていいよ?私が我慢すれば・・・」

「違うよ。パパが違う仕事をしたくなったから、東京に行こうと考えているだけだよ」

「そうなの?」

「そうだよ」

「わかった。パパ。無理しないでね」

 涙が出そうになった。

 それから、奴が来ると言ったので会いに行った。陽気で変わらない奴の笑顔に救われた気持ちになった。奴からは新宿の匂いがした。

 奴が持っていた家はマンションではなく一軒家だった。親から受け継いだ古い家だと言っていた。場所は新宿5丁目。俺のテリトリーだ。古い家だから解体して立て直したほうが良いだろうと言っていた。更地にするところまでやってくれると言い出した。
 俺の方は、今の家と離れだ。離れはサーバが置いてあるのだが、現状維持が決まった。なにか有ったときのメンテナンスと維持費は今の契約の7割を奴に渡す。全額でもいいと言ったのだが、会社を作るつもりも無いし税制上の問題もあるから、顧客との契約はそのままで、奴が俺の会社に雇われる形になった。保険やら税金やらのために3割を会社に残す。顧客が減って契約がなくなっても、契約の7割は変わらないという覚書をいれた。

 俺と嫁の疑問点はすべて解決した。
 奴も善意だけではない。何もしないで生活できる環境にあこがれていたのだ。独り者だから俺たちのように田舎のコミュニティに関わる必要はなく無視して生活していけばいいと考えていた。事実、生活の拠点は家だが、旅行に出かけたり、釣りに出かけたり、独り者なので買い物も近くの大手スーパーでまとめ買いしたり、それこそ外食で済ませたりして過ごすようだ。
 都会になれた者は、よほどじゃない限り田舎のコミュニティに入っていけない。唯我独尊を突き通せば田舎での生活は過ごしやすいのかも知れない。俺には出来なかった。

 俺は、奴との交換でUターンすることが出来た。
 ただ田舎にあこがれていたときと違って今は田舎を活用していこうと思っている。

 田舎には資源が大量に埋まっていた。仕事を与えれば喜んで実行してくれる誠実な人が多い。
 ただ、田舎のコミュニティに縛られて呪縛のようになってしまっているのだ。

 俺は、奴が持っていた店舗飲食店も引き継いだ。店長は奴の幼馴染で優秀な奴だ。奴にそのまま運営を任せても良かったのだが、俺の考えを店長に伝えた。もちろん、断っても問題ないし、店舗を買い取りたいということなら相談に乗るという条件を提示した。

 店長は俺の話しに乗ってくれた。
 もともと、コンセプトが乏しくて赤字にはならないが儲けも少なかった。奴の知り合いが誰を気にすることなく飲める場所として作ったのが始まりだったようだ。奴が田舎に引っ込んでしまうことから常連が来なくなる可能性を危惧していたのだ。赤字になるようなら店舗を締める考えを持っていたようだ。

 俺の提案はよくある物だ。
 田舎から安価に仕入れて都会で売る。

 俺や嫁が都会に疲れてしまったのは、情報が多いのに情緒を感じることが出来なかったことだ。田舎に住んでみてわかったのは情報の伝達が早いのに情報が多くない。物の価値を自分たち目線でしか測ることが出来ない。

 釣り船屋や漁師と契約して市場に出しても値段がつかない魚介類を安く譲ってもらう。
 運搬は、田舎で燻っていた者たちに声をかけて中古の冷凍車やトラックを手配した野菜なども田舎のほうが安い場合がある。市場に入られる移動八百屋と提携することで野菜の確保も行った。馴染みにしている場所からの購入も行う。腐っても東京だ。食材は大量に集まる。田舎では入手が難しい食材も”そこそこ”の値段で手に入る。

 娘も英語を話せるようになりたいとインターナショナルスクールに通っている。

 こうして、俺と嫁のUターンはひとまず成功した。

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2020/04/24

【私が作る最高のお祭り】プロポーズされた!最高のお祭り!

「そっちに逃げたぞ!」

「大丈夫だ。アキが待っている」

「また、アキのところかよ?!」

「アキの奴、何人目だよ。俺が連れてきたメスもアキが壊していたぞ?」

「しょうがないだろう?そういうルールなのだからな。ほら、次の祭りに行くぞ!それとも、アキの後で壊れてなければやるか?」

「そうだな。昨日は、一匹にしか出してないからな。アキの後で犯すことにする」

「殺すなよ?」

「そんなヘマはしないよ。薬漬けにして売るのだろう?」

「あぁアナルも犯しておけよ。薬漬けの後に好きものが買い取ってくれるからな」

「わかった。わかった。また、汚えケツの穴に入れるのか?」

「お前、好きだろう?」

「そういうお前だって、穴ならなんだって良いのだろう?」

「違うぞ!お前と違って、ガキは相手にしないからな」

「そうだな。俺はお前と違って、オスには手を出さないからな」

 そこに、髪の毛を引っ張りながら1人の女性を引きずった男が現れた。

「アキ!もう壊したのか?」

「あ?」

 アキと呼ばれた男は、浴衣姿で服装が乱れて局部が顕になっている女性の腹を蹴る。女性は反応すらしなくなっている。

「殺してないよな?」

「大丈夫だ。生きている。初物じゃなかったけど、締りはよかったぞ?後ろは初めてだったようだから鉄の棒を刺したらいい声で泣いたぞ、うるさかったから殴ったら右耳がちぎれたけどいいよな?後ろは使えないけど、他の穴は使えるぞ?」

「死んでなきゃいいよ。残念だったな。ムロ。使えないな」

「いいよ。次に期待だ」

「祭りのときなら攫っても平気だ」

「薬は?」

「いつもの場所に置いてある。攫ったオスにも薬をキメろよ」

「わかっている」

 ムロと呼ばれた男は、廃墟の奥の部屋にぐったりとしている女性を引きずっていく。
 その部屋には全裸になっている男女が10名程度放置された状態になっている。

「これで、『若者の乱れた性』現場の出来上がりだな。あとは、売人が勝手に連れていくのだろう」

 ムロは、食パンを無造作に投げる。
 男女は群がってパンを貪るように食べる。排泄もその場でして男は女を犯して女も受け入れる。女は男の上にまたがって腰を動かす。

「俺たちも良いことをしているよな!メスは満足して腰を振るようなるし、オスは好きにできるし、俺たちには金が入る。メスは仕事がもらえる!誰も困らない!」

 娘は2年前の夏祭りに彼氏と出かけてから帰って来ていない。
 彼氏の湯沢くんも一緒に消えたことから駆け落ちでも下のかと言われたが、結婚に反対していなかったことや湯沢家からも歓迎されていた。二人が駆け落ちする必要は一切なかった。

 元気だった妻も体調を崩して冬には肺炎を患って帰らぬ人となった。湯沢家も執拗なマスゴミの取材という名前の狂気にさらされて、最初は奥さんが続いてお兄さんが最後には旦那さんが自殺した。
 娘たちが居なくなった夏祭りの1週間後に隣町の廃墟で薬を使った乱交パーティーが行われていて数名の男女が逮捕された。娘と湯沢くんもここに居たのではないかと言われた。湯沢くんの空の財布が近くに落ちていたからだ。

 夏祭りに出かけた二人。
 娘からの最後の連絡は「プロポーズされた!最高のお祭り!」だ。

 娘が最高だと言った祭り。
 今年も1人で迎えるのかと思っていた。

 警察から2年前に行方不明になった娘が見つかったと連絡が入った。

 警察についてすぐに病院に行くように言われた。
 地下で眠る娘と再会した。物言わぬ娘の亡骸はやせ細っていた。健康だった肌は土色になっている。変わってしまったが娘で間違いない。首には、なにか締められたような痕がある。顔も殴られたのだろう・・・。

 怖かっただろう。痛かっただろう。

 警官は2課を名乗った。そして、娘の死は事故死だと言われた。

 殴られた痕があり、首を絞められた痕があり、なによりも全裸だ。そんな状態で事故死のわけがない!

 無情にも告げられた事実を理解することは出来なかった。

 娘は、複数の薬物の常習者で薬物中毒による死亡だと言われた。
 被疑者死亡で起訴されることが決まったと告げられた。

 どうやって家に帰ったか覚えていない。
 マスゴミが来る前に逃げ出す。娘と湯沢くんが管理して住むはずだった場所に逃げる。嫁が死んでから経営していた会社は信頼できる人に譲った。私一人だけなら困ることはない。

『どうしました?』

 昔から世話になっている弁護士に連絡をする。事情を説明したら、すぐに会いに来てくれた。気のいい男だ。

 彼は事情を聞いてすぐに行動を起こしてくれた。
 私は持っていた資産を売却した。活動資金が必要になるからだ。湯沢さんが持っていた山の名義を変更した。

 彼から紹介された探偵を雇った。探偵の親しい警官を巻き込んで事情を調べてくれた。
 探偵の努力もあって大まかな事情がわかった。

 主犯格は3名の男だ。有名企業や政治家の子息だ。大手病院の子息も居た。
 他にも関わった者たちが居る。探偵を使って調べ上げた。総勢49名。全員の素性が割れた。弁護士の彼には事情を説明しないで縁切りをした。私の祭りに彼を巻き込まないことに決めた。探偵は、私の祭りに参加すると言い出した。彼の身内も奴らの犠牲になっていたのだ。
 彼の紹介で反社の人たちとも知り合った。彼らも奴らを認識して潰そうと思っていたようだ。金を渡して手を引いてもらった。私の祭りにはふさわしくない。しかし、祭りにはテキ屋が必要だ。彼らから仕事誘拐を頼める人を紹介してもらった。

 資産を売却した金銭を使って祭りの会場設営を行った。金さえ払えば物品を用意してくれる人たちは居る。
 最後の物品の導入を持って祭りの準備は終わった。

「49名の招待を行いましょう。まずは、主要の3名ですね」

「その前に、死体を2つお願いします」

「そうでした。私と貴方が死んだことにしないと面倒ですからね。でも、よろしいのですか?」

「問題ないですよ。貴方こそよろしいのですか?今なら戻れますよ?」

「戻る?面白いことを言いますね。こんな最高のお祭りに参加させないなんてひどいですよ」

「そうでした。もうしわけない」

 3日後に、死体が手元に届いた。
 遺書を残して私の代わりになってもらう。警察関係者の中に居る協力者がうまくやってくれるだろう。

 ははは。なんていう天恵!
 娘の誕生日に祭りが始められる。最高のお祭りになるのは間違いない!

「彼らの様子は?」

「悪態をついていますが、出された食事やアルコールは警戒していないですよ」

「そうですか、女性に持っていってもらっているのがよいようですね」

「それで?」

「すでに犯していますよ」

「ハハハ。楽しいですね」

 配膳の女性は、祭りに招待した49名の中に居た人だ。関係者の中に夫や恋人が居る。もちろん、動画を撮影して招待した人たちに見てもらっている。46名のうち女性は5名で残りの41名は個室を用意した。椅子に座ってもらっていますが、暴れられても祭りがつまらなくなってしまうので拘束した。
 女性には首輪をしてもらった。外したら電流が流れるようになっている。彼らが娘と湯沢くんにしたように薬漬けになってもらう。薬のためなら夫や彼氏以外も求めるようになった。

 椅子に拘束している参加者の中で心が弱かった者が死んでしまった。残念だ。祭りはまだ中盤にも差し掛かっていないのに・・・。

 しかし、死者が出てしまったので、中盤に予定していたイベントを行うことにした。
 参加者もきっと喜んでくれるでしょう。

「3人の様子はどうですか?心が壊れるような逃げ方をされたら祭りが白けてしまいますからね」

「わかっています。女性に相手をしてもらっていますし、精神安定剤を混ぜた食事を美味しそうに食べています」

「それは良かった」

 さて女性の中で二人を選びます。元探偵が選んでくれました。元探偵の身内を嵌めた女性です。

「えへ。なんでもします。ちんぽを咥えたら薬をくれる?沢山、沢山、欲しいの!」

「汚いですね。必要ないですよ。それよりも、二人に頼みたい仕事があります」

「「はぁーい。なんでもします」」

 良い返事です。
 のこぎりとナイフと包丁と金槌を渡します。途中退場した人を材料に料理を作ってもらいます。椅子に固定している人たちの食事は今日から彼女たちが作る人肉が材料です。残っている人たちは、彼ら3人の世話をしている者を除くと30名になってしまいました。

「半分に減ったら次の段階に移行しましょう。彼らは?」

「騒いでいますが、大丈夫です。他愛もないことです。状況判断が出来ないのか、父親の権力に縋っています」

「それはいいですね。それでは、最高のお祭りの終わりを始めましょう」

 ネットに流れた動画は、数ヶ月前から行方不明になっていた3人の男性だ。
 椅子に固定されて、首輪をして全裸の状態だ。モザイクもなく配信されている。覆面だけをした全裸の女性が現れて男性器を咥えてから挿入する。その後、満足したのか抜いてから眠らせてから指を切り落としたり爪を剥いだりする。削除されても、削除されても動画が復活してくる。
 最初は女性が挿入までしていたが、勃起しなくなってからは薬で強制的に勃起させてから、死体と思われる女性を抱かせる。何度も何度も繰り返す。死体の女性が使えなくなったら、今度は死んでいると思われる男性を抱かせる。躊躇しないで薬を使わせる。勃起させるだけではなく、精神安定剤も大量に投与される。

 自分が行ったことを告白すれば3人のうち1人は助けると機械音声が流れると、3人は自分たちの罪を告白した。
 しかし、父親たちが失脚するには十分なインパクトを世間に与えた。

 椅子に拘束された状態で死んでいる15名と薬漬けで意識がはっきりとしない女性3人と身体を引き裂かれた女性2人と複数の男女と思われる死体を警察が発見したのは動画が流れてから1週間後だった。

 警察が踏み込んだときには、独白した3人は姿かたちもなかった。

 そして、壁には血文字で「最高のお祭り」と書かれていた。

2020/04/24

【4で割り切れて】400で割り切れて・・・

 空になったコップをテーブルの上に置いて旧友に愚痴を言う。

「ヨウコ!聞いてよ」

 学生時代からの親友であるヨウコに話を聞いてもらう。

「はい。はい。今日はどうしたの?また、いつもの人?」

「そうなの聞いて!うるう年って有るでしょ?」

「うん」

「計算方法って知っている?」

「マキ。私のこと馬鹿にしているの?文系でもそのくらい知っているわよ。4で割り切れる年でしょ?」

「でしょ!でしょ!それでいいよね!」

 私は、注文していたモスコミュールを一気に煽る。
 ヨウコの顔が”今日も長くなるのか”と言っているようだが気にしない。

「マキ。そんなに一気に飲まなくても。それにしても、モスコミュールなんて飲むようになったのね。今まで、甘いカクテルか果実酒だったのに、大人になったね」

 ”ケラケラ”と、笑っているヨウコに指摘された。いつからだろう?モスコミュールが好きになったのは?
 ヨウコのように日本酒を嗜むわけでもなく、梅酒や杏酒しか飲めなかった。

「それでね!」

「え?まだ続くの?」

 当然!全然話せていない。大学を出て入った会社はIT関連の会社だ。

「ヨウコもうるう年の計算が間違っているって言われるよ!」

「そう?でも、いいよ。私は、SEじゃないから」

「違う!プログラマ!」

「はい。はい。それで?」

 パンの耳で作られている名物のガーリックトーストを口に放り込みながら私の話を聞いてくれる。

「うん。それじゃダメって言ってやり直しさせられたの」

「いつもの人?」

 私は、肩書はSEだが1人でシステムを構築できるわけではない。クラスの一部を担当させてもらっている。仕様書をもらってコードに落とすのが仕事だ。昨日は部内で行われるコードレビューの日だった。

「飯塚さん。一応、OKは出せますが、うるう年は4年に一度でありません。しっかりと調査してコードに落としてください」

「え?」

「何度も言っていると思いますが、仕様書を読み解いて作ってくださいとお願いしていますよね?」

 上司である井上さんの小言が始まった。
 私が作ったコードではお気に召さなかったようだ。仕様書では、”1901年から2099年までの日付と時間をもらって指定されたクラスを生成して返す”となっている。クラスは、存在する日時なのか?うるう年なのか?和暦表現。祝日なのか?曜日。等々カレンダーに関係する情報を返すのだ。

 どうやら、私が作ったうるう年の計算が間違っていると言っている。

「井上さん。テストでは、うまくいきました。1901年から2099年までの全部の年で確認しました!仕様は満たしていると思います!」

 今までは、私が間違っていたが今回は間違っていない。
 毎回、井上さんのコードレビューで注意されたから、今回は全件チェックを行った。実際のカレンダーを見て確認したから間違っていない。

「飯塚さん。この部分でうるう年を判定していますよね?」

「そうですが!」

 しっかりとテストしたから強気で出られる!

「確かに、飯塚さんが担当するクラスの仕様では、1901年から2099年ですね。このシステムの概要設計を読みましたか?」

「え?」

 自分の担当以外は会議で出た場所以外は読んでいない。そもそも、読む理由があるとは思っていない。
 え?周りの人を見ると読んでいるのが当然という雰囲気だ。
 読んだほうがいいとは言われたが、読む必要はないと思っていた。

「全部を熟読する必要はありませんが、概要設計くらいは読んでください。今回は時間も差し迫っていますので、改善点を告げますが、次からは注意してください」

「・・・」

「飯塚さん。納得してくれとは言いませんが、自分のミスなのです。認めてください」

「私・・・。ミスして・・・。いません」

「いいえ、貴女のミスです。概要設計には、このシステムは、2200年まで動かすことが前提となっています」

「え?」

「そして、貴女が作ったファンクションでは、2100年と2200年をうるう年の判定してしまいますが、この2つの年はうるう年ではありません」

「・・・」

「いいですか。うるう年は、たしかに4で割り切れる年ですが、条件はまだあります。100で割り切れない年がうるう年です」

 え?それなら・・・。

「そうです。2000年は100で割り切れてしまいますが、うるう年です」

「それじゃ!」

「400で割り切れる年はうるう年なのです」

 頭が混乱する。
 400で割り切れたら、うるう年。
 4で割り切れて、100で割り切れない年がうるう年。

「え?でも、仕様では・・・」

「そうです。でも、概要設計では2200年まで使うことを想定するとなっています。確かに、飯塚さんの担当部分では1901年から2099年です。それなら、”4で割り切れる”だけでも問題はありません」

「なら!」

「ダメです。”うるう年”の判定なのですよ?飯塚さんならわかりますよね?」

 井上さんが私の目をじっと見つめてきます。
 怖いけど、温かい眼差しです。途中からわかっています。私が間違っていたのです。渡された仕様は、協力会社のSEさんから渡された物です。仕様書が間違っていると指摘しなければならない立場の私が仕様書を鵜呑みにして楽な方に逃げたのです。
 概要設計を読んでいれば・・・。うるう年をもっと真剣に調べていれば・・・。もっと、私に知識と経験があれば・・・。
 井上さんは、”いつも”言っていました。経験がなければ、経験がある人に聞け。または調べる。些細なことでも疑問に思え。きっと、井上さんも、以前に作ったシステムでうるう年を調べたのでしょう。私は、経験がないのに自分の知っている事実だけで作って・・・。無駄なテストに時間を使ってしまったのだ。
 悔しくて、うつむいてしまった。

「いいですか?飯塚さんが作っているファンクションは一部ですが、日付や日時のチェックはいろいろな場面で役立ちますし使われます」

「はい」

 そんなことは言われなくても・・・。

「それなら修正をお願いします。いつまでに出来ますか?」

「明日には終わらせます!」

「飯塚さん。いいですか・・・」

 また小言が始まってしまった。早ければいいと言うものではない。
 わかっています。私がこれで明日までに出せなかった、明日から始める予定になっている部分のリスケが必要になる。話を切り上げたくて、ギリギリの日付を口にしてしまった。井上さんは、ギリギリなのがわかっているのか注意してくれているのです。
 わかっています。でも、私はこの人に認められたい。”よくやった”と言われたい。

 だから。

「なんだ!マキが悪いってことなのね」

「そうだけど・・・。でも!でも!言い方って有るでしょ!」

「マキ?あんた。泣いているの?」

「違う!泣いてなんか居ない!」

 涙じゃない。目から汗が出ただけ!

「はい。はい。それで?」

「違うからね!」

 ヨウコに会議での話を説明する。
 おかわりのモスコミュールを一気に飲み干す。強いアルコールが心を揺さぶる。
 なんで私はこんなにも井上さんに認められたいのだろう?プログラムのこと以外ではだめな人で、客先に行くのに服装を気にしない、寝癖がついたままのときだってある。酒豪で、いくら飲んでも顔色人使えない。ウォッカやテキーラが好きで、ウォッカベースのカクテルをいろいろ教えてくれた。
 そうだ。客先でミスを犯して落ち込んでいる私をバーに誘ってくれたのも井上さんで、そのときにモスコミュールを飲ませてくれた。井上さんにも文句を沢山言ったけど笑って許してくれた。

「マキ。マキ!」

「ん?何?」

 酔ってきたかも。

「あんたのスマホがさっきから鳴っているけどいいの?」

「え?」

 スマホを取り出して確認する会社からだ。こんな時間に会社から電話がなるなんて問題でも発生したのか?
 アルコールが入っているから今から行っても。

「切れた?」

「かけなおしたら?」

 ひとまず確認してみると、3回ほど会社から着信がある伝言は残されていない。会社からの電話の前に知らない番号からの電話が入っていた。

「そ・・。そうする」

 かけようと思ったときに、会社から4回目の連絡が入った。

「はい。飯塚です」

 え?言っている意味が理解出来ない。
 なんで?嘘?

「わかりました。すぐに。はい。いえ、大丈夫です。はい」

「マキ?」

 電話を切る。まだ電話の内容が理解できない。違う。認めたくないのだ。

 今日。2月29日は私の誕生日。4年に一度の記念日。会社を定時で出た。井上さんが”今日は帰っていい”と言ってくれた。ヨウコとの約束が有ったが、仕事が遅れそうだったので、約束をキャンセルしようとしたら、井上さんが”4年に1度の誕生日だろう?6才児は帰っていいぞ。テストだけだろう?代わりに消化しておく、来週の土曜日の結合に参加してくれればいい。休日出勤だけどな”そう言いながら笑いながら・・・。

「マキ?大丈夫?何だったの?顔が真っ白だよ?本当に大丈夫?」

「あっうん。大丈夫。ヨウコ。ごめん。会社に戻らなきゃ。違う。病院に・・・」


 4年前の2月29日。井上は、事故にあって帰らぬ人となった。
 マキは、約束の時間よりも少しだけ早く約束の場所に来た。

「ずるいですよ。人の誕生日に、告白して返事を聞かないで・・・。気持ちに気がついたときには相手が居ないなんて。私の誕生日だったのですよ?4年に一度だけの告白なんて洒落たまね。馬鹿ですね。これから4年に1度。貴方のことを思い出します。それ以外は、綺麗サッパリ忘れますからね。それじゃダメですね。100で割り切れる年は思い出しません。でも、400で割り切れたら思い出すことにします。私が生きていればですけどね。あのクラス、そのままリリースしちゃいましたよ!」

 墓石に井上が好きだったウォッカを置いた。

「献杯!」

 マキはモスコミュールを飲み干した。モスコミュールの酒言葉は「その日のうちに仲直り」。

「飯塚」

 時間通りに社員が集まってきた。今日は、4年に一度の墓参りなのだ。

2020/04/06

【そして空を見上げた】あの日見た空

 私は、今会社の屋上に登っている。
 あの人が最後に見た空は、私が今見ている空とは違うのだろう。こんなに、滲んで居なかっただろう。

 私は、あの人が最後に見た空を見たかった。
 光化学スモッグで汚れた空だが、あの人にはどんな風に映っていたのだろう。
 空を見上げていた、口元は笑って居た。ただ、もう二度と、話をする事も笑顔を見ることもできない。

 溢れ出る涙を拭って、部署に戻る。
 もう一度空を見上げる。見上げた空は、何も変わっていなかった。

 ここは、川崎駅から、南武線に乗って何駅か行った場所にある会社だ。小さいながらも自社ビルを持つIT企業が、私が務める会社なのだ。今、私は自宅謹慎になっている。私だけではない、私の部署全員が同じ境遇になっている。
 自宅謹慎といっても、別に自宅に居なくてはならないわけではなく、連絡が付く場所にいれば良いと言われている。

 私と同じ様に、自宅謹慎になっている人たちが、ちらほら会社に来ていた。私の部署は、会社の中では中規模な部署だ。人数は、20名ほどだが全員が実働部隊プログラマという珍しい部署だ。たいてい部署の中に専任の営業が居たり、ネットワーク屋が居たり、何かしらの専門家が居るのだが、私の部署は”プログラマ”だけの集まりになっていた。

 こんな部隊を率いていたのが、倉橋さんだ。

 私が、倉橋さんの部署に配属されたのは、社会人になってから2年ほど経ってからだ。
 最初は戸惑う事が多かったが、鎮火作業に繰り出される事が多い部署だと話を聞いていた通り、作業はほぼ”火”が点いている現場だけだった。
 そんな場所で、2年過ごせば、大抵の事はできるようになってくる。倉橋さんの部署に、専門家が居ない理由がよく分かる。専門家を置く必要が無いのだ。全員が、ある程度の事ができてしまうのだ。そうなるように、配置されていくのだ。現場に出てしまえば、”知りません”や”できません”は言えない場合が多い。そのために、専門家には敵わないのは当然だけど、ジェネラリストな対応が求められる。

 私も、経験と同時に扱える言語の数が増えていった。DBも触れるようになり、サーバ周りの設定やサービスの設定も行えるようになっていた。

 倉橋さんには、笑いながら

「業務履歴書にたくさん書き込めるぞ!」

 と言われた。事実、私たちの業務履歴書はすごい事になっていた。
 ただ、専門家ではないので、職種は”プログラマ”のままにしているのだ。

 倉橋さんは、よく笑う人だ。理由を聞いたら、”笑わないで居ると心が潰れてしまうから”と、笑いながら教えてくれた。

 39歳の誕生日を職場で迎えたと笑った笑顔を忘れない。

 あれは、ある巨大システムの鎮火作業に携わった時だった。
 そこは、今までの火付け現場とは違っていた。

 今まで、私たちも巨大システムの火消しに携わった事があったが、それは根本が違っていた。

 とある、大手SIerが、来春からオープンする病院のシステムを受注して、開発を行っていた。最初の火は小さな小さな物だったようだ。ハードウェアと連結する部分を担当していた、会社が飛んだのだ。

 この業界、仕事をしながら会社が飛ぶという現実はよく発生している。
 大きなシステムになればなるほど、間に入る会社が多ければ多いほど、支払いサイトが発生する。後で知った話だが、飛んだ会社は、翌末締めの翌々々末払いになっていた。支払いまで、120日かかる計算になる。しかし、そこで働かせている従業員には、末締め翌25日払いにしないと生活ができなくなってしまう。その間の約100日程度を会社が持ち出すのだ。
 それだけなら銀行融資とかで繋ぐ方法も考えられる。しかし、火が付いてしまうと、受注会社は支払いを渋る傾向にある。1週間遅らせるだけで、小規模の会社は飛んでしまう。

 こうして、1つの会社が仕事をしながら、飛んでしまって、火が具現化する。
 要因はいろいろ有るだろう。中間会社の支払いが少し遅れただけで、下は大きな反動を喰らう事になる。

 ここで、受注している会社が出てきてジャッジをすればほとんどの場合は鎮火する。しかし、中間会社が出てきて、こねくり回すと、間違いなく火が大きくなる。

 この時にも、飛んでしまった事を隠した中間会社は、内部の人間で作業を継続する事を考えて実行する。

 これで、火が少しだけ大きくなる。
 大きくなった火を消すために、他のうまく行っている部署から人を集めて来て火消しを行う。

 これを繰り返す。火がシステム全体に行き渡るのに、それほどの時間はかからない。
 特に、病院の様なシステムでは、人を投入すれば火が消えるような場所ではない。”お上”から出される難解な点数表を読み解く力や、意味不明な業界用語や業界の常識を知らなければならない。

 それがわかっていない”優秀なシステムエンジニア”たちが大量に投入され始める。
 中間会社が集めてくる人材は優秀な人たちだが、一点だけ”業務知識”が足りなかったのだ。それも、バラバラの対応方法で、目先の鎮火作業を行っている。
 その場所の火は小さくなって鎮火する。しかし、すぐ横に新たな火種が産まれる。

 受注会社が対応に乗り出すが・・・時すでに遅く、火はシステム全体を覆うようになってしまっていた。

 倉橋さんの部署にこの話が来た時の状況だ。倉橋さんに、まとめ役のになってほしいという事だ。私たちの部署は、このシステム案件に関わる事になる。部署の全員であたるのを、倉橋さんは渋ったようだが、会社の意向もあり、全員で現場に向かう事になった。

 現場を見た私たちの感想は、皆同じだった・・・。
 それほど長くこの現場は持たないだろう・・・と思った、いろいろな現場で鎮火作業をしてきたから解るが、悪い方に転がっている現場は、雰囲気が同じなのだ。
 作業をしている会社同士が固まって、お互いに監視し合っている。
 そして、話し声が聞こえないのだ。笑い声はもちろん誰も声を出さないで、モクモクと”自分が言われている”事だけをやっているのだ。指示を出す者も、自分たちの事しか考えていない。

 そして、顧客との打ち合わせでは、淡々とスケジュール消化状況だけが報告されていく。

 倉橋さんが、客との打ち合わせに呼ばれました。
 この時に、悟りました。私たちが貧乏くじを引いたのだと・・・。
 嫌な予感が的中しました。中間会社がスケープゴートにされて、リスケが発表されました。そして、私たちが鎮火部隊となり、作業を行う事になったのです。もちろん、受注会社は、顧客には火が付いているとは説明しません。

 作業が遅れている言い訳を探していたのです。倉橋さんが来た事で、体制を作り変える事。施設の設備を使って、実際に動かしながらテストをする事を告げて、作業が遅れている事を隠したのです。
 当初の計画では、施設の設備を使ってのテストは、運用を行う部署が担当するのですが、その時間を開発に使うのです。無茶苦茶な理論ですが、すんなりと承諾されてしまいます。不思議な事ですが、受注会社の手腕ごまかしなのでしょう。

 しかし、伸びたと言っても、数ヶ月です。
 ここまで消費してしまった日数に比べれば微々たるものです。

 ここで、1番の問題が発覚したのです。
 私たち以上に、受注会社の担当者が内情を把握していなかったのです。把握しないで、客と話ができるのは不思議ですが、困った事にこれができてしまうのです。”詳しい事はお手元の資料を御覧ください”の魔法の言葉を乱発したのです。
 資料には、小難しい言葉でごちゃごちゃと書かれています。遅れている事を、言葉を変えて説明しているのです。火付け現場でよくある事ですが、客に提出する資料を作って、作業が遅れていく、その遅れた時間を取り戻すために、現場が無茶をする。そして、現場から人が減って、営業が新しい”経験がない”者を投入して、現場が混乱して更に遅れる。

 この現場でも、同じ事が発生していました。
 しかし受注会社は顧客に遅れていると言えないために、この作業は継続させる必要があります。現場がまた更に圧迫されます。

 そして、現場が、実際の施設を使いながら作業を行う事についての”論理的”な説明がされます。
 そう・・・”できている物”を施設で動かして、確認しながら、実際に使う人に説明する。

 これが新たな火種になります。

 これまで、仕様を決めていたのは、”現場を知らない”事務方の人や経営者の人たちです。実際に現場の人の意見も入っているとは思いますが、現場の”直接”の意見ではありません。
 現場からの意見。
 実際に使う人の意見。
 これが、どんな結果をもたらすのか、やる前からわかっていますが、やらないわけには行きません。それが、数ヶ月を手に入れた時の約束なのです。

 これらの作業を、受注会社は私たちの作業としてくれたのです。ありがたくて涙が出てきます。

 倉橋さんは、笑いながら、

「なんとかしよう。受注会社や中間会社や会社のためではなく、実際にシステムを必要として、実際にシステムを使う人のために、頑張ろう」

 そう言って、私たちを鼓舞します。
 私たちの現場は、顧客の施設の中に作ってもらった部屋です。将来的には、システム屋が常駐する部屋になります。そのための作業も平行して行っています。

 私たちは、最前線に居ます。
 顧客と膝を突き合わせて作業をしていますし、一人ひとりの顔がよく見えます。相手も同じです。毎日、挨拶して毎日会話をして、毎日対応している人たちには、優しくもなれます。
 私たちは、現場に受け入れられたのです。しかし、それが受注会社には面白くないのです。本来なら、自分たちがやらなければならない事を、私たちにやらせておきながら、私たちがうまく回りだすと、営業を通して文句を言ってきます。

曰く
・作業時間が短いが本当に作業をしているのか?
 女性陣は、9:00-23:00ですが何か?男性陣に関しては、9:00-5:00(始発)ですが何か?
・笑い声が聞こえると、苦情が入っているが?
 顧客が来て笑っていますけど・・・誰からの苦情ですか?
・勝手にシャワーや仮眠室を使わないように
 顧客に聞いたら使って問題ないと言われましたがなにか?
・車やバイクでの通勤は認めていない
 最初にいい出したのは、受注会社の部長です。それも、私たちに確認と許可を取りに行かせていますけど?

 現場と私たちの距離が近くなればなるほど、受注会社がひた隠しにしてきた事が捲れます。

 開発が遅れている事がバレてしまったのです。
 慌てたのは、受注会社です。私たちの責任にはできない状況です。私たちも必死で調整を行いますが、無理に近い状況で作業をしていて、これ以上に何ができる状況ではありません。

 現場は、状況を薄々感じていたので、驚きはしませんが、上層部は違います。
 受注会社を呼び出して、大激怒です。

 受注会社は、ここで素直に謝罪しておけば良かったのでしょう。システムの稼働が遅れれば、困るのは顧客です。現状でも、だましだましなら使えるです。手作業が増えて困るのは現場です。でも、現場でもシステムがないと困るのは認識しています。ですので、手作業の部分を受注会社が肩代わりする事で、時間をもらう事はできたのです。事実、倉橋さんは、その様な提案を現場/上層部に投げて居ますし、感触は悪い物ではありませんでした。

 しかし、受注会社は禁じ手に近い手法言い訳を使ったのです。

 パッケージの導入です。

 大抵の業種で、パッケージ商品があります。
 マイナーな業種でも探せば誰かが作って売っていたりします。それを購入して可動させるという物です。

 正直、私たちも最初はこれを検討して、いろいろなパッケージを出している会社に打診しました。しかし、結果はパッケージを導入しても、連結作業に時間が掛かってしまって、ハードウェアの選定からやり直す必要が出てくる可能性もあるので、意味がないという結論に達しています。受注会社にもその旨は伝えてあります。
 しかし、受注会社はその手札を切ったのです。

 そして、新たな火が燃える事になるのです。
 パッケージですから、1つ1つは問題なく使えます。使えてしまうのです。顧客が巨大な病院です。部署も多ければ関連するパッケージも多くなります。それらを連結させなければなりません。それが新たな火種です。
 部署単位で動いているので、それでは業務として流して見ましょうとなる。この段階で問題が多々見つかります。

 もう時間との勝負になってきます。
 受注会社の関係者が泊まり込みで作業を始めます。

 倉橋さんは、私たちを交代で休ませたり、帰られそうにない時には、近くのホテルで休ませたりしてくれます。

 大本の火には私たちは手出しできません。
 受注会社が責任持って作業しますと言っています。そのために、私たちは主に顧客対応やパッケージ会社とのやり取りに終始し、テストを行ったりしています。

 火付け現場では、食事に行く時間を削って作業をしているようです。
 こんな状態が長続きするわけがありません。戦線離脱者が徐々に出てきています。悪循環が止まりません。

 そんなタイミングで火災の中心部に、自分は安全な所にいながら、ガソリンの入ったタンクを置いていった者が居たのです。優秀な営業が顧客に対して、リップサービスのつもりだったのでしょう・・・だと思わないとやっていられませんが、これだけ巨大なシステムですからパッケージ化して販売を検討してみてはどうかと・・・。
 まだ完全に動いていない状況で、こんな事をいい出した理由がわかりません。顧客が、他にも病院や施設を持っている事から、ここで発生した赤字を回収したいのかもしれません。

 しかし、今のチグハグはシステムではそんな事は、夢のまた夢です。それに、パッケージを導入してしまっている事から、会社間の調整も必要になります。繋げたのは確かに受注会社ですが、それだけです。それに、仕様を決めなければならない部分がまだ多数残っています。専門性があるアプリケーションを作るのはそれほど難しくなりません。顧客との間で信頼性が確保されているのならです。しかし、汎用性がある物を作るには、業界の事を知らなければならない上に仕様的にも矛盾が出てきてしまう事が多々あります。

 その優秀な営業が口走った言葉をきっかけに、受注会社は迷走し始めたのです。
 赤字を回収する。確かに、必要な事でしょう。

 結果・・・・二ヶ月間に続いた現場作業の”中断”が告げられた。

 それだけではなく、全員に”帰宅命令”が下されたのです。顧客が、現場作業員の現状を憂いたのです。
 作業員全員に、1~2日の休みが与えられたのです。私たちは、2日の休養が与えられました。

 確かに、身体は疲れています。
 久しぶりの休暇です。夕方の街を歩くのも久しぶりです。

 そんな中で、倉橋さんが

「久しぶりに歩いたら疲れた。ちょっと休みたい」

 近くに公園があるので、そこで休む事にしたのです。
 すぐに帰って寝たい人も居るので、公園に行く組とすぐに帰る組に分かれます。私は、公園で少しだけやすんで帰る事にしました。実際問題として、夕方になっているので、帰宅時間と重なってしまって、満員電車で帰るのが少しじゃなく億劫に思えていたのです。
 公園に残る人は最初はそれほど多くなかったのですが、帰宅ラッシュの事を思い出したのか、最終的には、18名が公園で時間を潰す事にしたのです。

 倉橋さんが、

「悪いんだけど、そこのコンビニで、人数分の何か飲み物と軽く食べられる物を買ってきてくれ」

 そういって、私を含めた若手数名に自分の財布を渡して、公園のブランコに座ったのです。

 倉橋さんは確かに・・・財布を受け取った私に対して、

「流石にちょっと疲れたな」

 そういったのです。

 若手たちで、手分けして人数分の飲み物とスナック菓子やコンビニのお惣菜を買って帰って来て、残っている従業員に分けます。倉橋さんの右腕と称される真辺さんが、座るためのレジャーシートを数枚買ってきてくれました。
 私たちは、そこに買ってきた物を広げて、各々座って時間を潰します。

「倉橋さん。いつものコーヒーでいいですか?ホットとアイスありますけど?」
「おっ悪いな。アイスをくれ・・・あっ余分にあるなら、ホットも置いておいてくれ」
「わかりました。あっお財布」
「あぁ足りたか?」
「大丈夫でした」
「そうか・・・それならいい」

 ブランコに座りながら、アイスコーヒーを飲みんで居る。
 倉橋さんを私は見つめるしかできない。この人がどんな大変な事をしているのか、私は片鱗しかわからない。でも、この人が私たちが大変だけど、しんどいけど、充実した日々になるように踏ん張ってくれているのは知っている。
 私は、女として、倉橋さんの事が好きだ。年齢は離れている。告白なんてするつもりはない。今感じている気持ちも、よくわからない。憧れなのかもしれない。ただただ、この人の側に居たいと思う気持ちは、私の中で確固たる物だ。

「倉橋さん」
「ん?あぁこれから・・・そうだな。俺たちは・・・ほら、見てみろよ」

 疲れているのだろう。
 でも、笑顔がいつもの倉橋さんだ。

 見てみろと言われたのは、夕焼けに染まった空だ。

「綺麗ですね」
「そうだな。空は、いつも同じだよ。俺たちが見ているのも・・・そうだよな。まだできる事はあるよな」

 誰に言っているのでしょう?
 私では無いのは解ります。倉橋さんは、ブランコに揺られながら、空を見上げて居ます。

「・・・くら」
「少し疲れたな。1時間くらい寝る。まだ大丈夫だよな?」
「え?あっはい。わかりました」

 私もレジャーシートに座る若手の所に戻ります。
 私が、倉橋さんの事を好きな事は誰にも言っていません。

 1時間が過ぎちょっと肌寒くなって来たので、倉橋さんを起こして帰ろうかという話になりました。
 真辺さんが、倉橋さんを起こしに行くようです。私たちは、レジャーシートを片づけて、周辺のゴミをまとめて、コンビニのゴミ箱に捨てに行ったのです。

 その時に、真辺さんの怒鳴り声が聞こえます。
「おい!救急車!いや、病院まで誰か走って、医者呼んで来い。医者・・・たのむ、誰か医者を・・・救急車・・・」

 真辺さんの声が、夕暮れも終わり、夜に入りかけている空に響いたのです。

 倉橋さんが、見上げた綺麗だと認めてくれた空に虚しく声が吸い込まれて行くのです。

fin

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2020/04/05

【目が覚めるとそこには】夢で終わらない

 あぁこれは、いつもの夢だ。誰にでも、1つくらいあるだろう。
 同じような夢。疲れた時に見る夢。誰かを殺したいと思っている時に見る夢。

 窓も、ドアも、部屋の調度品がなにもない部屋。上も下もわからない白い部屋に私が全裸で居る夢をよく見る。

 私は、部屋の中を抜け出すために走りまくる。床だけでなく、壁や、天井を使って、走りまくる。走って、走って、走って、疲れ切って、倒れる。最後は、なぜか部屋から抜け出す。
 その時に、必ず振り返ってしまう。白かった部屋が、真っ赤に染まったシーンで目をさます。

 目を覚ますと、私の目の前には、いつもの天井が広がっている。白く塗った天井だ。
 そうこれは夢。私が見ている夢なのだ。

 今日も、現実が始まる。
 私の事を殴るしかしない。父。
 私の事を、父に殴らせる事で、自分が逃げる事しか考えない。母。
 私の事を、汚れた物でも見るように蔑む。妹。
 私の事など存在していないかのように振る舞う祖父母。

 これが私の現実だ。
 学校に行けば、私は存在しない人間として扱われる。
 学校はましだ、存在しないだけだからだ。1人で過ごせるだけましな時間だ。

 休み時間は、私の安らぎの時間だ。
 図書館で本を読むことが出来る。家で本を読むことはできない。洗濯をして、掃除をして、食事を作らなければならないからだ、その上で、バイトを行って、父に酒を買わなければ、殴られる。
 妹には、トイレが汚いと言われて、妹の排泄物を処分させられる。

 図書館だけは、私を受け入れてくれる。
 ここさえあれば私は満足出来る。学校の成績が良ければ、女子から呼び出されて殴られる。だから、テストはいつも間違えて提出する。そうすると、先生から呼び出される。さじ加減が難しい。
 真ん中くらいの成績で居なければならないのだ。

 妹は、身体を売っている。そのお金で、遊び歩いている。
 妹は、私も同じことをして、金を渡せと行ってきたが、逃げた。それから、私の事を、許さないと殴るようになった。殴られるくらいの方がましだ。好きでもない男に股を開くくらいなら死んだほうがいい。
 純潔を守りたいわけではない。私の意地だ。早く、高校を卒業したい。

 この家を出たい。そればかり考えるようになっている。

 一度、妹が男を連れてきて、私を犯そうとした。その時には、思いっきり男根に噛み付いた。
 それから、妹は、私の事を汚れた物を見るような目で見る。自分の排泄する姿を見せて、拭かせて、舐めさせて喜ぶようになった。どこか、心が壊れたのだろう。
 母は、数年前から、父の暴力におびえていた。父は、公務員だった。真面目に仕事をしていたが、なんとかという議員が役所にもとめてきた、文章提示に対して、別の議員からの圧力があって、提出文章を改ざんしてしまった。それが週刊誌に取り上げられて、酒に逃げるようになってしまった。その当時は、毎日のようにマスコミを名乗る狂人が、昼夜関係なくチャイムを鳴らしていた。
 私の学校にも記者を名乗る人が来て居た。それで、学校側も私は居ない者として扱うようになった。
 あれで、家族が壊れてしまった。
 壊れてしまった事を、私がマスコミに言ってしまった事で、またマスコミを名乗る狂人が騒ぎ始める。議員の圧力やパワハラが有ったのではないかと・・・。私が、家族の絆を壊してしまった。だから、これは当然の事なのだ。

 今日も無事、父のお酒を買うことができた。これで、殴られる回数が減る。

 そして、今日も1人で外の物置で眠る。
 ここが一番安心出来る。寒いし、暑いが、誰も近づいてこない。近づいてもすぐに分かる、私だけが知っている抜け道もある。下着は、妹が売ってしまった。今ある下着は、3枚だけ。バイト先で貰った物だ。バイト先の女性店長が私の事を気にかけてくている。それで時々服や下着をくれる。店の売れ残りだからと言っているが違う事は知っている。でも、嬉しい。バイトの時間は、私を人として見てくれる。

 あと、二週間。二週間ですべてが終わってしまう。

 今日も、いつもの夢を見た。
 少しだけ違った。今日は全裸で”なにか”に追いかけられる。それから必死に逃げる。逃げるがドアが見つからない。逃げ場がないと思った時に、”なにか”が爆発して、赤い色が白い部屋を染めていく、ゆっくり開いたドアから私は外に踏み出す。

 そこで目をさます。目を覚ましたら、いつもの天井が目に入ってくる。
 夢だとわかる。

 これから、毎日”なにか”が増えていく。私は、その”なにか”を知っているが、知らない。
 目をさます時には、いつもの天井だけが優しく私を見つめている。

 明日。私は、明日。ここから出ていける。私の事を知らない人たちの中に入っていくための準備が整ったのだ。

 ねぇみんな知っている?
 人って追い詰められると、どうでも良くなるのだよ?

 ねぇみんな知っている?
 私の事が見えないのなら、見ないのなら、必要ない物が有るよね?

 ねぇみんな知っている?
 人ってなかなか壊れないのだよ?

 ねぇみんな知っている?
 無視するってそれだけ意識しているって事だよ?

 ねぇみんな知っている?
 大切にしている物を壊された時、自分の中の別の自分に気がつくよ?

 ねぇみんな?なんで、人にやった事が、自分がやられないと思っているの?そんなわけないよね?自分が他人にやったことなら、他人から自分がやられるって事も有るよね?その時には、憎悪や悪意が付与されたら、やった事が大きくなって返ってくるよ?

 まずは、妹から始めよう。次は、祖父母。そして、父。最後は、大好きなお母さんにしよう。それが、終わったら、学校の卒業式に行かなきゃだよね。店長には、今日で街を出るからお店やめますと伝えた。毎日、お酒を安く売ってくれた酒屋さんにも、昨日の間にお礼の言葉を伝えた。残念だと言ってくれた。すごく嬉しかった。私の事を見て、私の事を必要だと言ってくれた。遠い人ほど親切なんだね。

 準備はできた。白い部屋の夢は、今日も見た。そして、私がやりたかった事がはっきりと解った。

 まずは、妹の部屋に行こう。
 大丈夫。ぐっすり寝ている。食事に睡眠薬が入っているとは思わなかったのだろうね。そのまま致死量を入れようかと思ったけど、それじゃ面白くないよね。

 さて、妹の部屋の鍵は持っている。掃除をするために必要だからだ。この娘。明日からどうするのだろう?私、卒業したら居なくなると伝えていたのに・・・。まぁいいか、そんなの、明日から考えればいいのだろうね。私以外の人が考えればいい。私でも考えられたのだから、大丈夫だろう。

 妹はぐっすり寝ている。
 まずは、服を脱がそう。起きないように丁寧にやらないとダメだね。
 次は、声が出て祖父母や母や父が起きたら迷惑だから、口枷をしてあげよう。あぁ起きて暴れたら大変だから、手枷と足かせもしよう。犬用の首輪も買ってあるから、してあげよう。男に股開いて、下品な声を上げるようなメス犬にはちょうどいいだろう。

 全裸の状態で手枷をして、ベッドに縛り付ける。首輪を買った時についでにかった鎖が役に立った。次に、足かせは、メス犬にちょうどいいように足を閉じられないように縛り付ければいい。そして口枷をしてから、あそこに、温めた棒を入れれば、起きてくれるだろう。前の穴よりも、後ろの穴の方がいいだろうね。楽しんでくれるだろう。少し、血が出ちゃったけどいいよね。

 なにか騒がしいな?犬の言葉はよくわからない?
 今更何を言っているの?散々やってきただろう?あぁ熱い?そうだね。冷やしてあげるよ。ちょうど、私もおしっこしたくなったから、顔にかけてあげる。いつも貴女がやっていたことでしょ?
 あっ注意してね。お腹の上にほら見えるでしょ?そうそう、貧弱な頭でよく考えて、貴女の両方の乳首をつまんでいる洗濯バサミ。そうそう、紐が天井まで伸びているよね?うん。気がついた?それほどバカじゃないみたいだね。アハ!楽しいでしょ。動かなければ大丈夫だからね。乳首に付けた洗濯バサミが取れなければ、天井から吊るしている包丁がお腹に刺さる事も無いからね。大丈夫何度か実験しているから、動かなければ、朝までは平気だよ。それまでに誰かが気がついてくれるといいね。声出ないでしょ?口枷だけじゃ心配だったから、舌を麻痺させる薬も入れているよ。大丈夫、麻酔じゃないから、お腹に包丁が刺さればしっかりと痛いと思うよ。

 全裸で、股を開いて、後ろの穴に棒を刺した状態の写真も沢山撮影してあげたからね。貴女のスマホのアドレス全部に送付しておいてあげたからね。嬉しいでしょ!!おしっこもう少し出そうだから、最後に出していってあげるね。
 あっそうだ!綺麗に舐めるのは無理だろうから、貴方の履いていた汚いパンツでも、こんな事には役立つね。私のおしっこを拭いておくね。あっそのパンツも売っていいよ。おしっこ付いていると高く売れるのでしょ?
 あぁ制服ももう必要ないよね?貴女の汚い物で汚れちゃったから拭いておくね。私、優しいよね。スマホ、動画にしておいたから!
 そうそう、貴方の汚い雄に入れてもらっていた場所がしっかり見える位置で、動画配信してあげるね。たくさんに人に見られて幸せでしょ?

 それじぁバイバイ!

 祖父母は、1階で寝ているはずだ。
 あぁ疲れているのかな?ぐっすりだね。居ない物として扱っているような目なら必要ないでしょう?

 両目とも潰してあげるね。これで、嫌な物は見なくて済むでしょ?
 騒がないでよ。誰か起きてきたら大変でしょ?汚らしくくちゃくちゃ食べる口なんていらないでしょうから、接着剤で止めておいて正解だったね。取れちゃうと困るから、縫い合わせておくね。痛くないよ。大丈夫。
 え?何?しっかり喋ってよ。なにいっているかわからないよ?

 大丈夫。死ぬことはないと思うからね。
 眼球をくり抜く事ができなかったのは残念だけど、お互いの目玉から出た血となにかわからない汁を食べたのだから、幸せでしょ?これからも一緒に元気に過ごしてくださいね。

 それじゃバイバイ!

 父とお母さんは、私が居ないとダメな人たちだから、さよならする前に、私が居なくなっても大丈夫な状態にしないとね。

 さて父は。やっぱり、お酒に匂いを撒き散らして、危ないな。
 割れたコップの片付けしないとダメだね。そんなにお酒ばっかり飲んでダメになってしまうでしょう?うん。しっかり眠っているね。首を縛って、手枷と足かせで、部屋の柱に固定する。うん。これで逃げられない。あとは、ネットで買った薬を注射して・・・量は間違えないようにしないとダメだよね。これで死んじゃったら大変だからね。
 うんうん。大丈夫みたいだね。起きちゃったけど、何言っているかわからないよ。ごめん。私、人の言葉しかわからない。獣に成り下がった人の言葉は理解できないんだ。そんなに暴れないでよ。これから大事な作業が有るのだよ。
 まずは、指からでいいかな。小指を切り落とそう。喚かないで、耳が痛いでしょ。だって、毎日殴っていたのは、この手でしょ。だから、手さえなければ大丈夫でしょ?
 面倒だね。そうだ!釘とハンマー!あった。あった。良かった。物置って便利だね。手が動いてうまくできないから、床に釘で固定すればいいよね。うん。できた。ほら、そんな騒がない。暴れないでよ。足そんなにうごかしたら・・ほらずれちゃった。足も動けないように釘で固定しておこう。あっそんなに長い釘がなかった。でも、大丈夫だよ。安心して、そんなこともあろうかと、木を削って、杭を作ったからね。これで、太ももを刺しておけば大丈夫だよね。ほら、これで、動かなくなった。あれ?おかしいな。身体全部が動かなくなっちゃった。あぁ心臓は動いているみたいだから大丈夫だね。
 反対の手の小指から斧で落としていく。うんうん。うまくできた。次は、足の指の爪を剥いでいく!
 うんうん。うまくできた。最後に、お酒が好きだったからね。手と足にしっかりとアルコール度数が高いお酒をかけておいてあげるからね。

 おやすみ!
 それじゃバイバイ!

 最後は、お母さん。
 お母さんは、心がもう壊れちゃっているから、心臓を取り出してなおしてあげる!
 大丈夫。私なら何でも出来るって言ったのはお母さんだからね。心臓取り出すの大変だけど、頑張るね。暴れると面倒だから、まずは、首を落としちゃうね。そうしたら、静かになるでしょ?
 ほら、お母さん。静かになった。心臓を取り出すね。これが壊れちゃったのだね。なおしてから戻してあげるから大丈夫だよ。

 だから、治ったら一緒に行こうね!お母さん!

 今は、治せないから、まずは、学校で卒業式に出てからになるけど、ごめんね。

 学校で、私の大切な図書館で暴れて、本を破った人たちを怒らないとならないからね。
 先生もだね。その人達が、私がやったと言ったからって、それを信じて、私を怒らなくてもいいのに、私、本を大事にしていたよ。先生も知っていたよね?その人達が、偉い人の娘や息子だからって、私の責任にしないで欲しいな。
 私から本を取り上げないでほしかったな。

 私が唯一癒やされた、白い図書館。出口がわからなくなるほどの本があった、私だけの白い部屋。

 お母さん。ごめん。少し、卒業式に遅れそうだよ。
 急ぐから許してね。なんか、今日街が騒がしいね。やっと学校に着いたよ。先生たち何を慌てていたのだろうね?

 卒業式は体育館だったよね。お母さん。急ごう!

 うんうん。やっぱりみんな揃っているね。
 私を無視していた人たちも、私から図書館を白い部屋を奪った人たちも、父がおかしくなるきっかけを作った人も、妹を抱いていたいやらしい教師も、みんな、みんな揃っているね。

 それじゃ!みんな、バイバイ!!

 あぁこれは夢だよね。いつもの夢だ。
 白い部屋の中で、私は皆を殺しまくる。そして、いつもの白い部屋のからでて目が覚める。

 目が覚めると、今日はいつもと違う現実が待っている!

 お母さんと一緒に、ご飯を作ろう。今日からは出来るはずだ。
 妹ももう大丈夫だろう。妹が好きなプリンも作ろう。そうだ!おじいちゃん歯が弱くなっているから、魚の方がいいかな。でも、今日は、私が大好きな。お母さんのグラタンが食べたい!今日は、わがまま言っていいよね?おばあちゃん。みかんばっかりそんなにむかなくていいよ。わかった、ジュースにするよ。一緒に飲もう!お父さん。おかえり!!今日ね。お母さんのグラタン一緒に作ったの!それとね。妹とプリン作った!ご飯の後で、一緒に食べよう!

 これが、私の現実だ!!!!!
 夢なんかじゃない。夢とは違う。そう、夢の中でだけの出来事だった。私は、私は、私は、私は・・・・私は・・・だれ?

fin

2020/04/04

【さよならの理由】取られる事の無いコール

 もう、貴方の事は忘れたほうがいいの?

 もう、連絡帳にも入れていない、貴方の連絡先。
 消すまでに、1ヶ月掛かったのよ?

 消してからも、指が、心が、体中が覚えてしまった、貴方の連絡先。
 連絡帳から選択しないでも、貴方の電話番号をコールする事ができる。

 ダメな事だとは理解している。
 この取られないコール音だけが、私と、貴方を繋ぐ。細い。細い。細い。一本の糸。

 けして繋がる事がない。一本の糸。
 あれから、コール音を何回聞いた?出るはずが無いコール。1回、2回、3回、4回、解っている事だけど、コール音を聞くのは辛い。6回。

 私は、決心した、もう揃っている。明日は、出かけられる。
 解っている、それが正しい事だと・・・

 ねぇ解っている?貴方が私にしてくれた事。
 ねぇ知っている?貴方が私の全てだったってこと・・・。
 ねぇ感じている?貴方が触った私。私が触ることができた貴方。
 ねぇ考えている?貴方のスマホのパスワード、私の誕生日だったのを知った時の喜びを!

 ねぇ教えてよ!私は、私は、貴方を愛していたの?
 ねぇ教えてよ!貴方は、愛してくれていたの?
 ねぇ教えてよ!もう触る事ができない貴方。私は、どうしたらいいの?

”さよなら”
 この4つの言葉で作られた、一番いいたくない言葉。一番言われたくない言葉。
 でも、一番言えなかった事に後悔が残る言葉。

 貴方は、教えてくれたよね。
”さよなら”
 は、別れの言葉じゃない。また合う約束の言葉。

 貴方は、私に、”さよなら”を言わせてくれないのね。

”さよなら”
 私が、愛した人。
”さよなら”
 私を、愛した人。

/*** 2ヶ月前の土曜日 ***/
「敦。どこいくの?」
「ん?内緒」

 朝日を受ける海岸通りを、敦の運転する車で進んでいた。
 敦は、今日、景子に”結婚を申し込む”つもりで居るのだ。

 普段以上に、気を使って運転する敦を、景子は不思議に感じていた。二人が付き合いだして、もう7年が過ぎている。景子も、”結婚”の二文字を意識している。意識しているが、自分から言えない事情もある。

 景子は、子供のときに患った病気が原因で、両目とも光を失っているの。彼氏が居なかったわけではない。でも、デートをした後に必ず言われるセリフがある。
では、景子の相手はできない。さよなら”だ、景子は世界で一番”さよなら”が嫌いな言葉になっている。別れの言葉だ。
 でも、敦は違った、景子とデートを重ねる。景子を自宅まで送ってくれる。母親が言うには、”嫌な顔ひとつしないで”と付け足してくれる。泊まりに行った事もある。人が多い所では、景子が歩くことをサポートし、景子の邪魔にならないように、軽く手を引いてくれる。足元になにかある時には、さり気なく教えてくれる。
 景観がいい場所にも連れ出してくれていた。見えないのだからと渋る景子を、”景色が見えなければ、全部僕が教える。風や音や熱を感じればいい”そう言って、景子をいろんな所に連れ出した。景子が、楽できるようにと、車も購入したのだ。

 敦は、景子に、出会ってから、いろんなモノを与えてきた。
 景子が、街中で佇んで泣いていたのに、声をかけたのが最初だった。ただの親切心なのか、下心なのか、敦本人もわからないのだろう。その時には、”声をかけないとダメ”と思った。景子が落ち着くまで、敦は話を聞いた。全部話し終わってから、敦は、景子を家まで送っていくと言った。実際には、最寄り駅まで送って、母親に引き渡したのだが、敦は別れ際”さよなら”と口にした。
 景子は、やっぱりまた、”さよなら”なんだと・・・敦の手を握ってしまった。
 敦は、優しく景子の手を握り返して、”お母さんに、僕の連絡先を伝えた。景子さんさえ良ければ、僕に連絡してきて”、それが嘘なのか、本当なのか、景子には判断できない。敦は、さっき”さよなら”と別れの言葉を口にした。もう、敦には会えない。
 ”景子さん。さよならは、別れの言葉じゃないですよ。また会う約束の言葉です”

 景子にとって、それは敦との繋がりを感じる事ができる言葉だ。
 母親に、連絡先を入れてもらって、連絡をした、今までしていたように、音声入力を使った方法だ。すぐに、敦から返事が来た。母親が確認して読み上げる・・・必要はなかった。敦は、わざわざ電車を降りて、音声を録音して返事をしてくれたのだ。

 この日から、景子の世界は広がった。

「景子」
「なに?」
「寒くない?」
「え?いきなりなに?大丈夫だよ」
「ちょっと1ヶ所寄りたい所があるけどいい?」
「もちろん。敦の行きたい所が、私の行く所だよ」
「そう言ってくれるのは、嬉しいけど、行きたい所じゃなくて、行かなきゃ・・・ううん。なんでもない。もうすぐだから我慢して」
「??うん」

 車は、海岸線を走ってから、少し脇に入って止まった。

「景子少し待ってて、5分くらいで呼びに来られると思う」
「わかった」

(どうしてだろう、敦。すごく緊張しているみたい)
(風が気持ちい場所ね。子供の声が・・・すごく楽しそう)

「景子。おまたせ。少し歩くけどいい?」
「問題ないわ」

 二人は、車を止めた場所から、子供たちの声がする方に歩いていった。

「園長先生。景子です」
「あらあら可愛らしい娘ね」
「景子。話していなかった事だけど、驚かないで欲しい「敦くん」あっ景子。俺は、孤児なんだ。それも、両親に捨てられた。園長先生が俺を拾って育ててくれた。俺の母さんだ」
「え?・・・ごめんなさい。園長先生。私、敦さんとお付き合いさせていただいています。橋本景子といいます」

 景子は、敦が正面を剥いている方向に、会釈しながら名前を名乗った。

「園長先生。景子は、目が不自由なんだ「敦くん!」」

 園長先生は、景子の手を優しく握って

「景子さん。敦くんの事をお願いします」
「いえ。こちらこそ」

 景子は、優しくも温かい手を握り返した。
 この手が、敦を育てたのかと思うと、尊敬の思いと、嬉しい思いが湧き上がってくる。

「園長先生。話し込むのはまた今度でお願いします」
「あらそうね。景子ちゃん。またいらしてね。そのときには、敦くんの子供の時の話しとか沢山してあげるからね」
「はい!」
「園長先生!」

 敦は、景子にプロポーズする。
 景子は、嬉しいながらも保留してしまった。

「敦。いいの?私、こんなだよ?」
「景子。景子だから、俺は結婚したいと思う。園長先生にもらった」
「うん」
「景子。それに、俺、昔・・・かなり」
「うん。知っている。少年院に入っていたのでしょ?」
「え?だれから?」
「親切な人かな?何度か、家のポストに、”敦は少年院あがりのろくでなし”とか入っていた」
「・・・ごめん。本当に、ごめん。でも、なんで?」
「それこそ、敦は敦でしょ。何が有ったのか知らないけど、私に優しい敦が、全てだよ。お母さんに同じ。敦なら・・・」
「なら?なに?」
「・・・知らない。でも、本当に、私でいいの?」
「景子じゃなきゃダメなんだ。俺は、景子を、橋本景子を愛している。結婚してください。幸せにしますとは言えないけど、俺は景子と一緒になって幸せになる!」
「フフフ。敦らしいね。すごく嬉しい。私をもらってください」

 二人は、キスをして、お互いの愛情を確認した。
 景子は、母親に連絡をするために、スマホを取り出した。

 いつものように、操作して、母親を呼び出すが、応答がない。虚しくコール音が鳴るだけだ。

 暫く待ってみても、折返しが無い。
 外は、寒くなってきているので、予約しているレストランに移動する事にした。何度も使っている場所なので、店員も覚えてくれている。個室に案内された。

 景子のスマホがなりだしたが、登録している番号でない事は、音が違う事で判断できる。
 電話には、敦が出るようだ。

「え?それは、本当ですか?」

 電話は病院からだ。
 景子の母親が、家の前で刺されたという事だ。今、病院で治療を受けている所だが、かなり危険な状況だという事だ。

「・・・うそ、お母さん・・・」
「景子。行こう!」
「え?」
「早く!」

 敦は、料金を払って、店を飛び出した。
 景子の手を引いて、車に乗せて、連絡があった病院に急いだ。

 病院まで、100m先で右折したら、もう病院の敷地になる。

「大丈夫。大丈夫。大丈夫」
「景子。もうすぐだよ」
「うん。うん。敦。敦。どうしよう。どうしよう。お母さん。なんで、なんで、なんで!!」

 車がウィンカーを出して止まる。
 この数秒が、景子には、長く長く感じてしまう。

「景子ぉぉぉぉ!!!!!!!」

 敦の声を最後にきいて、景子の記憶は途絶えた。

 景子は、枕元で鳴ったスマホの音で目を覚ます。
 普段と違う匂いと、布団の感触に、昨晩の記憶を探ってみるが、敦の声を聞いたのが最後だという事以外記憶にない。

(そうだ。お母さん!)

 立ち上がろとしても、手足に力が入らない。腕になにか管のような物が刺さっている。

「先生。先生。患者さんが目を覚まされました」
「あぁすみません。先生。僕が話を聞いてもいいですか?」

 景子は、知らないだろう男性と、先生と呼ばれた男性から話を聞く事になる。
 昨晩、刺されて、運び込まれた、母親は治療の甲斐なく、死亡が確認された事、そこに駆けつけようとした、敦と景子の乗る車に、後続車が突っ込んだ事。そのときに、敦が景子をかばって、死んでしまった事。
 そして、その車を運転していた男が、景子の母親を刺したのを自供した事。

 時間をかけて、これらのことを説明していった。
 何度、嘘だと思いたかったか、気が狂ったほうが楽だったろう。

 残されたのは、敦と母親のスマホだけ。母親のスマホは、刺されたときに、壊れてしまっていた。

— 景子 Side
 あれから、一ヶ月。
 いろいろ大変だった。事件を聞いて、園長先生が訪ねてきてくれた。敦の葬儀だけじゃなく、母さんの葬儀やら手続きをやってくれた。

 話を聞くと、敦は少年院を出てから、孤児院に戻って来て、孤児院に住んで、手伝いをしながら、夜間学校に通って、昼間は卒園者の会社で働いていた。園長先生がいろいろ教えてくれた。私にも、孤児院で働いて欲しいと言ってくれた。母さんが居ない部屋に帰るのが辛かった事もあり、園長先生に甘える事にした。
 独りになるのが、怖かった。

 母さんを刺したのは、敦と対立していた不良グループの人間らしい。
 警察が教えてくれないのだ。園長先生も問い合わせをしているが、”ダメ”という返事だけだ。私は、前に進むこともできないらしい。事情がわからないまま、時間だけが過ぎていった。

 園長先生や、孤児院の人たちは、私に優しくしてくれる。
 でも、その優しさは、敦から感じた、対等の優しさではない。可愛そうな人への優しさなのだ。母親と”婚約者”を同時に失った、可愛そうな”盲目の女”。それが私なのだろう。そんな事は望んでいない。望んでいないが、そう見えるのはしょうがない。

 敦や母さんは、怒るかも知れない。
 でも、二人の居ない世界にいてもしょうがない。敦さえいてくれれば、私は良かった。親不孝かも知れないけど、心からそう思う。

 園長先生や孤児院の人たちに、”さよなら”は言わない。言ってもしょうがない。もう会えない。

 私は決めた。
 敦と母さんに、”さよなら”を、言いに行くと・・・。

 そして、次に再開した時には、絶対に握った手を離さない。
 何度でも、言うよ。”さよなら”

 敦。”さよなら”
 母さん。”さよなら”

 また、会おうね!すぐに、行くから、待っていてね。約束だよ。

fin

2020/04/03

【最高のおめでとう】一番欲しい言葉

弘樹ひろき!」

 同級生で、幼馴染の由紀乃ゆきのだ。

「なに?」
「卒業前に、みんなでボーリングに行くけどどうする?」
「みんな?」
「そう、大志たいし弥生やよいも一緒だよ」

 うーん。ボーリングは魅力的だけど、僕は高校受験が残っている。

「ごめん。行きたいけど、受験がまだ有るからね」
「え?弘樹は、私立に受かっているよね?」
「うん。滑り止めだからね。本命は、商業だよ」
「そうだったの?」
「うん」

 大志や弥生と家に来て、兄さんたちと受験の話をしていた。

「でも、私立なら、私と一緒に行けるよ?」

 由紀乃の言葉が、少しだけイラッとした。

「はぁ?僕は、商業に入って、情報処理の勉強をしたいの?由紀乃と一緒に行くよりも、僕のやりたい事がある!」
「ごめん」

 え?なんで、そこで謝るの?
 僕が悪いの?

「弘樹。ごめん。もう誘わないね」
「受験が終わるまでは無理」
「うん。商業だと、佳奈かなと一緒だよね?」
「へぇ。そうなの?」
「う・・・ん。ううん。なんでもない。ごめん。変な事を言ったよね。忘れて。それじゃ受験頑張ってね」
「うん。ありがとう」

 何がなんだかわからない。
 わからないけど、由紀乃が悲しそうな顔をしていたのがわかった。
 その原因が僕にある事も解る。でも、何が理由なのかわからない。

 僕は、由紀乃を悲しませるような事を言ったのか?
 会話を思い返してもよくわからない。

 部屋に返ってから、勉強をしていても手に付かない。
 由紀乃の泣きそうな顔が頭から離れない。

 今は受験に集中しないとダメだ。
 受験が終わったら、謝ろう。


 受験が終わった。
 面接も問題はなかったと思う。伯父さんが商業出身だったので、想定される面接や学校の事を教えてもらった。
 想定していた質問は来なかったけど、落ち着いてやれば問題ないと言われていた。

 面接が終わって、部屋から出ていこうとした時に面接官に声をかけられた。
 そんな事は想定していなかったので、パニックになりかけたのだが、常に見られていると思えと言われていたので、取り乱す事なく立ったまま質問に答えた。

 自分でもよくできたと思う。
 筆記試験も大丈夫。自己採点では、8割はあっている。
 同じ商業を受験している、佳奈やつとむ康生こうせいとも答え合わせをした。
 先生からは、自己採点で7割は必ずクリアしろと言われている。
 全教科8割はクリアした。理科と数学と社会は、9割を越えている。

 これで受験も終わった。
 由紀乃に謝ろう。メッセじゃなくて、直接会って謝ろう。


 家に帰って来て、すぐに由紀乃の家に行こうかと思ったが、夕方になっていたので、明日行こうと考えた。
 大志と弥生からは、受験の様子がどうだったのかを聞かれたので、簡単に説明をして、合格できそうだと返事をした。

「弘樹!どうだった?」
「ん?問題はないと思うよ?」
「そうか、発表は何時だ?」
「再来週の月曜日」
「そうか、俺も夏帆かほも仕事だな」
「いいよ。1人で見に行ってくるよ」
「オヤジとオフクロに頼んでおく」
「え?うん。わかった」

 父さんは本当にマイペースだ。
 自分と母さんが高校を卒業していないから別に勉強しなくても怒られた事がない。兄さんたちも同じだ。

 おじいちゃんとおばあちゃんは、すぐ近くに住んでいて、父さんが連絡したらすぐに家にやってきた。

「よし。それじゃ少し早いけど、受験お疲れ様会でもやるか?」

 父さんは、なにかにつけて食事会をしたがる。
 おばあちゃんが言っていたけど、父さんは食事会の時に、普段行けないような値段が高い店を予約して、おばあちゃんやおじいちゃんにお金を払わせているようだ。

 そのまま、父さんは普段では絶対に行かないような鉄板料理屋に予約を入れていた。
 僕と父さんと母さんとおばあちゃんとおじいちゃんの5人だけで行く事になった。

 合格発表までの9日間。
 僕は、まだ合格していないのに、親戚の人たちや父さんや母さんの友達からお祝いの食事会に誘われまくった。
 僕を肴に盛り上がりたいだけのようだったが、父さんも母さんもせっかくだから出ておきなさいとだけ言われた。


 合格発表の当日。
 10時に高校で発表が行われる。合格者は、そのまま手続きを行うようだ。
 父さんと母さんが来られないので、おばあちゃんとおじいちゃんが一緒に行ってくれる。

 最初僕は電車を乗り継いで学校まで行くつもりだったが、おじいちゃんが車を出してくれるというので、車で行く事になった。
 学校に行く時の経路は、合格してから考えればいいと言われたからだ。

 学校につくと、もう人が沢山居た。
 真剣な表情で、掲示板を見ている。

 おばあちゃんはさっさと車を降りて僕の受験票を持って掲示板に行ってしまった。

「ひろちゃん!」

 おばあちゃんが見ているのは、僕の希望した科だ。商業は、科を第二希望と第三希望が出せる。僕は、情報処理科しか考えていなかったので、第二希望は書いていない。もし、希望が通らなかった場合でも、補欠合格が有るのだが、情報処理科は一番人気なので補欠合格は無いだろうと先生に言われている。

 おばあちゃんが戻ってきた。

「ひろちゃん。おめでとう!合格していたわよ」
「本当?」
「ほら、一緒に見に行こう」

 おばあちゃんはまた人垣を分けて入っていく僕はその後に続いた。
 掲示板に自分の番号を見つけた時には、涙が出そうになった。

 合格するために勉強してきた。できる事は全部やった。
 だから、これで不合格ならしょうがないと思っていた。

 でも、合格できた。
 おばあちゃんからの”おめでとう”がすごく暖かくて嬉しい。

”弘樹くん。どうだった?私も合格していたよ。4月から一緒の学校だね。よろしく”

 佳奈からメッセが届いた。
 努や康生も無事合格したようだ。

「おばあちゃん。友達が来ているから、友達と一緒に帰りたいけどだめ?」
「いいけど、父さんと母さんには連絡しておきなさいね」
「うん!」
「あまり遅くならないようにしなさいね」
「解っている」

 佳奈と努と康生とは、学校を出た所で待ち合わせをした。

 努と康生は、市内で両親がお祝いをしてくれると言って、駅で別れた。
 佳奈と二人で電車に乗って帰る事になった。

 なんだか気まずい。

「弘樹くん」

 電車を降りて周りに人が居ない所で、佳奈に呼び止められた。

「なに?」
「やっぱり、気がついていないよね?」
「だからなに?」
「私が、弘樹くんの事が好きだって事!」
「え?だって?え?」
「ほらね。いいよ。片思いだって解っていたし、弘樹くんには、由紀乃が居るからね」
「え?なんで、ここで、由紀乃が出てくるの?」
「は?」
「え?僕?え?え?」

 なぜか急に、佳奈が僕の事が好きと言い出して、勝手に振られた雰囲気を出して、なぜか由紀乃の名前を出す。
 たしかに、由紀乃とは一緒に居る事が多いけど、それは幼馴染で子供の時から一緒に居たからで?

 違うの?

「はぁ・・・。由紀乃も可哀想に・・・」

 どうやら、由紀乃と佳奈は二人で話し合いをしたようだ。

 これで、由紀乃の悲しそうな顔や泣き出しそうな顔の理由がわかった・・・様な気がする。
 僕の独りよがりでなければいいな。

「弘樹くん。私が言うのもおかしいけど、由紀乃の事を真剣に考えてあげてね」
「うん。わかった。あっそうだ。合格おめでとう」
「ありがとう。弘樹くんも合格おめでとう」

 佳奈と最寄り駅で別れた。


 沢山の人から”おめでとう”を言われた。

 僕が高校に合格したからだ。
 無事志望校の希望した科に合格する事ができた。

 中学の卒業だけなのだが、僕には一つだけ心残りがある。
 今から、その心残りをはっきりさせようと思っている。

「由紀乃!ひろちゃんが来たわよ!」
「居ないって言って!」

「おばさん。ありがとう。勝手に上がるね」
「うん。なんか、この前から由紀乃がおかしいのよ。ひろちゃんに会いたくないとか言ってね」
「ごめん。おばさん。僕が悪かった」
「いいのよ。あの子が意固地になっているだけでしょ。あっそうだ。ひろちゃん。合格おめでとう」
「ありがとう。おばさん」

 由紀乃の部屋は解っている。
 何度も遊びにきているからだ。2階の奥の部屋だ。階段を上がるだけなのに、僕の心臓がドキドキしている。

「由紀乃。商業合格した」
「・・・」
「それで、佳奈に告白された」
「!!」
「よくわからない。そう返事をしてから、自分の気持ちを考えた」
「!!」

 ダメだ。
 すごく緊張する。

「由紀乃。僕は、由紀乃が好きだ。もう僕の事なんて嫌いかも知れないけど、ここから始めないと、僕は高校に安心して行けない」
「・・・」

 ドアが開いた。

「由紀乃」
「弘樹」

「「ごめん」」

 二人同時に頭を下げて、お互いの頭が当たってしまった。
 すごく痛かったがなんだか笑ってしまった。

「由紀乃?」
「私、弘樹が好き。ずぅーと好きだった」
「うん。ごめん」
「本当だよ。弘樹以外はみんな知っているのに!」
「え?本当?」
「うん。大志や弥生なんて賭けをしていたくらいだよ」
「賭け?」
「そう、私と佳奈のどちらと付き合うか?」
「それで?」
「二人とも、佳奈に賭けたわよ」
「由紀乃に賭けたのは?」
「私だけ」
「それじゃ、由紀乃の一人勝ちだね」
「・・・。ねぇ弘樹。私でいいの?」
「由紀乃じゃなきゃダメ」
「私、馬鹿だよ」
「大丈夫。僕が勉強教える」
「私、わがままだよ」
「知っている。でも、僕にだけわがままなのだよね」
「私、嫉妬深いよ」
「知っている。だから、僕は由紀乃を悲しませたくない」
「本当?」
「うん。本当だよ」

 何故かわからないけど、笑いだしてしまった。

「あっそうだ。弘樹、商業、合格おめでとう!」

 僕が一番聞きたかった、”おめでとう”がやっと聞けた!

 大志と弥生からは思いっきり責められた。賭けに負けた事ではなく、気がつくのが遅すぎると言われた。由紀乃がどれだけ待ったのか、しっかり考えろと言われた。
 でも、大志と弥生療法から、言われた”おめでとう”は合格への言葉じゃない事はすぐにわかった。
 照れくさかったが、なぜだかすごく暖かくて、嬉しくなってしまった。

 由紀乃も同じ様な気持ちになってくれていたら、嬉しいな

fin

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2020/04/02

【3年目の出来事】3周年のチラシ

 高校生の男子が1人で住むには、少しだけ不釣り合いなマンションだが、大城おおしろ和義かずよしは一人暮らしをしている。
 よくある理由で、不幸が重なったからだけだ。

 高校2年になっているが、部活もバイトもしていない和義は、学校からまっすぐに部屋に帰ってくる。
 マンションはオートロック機能がついている上に常時人が居る状態になっている。その上、部屋のドアには監視カメラがついていて、帰ってからでも訪ねてきた人を確認できる状態になっている。

 和義が部屋のドアを開けると、白い1枚のチラシが床に落ちた。拾い上げて部屋にはいる。

(なんだろう?)

 チラシの一部はなにか書き込めるようになっているようだ。

(え?)

 チラシの印刷面には、いたずらとしか考えられない言葉が並んでいた。


 この地で開業して、来週で3周年。
 普段では、1人殺すのに、500万円+実費がかかる所を、このチラシの下部に名前を書いていただければ、3名まで無料で承ります。3名の殺人依頼が完遂してから24時間以内に、もう一人を決定していただければ、料金は発生いたしません。

 殺し一筋20年
 殺しの専門家、殺し屋本舗 代表:八本やもと聖人まさと

名前:      理由:
名前:      理由:
名前:      理由:

最後の1人
名前:

(は?)

 ふざけているとしか思えない。
 しかし和義にはこのチラシを簡単に捨てるにはもったいない気持ちになっていた。

 オートロックのマンション内に入って来た事実。
 そして、防犯カメラに何も映し出されて居ないのだ。

 ドアの近くに立たなければ、チラシを挟むことはできない。オートロックはいくらでもやり方があるが、防犯カメラに撮影されないで、チラシを挟むことは不可能だと思われる。

(いたずらにしては手が込んでいる)

 和義は、学校でいじめられていた。
 男子3名から暴力だけではなく、噂を流されるなどの行為を受けていた。

 最初は些細な意見の食い違いだった。本人たちもよく覚えていないだろう。
 それが、いじめに発展していった。

 和義は、チラシをリビングのテーブルに置いた。

(父さんと母さんが死んでから3年か・・・)

 両親は、車の事故だった。両親が運転していた所に、酔っぱらい運転の車が突っ込んだ。そのままガードレールに挟まられる形になってしまった。事故を起こした運転手は逃げ出したらしいのだが、荷物が悪かった。
 灯油を運んでいた。事故の衝撃で灯油に引火して、両親は逃げ出す事ができない状況で死んでしまった。

 保険の全額と、相手からの賠償金と和解金が払われた。
 両親には親も兄弟も居なかった事もあり、全額和義が相続する形になった。和義は、担当してくれた弁護士の勧めもあって今住んでいるマンションを購入した。
 それでも、贅沢しなければ、大学卒業するまでの資金が残される。大学を卒業した後で、有名なドイツ車のCクラスクーペをフル装備の新車を即金で買っても大丈夫なくらいには余裕がある。

 数日、和義もチラシの事を忘れて生活をしていた。
 日々続けられるいじめも淡々と受けて過ごしている。暴力は嫌だけど、相手にするのも馬鹿らしいと思ってしまっている。それが、相手を余計に苛つかせているとは考えもしていなかった。

 チラシが挟まれてから5日後。
 和義の部屋にまたチラシが挟まれた。

 その日は、学校が休みでどこに行くわけでもなく部屋に引きこもっていた。誰も部屋を訪問してきていないのは確かだ。防犯カメラにも誰も写り込んでいない。


 3周年記念企画

 終了間近

 内容がほぼ同じチラシだ。
 最初の書き出しだけが変わっている。

 翌日、3周年記念のチラシに、和義は同級生3名の名前を書く。

 その日、学校には行ったものの体調が良くなかった和義は保健室で休んでいた。いじめに有っているのは、先生たちも認識している。保健室で休むと言われると拒否できない。

 和義が保健室で休んでいるとは知らない3名がやはりサボりの意味で、保健室を使ったのは偶然だったのだろう。
 しかし、その時の会話を聞いてしまった和義の心情は偶然では済ます事ができる類の事ではなかった。

 和義が偶然聞いた3人の会話から、父親と母親が殺された事。
 3人が薬をやっているのを注意されて、両親が証拠を持った状態で警察に駆け込もうとしていた。それを知った3人は、自身の父親に泣きついた。泣きつかれた父親は、息子たちを叱るのではなく、証拠もろとも消す方法を考えて実行に移した。
 本来なら、運転手も殺す手はずだったのだが、運転手が生き残ってしまった。
 口止め料を払うと行って呼び出して、殺したようだが、そのために余計に金がかかってしまって、自分たちが自由に使える金が減ったと憤慨していた。

(父さんと母さんは殺された?)

 午後の授業には出られる気分にはならなかった。
 和義は、そのまま部屋に帰って、リビングのテーブルの上に置いてあった”3周年チラシ”に空欄に3人の同級生の名前を書き込んで、理由の欄に、”父と母を殺した”とだけ書いた。

 そのままベッドに横になり寝てしまった。
 夜中に、喉の渇きで起き出して、買ってきていたペットボトルで喉を潤した。

 リビングのテーブルの上に置いてあったチラシを探したが見当たらない。
 寝ぼけて捨ててしまったのだろう。気にしてもしょうがないと思い、和義はベッドに倒れ込むように寝てしまった。

 翌日も、気分が優れない事から、学校を休んでしまった。

 夕方まで、ベッドで横になっていた。
 3人の同級生にあった時に、どういう顔をすればいいのかまだ考えがまとまっていなかった。彼らの話しが真実だとして、証拠は何もない。問い詰めても言い逃れはいくらでもできてしまう。

 言い逃れを言ってくる彼らを和義は受け入れられる自身がなかった。
 護身用に携帯しているナイフを眺めてみても、同じ結論にしか到達しない。

(殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す)
(父さんと母さんを、そして俺を)

 和義は、ナイフを閉まって、起き上がった。
 昨日探して見つからなかったチラシがリビングのテーブルの上に戻っている。和義には、戻ってきているという印象が正しい。テーブルの上に無いのは、ベッドで横になる前にも確認している。

 チラシを手にとった。

(え?)

 チラシには、昨日3名の名前を書いた。
 理由も明確では無いが書いた。

 それ以外は何も書いていないはずなのに、チラシには、”受諾”のハンコが押されている。

 空いているスペースに一人目と二人目には今日の日付が書かれている。

 和義は、慌ててスマホを取り上げるが、3人の連絡先を知るはずもなかったが、学校の知人で唯一知っている連絡先に、メールを送った。

 聞ける事は少ない。
 ”学校でなにか変わった事が有った?”
 だけだ。

 返事は、すぐに返ってこない
 10分待っても返事が来る事がなかった。

 翌朝。
 気になってチラシを見ると、最後の1人の所に昨日の日付が書き込まれていた。
 3人に同じ日付が書かれた事になる。

 和義は、学校に行く決心をした。ナイフはベッドの上に投げておく。
 持っていくと、奴らを殺してしまうかも知れないからだ。

 インターホンが鳴った。
大城おおしろ和義かずよしさんですか?」
「はい。そうです」
「警察署の者です」
「え?」
「朝早くから申し訳ありません。同級生の○さんと○さんと○さんの事をお聞きしたく伺いました。お手間は取らせません。少しお話を伺ってよろしいですか?」

 和義が振り返って、テーブルの上を見ると、さっきまで有ったはずのチラシがなくなっていた。

「はい。学校の時間までなら大丈夫です」
「ありがとうございます」
「あっそうですね。開けますね」
「はい」

 5分ほどして、二人の警官が和義の部屋を訪ねてきた。
 ドア越しの話しもおかしいので、部屋に入ってもらった。警察は、もし学校に遅れそうなら、送っていくとまで言ってくれている。

「最初にお伺いしたいのは・・・」
「調べてきたのでしょう?俺は、奴ら3人にいじめられていました」
「それだけですか?」
「どういう事でしょうか?」
「彼らの部屋から、貴方のご両親を殺害するように依頼する書類が見つかっています」
「え!父さんと母さんは事故で・・・。殺された?本当・・・ですか?でも・・・なんで・・・?」
「それを調べています」
「そうなのですね。でも、俺は何も・・・。知りません。それよりも、奴らがなにかしたのですか?」
「彼らは・・・死にました。殺された可能性も有るために、調べています」
「え?死んだ?殺された?誰に?え?もしかして・・・」
「えぇ貴方を疑っていましたが、死亡時刻に貴方がこの部屋に居たのはほぼ確実です」
「え?そんな・・・でも、何時なのですか?」
「一応聞きますが、貴方は昨日どこにいらっしゃいましたか?」
「昨日ですか、体調が悪くて寝ていました。でも、誰もそれを証明してくれる人はいないと思います」
「そうですね。でも、このマンションは防犯カメラが沢山あります。死亡時刻の前後に貴方が防犯カメラに映っていないのは確実です。ですので、貴方のアリバイは成立していると考えています」
「・・。それで、奴らはどうやって・・・」
「焼死です」
「え?」
「手足を縛られた状態で、煙が出ない状態で火炙りにされていました」
「・・・。それで、俺を疑ったのですね」
「そうです」

 警察は、指紋とDNAの提出を求めてきた。
 すべての要求を受けた。警察が部屋から出ていってから、和義はテーブルを見た。

 やはり
”3周年チラシ”は戻ってきていた。
 最後の1人に、自分の名前を書いて、空白に苦しまないように殺して欲しいとだけ書き込んだ。

 和義は、学校に行って、戻ってこなかった。


「聖人。本当に、ここ貰っていいの?」
「正当な報酬です」
「遠慮しないからね」
「はい。それでは、これで契約は完了で問題ないですよね?」
「うん。本当に、3周年チラシにかかれていた通りだね」
「えぇ嘘は書きません」
「うん。それじゃね。聖人」
「はい。今日から、貴方が和義さんですね。また何かご入用のときにはお声がけください」

fin

2020/04/01

【残された記憶】何気ない日々

 今日も憂鬱な一日が始まる。
 最低な目覚めだ。

「太輔!太輔!朝だよ。早く起きて、ご飯を食べちゃいな!」
「解っている。起きるよ」

 ほら、こうして、無理矢理起こされる。勉強なんてしてもしなくてもさほど変わる事はない。
 母親も父親も弟も妹も幼馴染のあいつも俺に何を期待している。

 どうせ、今更勉強しても変わらない。
 中堅の大学に入って、運が良ければどっかの公務員にでもなれるだろう。そうじゃなかったら、俺程度が入られる会社なら、大した仕事もさせてもらえないだろう。楽しくもない仕事を、もらえる賃金で釣り合いを取りながら、休日を楽しむのだろう。

「大兄!早く起きないと、ゆっこ姉にまた怒られるよ」

 妹も、中学に入ってから急に色気づいてきた。
 隣に住んでいる由紀子とたまに遊びに行っているようだ。どうせ、俺の悪口を言っているのだろう。

「わかった。わかった。楓。お前、また化粧なんかして」
「だって・・・みんな、しているよ?」
「みんなって誰だよ?」
「みんなはみんなだよ!」
「わかったから、布団をとるな。起きるよ」
「解ればよろしい。大兄も、ちょっと身嗜みを気にしようよ。ゆっこ姉に嫌われちゃうよ」
「はぁ?なんで、ここで由紀子の名前が出てくる」
「高校生にもなって、まだそんな事を言っているの?いいの?ゆっこ姉に彼氏ができても?」
「はぁ無理だろう?由紀子だぞ?」
「はぁ・・・。これだから、大兄にだけはわからないのだろうね」
「はぁ?由紀子だぞ?俺に所構わずに蹴りを入れたり、殴ったり、あんな暴力女に彼氏?無理だな!」
「大兄本気??」

 お?
 なんか、とてつもなく、妹に蔑まれた目で見られた気がする。
 確かに、由紀子は可愛いと思う。口を開かなくて、動かなければ、だけどな。

「大輔!楓!なにしているの?早く、朝ごはんを食べて、さっさと学校に行きなさい!」
「ママ。大兄が悪いの!私は悪くない!」
「楓!お前!」
「いいから、早く食べなさい!」

 リビングに行くと、さも当然な顔で、弟が座って1人だけパンを食べている。

「雄輔」
「なんですか?お兄様?」
「なんでもない。お前だけパンなのか?」
「はい。僕は、お兄様や楓と違って、朝起きて、新聞配達をして自分で稼いだお金で食事をしています。文句があるのなら、いつまでも惰眠を貪るご自分を責めるべきではないでしょうか?」
「はい。はい。そうですね。俺が悪かった。オフクロ。メシ!」

「うるさい。自分で取りなさい。炊けているから!」
「あっおばさん。私が、大ちゃんのご飯を渡しますね」
「悪いね。由紀子ちゃん」
「いえ、いえ」

 こっちもさも当然の様に、朝から我が家に居る、隣に住んでいるはずの由紀子だ。

「由紀子。なんで居る?」
「なんで?迎えに来たのに、まだ寝ているって言うし、暇だから手伝っているだけだよ。それよりも、早く食べてよね」
「え?なに?なんで?」
「はぁ忘れたの?」
「えぇ・・・と??」

「ゆっこ姉。馬鹿兄貴には、はっきりと言わないとダメですよ」
「そうね。覚えているとは、思っていなかったけど、本当に忘れているとは思わなかった」
「だから、なんだよ?」
「今日、会長選があるから、早くに行かなきゃならないのでしょ?」
「・・・・あ!!!今日か?」
「今日よ」
「なんで・・・」

 ダメだ。これ以上いうと墓穴を掘る。
 急ごう。

 由紀子から茶碗を奪い取って、シーチキンの缶を開けて、油を捨てて味の素を振って、醤油を適量垂らす。それを、ご飯の上に掛けてかき混ぜてから、2枚の海苔に乗せてから伸ばして巻く。簡易的なシーチキン巻きが出来上がる。
 二本を味噌汁と一緒に流し込んだ。

「オヤジは!」
「もう仕事に行った」

 弟が答えてくれる。
 電車で行ったのか?朝早くに出ていったのなら、乗って行っていないだろう。

「バイクは?」
「あるよ」
「由紀子。俺は、バイクで行く。どうする?」
「大ちゃんだけ行っても、なんにもできないでしょ。一緒に行くよ」
「わかった。着替えてきてくれ」
「大丈夫。そうなると思って持ってきているし、着ているよ」

 制服のスカートをめくって中を見せる。
 確かに、ライダースーツを着ている。
 それなら、スカートは意味ないよな?と思ったけど、口にだすほど野暮じゃない。

 オヤジのCB400SF。30年近く前のバイクだが、オヤジが好きで転がしている。
 今では俺が乗る事が多い。

 免許を、一発免許で受かれば貸してくれると言って、3度目に合格して勝ち取った。
 16で原付きの免許をとって、18でバイクの免許を取得した。

 学校は、バイクでの通学も許されている。
 許可は必要だが、距離的な事や事情を説明すれば案外簡単に許可が降りるのだ。

 後ろに、由紀子を乗せて学校に急ぐ。
 この選挙を仕切っているのが、タクミとユウキだ。奴らには逆らわない方がいいのは間違いない。
 会長でもないのに、会長選を仕切っているのは、タクミだ。本人は押し付けられたと言っているが、そうじゃないことも、裏の事情もユウキから聞いて知っている。

 それにしても、由紀子。いい匂いさせているな。
 それに、こんなに大きかったか?

「大輔!遅いぞ!」
「すまん。タクミは?」
「もう準備が終わって、待っているぞ」
「わかった。急ぐ」

「大ちゃん私は着替えてから行くね。ねぇユウキは?」
「ユウキも、タクミの後ろに乗ってきて、着替えてから行くと言っていたぞ」
「わかった。ありがとう」

 門番が答えてくれた。たしか、生徒会の役員だったはずだ。

 CB400の独特のエンジン音を聞けば、タクミなら俺が学校に到着した事くらいは解るだろう。
 学校も普段の喧騒が嘘のように静かだ。

「タクミ!悪い。遅れた」
「いや、大丈夫だ。それよりも、大輔。CB400だけど、回転数を落としたのか?」
「ん?いつもと同じだぞ?」
「そうか・・・。あぁ隣の姫を乗せていたのか?」
「あぁだから、何度もいうけど、由紀子は彼女じゃねぇ!」
「お前は、そういうけど、周りはそうは考えていないぞ?」
「え?」
「なんだ、知らないのか?」
「何がだよ?」
「工業の二大美女の話だよ」
「知らない?なんだよそれ?由紀子が美人?そんな事があると・・・・え?まじ?」

 タクミが、この手の冗談を言わないのは知っている。
 そもそも、二大と言っているが、由紀子が1人だとしたら、もうひとりはユウキで間違いない。
 そして、ユウキの彼氏は目の前で座って3台のパソコンを操っている変わり者だ。

「まぁそんな事はいい。それよりも、お前の準備はいいのか?」
「大丈夫だ」
「そうか、お前が最初だからな。最初からつまずいたら、いい笑いものだからな」
「そうおもうのなら、お前がやれよ」
「やってもいいけど、お前が操作してくれるのか?」
「わるい。無理だ」
「だろう?」

 それから、タクミと立候補者と応援演説をする奴らの所に移動する。
 平凡な俺にそんな大役を任せたのは、由紀子だ。俺が司会をする事がいつの間にか決まっていた。確かに、もうバイトもしていないし、部活もしていない。なにより、由紀子に頼まれてしまったのだ。昔から、由紀子の頼み事が断れない。昔の話を切り出して脅してくるからだ。

 つつがなく、会長選も終わった。
 無投票での決着だが、一通りの儀式は必要になる。

 クソみたいな授業を受けて、友達と言われる者たちといつものような話をして、家に帰る。

 たまにある。イベント事はクソみたいな日常に刺激を追加してくれる。

 夜。由紀子からのメッセージに返事を出して、布団に潜り込む。

 弟は、今日も遅くまで勉強するようだ。たしか、小学校の七夕で、雄輔が書いた短冊の事で、両親が呼び出されていたな。
”学力が欲しい”
 だったかな?小学生が考える事じゃないとか言われていたのを思い出す。

 妹が、彼氏ができたと喜んで見せてきた写真が、大学生のチャラ男の写真だったときには、本気で怒った。相手を呼び出したら、小学生が出てきて二度びっくりした。写真写りを研究していると言っていた。

 オヤジの仕事を手伝うと言った時には笑って必要ないとだけ言われたな。

 オフクロは、もう少し料理がうまくなって、洗濯で色物を分けてくれて、掃除機の使い方を覚えてくれたら完璧なのだけどな。オヤジの話では、お嬢様だったからしょうがないのかな?

 眠いな。
 そうだよな。由紀子が・・・。あの男からの告白を断ったのを聞いて、安心したよな?なぜだろう?
 俺の横に由紀子が居なくなると思ったら悲しくなったのだよな。俺、由紀子の事が好きなのかな?そんな事が有るのか?

 ゆっくりと目を閉じる。由紀子からのメッセージが届いた。音を変えているから解る。あの音は、由紀子が好きな曲だ。なんと言ったかな。そうだ、ヴェルレクだ。ヴェルディが作曲した曲だ。由紀子からそう教えられた。

 明日の目覚めも最悪なのだろうな。
 最悪な目覚めで、いつもの憂鬱な日々が繰り返される。


「教授。この被験者は、これが最良の夢で、最高の目覚めなのでしょうか?」
「この被験者のステータスは見たかね?」
「はい。34歳で自殺」
「そこじゃない」
「えぇーと。22歳の時に、夢に出てきた、由紀子という幼馴染と結婚。翌年・・・え?」
「そう、この男性は、22歳で結婚した。翌年、産まれてくるはずの子供と一緒に最愛の妻を殺された、ただ覚せい剤という薬が欲しいという理由で、家に泥棒に入った男に、妻と弟と妹夫婦と両親を殺された」
「教授。でも、わかりません、なぜこれが”最高の目覚め”なのですか?」
「それは、君たちが考えなさい。今日のレポートにします。来週までにまとめて来なさい」
『えぇぇぇーーー』

 教授と呼ばれた男性は、踵を返して部屋を出ていった。
 残された生徒は、友達と今見た夢の話をして、考察を行っている。

 大輔が自殺してから、約250年。
 脳の一部から記憶を読み取る技術が確立した未来。

 大輔は、最低だと思って居た日常が、最高の日々で毎日母親や妹や幼馴染に起こされるのが最高の目覚めだと未来になって知らされる事になる。

fin

2020/03/31

【残された3分】冷めてしまった紅茶

 私と彼の距離を表現するのに、一番適切な言葉は、紅茶が冷めない距離。

 彼は隣の部屋に住んでいる。
 それは偶然だった。

 中学卒業までは、一緒の学校に通っていた。
 高校になったら、彼のご家族は引っ越してしまった。何か理由が有ったのだろう。

 中学卒業の時に彼に告白しようと思っていた。でも、告白ができなかった。
 学校で一番可愛いと言われている子に告白されていた。受け入れると思っていた。

「紀子!」
「え?」
「一緒に帰ろう。オヤジとオフクロとお前のご両親は先に帰ると言っていたぞ」
「なんで?」
「ん?なにが?」
「だって、さっき」
「見ていたのか?」
「うん」

 ダメ。泣いちゃダメ。

「紀子。俺は明日引っ越しをする」
「うん。聞いている」
「だからな」
「うん」
「あぁもう。俺は、お前が好きだ」
「え?なに?」
「聞こえただろう。もう一度なんて言わない」
「わたしのことがすき?」
「なんも言わない!」
「明、わたしも、好き」
「よかった」

 明は、彼は、高校は別々になったけど、会いに来ると約束してくれた。
 私も会いに行くと約束をした。明の新しい住所も私にだけ教えると言ってくれた。

 交際が始まった。

 そして、お互い都会の大学に合格した。
 別々の大学だ。明は、大学の寮に入ると言っていた。私は、一人暮らしをする事にした。

 引っ越しをした。
 隣も同じ地方の高校から、都会の大学に入った人が来ると教えられた。
 気にしてもしょうがないので、自分の荷解きをしていた。

 インターホンがなった。
(だれ?)

 確認したが姿が見えない。

「隣に引っ越してきた者です」

 聞き覚えがある声だがわからない。
 姿をわざと見せなくしているのだろうか?

「紀子。久しぶり。いや、5日ぶりか?」
「え?」

 そこには、満面の笑みで明が立っていた。
 夢じゃないよね?

「え?どうして?」
「隣に引っ越してきたからだぞ?」
「え?だって、寮に」
「最初は、寮に申請出していたけど、許可が出なかった。おじさんに相談したら、紀子が借りた部屋の隣が空いているからと言われて、オフクロもそれならと言ったからな」
「え?え?誰も教えてくれなかったよ?」
「俺が黙っていてくれとお願いした。実際、寮が空くかも知れないからな」
「!」
「紀子?」

 泣き出しそうだ。

「紀子。なくなよ。悪かった。そうだ。紅茶でも飲まないか?ほら、デートした時に飲んだやつあるだろう?お前が美味しいって言っていたやつだよ。あれがうまく入れられるようになったからな」
「へ?」
「ほら来いよ。俺の片付けは終わっているから、一緒に飲もう!」
「うん?」

 明に手をひかれるまま隣の部屋にはいる。
 明が隣に引っ越してきた?

「明?」
「なに?」
「紅茶の入れ方教えてくれる?」
「ん?いいけど?」
「ほら、この前、明が美味しいと言った・・・ほら、あの紅茶?」
「オータムナルか?」
「そうそう、そのオーなんとかが美味しかった!」
「わかった。でも、お前、紅茶よりも緑茶だろう?」
「そうだよ?でも、明と飲むなら紅茶の方がいい!」
「そうだな!紀子。今度の休みに、買いに行こう。合格祝いをしていなかったよな?」
「え?それなら、明にだって、私何もしてないよ?」
「ううん。紀子からは、俺が欲しかった物がもらえたから必要ない」
「え?なにか?」

 明がニヤニヤしている。
 この顔の時は、私の嫌がる事を言わせようとしている時か、恥ずかしがるような事をするときの顔だ。

 あ!

 引っ越しをする前、両家の家族公認で、私と明は、2泊旅行にでかけた。
 初めての二人だけの旅行だ。明は受験が終わってからバイトを始めた。貯めたお金で、伊豆旅行を計画してくれていた。卒業祝いだと両親を説得した。私の両親もどうやって説得したのかわからないが、了承してくれた。

 そしてでかけた伊豆旅行で初めて私は明に抱かれた。
 それまでキスしたりや触り合ったりはしていたが、そこまでだった。明なりの誠意だと言っていた。でも、伊豆旅行で初めて、明を迎い入れた。すごく痛かったが、すごく嬉しかった。明と一つになれたのが嬉しかった。

 旅行では、土産物屋さんで見つけた3分が測れる砂時計を買った。
 明が好きな紅茶を入れるのに必要などだと言っていた。

 ”最後の3分”
 明が私に教えてくれた紅茶を入れる時に一番大事な時間だ。

 準備の時間は必要だ。
 茶葉が開いて紅茶が出てくる3分間が、明が言っている”最後の3分”。この間に話をしながら、紅茶と対面に座る人の事を考える時間なのだと言っている。

 それから、私と明は、何度も何度も、”最後の3分”を楽しむ。

 明が部屋に帰ってくる。
 私が部屋に居るのを確認するかのように、そっけないメッセージが届く。

”今から行く”

 これだけで十分だ。
 私は、メッセージに”紅茶?”とだけ返す。

 部屋に居ないときには、部屋に居ないと返事を返す事になっている。

 明らからは一言だけの返事が返される。
 ここで明の気分が解る。絵文字の時もあれば、長文の時もある。一言の時が多い。でも、それで十分だ。

 明は鍵を持っているのに、わざわざインターホンを鳴らす。

 私は、明が来る前に紅茶の準備を始める。
 教えられたように、教えられた通りに、明が喜んでくれる事を期待して。


「これも片付けていいですか?」
「お願いします」

 疲れ切った老夫婦が、業者の問いかけに答えを返す。

 10月に差し掛かろうとしている時期。今年も気温が落ち着かずに夏のように暑い。
 都会の片隅の大学生が多く住むマンションの一室で片付けが行われている。

 この部屋に住んでいた。男子大学生が危険ドラッグをキメて運転していた車に跳ねられて死亡した。

 マンションまで3分くらいの場所だ。

 大学生は、彼女の為に予約していた、ケーキを取りに外に出て、事故にあってしまったのだ。

 些細な事で喧嘩していた大学生は、仲直りのためにケーキを予約していたのだ。大学生は、彼女にケーキを予約してある事を告げて、紅茶を用意しておいて欲しいと彼女にお願いした。彼らなりの仲直りの方法なのだ。

 彼女は、了承するまで3分間ぐずった。自分が無茶な事を言っているのは解っていた。でも、彼には解ってほしかった。彼とインターホン越しに話をした。彼が条件を出したが納得してくれた。彼女は、彼に謝罪して、彼も納得してくれた。

 彼女は、紅茶を入れる準備を始める。
 彼は、ケーキを受け取りに外にでかけた。

 たった3分。
 されど3分。

 かれを引き止めた3分で、彼女は彼を失ってしまった。
 引き止めないで、部屋に入れてから話せばよかったと彼女は悔やんだ。

 彼女は、彼から送られたメッセージとインターホンに残された、彼との最後の3分間に交わされた会話が彼女に残された物だった。


 彼が隣に居るのが当たり前だと思っていた。

”今から行く”

 彼は私にそっけないメッセージをくれる。

 これから、彼が好きなオータムナルの準備を始める。

 ポットに入る分量と二人分のお湯を沸かす。
 それから、二人分の茶葉を取り出して、軽く振るいにかける。小さな茶葉やゴミを取り除くためだ。

 一度目のお湯は、ポットとカップを温めるのに使用する。
 少しだけもったいないが、彼がこの方法が好きなのだ。

 二度目のお湯を沸かす。
 今度は、たっぷりと沸かす。

 お湯がフツフツと言ってきたら一旦火を止める。お湯を休ませるのがいいそうだ。
 その間に、オータムナルによく合うミルクを作る。

 ダージリンとしては茶葉も厚くてしっかりしているし、渋めになる。
 彼は、これに、甘めに作ったミルクを入れて飲むのが好きなのだ。

 ミルク人肌くらいまで温めた所で、インターホンがなる。
 スペアキーも渡しているし、部屋の番号も解っている。下のセキュリティロックの方法も解っているのに、彼は必ずインターホンを鳴らす。私は、インターホンを確認してロックを外す。

 休めていたお湯に火を入れる。

 彼の到着と同時くらいに、お湯が湧くのだ。
 彼を出迎えに玄関に行く。その時に、お湯を火から下ろす。

 持ってきてくれたケーキを受け取る。

 最初の3分間は準備の時間だ。

 ポットとカップをお湯から取り出す。
 ケーキをお皿に並べる。

 湧いたばかりのお湯をもう一度カップに注ぐ。
 二人分の茶葉とポットを持っていく。

 慣れた手付きで紅茶の準備を始める。
 茶葉を見て、お湯の量を調整する。少しだけお湯が熱いと感じると、ここでお湯を冷ますのだ。

 この間に、話しかけてはだめ。私だけが楽しめる。ゆっくりと眺めている事が許される時間なのだ。

 茶葉を入れたポットにお湯を注ぐ。
 そして、用意している砂時計をひっくり返す。

 最高の3分が開始される。

 私は、話をする。
 紅茶ができるまでの3分間。開き始める茶葉からの匂いを感じながら、話をする。

 3分間が終わってしまった。

 紅茶が冷めたら居なくなってしまう。湯気が上がらなくなったら、彼を感じられなくなる。
 
 残された3分。
 私が彼を感じていられる最後の時間。

 これは、私への罰。
 私が、あんな事を言わなければ、彼との距離はもっと近くなっていた。

 私は、永遠に彼と交わした”最後の3分”のために紅茶を入れる。
 彼が美味しいと言ってくれた、彼が私に教えてくれた、彼が私に残してくれた物のために、私は”最後の3分”を楽しむ。

 茶葉が開く3分間。
 私が、彼と言葉を交わした、最後の3分。

 彼が残してくれた。私の唯一の希望。


「なぁ母さん」
「なんですか?」
「のりちゃん」
「えぇ妊娠していて、産んで育てると言っているそうですよ」
「そうか、明の子供か」
「そうね。こんなに、哀しい初孫なんて」
「小野さんは?」
「賛成しているわ。謝罪しに行ったら怒られたわ。結婚を認めているから、子供を産ませますと言ってくれているわよ」
「そうか。嬉しいな。明の子供か。のりちゃんは抱かせてくれるかな」
「大丈夫よ。でも、明に似て、紅茶が好きになったら、この荷物を渡しましょう」
「そうだな」

「荷物片付け終わりました!」
「ありがとう」「今、行きます」

 老夫婦は何もなくなった部屋を確認してから、そっとドアを閉めた。

fin

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2020/03/30

【君と決めたルール】僕がルールを破る時

 何気ない日常の何気ない時間。
 それが僕にとってかけがえのない物だったと知ったのは、何もかも・・・。”自分の身体”と”君への想い”と”君と決めたルール”だけが残された日だった。

 君は、僕にそんな事を望んでいないだろう。
 僕は、初めて、君との約束を僕の都合で破る事にする。

 君と決めたルールは4つ。この4つは何が有っても変えないと二人で決めた。
1.嫌がる事はしない
2.他人に迷惑をかけない
3.辛くても笑おう
4.大切にする
 だ。
 今から1番と4番のルールを破る。


 高校1年の最初の席決めの時に、隣に座ったのが君で良かった。
 最初にルールを決めようと言ったのは君だった。どうせ、1学期だけだと思って、僕は承諾した。

 それから、君は高校3年間ずぅーと僕の隣だった。
 数え切れないほど、君はルールを決めた。

 明日持ってくるお弁当をルールで縛った事も有った。
 君はルールという名前のゲームを楽しんでいるようだった。僕も、君と決めたルールを守るのが嬉しかった。

 ルールで君と繋がっているのがわかったからだ。

 最初のキスも、君が決めたルールだった。

 初めて身体を重ねたのは、僕が決めたルールと罰で、君がわざと破って罰を実行する事にしたからだったよね。

 お互いにルールを決めて、ゲームを楽しんだ。
 僕たちは、高校3年間で数えきれないルールを決めた。

 僕たちは、高校3年間の高校生活をルールに則った恋愛ゲームを本気で楽しんだ。


 私は、君に恋をした。
 私は、君を最初から好きだった。

 私は、最初から君を求めていた。

 私は、最後まで君を守るつもりだ。

 私は、ルールを決める事で、君を守りたい。

 君は、私のすべて。私が、君のすべてじゃなくてもいい。私のすべては君の物。
 私が、私で決めたルールだ。


 男と女は、高校卒業して、就職した。

 男の両親も女の両親も、高校卒業後に二人がプレゼントした旅行で・・・。飛行機事故で帰らぬ人となった。
 それから、二人はお互いしか居ないと、より強く思うようになった。

 高校時代から続けているお互いのルールでお互いを縛った。

 二人しか居なくなった、男と女は自然な流れで、結婚した。

 言葉は少なかった。
 お互いが決めたルールではなく、社会的なルールには興味がなかった。

「結婚しよう」
「うん」

 これだけだった。

 二人だけの小さな小さな結婚式をあげた。職場の人も、古くからの友人も、誰も呼ばない二人だけの結婚式だ。

 それが周りから見て異常な事だとしても、お互いは二人だけが決めたルールに従っている。

 男と女には、社会が決めたルールに従って、多額のお金が舞い込んできた。
 しかし、男と女は、そのお金を全額寄付してしまった。自分たちの決めたルール。

・お金は自分たちで稼いだ分だけを使う。

 したがって、お互いに稼いでいないお金は必要がない物だった。
 自分たちと同じ様に両親を無くした子供たちが居る事を知って、その子たちが過ごす児童養護施設に寄付する事に決めた。

 もともと、肉親への興味が薄かった二人は、お互い以外は必要としていなかった。

 そんな二人が決めたルールは、4つのルールの上に成り立っていた。
1.嫌がる事はしない
2.他人に迷惑をかけない
3.辛くても笑おう
4.大切にする

 二人だけが解る二人だけのルールだ。


 男は暗い部屋に通された。頭に巻いた包帯が痛々しい。

「細川さん。落ち着いて聞いてください」
「大丈夫です。落ち着いています」
「奥様・・・。真帆さんで間違いありませんか?」
「・・・。刑事さん。教えてください。僕が、ここで、真帆じゃありませんと言ったら、真帆は帰ってきますか?」
「・・・。細川さん」
「大丈夫です。落ち着いています。真帆と決めたルールで、いつだったかな・・・。そうだ、高校の文化祭で決めた物だ。”取り乱さない”と決めました。そうだ。破ったら、相手の望む所にキスをするだったかな・・・。ねぇ刑事さん。教えてください。僕が、ルールを守らないから、真帆は寝たままなのですか?」

 男は、泣くわけでもなく、喚くわけでもなく、淡々と刑事に質問していた。
 刑事が答えられるわけもなく・・・。時間だけが流れていった。

 男は、唯一人の理解者で、ただ1人の肉親を失った。
 通り魔に殺されたのだ。

 お互いの休みを利用して、買い物にでかけた。二人で街にあるスーパーにでかけた。買い物をすませた帰り道。

「真帆!」

 ナイフを振り回す男が、男の目に映った。
 男は、女と男の間に身体を入れた。女は振り返って、ナイフを持った男が自分の半身を世界で一番大切な男に向かって、ナイフを振りかざしたのを見た。

 女は、咄嗟に男を抱きしめて、身体を回転させた。
 ナイフは、女の背中に刺さった。ナイフを持った男は、ナイフを抜いて、女を何度も刺した。骨にナイフがあたって折れるまで何度も何度も刺した。男は、倒れ込む女を支えて、地面に頭を打ち付けて意識を飛ばした。

「よかった・・・りゅうちゃんを守れた・・・。よかった。ルールを・・・わたし・・・守れたよ・・・りゅ・・・うちゃ・・・ん」

 女は自分が死ぬ事が怖かった。
 最愛の竜司に会えなくなるのが怖かった。

 竜司が守れたのが嬉しかった。

 竜司は1人だけになってしまった家に戻った。
 笑っている真帆の写真を見つけて、部屋に飾ってある。

 遺影は、二人で決めていた。
 お互いにいつ死んでもいいようにルールを決めていた。

 竜司は、真帆の生命保険を全額寄付した。二人が決めたルールを守ったのだ。
 翌日から仕事に出た竜司を同僚や上司は心配した。でも、竜司は、真帆以外から心配されても嬉しくなった。

 毎日のように流れるニュースにも興味がなかった。
 犯人が解っても、真帆が帰ってくるわけではない。
 犯人の父親が偉い議員の先生だからと言って、真帆が新しいルールを決めてくれるわけではない。
 犯人の父親が代理人を通して慰謝料を持ってきたからって、真帆が自分のルールを守ってくれるわけではない。

 竜司の顔は、笑顔で愛想笑いの状態で固まってしまったかのようになっている。
 真帆と決めたルールの三番目を実行している。”辛くても笑おう”

 親戚を名乗る者たちや、竜司と真帆の事を知っていると言っている者たちがマスコミを賑わしている。そんな話を聞きながら、竜司は笑って過ごしている。

 竜司は、真帆と一緒に過ごした時間を大切にしたいだけなのだ。

 マスコミや世間が、竜司を追い詰めていった。
 竜司は、いつの間にか、壊れていた。

 竜司は、真帆が眠る場所を毎日訪れて話しかけるのが日課になった。
 高校の出会いから、真帆と最後に買い物に行った日までを繰り返している。

 そして、真帆のルールを思い出して、最後に笑ってその場を立ち去る。
 まるで、なにかやらなければならない事を思い出したかのように、にこやかに笑って立ち去るのだ。

(真帆。僕は、君と決めたルールを守るよ。でも、君はルールを守ってくれなかったよね。だから、僕もルールを破る。君と決めた罰を君は実行してくれるのだろう?)


 男は、2つのルールを破る事に決めた。

 ”嫌がる事はしない”
 男は、女が自分の復讐なんて望んでいない事は解っていた。嫌がるだろう事も解っていた。でも、自分の気持ちが抑えられないのだ。妻を、最愛の女性を、世界で唯一人の身内を奪った犯人ゴミが許せない。

 ”大切にする”
 男と女は、決めていた。お互いの身体を大切にする事。自分の身体も心も大切にして、疲れたら休む事。自分の身体を傷つけない事。男は、復讐を果たした後で女の所に旅立とうと思っている。もしかしたら、会えない旅路かもしれない。長い長い旅路になるかも知れない。そう思っていても、男は女が居る場所に行くために、旅立つ決心した。

 男と女のルールには、破った時の罰則がある。

 4つの基本のルールを破ったら

 男は言った
「死んでも許さない。ずぅーと一緒に居る」

 女は言った
「ルールを破ったら、探してずぅーと側に居る」


「また、その事件ですか?」
「・・・。不思議な事が多いからな」
「そうですよね」

 二人の刑事が見ている調書は、被疑者死亡で終わった事件だ。

 被害者は、5年前に通り魔殺人事件を起こしている。
 薬をやっていて、善悪の判断ができていなかったという理由で無罪になっている。父親が有名な議員先生だった事も影響しているのかも知れない。マスコミも、事件当初は通り魔事件と大々的に報じたが、犯人が解ってからは報道を自粛するようになった。

 厚生施設に送られていた男が、遠い施設に移される事が決まった当日。

 通り魔事件で唯一死亡した女性の旦那が通り魔犯を殺害した。

 自分の妻が刺された場所をと寸分違わない場所を刺していた。背中を9箇所刺した。

 警官の護衛も居た。少ないがマスコミも居た。

 だが、誰一人として犯行現場を見ていなかった。
 白昼の空白。そんな言葉が皆の頭によぎった。

 男は、最愛の妻が眠る墓地の前で、墓地を汚さないように、布をかけて、墓地に寄り添うように自分で腹を切って自殺した。自分の血で墓地や地面が汚れないように、細心の注意がされていた。墓地とノートを抱きしめて眠るように死んでいた。

 墓の前には、几帳面な字で事件を起こした事の謝罪と経緯が細かく書かれていた。
 議員の息子が何時出てくるのかを知るために、男は議員の事務所で働き始めた事も書かれていた。議員の不正も全部メモとして残していた。

 ”他人に迷惑をかけない”
 自分の死後に、警察が調べたりする手間を省いたのだ。男は女の決めたルールを守っただけなのだ。
 墓地が汚れたりしたら迷惑をかけると思ったから、男は細心の注意をはらった。

 男は、ルールを書いた、三冊にも及ぶノートを胸に抱いて、眠るように旅立った。

「どうやって殺したのか?」
「そうですよね。マスコミもいたし、警察も居たのですよね?」
「・・・。それに、刺し傷が全部同じなんてあり得るか?」
「無理ですよね。それに、事件現場から見つかる場所までもかなりありますよね?」
「あぁまるで誰かが助けたようだよな」

 二人は持っていた調書を閉じた。

fin

2020/03/29

【紙とペンと復讐】復讐を誓った男の行動

 そこは、寂しい港町。始発を待つ者は誰も居ない。

 誰も居ないと解っていながら、1人の男性は毎日ホームに立つ。

 ホームで始発電車が到着するのを待っている。

 男が持つメモ用紙には、電車の時刻表と到着時間がメモされている。

 ホームに電車が滑り込んでくるのを待っている。

 数分後に、電車がホームに滑り込んできた。
 男は、ホームに吊り下げられている時計を見る。毎朝、男が調整している時計だ。

 電車が止まって扉が開く。
 寂れた港町の駅では降りる客も少ない。

 始発となれば、0人が規定の数字だ。

 男は、ホームで客を見ている。
 改札は自動改札が導入されている。それでも、お年寄りが多い港町なので、男の手伝いが必要になる場合がある。

 男は、誰も降りてこない事を確認した。
 男は、ホームから電車が離れたのを確認して娘が残した唯一のペンで、メモ用紙に電車が止まった時刻と利用者数を書き示す。

 男の仕事は、駅長となっている。男1人で廻しているような小さな駅だ。

 男は、天涯孤独だ。元々は、妻と小学5年生になる娘が居た。男の娘は、学校でいじめられていた。
 男が知ったのは、娘が海に身を投げてからだ。男が仕事をしている最中の出来事だ。
 そして、身体が弱かった妻が娘の自殺を知って・・・。翌日に自分で、自分の人生の幕引きを行った。

 男は、いじめで宝物だった娘と最愛の妻を失った。
 男は、止める周りの言葉を無視して翌日から業務に戻った。心に決めた事がある。誰にも話していない、誰にも相談していない事だ。

 それから、男は1人で過ごしている。死ぬことを考えた、しかし死ぬのを辞めた。辞めたと言うのは間違っている。男は、ある事を心に決めているのだ。それから、電車の時刻と利用者数を書き始めた。そして、時々利用者数の数字を4色で印を付けている。数字を○で囲んでいる。

 1日1枚のメモ用紙を使って、娘が修学旅行で買ってきた唯一の形見であるペンを使って、時刻と電車と利用者数と丸印を付けている。

 男が、メモ用紙にメモを作り始めて、7年。娘が本来なら高校を卒業する年になっていた。
 毎日付けていたメモも溜まっている。

 男は、終電が出ていくまで同じことを繰り返す。時間帯によっては、利用者の人数が数えられない事もある。その場合には、自動改札のデータを見る事にしている。

 そして、利用者が減っている事が解っている。

 7年。男にとっては長くも短くもあった7年がすぎた。形見である娘からもらったペンも修理をしながら使っている。メモ用紙も大量になっている。大量の紙とペンで記された印を見ながら、男は決心した。

 男は、娘をいじめた奴らが、娘が高校卒業するまでに、娘に詫びを入れてくる事を期待していた。
 そして、校長を除く学校関係者が1人でも謝罪に現れる事を期待していた。

 学校側もいじめの事実を認めた。男は、学校側が謝罪してくれるものとして、謝罪を聞いてから、娘と妻が待つ場所に向かおうと考えていた。しかし、学校だけじゃなくいじめていた本人たちやその親の1人も、謝罪に現れなかった。

 ただ1人、校長だけが・・・校長として謝罪に現れた。
 校長は、学校を辞めた。自分なりのけじめをとったのだ。男が嬉しかったのは、校長が自分の事を覚えていてくれたことだ。男は、校長がまだ新人と言われる年齢の時に、男の担任だった人物だ。
 涙を流しながら謝罪してくれた。そして、命日には毎年墓前を清掃して、仏壇にも謝罪に来てくれている。妻にも同じ様に謝罪してくれている。

 関係者の中で校長だけは許そうと男は考えた。

(まずは娘の担任の女性だ)

 7年間、担任は学校には電車を使って通っている。
 毎日顔を合わせておきながら会釈もしない。男が一番許す事ができない人物なのだ。

 メモから剥がして、大量になった紙の中から、担任の印を探す。
 担任は、今年に入ってから木曜日に遅くなる事が解っている。

「結城さん」
「え?」

 男は、担任を拉致して、県境を越えた山の中に生きたまま放置する事にしている。
 娘と妻が眠る海から遠ざけたかったのだ。

「結城さん。私の事がわかりますか?」
「なっ・・・。なんで・・・。こんな辞めて・・・。私が何をしたって言うのよ!離しなさい!」

 担任がヒステリックな声をあげる。
 男は、うるさそうにしながら話を続ける。

「そんな、ヒステリックにならないでください。私の事がわかりますか?」
「あんたなんか知らないわよ!早く、私を離しなさい」
「はぁ・・・。そうですか。残念です。私の事がわからないのなら、目は必要ないですよね」

 男は、持っていたペンで、娘の形見とは違うペンで、担任の目を潰す。
 担任の絶叫が響き渡る。心地よい音を聞いているかのように、男の心には揺らがない。

「うるさいですね。こんな人だったのですね。残念です。それに、謝罪するつもりが無いのなら、必要ないでしょう」
「し・・・ゃ・・ざ・・・い?」
「まだわかりませんか?本当に、残念な人ですね」

 男は、口枷をする。
 口枷が取れないように、顔に瞬間接着剤で固定する。手枷をして、足枷をして、小屋を出る。
 顔が判断できないように、薬剤を顔にかける。別に、これで死ななくてもどうでもよかった。事情を知ってから苦しんでもらっても構わない。男を恨んでくれても構わない。そう考えているのだ。
 小屋は男が購入したものだ。男は、自分がやりたい事が終われば、その後の事など考えていない。

「簡単に死なないですから安心してください。私はそろそろ帰らないと朝の業務に遅れてしまいます」

「それでは、結城。さようなら」

 男は、また翌朝から同じ事を行う。
 ホームや待合室から聞こえてくる噂話に耳を傾ける。

「結城先生が今日無断欠勤したけど、なにか聞いているか?」
「うーん。またじゃないのか?あの人、月に何回か同じ事をするからな」
「だよな。それに心配してもしょうがないだろうな」
「あぁそうだな。口うるさいヒステリックな人が居なくて静かで良かったよな」

 そんな話声が聞こえてくる。
 男がつける印の色がその日から減った。

 男が付けている印はあと3つ。
 娘からもらったペンで付けられ色は全部で5つ。一つは、これで使わなくなる。

 男は、そっと、ペンからその色を抜き取って、元々入っていた。使えなくなってしまったインクをペンに戻す。

(次は誰にしましょうか?決まった行動をしている人からにしましょう。そうなると、こっちの男ですね。この女は最後にしたほうがいいでしょう。早くしないと、娘と妻に合うのが遅くなってしまいます)

 男は、定期的に電車を使っている、二人の男を順番に拉致する事にした。
 男は、二人の男性を観察していた。それこそ、7年間毎日の様に観察していた。1人は、力があるように思えたので、男は考えて身体を鍛えた。力負けをしたら計画自体がダメになってしまう。

 インターネット通販で気絶させる事ができるほどの威力になっている違法なスタンガンを購入している。
 同じ様に、大量の違法薬物も入手している。自分で使うためではない。

 まず、男は、男性を拉致する。
 スタンガンで気絶させて、担任が待っている場所につれていく。首輪をして目隠しと口枷と手枷をしてある。首輪や目隠しや口枷や手枷を外すと電流が流れる仕組みになっている事を教える。実際に電流は流れるが死ぬほどではない・・・と、考えていた。

 男は次の日に、もうひとりの男を拉致する。
 そして、同じ様に首輪を目隠しと口枷と手枷をする。餌も何も与えない。必要ないと思っている。

 担任はまだ生きている。顔を潰した状態で二人の男の前に全裸で放置している。

 翌日、男は、娘を自殺にまで追いやった女を拉致する。

 男は、担任以外の口枷を外す。手枷を外して、男は姿を見せないで、3人に問う。

「7年前に自分たちが何をしたか覚えているのか?」

 3人から期待した言葉は返ってこない。

 男は、黒色以外をもとに戻したペンで、持ってきた紙に言葉を書く。

”思い出したら言ってくれ、明日また来る”

 そして、目隠しを外して、その場を立ち去る。
 用意してある食べ物や飲み物には、大量の媚薬が混ぜ込んである。
 同じ様に、部屋を温める為に用意した囲炉裏には違法薬物が混ぜ込まれた草木が置いてある。火をつければ幻覚作用がある煙が出るようになっている。

 最後の女は、全裸で首輪だけの状態になっている。
 どうなろうと関係ないと、男は思っている。

 翌日、男が小屋を尋ねると、予想通りの展開になっている。
 首輪を外そうと頑張った形跡もあるのだが、無理だったようだ。

 鉄の鎖で首を覆っているだけではなく首の周りも鉄製の者を使っている。

 男は、昨日と同じ様に、新しい紙に娘のペンで言葉を綴る。

 最初に死んだのは、担任だったようだ。
 男と女に食事を与えられなくて、何度も犯されてから死んだ。

 次は、片方の男だ。もうひとりの男に殺された。

 次は男が死んだ。
 女が最後に残ったのにはわけがある。

 男が、男と女だけになった時に、女にナイフを渡した。

 女は、男を刺して、自分の首輪を外そうとしていたができない。男に、懇願したが、男が求めている言葉ではなかった。

 男は、女の様子を観察した。そして、ヒントを与えたが女が思い出す事はなかった。
 女は最後まで、謝罪の言葉を口にする事はできなかった。でも、女は生きていた。

 男は、監禁してから、7日目に男のところに警察が来た。

 男は、翌日に娘が自殺した港から身を投げた。

 男は、詳細にメモを残していた。
 警察がたどり着く時に、女が生きていようと死んでいようと関係ないと書きながら・・・だ。

 女は、娘の友達だと、娘が紹介した女だからだ。
 男は、娘の友達が助かるのか、死んでしまうのか、どちらでもいいと考えていた。

 男の遺体はすぐに見つかった。
 男は、娘のペンと、妻が残した紙を持って、海に浮かんでいた。

 男の顔は穏やかだった。

 男が使っていた部屋には、男がメモに使った紙とインクが無くなったペン先と復讐の為に使った道具が残されてた。

fin

2020/03/28

【隣の料理人】食事のスパイスは勘違い?

 その女性の住む部屋は、古いアパートだだ。

(はぁ今日も疲れた)

 誰も待っていない部屋に女性が入っていく。手に持っているのは、近くにある弁当屋さんの袋だ。

 部屋に入って、仕事場にしていくポニーテールを解いて、髪の毛を下ろす。

(どんどん。好きだけど・・・今日も、隣の部屋からはいい匂いがしている)

 アパートと言っても、女性の一人暮らしだ。セキュリティには気を使った。
 部屋を借りる時に、隣に音が聞こえないようにとか、周りにどんな人が住んでいるのかを確認していた。

 しかし、匂いまでは気にしていなかったのだ。キッチンは通路側ではなく、ベランダ側になっている。少し変則的な2LDKの作りになっている。
 そのために、ベランダ越しに匂いが漂ってくるのだ。

(美味しそうな匂いだな。今日は、何を作っているのだろう?焼きそばかな?)

 女性は隣に住んでいるのが、一つ年上の男性だと教えられている。

(まさか、美味しそうな匂いさせやがってと怒れないよな)

 買ってきた、”舞茸のり弁”を袋から取り出す。

(私も料理したら。時間がないから無理!)

 という言い訳をし続けて、もうすぐ1年が経つ。
 その間、キッチンを使ったのは3回だけ。

 キッチンではお湯を沸かすだけになってしまっている。

(ゴミ捨てとかでお隣さんに会うけど、料理なんてしているように見えないけどな。でも、ギャップがいいなぁ。彼女とか居るのかな?イケメンってよりは、かわいい系?古川慎くん似で好みだな)

 彼氏居ない歴=年齢の女性には隣の男性に声をかけるなどという高難易度のミッションをこなすことなどできない。

(はぁ今日もお隣さんは、美味しそうな物を作っているな。ソースのいい匂いだな)

 男性は、綺麗なキッチンで、封を切ったカップラーメンにお湯を注いでいる。
 3分待てばできるやつだ。

 仕事場から近くだからと借りた部屋だったが、その仕事場が不況の煽りを受けて、田舎に引っ越してしまった。
 せっかく入った会社なので、男性は辞める事なく勤めている。

(通勤時間5分。夢の生活だと思ったのに、いきなり通勤時間30分だからな。それでも幸せだと思わないとな)

 男性が部屋を決めたのは、裏に駐車場がついている事だ。隣は空き部屋だと教えられた、角部屋とそうじゃない部屋のどちらでも大丈夫だと言われたが、角部屋の方が家賃が高くなっているし、駐車場もついていないと言われた。

 男性が部屋を決めてから3ヶ月後に、空き部屋の一つに女性が引っ越してきた。

 年齢=彼女いない歴の男性は、今日もカップ麺をすすって餓えをしのいでいた。

(ごちそうさま!ゴミ出しの時に会う様な子が作った料理ならもっとうまいのだろうな)

 今日は近くのスーパーの安売りをしている日だ。男性はカップ麺を求めてスーパーに来ていた。

「あれ?大家さん?」
「古川さん?」

 大荷物を抱えた、大家さんが男性の前でレジを行っていた。

「古川さんも、買い物?」
「はい。安売りだったので」
「それにしては、あまり買っていないようだね」
「えぇ一人暮らしですから、こんな物じゃないですか?」
「そうなのね?」

 二人は無人のレジで支払いを済ませた。

「そうだ。大家さん。車で来ていますから送っていきますよ。荷物もあるし歩いて帰るよりはいいでしょ?同じ場所に帰るのだし」
「そうじゃね。お言葉に甘えましょうかね」
「はい。正面に車を廻してきますね。あっ。荷物、持っていきますね車に積んでおきますよ」
「それなら、私も一緒に行きますよ」

 二人は並んであるき始めた。
 男性は、自分の買い物を手に持って、カートには大量に買っていた、大家さんの荷物を入れている。日用品も多いが、食料も多い。男性から見たら、何ができるのかわからないような、肉や野菜や魚介類が大量にカートに積み込まれている。

「大家さん。こんなに食べられるのですか?」
「ハハハ。孫が、今度遊びに来るからな。その時に出す料理の材料じゃよ」
「あぁそうなのですね。それで、調味料とかも沢山あるのですね」
「なんと言ったかな、あの板みたいな奴。孫娘が持ってきて、これでレシピがいろいろ見られるからって置いていってから、試しにやってみているのですよ」
「へぇそうなのですね」

 男性は、車に大家さんが買った物を積み込んで家まで帰る事にした。

 暫く車を走らせたら
「あっ!古川さん。ちょっと停めて!」
「どうしました?」
「孫娘が高校合格したお祝いを予約してくる!」

 近くのケーキ屋さんで予約をするようだ。

「それなら待っていますよ」
「後で取りに行くから買い物したものをお願いしていいかい?」
「問題ないですよ。冷蔵庫には余裕がありますから」

 男性は自虐的に少しだけ笑ってから停めた車を走らせた。

 駐車場について、大家さんが買った大量の食材や調味料を抱えながら、自分のカップ麺が入った袋を持って部屋に戻る事になった。

「あっこんばんは」

(え?普段はポニーテールだと思っていたけど、学校?に行くときだけど?普段は下ろしている?こんな時間に、デートなのかな?やっぱり彼氏が居るのだろうな)

 女性は、今日は仕事が休みだったので、一日部屋で過ごしていた。
 さすがに何も食べないのは辛いがせっかくの休日にお弁当では気分が滅入ってしまう。そう考えて、夕方に外に食事に出かける事にした。自分で作るという発想は女性の頭からすっかり消えている状態なのだ。

「あっこんばんは」

(え?)
「あっこんばんは」

 女性は、荷物を抱えた男性とすれ違った。

 男性が持っていた物を女性が見て少しだけ残念な気分になってしまった。

(やはり、料理を作っているのね。それに、あの量。やっぱり、彼女が居るのね)
(こんなすっぴんで、髪の毛に縛った跡を残して、普段着のまま近くの定食屋に食事に出かけるような女じゃ彼女にはなれないよね)

 女性は、マンションの敷地から出て、どっちに行こうか迷っていた。駅方面に向かうか、スーパー方面に向かうかだ。

 スーパー方面から小柄な女性が歩いてきた。

「大家さん。こんばんは」
「はい。こんばんは。森川さん。今からデートかい?」
「違いますよ。今日お休みだったから、なにか買ってくるか、食べてこようか、考えていたところですよ」
「そうなのかい?」
「はい」

 大家さんは少しだけ考えていた。
 女性は、孫娘よりも少しだけ上だが、最近の女性には違いない。

 大家さんから見たら、15歳も23歳も大した違いはない。

「そうかい。森川さん。ちょっと私の手伝いしてくれないかい?」
「手伝いですか?」
「孫娘の合格パーティを開くのだけど、その時に出す料理を食べてみて感想が欲しいのだけどダメかい?」

 女性は少しだけ躊躇したが、以前に食べた大家さんからもらった”お煮しめ”の味を思い出して、承諾してしまう。
 そして、外食をするという計画から、大家さんの家で食事をするという話になってしまった。

 一通りの食事を終えて、女性は食事代を払うと大家さんに言ったのだが
「いいよ。意見ももらったし、食事代なんていらないよ」
「そう言われても」
「そうかい?」
「はい」

 大家さんは少しだけ考えてから
「それなら、明日ゴミの日だろう。ゴミ出しを頼めるかい?」
「もちろんです」

 女性は、明日の朝のゴミ出しの約束をして、少しだけ幸せの気分で部屋に帰った。

— 翌朝

 男性はいつもの時間に起きて、いつもの様に支度をして、部屋を出る。ゴミの日なのはわかっているが自炊をしていない男性の1人ぐらいではゴミは殆ど出ない。月に一回程度で十分なのだ。

 女性はいつもよりも早く起きて、大家さんの部屋に行った。
 約束していたゴミ出しをするためだ。

「おっ」

 男性が扉を開けると、大きなゴミ袋を持った女性がドアにぶつかりそうになっていた。

「あっ申し訳ない」
(やっぱり、あの匂いは、この子からだったのか?大学生なのに毎日料理を作るなんて)

「いえ、大丈夫です」
(社会人だと聞いていたけど、魚とか匂いがしてくる、やっぱり料理しているみたいだね)

「おはようございます。ゴミ。持ちましょうか?」
(少しでも話せるチャンスだからな。彼氏が居るとは思うけど)

「いえ・・・。あっそれなら、これお願いします」
(そんな捨てられた子犬みたいな顔されたら・・・。私のゴミは恥ずかしいけど、大家さんのゴミなら・・・)

「わかりました」
(生ゴミって事は、昨日の夜に作ったのかな?)

「あっありがとうございます」
(優しいな。勘違いしちゃいそう)

(話が続かない・・)
(なにか話さないと・・)

 二人は黙って、階段の方に歩いていく。

「あっ」
「どうしました?」
(私、なにかまずかった?)

「いえ、なんでもないです。学生さんですよね?」
(俺は、いきなり何を聞いている!?馬鹿なの?馬鹿なの?ほら、困っている)

(え?私の事?)
「え・・・いえ、働いています。社会人一年目です」

(え?)
「そうなのですか?」
「はい。あっゴミ重くないですか?」
(・・・。大家さんのゴミだから大変かな?)

「いえ?平気ですよ。でもすごいですね。一年目で、しっかりされていて」
(すごいな。一年目なんて大変なのに、料理を毎日しているみたいだし)

「いえ、そうでもないです」
(仕事は慣れちゃったけど、食べ物が・・・なぁ)

 二人は黙ってゴミ捨て場まで歩いた。
 ゴミ捨て場では、大家さんが掃除をしていた。

「あれぇ二人ともおはようさん」
「おはようございます」「おはようございます」
「古川さん。昨日は荷物ありがとうね。森川さん。ゴミ捨てありがとう。帰りに寄ってね。お煮しめ作っておくから!」

 大家さんは掃除をしながら、昨日お互いに聞いた、料理をしない話や彼氏や彼女が居ないと言った話をしてしまった。

「え?」
「え?」

 二人に微妙な空気が流れる。
 お互いの勘違いが一気に解消されていった。

 一年後に角部屋の表札が”古川・森川”という物から”古川”に変わった。
 そして、使い込んだキッチンからは匂いではなく二人の笑い声が聞こえてくる。

fin

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2020/03/25

【二番目の愛情】戸惑いの告白

 俺には長男だけど二番目の子供だ。

 当然の事だと思う。
 俺は少しだけ複雑な子供だ。

 俺の父はバツ1なのだ。
 父の再婚相手が、俺の産みの母で、産みの母の最初の配偶者が本当の父なのだ。

 ようするに、俺が今『父』『母』と呼んでいる両親とは血が繋がっていない。

 本当の両親が、どうなったのかは知らない・・・ことになっている。

 一度酔った父が話してくれた。

 俺の本当の父は、父の友人だった人物ですでに死去している。産みの母も、父と再婚して2年後に死去した。
 自殺だと言っていた。父は、本当の母の死を自分たちの責任だと悔やんでいる。

 父は友人に産みの母を頼まれたようだ。
 死ぬ間際に頼まれたのだと言っていた。理由は話してくれなかった。

 どういう経緯で母と結婚したのかはわからないが、母も産みの母を知っているようだ。
 全員が、幼馴染と言ってもいい関係だったようなのだ。

 そんな不思議な環境の中で、俺は二番目として生活してきた。
 父の事も、母の事も、感謝しているし、尊敬もしている。弟の事も大事だ。しかし俺は、この家では2番目の存在でしか無いのだ。小さいときには、弟に嫉妬した事もある。でも、酔った父に真相を聞かされた時に、納得してしまった。

 グレるという選択肢は俺にはなかった。本当の両親と、育ててくれた両親。どちらも俺にとっては両親なのだ。今の両親が二番目の両親などと考えていない。

 明日、卒業式が終わったら、俺は家を出て一人暮らしを始める。
 街に出て働くことになっている。就職先の寮に入る事が決まっている。

「父さん?なに?」

 家を出る前に、父に呼ばれている。
 部屋のリビングで、父さんの対面の椅子に座る。

「・・・」

 なんかいいにくそうにしている。
 もしかしたら、本当の両親の事を教えてくれようとしているのか?

さとし。明日の準備は終わっているのか?」

 笑いそうになってしまう。
 荷物をまとめて寮に運んである。父さんに運んでもらった。
 そんな事も考えられないほど動揺しているのか?

「大丈夫。もう寮に運んだから、明日は着替えを少し持っていくだけだよ」
「あっそうだったな。・・・それでな」
「なに?」

 話しにくそうにしているけど、チラチラとリビングからキッチンの方を見ている。
 母がそっちで聞き耳を立てているのがわかる。

「あのな。慧」
「うん」

 長い沈黙だ。

 パタパタとキッチンから母が出てきたのがわかる。

「アナタ。慧が困惑しているでしょ」
「そう言っても・・・」
「もう。いいわね。私が」
「ダメだ!これは、俺の役目だ!」

 びっくりした。
 温和な父が母を怒鳴るなんて・・・。それほど、大事に思っていてくれたのか?

 もしかして、二番目なんて思っていたのは、俺の勘違いだったのか?

「そ、そうね。アナタの役目ね。ごめんなさい。慧。少し、パパとママの話を聞いてくれる?」

 母は、父の隣に座って、お茶を俺の前と自分と父の前に置く。

「もちろん。俺に関係する事?この目に関係する?」

 両親が話しやすいように、目の話をする。
 俺の目は、茶色と濃い青だ。父と母は、びっくりするくらいの黒色だ。この両親から、俺の様な目を持つ子供が産まれるわけがない。

 両親は身体を少しだけ強張らせる。
 大丈夫。俺は知っている、知っていて、父と母を、父さん。母さんと呼ぶ。呼んでいたいと思っている。

「慧。お前は、俺と母さんの本当の子供じゃない」
「うん。知っていたよ。だって、目が違いすぎるし、髪の毛の色も俺だけ違うからね」

 わかっていた事だが、父にはっきりと言われるとやはり心に・・・来る。

「慧!でも、お前は、俺の子供だ。血が繋がっていなくても、俺と母さんの子供だ!」
「うん。ありがとう」

 ダメだ。
 泣くな!泣いちゃダメだ。涙を見せるな。哀しいわけじゃない。教えてもらえて嬉しいと思え!

「サトちゃん。あのね。私とパパの」「母さん!」

 父が、母のセリフを止める。これも珍しい。

「そうね。私が言ってはダメね。ごめんなさい」

 なにか事情があるのだろう。

「慧。お前の父親は、俺の同級生だった男だ」

 父から、本当の父の学生時代の事を聞く。これは、ある意味・・・拷問に違いない。
 なぜ顔も知らなければ、有ったこともない、父親の話を育ててくれた父から聞かなければならない。
 学生時代の出来事なんて話の筋として関係ないだろう?

「アナタ」
「おっすまん。奴は、憎たらしいが、そんな男だった」
「そうだったのですね」
「他人事だな?」
「え?だって、俺の父さんは目の前に座っている人だけですからね。あった事もない人の事を父とは思えないですよ?」
「・・・。それで、お前の生みの・・・、本当の母親なのだが・・・」

 ちらっと母を見る。
 母が気にすると思っているのだろうか?それなら、杞憂だと先に話したほうがいいかも知れない

「そうね。加奈子の事は、私から話したほうがいいね」
「加奈子?」
「そうよ。慧の生みの親だけど・・・心が弱かったのね」
「??」
「加奈子は、慧を産んで、次の子を身ごもった時に、あの人が事件で死んでしまって・・・」
「え?」
「それはいいのだけど・・・」

 事件?
 死んだとは知っていたけど、なにかに巻き込まれて死んだのか?

「うん」
「優しいのね。そういうところは、加奈子にそっくりね。加奈子は、慧の妹になる女の子を産むはずだったのに・・・」
「死産だったの?」
「そうね。死産・・・かな。よほど、ショックだったのだろうね」
「でも、それだと・・・」
「そう、パパは、あの人に頼まれて、心が壊れた加奈子と結婚したのよ」
「え?」
「私との結婚が決まっていたけど、アナタを実子として向かい入れる為に、私との結婚を先延ばしにしたの」
「え?母さんはそれで」
「良くないけど、しょうがなかったのよ。加奈子には、パパも私も返しきれない恩があるのよ」
「え?それじゃ俺の事は・・・恩を返す・・・ため・・・なのか?」

 自分で言っていて悲しくなってくる。
 違うと否定して欲しい。でも、今の言い方じゃ・・・。

「サトちゃん。違うわよ!貴方は、私とパパの子供!これは間違いない!あの人や加奈子が生き返っても渡さない。私の、パパの宝物!」

 俺もしっかり愛されていた・・・のだ・・・。二番目でもいい。俺の両親は、この二人だ。

「慧。すまんな。混乱させてしまって、こんな話は、しないほうが良かった・・・」
「父さん。母さん。俺、二人の子供で良かった」
「慧」「サトちゃん」

「知らない両親の事なんかどうでもいい。二人の馴れ初めとかのほうが気になるよ」
「サトちゃん。それは、サトちゃんがお嫁さんを連れてきた時に、お嫁さんにだけ話してあげますよ」

「ハハハ。それじゃ、隠し事ができない嫁さんを見つけないとな。その前に彼女を探してこないとな」
「そうだな」

 少しだけ気になった事を聞いておく。
 父と母が話したくなければ無理に話さなくて良いと先に言ってから聞くことにしよう。

「父さん。母さん。話しにくかったら話さなくてもいい。俺の両親は、父さんと母さんだから・・・。でも、教えて欲しい事がある」

 ここで一息入れる。
 父も母も俺をまっすぐ見てくれている。

「俺の産みの両親だけど、なんで死んだの?」

 聞いてしまった。
 本当なら、聞かないほうが良かったかも知れない。

「そうだな。お前には知る権利があるだろうな」

 そう、父が語り始める。
 学生のときの話だ。本当の母加奈子母さんと父と母の3人は幼馴染だったらしい。
 本当の父の家は、裕福だったようだ。

 父と母の家も、加奈子と呼ばれた加奈子母さんの家も貧乏だったようだ。
 不愉快になる話であるが、加奈子母さんは資金援助と引き換えに、本当の父クズのところに嫁入りしたようだ。その資金で、父も母も家族が残した借金を完済したようだ。だから、父も母も親戚の付き合いが殆ど無いのだな。

 本当の父は家に来ていたお手伝いさんに刺された。事情は、結局わからなかったらしい。父の表情から、なにか知っているのはわかるが、わからなかったと言っている父の言葉を信じる事にする。

 暫く生死の境を彷徨ったクズは、父と母を呼んで加奈子母さんを娶ってくれとお願いしたと言っている。
 実際には、お願いではなく、命令なのだろう。この時点で、加奈子母さんは心が壊れてしまっている。クズの実家は、加奈子母さんと俺を家から追い出した。心が壊れて何もわからない状態の加奈子母さんに財産を放棄させている。

 そして、父は加奈子母さんと結婚して、俺を引き取った。
 加奈子母さんを、父と母の二人で面倒を見ていた。そして、俺が3歳になった時に、加奈子母さんは自ら命を断った。理由はわからなかったらしい。

 加奈子母さんは父と母に、クズからの手紙を渡したのだと、俺に向けての手紙ではなく、父に向けての手紙だ。その時に、加奈子母さんの手はやけどしていたらしい。

 封は切られていない。父も母も読みたくないのだろう。
 俺に処分を任せると言って渡してくれた。

 その場で破いて燃やす事もできたが、父と母が知らない事情が書かれているかも知れない。
 好奇心を抑える事ができなかった。
— 
 親愛なる我が友へ

 俺は、お前に勝ちたかった。お前は、俺が持っていない物を全部持っている。
 俺が好きになった女は、お前の事が好きだった。
 お前にとって二番目の女なのだろう。
 俺が金の力で娶った。
 加奈子は、俺の子供を産んだ後もお前の事を愛していると泣いていた。子供は、お前の子供だと思っているぞ?

 子供を産んだ後にすぐに犯して子供を作った。
 二番目を産んだ後でお前に返すつもりだ。もらってくれるよな?

 加奈子の目の前で、他の女を犯すのも楽しかったぞ。
 お前はいつまでも二番目だと思い知らせてやった。

 素晴らしくクズな内容が長々と書かれていた。素晴らしくクズな内容で、手紙を燃やす事に戸惑いはなかった。

 父と母にとっては、加奈子母さんの変わりかも知れない。
 二番目の愛情なのかもしれない。
 加奈子母さんからも、父からも母からも愛情を受けている。

 加奈子母さんは本当に心が壊れていたのだろうか?

fin

2020/03/25

【白いフクロウ】御使い

 そこは終末医療専門の病院だ。
 誰も訪ねてくる事もなく、ただ死を待つだけの人たちが、最後の時を心安らか過ごす場所だ。冥界に旅立つその時まで、サポートを行う病院なのだ。

 1人の女性が運び込まれた。
 身寄りのない女性。女性というには幼い。少女と言ってもいい年齢だ。

「先生」
「もって1ヶ月と言われている」
「でも、なんでここに?」

 看護師が不思議に思うのも当然だ。
 ここは救いのない病院。少女が最後を迎えるのに相応しいとは思えない。

「彼女の希望だ」
「え?」
「彼女は、とある事件の被害者の家族で、唯一の生き残りで、マスコミがまだ追っている」
「それで・・・」
「それに、彼女は残された遺産を全部この病院と隣接する孤児院に寄付すると言っている」
「孤児院の事も知っているのですか?」
「そうだ。なぜ知っているのかは教えてくれなかったけどな」
「そうなのですね。不思議ですね」

 医師と看護師が不思議がるのも当然なのだ。
 終末医療を行っている病院と孤児院をつなげて考える人は少ないだろう。管理母体が違うので当然なのだが、孤児院の49%の株は医師が持っている。そして、若くして30代や40代でこの病院に来てしまった場合に残された子供の事を安心させるために、孤児院を運営しているのだ。

「それであの部屋なのですね」
「彼女が希望したからな」

 その部屋は、暗い深い森に面しているが、近くにある山の影響で、麓にある孤児院からの声が聞こえてくる。
 患者にとってはあまり気持ちがいい部屋ではない。暗い深い森は、”死”を連想させる。それを見ながら、将来ある子供たちの声を感じるのだ。子どもたちの声だけなら、思い出に浸る事ができる。しかし、”死”を感じながら未来を、将来を考える事などできない。

 防音された個室に入る事もできた。しかし、彼女は自らその部屋を望んだ。

「先生!」

 今日、5回目のナースコールが鳴り響く。
 どこかの部屋の患者が冥界に旅立ったのだろう。

 私は、この病院に務めるようになって希望を持つ事を辞めた。
 先生は立派な人だ。私は、まだ患者さんに向き合う事ができないでいる。患者さんの名前を覚えない。これが、この病院でやっていくための鉄則なのだ。看護師の先輩たちの中には薬に手を出した人も多くいる。それだけ精神に負担がかかるのだ。

 これは、私の罪滅ぼし。
 娘を救えなかった私に課せられた罰なのだ。

「先生。森の女性が、お薬が欲しいと言っています。どうしますか?」
「痛み止めを処方する」
「わかりました」

 森の女性。余命1ヶ月と宣告された少女。いつも、森を眺めて、子どもたちの声を聞いている少女を、私たちは”森の女性”と呼んでいる。
 その少女が痛みに耐えられなくなって、薬を求めるようになったのは昨日のことだ。

 処方された薬で、ゆっくりと寝られるようだ。

 今日も、薬を入れた事で、寝てくれた。

 肩が冷えないように、布団をかける。
 彼女の希望で、窓は空けておく、夜の風が、朝の風が、森の匂いが、森からの音を聞いていたいのだと言っていた。

 彼女から寝息が聞こえてきたので、私は部屋を出た。

 僕は、あと何回・・・朝を迎えられるのだろうか?
 1回?2回?

 気にしてもしょうがない。僕は、早く父と母と弟が待つ場所に行きたい。でも、自分で旅立つのはダメだ。父に言われている。自ら命を断ってしまうと、父と母と弟が待つ場所に行く事はできない。でも、もうすぐ旅立てる。

 僕が、この部屋を選んだのは、森からの使者が訪れるのを期待しているからだ。
 この森には・・・彼の使者が住んでいた。僕に、この病院と孤児院の事を教えてくれた、男の子・・・。僕の初恋で、僕の初めての人。彼は僕に、自分が孤児院で育った事を教えてくれた。山の麓にある孤児院。彼は、病院の事も知っていた。

 でも、僕は、彼に僕の身体の事を告げていない。別れも告げていない。全身の痛みに耐えながら、彼と初めてのキスをした日に僕は彼の前から姿を消した。

 僕は、最初で最後のキスをした彼の事を思いながら、迎えが来てくれるのを待っている。

”ほぉーほぉーほぉー”

 フクロウ?
 痛み止めが効いたのか寝てしまっていた。看護師さんからは『虫が入ってくるから閉めましょう』と言われたけど、風を感じたいと・・・。無理を言って開けてもらっている。

 身体を起こして外を見ると、真っ白いフクロウが、僕の髪の毛と同じ色のフクロウがこっちを見ている。

「君が迎えなの?」

 もちろん、フクロウは何も答えてくれない。

 黙って、窓に止まって僕を見ている。
 僕を見つめるフクロウの目が、彼を思い出させられてしまう。真っ直ぐな視線で彼と同じ様に僕を見つめている。

 彼は今何をしているのだろう?
 僕の事を少しでも覚えていてくれたら嬉しい。僕はずるい。彼に忘れられたくなくて、彼に何も言わずに彼の前から消える事にした。

 彼は、僕の事を覚えていてくれるだろうか?僕の事を探してくれるのだろうか?

 あっ・・・。
 フクロウは何も言わないで窓から飛び立ってしまった。

 あれから毎晩、フクロウは僕のところにやってくる。
 寝ている僕を起こすかのように鳴いて、僕の他愛もない話を聞いてから、帰っていく、まるで彼に僕の事を告げに行くかのように・・・。

 僕を連れに来た使者ではないのか?
 夜中の訪問者が来てから、痛み止めを入れなくても、寝られるようになった。身体の調子がいいわけではない。徐々に悪くなっているのも自分でもわかる。昨日できた事ができなくなっている。

 僕は、もう長くないだろう。
 僕の事は僕が一番わかっている。

 僕が旅立ったら、フクロウはあの部屋に来るのだろうか?

 夜目が効くフクロウだから、僕のところに来てくれたのだろうか?

 フクロウは、アテナの使者。僕をアテナのところに連れて行ってくれるのだろうか?

 戦いの女神の使者が僕のところに来るはずがない。僕は、負け戦を戦っているのだ。

 違う!!僕は、負けるわけではない。僕は、負けない。僕は、自ら命を断つ戦いに勝っている。苦しい状況でも、彼の事を考えて、待っている家族の事を考えて、僕はひたすら戦っている。
 戦いの女神の使者であるフクロウが見ている、見に来ているところで無様な戦いはできない。

”ほぉーほぉーほぉー”

 今日も、フクロウは僕の戦いを確認しに来てくれた。
 僕は、負けない。父に母に弟にあう為に、僕は自ら命を絶たない。

 アテナの使者に僕は告げる。

「僕は、負けない!冥界に旅立つその時まで、僕は僕だ。僕のまま死んでいく!!」

「彼に・・・会いたい。僕の唯一の・・・彼に・・・」

”ほぉーほぉー”

 僕は何を・・・願った?彼に・・・?

「先生」
「もう長くないだろう」

 少女に処方する痛み止めの量が日増しに増えている。
 寝て過ごす日々が続いている。窓も締め切って、一定の温度になるように空調を入れている。

 少女は、天涯孤独で、引き取り手も連絡をする相手も居ない。

「そう言えば、彼女の部屋の窓を開けていないよな?」
「はい。以前は開けていましたが、ここ1週間は開けていません」
「そうか・・・」
「どうかされましたか?」
「いや、昨日も今日も枕元に鳥の羽が落ちていたからな」
「え?本当ですか?」
「白い・・・。真っ白な大きな羽が落ちていたから不思議に感じていて、なにか知らないかと思ったのだけどな」
「掃除したときには気が付きませんでしたが?」
「そうか・・・患者の誰かが持ってきたのかも知れないな」
「そうですね」

 深夜にナースコールが鳴り響いた。

「先生。森の女性です」
「わかった。急げ!」
「はい!」

 多分、痛みで起きたのだろう。
 痛みの間隔が短くなってきてしまっているのか、苦しんでいるのを何度も見かけた。

 今日が・・・。

 心を閉ざす。少女の事を、考えてはダメ。感情に自分が引きずられる。

「先生!」

「あぁぁぁぁぁ来てくれた!!!!!ありがとう!」

 少女が、窓の外を見てつぶやいている。
 誰かが居るわけではない。この病院ではよくある事だ。最後が迫ってきているのは間違いない。

「あのね。僕、頑張ったよ。今日まで、貴方が来てくれるまで、頑張って死なないでいたよ!」

 

 少女の言葉が胸をえぐっていく。少女は自分の死期を悟って、悟った上でなにか貴方を待っていた。

 少女の目は、窓の外をはっきりと捕らえて動かない。

「先生!」
「・・・・」

 先生は、首を横にふるだけだ。
 私もわかっている。彼女に、医者が、看護師ができることなど何もない・・・。

 痛みも感じなくなったであろう身体を優しく支える事しかできない。

「あぁぁぁぁぁ。嬉しい。僕の事を覚えていてくれたのだね」

「もちろんだよ。僕も、貴方の事だけを考えていた」

「でも、お別れだね。僕には、時間がない・・・。みたいだから・・・。もっと、もっと、いろいろ・・・。話したいけど・・・。いざ、目の前に、貴方がいると・・・。言葉が出てこない」

「ほんとう?同じだね。ごめんなさい。僕の事・・・。忘れてほしくなくて」

「ゆるして・・・くれるの?」

「でも・・・もう・・・だめ・・・。こんど・・・でも・・・すぐじゃなくて・・・いいよ・・・ぼく・・・まって・・・い・・・る・・・から・・・ね」

 少女は最後の力を振り絞るかの様に窓に手をのばす。何もない虚空を掴んでから力尽きた

”ほぉーほぉーほぉー”

 え?嘘?どこに居たの?
 少女が見つめていた窓の外を、大きな大きな大きなフクロウが1羽・・・。大きな翼をはためかせて、なにかを掴んで空に登っていく・・・。
 もしかして、彼女を迎えに来たの?

「大和!」
「大和なら、ほら・・・例の・・・」
「そうか、フクロウが死んだとか言っていたな」
「そっちじゃなくて・・・。そっちもだけど」
「??」
「探していた彼女が見つかったらしくて、病院に行ったらしいぞ?」
「そうなのか?」
「フクロウが、知らせてくれたとは言っていたぞ」
「そうか、不思議な真っ白なフクロウだったからな」
「そうだな。彼女と同じ色だとか言っていたな」

fin

2020/03/22

【雨の日】海に浮かぶ傘

 僕は、雨が嫌いだ。

 この表現は、間違っていないが、合っているわけではない。
 正確に言うのなら、雨が降っているときに、差して一人で歩くのが嫌いだ。傘を差さないで移動することは、別に嫌いでもない。むしろ好きだと言える。雨に濡れながら歩くことで、思い出も、過去も、積み重なった想いも、全て流してくれる・・・そんな感じがする。

 雨の日は、僕の心の中にある、蓋さえも溶かしてしまう。
 思い出したくもない。でも、忘れたくない。そんな、蓋をしてしまい込んだ思い出を・・・。

 そう、あれは、僕が初めて人を好きになった瞬間でもある。今から、何年前かも思い出せない。古い話のようで、つい昨日のようにさえも思えてしまう。覚えているのは、強烈に刷り込まれたイメージだけだ。

 雨の中、小さな赤い傘をさして、僕を見て微笑む少女の顔を・・・。

 そこは、寂れた港町。港といっても、漁船が停泊しているだけの港で、これといった名産があるわけでもなく、寂れた港町で、港を出ればすぐに山という特殊な地形に囲まれている場所である。そんな地域に、私は住んでいた。

 僕の子供の頃の遊び場は、もっぱら、この寂れた港になっていくのは自然の流れである。
 雨の日には、雨の日の遊びを、晴れの日には晴れの日の遊びを、そして風の日には、風の日の遊びを、作り出しては、”友”と日々遊び過ごしていた。そこは、男の世界で、女の入る隙間さえも無いように思っていた。

 それが、錯覚だったとしても・・・。

 小学校6年生の夏休み前の雨の日。いつものように友人たちと、雨の日の遊びを楽しんでいた。そこに、同級生の女の子が何気なく現れた。そのあまりにも自然な登場と、普段学校では見ない姿に、そして、傘を差して歩いてくる姿に、そして、僕をみて一瞬微笑んだ”女性の顔’”に、一瞬にして目と心を奪われてしまった。

 その瞬間が、僕の初恋の瞬間だった・・・。

 今ならはっきりと言える。それからは、僕は、目で彼女を追うのが日課になっていった。彼女とは同じクラスだ。席も近く自然と話せる間柄だったのです。今までと違うのは、僕が彼女を、その他大勢の同級生の女の子ではなく、1人の女性として認識してしまった事だ。

 その気持ちは、自分の奥底に隠して、誰にもさとられないようにしまい込んでいた。

 僕が通っていた小学校は、夏休みに1つの課外授業がある。
 課外授業は、自主参加となっているが、小さな港町で、ほぼ全員が顔見知りのような場所なのだ、旅行に行くなどの予定が無い限り、皆参加する事になる。
 夏休み前には、参加の申請を行う。
 そして、クラスごとに、班が決められる。男女3人ずつの班だ。くじ引きで決めると言っていたが、先生が、全員参加なので、今の班のままで参加するようにしましょうといい出した。
 僕と、彼女は同じ班だ。2泊3日。彼女と一緒にいられる。僕の心臓は、今までにないくらいに早くなっていた。

 課外授業は、学校近くの700m程度の山の頂上付近にあるキャンプ場で過ごす。
 テントを張って、その中で寝泊まりする。男女ごろ寝だ。今では、考えられないことが平気で行われていた。

 私は、一番出口から遠い所を選んだ。
 そして、他の男子は奥に陣取った。自然と、女子が隣になる。私の隣には、彼女が寝る事になった。

 彼女が、二日連続で夜に起き出すハプニングがあった。彼女が起き出して、外に出ていく、必然と私も起こされた。キャンプ場で、外は月明かりがあるとはいえ、小学生女子が1人で歩くには怖い環境だ。そして、私たちがテントを張った場所は、同じ班に居た、私の親友がくじ引きで引いてきた、一番端だった。
 何が有ったのかは、覚えているが、思い出してはダメな事だ。この日を堺に彼女と私の距離が一気に縮まったのは間違いない。

 中学校に上がる頃には、僕と彼女は深まっていた。

 そして、”今更なこと”を彼女に告げた。

 ”好き”

 その言葉を絞り出すように告げた。
 今ならはっきりと分かる。告げてはダメな気持ちと言うのが存在する事を・・・。

 彼女は、私の気持ちを受け入れてくれた。これが、間違いの始まりだ。

 小さな町で、私たちの事はすぐに同級生だけではなく、近所の人も知ることになる。

 そして、中学校に通うようになる。僕と彼女の仲は変わらない。一緒に昼ごはんを食べて、お互いの家に遊びに行ったりしていた。

 僕は、彼女以外いらない。彼女も僕以外いらないはずだった。
 一年生の時には、違うクラスになった。二年生で同じクラスになった。

 そして、受験の足音が聞こえ始めた三年生になる前の春休みに1つの事件が発生した。

 違う。これは間違っている。
 事件は既に発生していた。僕が、それを見ようとしていなかったからだ。彼女は、部活で、先輩や同級生・・・そしてコーチからいじめをうけていた。辛いのならやめればと何度か言った。でも、彼女は笑って大丈夫と返してくれた。
 この頃には、僕の彼女はお互いの身体を何度も重ねていた。

 春休みに入ってすぐに、珍しく寒い夜。
 彼女から、僕に電話が入った。僕には、弟が居て、弟のサッカークラブの合否判定が来る夜で、話ができない。

 僕は、厚着をして、近くの公衆電話に急いだ。
 そこから、彼女の家に電話した。すぐに彼女が電話に出てくれた。

 でも、彼女は一言だけ僕に聞いた

「ねぇ私の事好き?」
「当たり前だろう」

 即座に返事を返す。僕に取っては、言わなくても解っている気持ちだと思っていた。

「違うの・・・ううん。違わないけど、違うの?」

 そして、しばしの沈黙が流れる。
 10円が消費されていく音が聞こえる。

「ねぇ・・・私の事、いつまでも好きで居てくれる?」
「もちろんだよ。僕は、君の事が好きだ。愛しているよ」
「嬉しい・・・ありがとう。でも・・・ううん。なんでもない。おやすみ。私も、大好きで、愛している。さようなら」

「うん。おやすみ。またね」
「・・・ごめん」

 そう掠れる声で一言だけ言って、彼女との短い電話は終わった。

 春休みが終わって、新中学3年生になった僕は、張り出されたクラス分けの紙を見て唖然とした、彼女の名前が無かった。
 先生に詰め寄っても、曖昧な答えしか帰ってこない。

 最後には、あとで話があるから職員室に来い。僕と、幼馴染が二人呼ばれた、周りの同級生はまた何かやったのだな程度に思っているのだろう。僕も幼馴染も、何度か二人揃って職員室に呼び出されている。
 しかし、今日は心当たりがない。

 先生は、そう言い残して、逃げるように、僕の前から居なくなっていた。他の先生も1人も居なくなっていた。

 そして、一通りの儀式を終えて、皆が帰り支度をして帰り始めてから、僕と幼なじみは、一緒に呼び出された職員室に向かった。

 そして、職員室について直ぐに先生に話しかけた。
 ここで無くて、校長室に一緒に来てくれ。そういって、深刻な顔をした先生は、ほかに何も言わずに、校長室に歩き出した。校長室には、何人か見たこともない人たちが深刻な顔でそこに居て、なにかを話している。

 僕が理解できたのは、彼女にもう二度と会うことができないことだけだ。
 そこから後、そこで何を言われたのかまったく覚えていない。覚えているのは、涙が止まらなかったこと、春休みの寒い夜彼女からかかってきた一本の電話の内容と、その時に聞いた”ごめん”の言葉。

 その言葉から悟ればよかった、彼女の家まで走ればよかった。彼女を、連れ出せばよかった。

 彼女を、彼女を、彼女を、彼女を、彼女を、彼女を、彼女を、僕はなにができた?僕が悪い。僕が、彼女を、彼女を、彼女を・・・

 幼かった自分への罪悪感と後悔の想いだけが残った。

 それから、暫くして彼女の実家も空き家となり、家が解体され、人手に渡って、私の心に風穴を開けた以外は、何事無かったように時だけが過ぎていって、誰も、そこに彼女の家族が住んでいた事。そして、僕と彼女が最後に話した電話。

 僕は、町を出た。居たくなかった。同級生は、僕の事を、哀れみで見る。幼馴染以外は・・・。僕は、町を捨てた・・・。僕が町に捨てられたのかも知れない。どちらでもいい。僕は、市の学校に進学した。学校なんてどこでも良かった。早く独立したくて、工業高校を選んだ。部活なんてやりたくなかった。でも寮がある部活があった。僕は、寮に入る選択をする。忙しく部活や勉強をしていれば、忘れられると思った。

 高校卒業を控えた時に、久しぶりに幼馴染から連絡が入った。
 電車で30分の距離が遠く感じる帰省だ。僕は、幼馴染と逢って話す事ができた。

 彼は、僕に隠していた事があると告白した。
 彼は、彼女に相談されていたとのこと、”いじめ”に合っていると・・・。僕も、話は聞いている。でも、聞いている話と、彼が話す話があまりにも違いすぎる。

 彼女は、僕にだけは言わないでほしいと懇願してきたと、彼は話した。

 原因が、僕にあるためだ。

 彼も詳しい話は知らない。と、前置きをして話し始めた。

 僕は、原因まで知らない。僕が知らない事を彼が知っている。その一点で、嫉妬心が芽生えなかったと言えば嘘になる。

 彼は、僕の気持ちが解るのか、ゆっくりと語りだす。
 
 彼は誰の事を話している?僕と彼女の事?

 彼は、彼が信じる真実を、僕に話してくれている。僕は、それを聞いている。僕の知らなかった彼女がそこに確かに存在している。彼女は、僕が、彼に話していると思って、僕と身体を重ねた事も話していたようだ。彼は、笑いながら、彼女に”奴から聞いたのは、キスした事までだ、それもファーストキスの場所は意地でも言わなかったぞ”と教えたら、彼女は真っ赤になって、忘れてと言ったそうだ。
 彼女は、彼に散々のろけたそうだ。彼もそれを黙って聞いてくれていただろう。

 いつしか、それが相談になっていったらしい。

 彼は、僕に聞いてきた。
「なぁ彼女を”いじめ”ていたグループのトップに心当たりはないか?」
「え?知らない。部活って話だから、部活の奴らを捕まえて問いただしても、”ごめん”としか言われなかった」
「そうか、部活・・・だと思っていたのか・・・」
「?」

 疑問符しか出てこない。
 彼は、どうしてそんな事を聞くのか?

 彼はゆっくりと、息を吐いてから、

 僕に、信じられない名前を告げます。彼が、人を貶めるような事をしないのは、僕が一番解っている。その彼が告げた名前が、僕には信じられなかった。

 その名前は、一学年上の先輩で、子供の頃”女性”とは知らずに、一緒に遊んでいた人物の名前でした。
 勿論、彼も先輩の事は知っていますし、幼馴染の1人で間違いない。よく遊んでいた”仲間”なのです。

 そんな人の名前を冗談でも出すような、彼ではない。

 僕には思い当たる理由が一つだけある。
 それを口にすることはできない。彼に告げて、声に出す事で、全てが崩れ去る。

 彼が、彼女の事を、先輩の事を好きだと知っている。

 彼は私の目を見たまま何も語らない。
 非難しているのでは無い。

 僕がこれから語る残酷な事実を受け入れると言っているように思える。

 彼の目を見ながら、時間だけが過ぎていく感覚がある。1分なのかも知れない。30分なのかもしれない。それを知る必要が無いことは、僕も彼も解っている。このまま、話を終わらせる事ができないことも解っている。

 僕は彼に向かって、答えを提示します。
「彼女。僕に好きだと言ってきた。その時に、僕は彼女が好き。そう答えたのが、原因なのか?」

 彼は、黙って頭を下げた。
 その瞬間、私の中で何かが弾けた。それから、彼にマシンガンの様に問いかけたのは覚えているが、何を問いと居かけたのを覚えていない。

 もう既に、その時の事を彼に問い返すことも、共有する事もできなくなってしまった。
 彼もまた、彼女の所に旅立ってしまった。

 彼と話をしてから1ヶ月1ヶ月。
 前日からふり続いている大雨で、何のかもが嫌になってしまった。

 そんな朝、寮に届いた新聞に、認識できない事実が載っていた。
「高校生が運転するバイクが、中央分離帯に激突。運転する高校生死亡」

 僕が、それを見ることを待っていたかのように、寮の電話がなり、近くに居た僕が電話に出た。

 電話は、彼のお兄さんからだ。
「昨日の夜、バイクで事故って、病院に運ばれる途中で息をひきとったんだ。それで、急で悪いんだけど、告別式をやるから来てくれないか?」

 そう冷静な声で言われて、なんの冗談かと現実の話か判断できないでいた。
 僕に、お兄さんは言葉を続けた。

「それで、もう一つお願いがあるんだ、救急車で運ばれていく最中・・・弟が、”君に余計な事を言った”とすごく気にしていて、謝りたいから、直ぐに呼んでくれって言っていたらしいんだ。それは、叶わなかったからせめて弟に君から言葉をかけてやってほしい。いいかな?

 受話器を持つのが精一杯の僕にお兄さんは言葉を続けた
「返事は、来てくれた時で構わないから。最後にひと目だけもで、君に逢いたいだろうと思うから、来てくれると嬉しいよ」

 そういって、僕の返事を待たずに、お兄さんは電話を切った。

 僕は、逃げるようにその場を離れ、雨のなか何も持たずに、地元へ向かう電車に飛び乗った。

 電車を降りた所で、警察を名乗る人物に話しかけられた。
 彼の乗るバイクのブレーキに細工された痕跡が見つかった。何か心当たりは無いかと聞かれた。

 心当たりも何も、彼がバイクに乗っている事も知らなかった事を告げた。
 警官は、なにか考えてから、なにか思い出したら、一報下さいと、電話番号が入った名刺を僕に渡してきた。

 僕は、雨降るなら、僕の事を、置いていってしまった、彼女と彼との思い出だけが残っている 寂れた港に向かっていた。なぜ、そこに足を運んだのかわからない。でも、港に近づくと、港から、彼の声が聞こえるのではないかと思っていた。彼女と初めてキスをした場所は、彼女が雨の日に僕に微笑んでくれた場所だ。その場所も、あの頃と変わらないで残っている。

 死のうとは思っていなかった、死んでいってしまった者たちを恨む気持ちは無い。
 ただ、ただ、独りになってしまった事への寂しさだけが込み上げてくる。こみ上げてきては、雨に流されて、波に飲まれていく。そして、新たな思い出がこみ上げてきて、雨に流されていく、想いや思い出が昇華されるかのように、繰り返される。それでも、彼女への想いは消える事がない。彼との思い出がなくなる事はない。

 僕は、雨に打たれながら・・・・。

 そして、雨に流されながら・・・・。

 そして、1人の女性が傘を持ち、僕に微笑みかけてくれた・・・。

 違う。彼女ではない。彼女をいじめという最低な方法で追い詰めて、自殺という最悪な結末まで持っていった女だ。
 右手で、彼女と同じ赤い傘を持ち、左手にナイフを握って、僕を見ている。彼女と同じ様に、微笑んでいる。ナイフは、鈍く光っている。まるで、工業オイルの管を切った時のように、ナイフが汚れているのだろう。

 女は、僕の方に歩いてくる。
 僕は、雨に打たれながら、女が側に来るのを待った。

 女は僕の近くに来ると、ナイフを振りかざした。
「君が悪いんだよ。あんな女。私から、君を奪った、あの女が全て!!!」
「すべて、君が悪いんだよ。彼が死んだのも、君が私の町から出ていったのも、彼がいじめたからでしょう?大丈夫。もう排除したから、だから、安心して帰って来て、どこにもいかないように、縛り付けて、私だけを感じさせてあげる。いつもしているように、沢山気持ちよくしてあげるよ。あんな女の事なんか忘れさせてあげるよ。だから、だからぁぁ、もうぅぅぅぅどこにぃぃぃxも、いかないってぇぇぇやくそくぅぅしなぁぁぁさい!!!」

 女の左手が僕の身体を狙っている。
 すごくスローモーションだ。

”ゴン!”

 なにが起こった?
 女が持っていた、彼女が好きだった傘と同じ赤い傘が、海に浮かんで波にもてあそばれている。女は、その場で倒れ込んでいる。

 手に持っていたナイフは、海とは反対方向に投げ出されていた。

 雨が僕に味方してくれた?
 わからない。わからないが、目の前では、警官が彼女を拘束して連れていく・・・。

 これで終わったの?
 彼にそう報告していいの?

 そうだ、警察なら、彼女のご両親の事を知っているかもしれない。引越し先がわからなかった。でも、彼女を追い詰めた奴が解った事を教えてあげないと・・・余計なお世話かも知れないけど・・・。

 僕は、雨に打たれながら、雨が涙を流しているのを感じながら・・・。赤い傘が、波にもてあそばれて、沈んでいくのを眺めていた。

fin

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2020/03/22

【近くて遠い50cm】最後の一歩

 僕が彼女を意識し始めたのは、何時だっただろうか?

 彼女が、僕に向かって
「ちょっと家まで遠いけど送ってくれる?」
 送った時に話した事がきっかけだったのだろうか?

 彼女は、1つ年下の19歳になる大学生。話を聞いて初めて知ったのだが、僕と同じ大学の2つ下の学年になる。

 僕と彼女の出会いは、バイト先が同じになったことがきっかけになる。
 バイト先も同じだし、同じ大学に籍を置いている、話そうと思えば話せる関係にあるし、メールアドレス・電話番号も知っている。

 同じ時間を共有する機会は多く存在している。

 しかし、僕と彼女の距離は大きく離れている。離れている50kmが、短く感じてしまう位遠い場所に彼女は居る。

 僕のこの気持ちを彼女に伝えることが出来ないでいる。この想いを気持ちを、僕の中に閉じ込めておくべきなのかもしれない。

 僕は、彼女を近くに感じる、日々を過ごしていた。しかし、そんな日々に僕は満足していたのかもしれない。
 想いを伝えることで彼女と時間を共有する権利を失うくらいなら・・・。

 バイト先で、イベントが催されることになった。バイト先の関連会社が、新たにキャンプ場をオープンする。新装オープンを記念して、常連さんを交えてバーベキュー大会をやろうって事になった。勿論、店員やバイトに、全員参加が言い渡された。

 大学でもそうだが、僕は貧乏くじを引いてしまう癖があるようだ。車を持っていて、1番の下っ端の僕が、買い出しを行って、設営の準備をやることになってしまった。

 悪いことばかりではなかった。

 彼女の迎えを、僕がやることになったのだ。彼女は一人だけ、遠いところに住んでいて、朝早くからの準備はキツいが、バイトの人数も少ないので、彼女自身も”朝から参加する”とのことだ。そこで、車を持っていて、朝から準備をする事になっている、僕が迎えに行くことになった。

 これは嬉しい誤算だ。

 大学から帰って来て、すぐに洗車場に行った。普段なら、簡単に洗うだけだったが、昨日は、お金をかけて、プロに中まで綺麗に清掃してもらった。彼女を乗せるのだ、当然のことだ。タバコを吸わないので、匂いは大丈夫だと思ったが、消臭効果が高い物を購入した。エアコンを使う季節ではないが、エアコンのフィルターの洗浄もお願いした。ガソリンは満タンにしてある。

 陽が昇る前に、僕は、はやる気持ちを押さえてエンジンに火を入れた。

 一秒でも早く彼女の下に行きたい。普段なら使わない高速を使って彼女が住んでいる街に急いだ。
 予定の時間よりも大分早く着いてしまった。このまま訪問しては、彼女はまだ寝ているかもしれない。そして、どういう顔をして訪問したらいいのか解らない。誰も僕の想いを知らない。

 不自然な態度よりも自然に接した方がいい事は解っているが、できるだろうか?

 ここまで来て迎えに行かないわけには行かない。そんな事を車の中で考えている内に、約束の時間が近づいてきた。まずは、彼女に近くまで来ている事をメールで伝える。

【10分位で着きます】

 それだけのメールを打つだけで、僕の心臓は信じられない位の速度で動いている。そして、8分30秒が過ぎた。

 僕は、勇気を振り絞って彼女の住んでいる部屋に歩を進めた。

 彼女の部屋は、2階だ。階段を上がって、彼女の部屋の前に着いた。彼女の部屋は前に、一度送っているので知っている。しかし、前と状況が違う。彼女は起きているのか?早い時間なのに、迷惑じゃないのか?着替えをしている最中だったら・・・。余計な事ばかり考えてしまう。

 そして、僕の心臓が信じられない音を立てている。心臓の音がドアを通り越して、彼女に聞こえてしまわないか心配になるくらいだ。

 僕は、彼女の部屋のベルを鳴らした。
(ピンポーン)

 インターホンから、彼女の声が聞こえてきた。
「江端さん?」
「おはよう。江端です。約束より早いけど」

 カメラがあるから、僕だってわかるはずだ。
 僕はそう言ったつもりで答えたが、彼女に聞こえたかどうか不安になった。声が震えていたかもしれない。心臓の音が聞こえたかもしれない。それが彼女が気がついたかもしれない。

 しかし彼女からの返事はあっけない物だ。
「うん。すぐ行くから、待っててね」

 僕は安堵と共に、少し残念な気持ちになった。

「うん。下に車止めているから、車で待っているよ」

 5分位して、助手席を叩く音がして、そちらを見たら彼女が笑って手を振っている。僕は、急いで助手席のドアを開けた。彼女が助手席に乗り込んで来た。

「お待たせ」

 彼女は明るい笑顔で、僕にそう言ってくれた。凄く幸せな気持ちになることができた。

「じゃぁ行こうか」

 彼女は、僕を促した。
 会場に向かう道を、僕は海沿いの道を選んだ、この時間帯なら空いている。それが理由だが、早く行くのなら、高速を使えばいい。でも、僕はあえて、この道を選んだ。彼女とこの道をドライブしたかった。

 彼女は、車の窓を開けながら・・・呟いた。
「気持ちいいね」

 僕には確かにそう聞こえた、それが僕に言ったセリフなのか解らなかった、僕は返事ができないでいた。

 彼女は、海を見ながらまた呟いた。

「朝日が照らされて綺麗だね」

 僕は心の中で、(朝日も素敵だよ)そう思ったが、口に出す勇気は無かった。

 楽しいドライブも終焉に近づいてきた。
 左車線に入るために、ドアミラーを見ようと思った、後方を確認しようと思った時だった、意識しないつもりで居たが、彼女の姿が視界に入ってしまって、僕の視線は彼女に固定されてしまった。そのせいで、車が安定を失い左右に動いてしまった。

「大丈夫?どうしたの?」

 彼女は不安そうに、僕に話しかけてきた。

「うん。ごめん、大丈夫だよ」

 (君の姿が視界に入って、確認が出来なかった)
 そんな事を言うことができない。
 他愛も無い会話でさえも貴重に思える僕がいる。そして、その貴重な時間を今共有できていることに喜びを感じている。

 もうすぐ待ち合わせ場所に着いてしまう。買い出しの時間はあるが、それは二人だけではない。
 彼女と一緒に居る時間は、刻一刻と終焉と向かっている。

 彼女はすぐ隣にいる。助手席までの距離 50cm 手を伸ばせば届く距離に居る。でも、50cm の物理的な距離よりも遠く感じる。彼女が、助手席に座っている。届く距離ではあるが、届く距離ではない。何もかもが遠く感じる。僕には、この距離を埋めることが出来ない。このままなら、何も変わらないことは解っている。

 今の僕には、何も出来ない。このまま彼女の居ない平凡な日々を過ごすことは考えられない。しかし、僕には 50cm を埋める事が出来ない。
50cm などすぐに埋まる距離だ。

 指示された場所に付いた。そこは、キャンプ場には見えなかった。それに、まだ誰も居なかった。
 少し早かったのだろう。店長に電話してみたがつながらない。

「ごめん。早く着きすぎたみたい」
「いいよ。待っていよう」

 助手席に座ったまま笑いかけてくれた。

 彼女の携帯が鳴った。画面を確認している。僕からは見えない。見てはいけない。

「ちょっとごめん」

 そう言って、彼女は車から降りて、少し離れた所で、電話に出るようだ。誰だろう?こんな時間に?彼氏?
 彼女は、すごく”モテる”わけではないが、”モテない”わけではない。大学でも、可愛い方から数えても上位に来るのは間違いない。でも、彼氏が居るという話は聞いた事がなかった。

 時計を確認すると、5分くらい経っただろうか。僕には、1時間にも2時間にも感じられた時間が過ぎて、彼女が戻ってきた。
 何やら嬉しそうな雰囲気がある。やっぱり、彼氏だったのだろうか?彼女は、そのまま助手席に座った。

 彼女が戻ってきて、何を話そうかと思っていたら、僕の携帯が鳴った。フロアマネージャーだ。

「おぉ江端。悪いな。少し遅れそうだ。貴子。居るだろう?」
「えぇもちろん迎えに行きましたからね」
「そうだったな。それじゃ悪いけど、二人で、荷物の受け取り頼むわ。お前の車ハッチバックだよな?」
「荷物?」
「貴子の指示に従ってくれ。なんか、常連さんが告白したいらしくてな。協力する事になってな。そのための物の受け取りを頼む」
「え?僕、そんな話し聞いていませんよ?」
「そうだったか?ワリぃ伝えたつもりで居たワ。買い出しとかは、俺がしておくから、頼むな」
「え?あっわかりました。朝日さん」

 フロアマネージャーは、言いたいことを言って、電話を切った。かけ直しても、呼び出し音がなるだけで出てくれない。

「誰から?」
「あっフロアマネージャーから、それで、荷物の受け取りを頼まれたのだけど、朝日さんの指示に従えって言われたけど?」
「うん。大丈夫。それじゃ行きましょう」
「わかった」

 僕は、彼女の指示通りに、車を走らせる。この辺りに住んでいないのに、土地勘が有るかのようなナビで、目的地には迷わずに付けたようだ。

「ここでいいの?」
「うん。ちょっと行ってくるから待っててね」
「うん」

 そこは、有名な洋菓子屋だ。ここのケーキが好きでよく食べている。バイト先にも、何度か持っていったことがある。彼女は、中で店員となにか話している。時折、店員がこっちをみて笑っているように思える。彼女は、その都度うつむいて何かを言っているようだ。少し大きめの箱を彼女が持ってきた。

「うしろ。大丈夫?」

 トランクルームも綺麗にしてよかった。
 学校で使った物とか全部部屋に放り込んである。

 甘い匂いがする?ケーキだろうか?滑り止めのシートをしておく。ずれないように、ネットで固定しておけばいいだろう。あとは、安全運転すればいい。

「疲れちゃった」

 彼女は、手をプラプラしていた。
 確かに、ケーキとはいえ、20cmを越えるような物だったから、重たかったかも知れない。それ以上に気を使ったのだろう。僕は、助手席の方に廻って、ドアを空けた。彼女は、嬉しそうにしてくれた。映画とかでよくあるシーンだ。彼女の荷物を一度僕が預かって、片手を出す。彼女は、解ってくれたようで、手を握ってくれた。手に心臓ができたかと思うくらいにドキドキして、彼女の熱が伝わって、手が熱くなる。

 彼女に握られた手がまだ熱い。

「あっもう1ヶ所いい?」
「ん?いいよ?どこ?」
「バイトとか関係無いんだけど、知り合いの部屋なの?ダメかな?」
「いいよ。時間も余裕が有るだろうし、問題ないよ」
「ありがとう!」

 誰だろう?知り合い?大学の?それとも、彼氏?
 彼女のナビに従って、車を移動させた。少し大きめのマンションの前に付いた。彼女は、少し待っていて欲しいと言って、マンションの中に消えていった。どの部屋だろう?見ていてもわからない。やっぱり、彼氏なのかな?

 僕的感覚で、3時間ほど経ってから彼女が戻ってきた。
 大きいバッグを持ってきていた。荷物からは、男物の香水の匂いがする。やっぱり彼氏なのだろう・・・。

「もう。大丈夫だよ。行こう」
「ん」
「どうしたの?なにかあった?」
「ううん。なんでもないよ」

 そういうのが精一杯だ。
 彼女を乗せたまま、車を走らせる。

「そう言えば、江端さん。猫好きだったよね?」
「え?そうだけど?なんで?」
「ん。小耳に挟んだ」
「・・・フロアマネージャーが言っていたの?」
「そんな感じ」
「ふぅ~ん」
「どんな猫が好きなの?」
「うーん。どんなって聞かれると困るけど・・・暫く。猫は・・・」
「どうして?」
「うん。実家に住んでいた時に、飼っていたけど、今の所に引っ越してから、ペット禁止だからね」
「そうなの?」
「それに、僕・・・2年前に・・・」
「ん?」
「ううん。なんでもないよ。ペット禁止だし・・・ね。それに」
「それに?」

 信号で車が止まった。
 彼女の表情を見たくて、助手席の方を見て

「それに、好きだから、無責任な事はしたくない」
「え?あぁ猫の事だよね」

 何を、そんなにびっくりするのだろう?彼女から振ってきた話なのに?
 待ち合わせ場所に着いたが、誰も居ない。

 彼女がなにか携帯を操作している。彼氏に連絡でもしているのだろうか?

 僕の携帯が鳴った。また、フロアマネージャーだ。
「ごめん。フロアマネージャーから」
「うん。いいよ」

 今度は、彼女に断ってから電話に出た。
 彼女は、僕が電話に出た事を確認して、携帯を持って、車から降りた。彼氏に電話でもするのだろうか?彼女の事が気になって仕方がない。やはり、電話をしだした。彼氏と話しているのだろう。何か、慌てているし、手振り身振りをし始めた。正直、すごく可愛い。

「おい。江端!聞いているのか?」
「え?あっすみません。聞こえていませんでした」
「ウソつけ、貴子を見ていたのだろう?」
「え?え?」
「お前が、貴子に好意を寄せているのは、常連含めて全員知っているぞ?」
「は?」
「今日、お前以外には、待ち合わせ時間は2時間遅い時間になっている」
「えぇぇぇ??」
「貴子だけだろう?告白しろよ!」
「いやいや。なんで?はぁ?」
「いいな。フロアマネージャー命令な!貴子に、告白しろ!」
「いや、だって、彼女、彼氏が居るでしょ?」
「ハハハ。わからんぞ、江端。お前は、お前が思っている以上にいい男だぞ!根性出せよ!それじゃぁな。あぁ待ち合わせ場所も違うからな。本当の場所は・・・今は、内緒だな」

 それで、電話が切れた。
 え?常連さんへのサプライズのためのケーキを持っているから、待ち合わせ場所には行かなきゃならない。
 え?は?なんで?
 驚いて、車を降りてしまった。それから、何度電話しても、フロアマネージャーどころか、バイト仲間、連絡先を知っている常連さん。誰も出ない。まるで、僕と彼女だけしか居ないように思えてくる。

「ねぇどうしたの?」

 彼女がいつの間にか、電話を終えて、僕の側に来ていた。
 首をかしげて、途方に暮れる僕の顔を下からのぞき見ている。

「フロアマネージャーは、なんだって?」

 言えるわけがない。

「ねぇ?」

 くそぉ本当に可愛いな。

「もう、あれだけヒント出したのに?」
「え?」
「フロアマネージャーに何を言われたの?」

 そういえばさっきの電話で、””や””と、言っていた。

「うん。1分。いや、30秒・・・いや、10秒待って」
「わかった。後ろ向いているから、気持ちができたら、肩叩いてね」

 彼女は、僕に背中を向けて、数を数え始めた。

 彼女のカウントが3になった所で、僕は、彼女の肩を叩いた。初めて、自分から彼女に触った。

「うん。それで、なに?」
「うん。僕は、キミ。朝日貴子さんの事が好きです。彼氏が居るのも解っている。でも、好きな事だけでも伝えたい。迷惑かも知れないけど・・・僕と付き合ってください」

 全部言えた。考えていた事とは違うけど、迷惑にしかならないだろうけど、やっと言えた。

「やっと、言ってくれたね」
「え?」
「克己さん。私、貴方の事を、2年前から知っていました」
「え?だって、バイトで・・・」
「うん。そうですね。克己さんが、バイト始めたのは、1年前ですよね。私がバイトに入ったのは、その少し後・・・だから、知り合って1年経っていない。ううん。正確には、今日で1年ですよ」
「え?」
「2年前の雨の日、克己さん。捨てられた子猫」
「あっ!」
「思い出してくれました?雨の日に、保健所に連れて行かれそうになっていた2匹の子猫を、保健所職員から奪って、自分がなんとかしますと言ったのを、動物病院に連れて行って、病気やノミのチェックを頼んで、有り金全部置いて、足りない分は、また持ってきますと言った事を、必死に里親を探したのを、見つかったのは、4日後ですよね?」
「え?なんで?」
「あれ、お兄ちゃん。あっ従兄弟なんですよ。さっき寄ってもらった部屋なのですけどね」
「え?」
「あぁちなみに、朝日健吾って名前です。聞き覚えは?」
「・・・・あっフロアマネージャー!」
「だから、さっきの荷物は、彼氏の物じゃ無いですよ」

 そう言って、彼女はクスクスと笑った。

「え?なんで?どうして?」
「ねぇ克己さん。私の事好きなんですよね?」
「好きだよ」
「私の事、彼女にしてくれるのですよね?」
「うん」
「私の事、大事にしてくれますか?」
「もちろん」
「大好きな猫よりも?」
「もちろん・・・です」

「なんか怪しいなぁでも、嬉しい。私も、2年前から貴方の事が好きだった!」

 彼女は、僕に抱きついてきた、僕も彼女を抱きしめた、あの時あった50cmの距離がなくなった瞬間だ。
 そして、彼女のくちびるに触れるようなキスをした。

 彼女の電話が鳴った。彼女が笑いながら、僕に携帯を渡してきた。
 店長の声が聞こえてくる。
「おぉ江端。やっと言ったな!次のシフト覚悟しておけよ!」
「え?今日は?」
「はぁお前は・・・まぁだからなのだろうな。朝日さんの部屋に行け。バイトは今日は休みだ。朝日さんを幸せにしろよ。店長命令だ!」

「店長はなんて?」
「ねぇもしかして、全部、僕・・・はめられた?」
「イヤ?」
「ううん。すごく嬉しい!」
「それなら良かった。サプライズ成功だね。それから、さっきのケーキ。猫も食べられるケーキ何だよ。4人で食べようね!それから、私の部屋二部屋あって、一部屋空いていて、家賃高くて困っているのだけど、誰か、安心できる人で、私を一生大事にしてくれて、猫好きな人って知らない?」
「え?だって、親御さん」
「大丈夫。私のパパ。ママとは離婚しちゃっているけど、店長だよ。それで、店長命令は何だって?」
「ちょっとまって」

 店長に電話する

「なんだ。江端!まだなにかあるのか?」
「朝日さんを一生大切にします。絶対に幸せにします」

 それだけ言って電話を切った。
 彼女が持ってきた、荷物は、ペットシートや餌や猫砂だった。

 それから、僕は、大学から離れた場所から通っている。二人で!
 そして、二人の荷物で重なっていらない物を捨てた。

 可愛い猫二匹と、可愛い彼女と、新しい生活を始めるために・・・僕は、彼女への気持ちを隠す気持ちを捨てた。

「ねぇなんで、私よりも、コウとハタに先にキスするの?」

 彼女を抱きしめて、深いキスをする。
 そして、今日、お互いのベッドを捨てた。広い大きなベッドが届くからだ。

fin

2020/03/22

【嘘と裏切り】彼と彼女の選択

 彼は、僕にこんな感じで話を切り出した。

「彼女は僕を好きでいてくれるし、僕も彼女を愛している」

 彼には家庭がある。
 その事実を、彼女には告げているという。裏切りが成立してからの恋。

 これほど残酷な結末を二人以外に強いる関係ははない。僕は、不倫を否定するつもりはない。僕には出来ない、ただそれだけだ。

 僕の持っている”物”で、約束できることは、

 ”裏切らないこと”

 話すことに”嘘”を、入れないこと。聞かれていない事や聞かれたくないことは、そう答える。それが唯一、僕が、恋人や、好きな人たちに言っていて実行していること。だから、僕には不倫は出来ないと思っている。

 彼は、奥さんとの仲が悪いという。だから、自分に好意を寄せてくれる女性に引かれた。それが好意に変わったのだと言う。もう、彼女なしでは居られないし、凄く大切に思っている。

 僕は、彼に問いただす。
「奥さんと別れないの?」

 彼は言う
「別れようとは思っている。でも、それは今じゃぁない。もう少したってからだ」
「なんで?もう、奥さんに気持ちがないんでしょ?それに、リスクを考えている?」
「リスク?」
「そう、奥さんから見たら浮気だよ。お互いに気持ちが無いのなら、弱みは君に有ることになるんだよ」
「わかっているよ。だから、時期を見て、別れようと思っている」
「ふ~ん。それは”別れない”と言っているように聞こえるよ」

「なんで? 別れようとも思っているし、彼女の事は真剣に愛して居るんだよ」
「奥さんと結婚した時も同じ気持ちだったんでしょ?」
「そうだけど、気持ちは変わる物だからね」

 ”気持ちは変わる”この言葉は、彼が口にしてはいけない台詞

「君が、今言った台詞を、彼女に言える?」
「言えるよ」
「言えるのなら、さっさと離婚の話をして、奥さんを傷つけないようにしないと、本当にリスクを追う事になるよ」
「だから、何がリスクなんだ?」
「彼女に、リスクが覆い被さるって事だよ。いいかい。君と奥さんは、既に心が冷め切っていて、”夫婦生活が成り立っていない”と、言っているけど、そんな事は、浮気の理由にはならない。奥さんが、浮気の実態を知った時に、どっちにしろ離婚する事になる。君は流されてラッキーくらいに思っているのかもしれない。それに、奥さんが、彼女を相手取って慰謝料の請求をする可能性もある。実際、過去に事例もあるし、この場合不倫だと解って付き合っていた、彼女側に不利益な判断が下される。全部解っているのか?」
「あぁそうだ。でも、妻は裁判なんて起こさないし、彼女に無茶な事を言ってこない」

「本当にそう思うかい?君が今やっていることを、奥さんがやっていたとしたらどう思う?君は、気持ちが冷め切っているから、すんなりと別れるかい?相手の男には文句の1つも言わないのだね。でも、奥さんには慰謝料の請求はするよね?君がしている事は、そう言う裏切り行為なんだよ。だから、2重に裏切っているって言って居るんだ」
「妻には悪い事をしているって認識は持っている」

「まぁ話を聞け。君の不倫。違うな、恋愛をとやかく言うつもりはまったくない。ただ、不幸になる女性が居るのが許せないだけなんだ。いいかい。奥さんが、離婚に踏み切るとして、慰謝料の支払いが間違いなく発生する。それも、浮気を行った君が全面的に悪い。例え、夫婦仲が冷め切っていたとしても、奥さんが裁判をおこして”自分は夫を愛していました”と、涙ながらに語ったら、どう思うだろうね。完全に非は君にある。この事実だけでも、奥さんが不幸になる」

「まぁそうだろう。その位の覚悟はしている」
「覚悟をしていると言うのなら、奥さんが気がつく前に、彼女の存在がはっきりとする前に、何故離婚しない。それは、彼女を裏切っている事にもなる」
「あぁ解っているよ。だから、離婚は考えている」
「”考えている”するかどうかは解らないって事だよね?」
「違う。違う」
「何が違うんだい?いいかい。本当に彼女の事を思っているのなら、彼女に我慢させるな。彼女が我慢しているのは、君の傲慢さから来ている。お互い我慢しているなんて思うな。この恋愛が成就した時には、彼女は足かせを持った状態からのスタートなんだからな」
「解っているよ。だから、彼女がしたいと思っている事。やりたいと思っている事。全部叶えるつもりでいる」
「違うよ。彼女が求めているのは、そう言うことじゃぁない。些細な幸せなんだよ」

 僕と彼との話は平行線になる事は解っている。価値観が違うのだろう。
 僕には、守るべき物が、自分が言った台詞だけで、それが嘘にならなければいい。そして、自分を必要と言ってくれている人たちを裏切らないで居ればいい。でも、彼には守るべき地位と守るべき気持ちが沢山ある。

 多分、世間的には、彼の方が大人に見えるだろう。僕は、企業体に就職したがそこの水が合わなくて、企業体を転々と移っている。社会不適合舎なのだ。
 彼は違う。大手とは言えないが、そこそこ大きな会社に勤めて、着実に地位を上げて大きなプロジェクトも任せられる位になっているし、小さいとはいえ郊外にマンションも買っている。成功者ではないが、いい人生を歩んでいる。

 僕が許せないのは、彼女との結婚や旅行を口にするのなら、自分の足下をしっかり固めて欲しい。
 僕は、彼女の事は彼を通してしか知らない。彼から話を聞いて作り上げた彼女の像がまったく間違っているのかもしれない。その事を考えても、確実に言えることがある。お互い愛し合っているのだと思う。でも、それは足かせがあった状態での愛情で、何もなくなってしまった時に、実は何も残っていなかったって事にならない事を祈るばかりだ。
 そして、多分彼女が望んで居るであろう。些細な幸せが実現出来る事を祈っている。
 その些細な幸せを得ることが難しくて、いろんな恋愛の話が産まれているのだと言う事に、彼はまだ気がついていない。不倫カップルが難しいのは、お互いの努力だけではどうにもならない壁が存在していて、それが些細な幸せを奪うのだ。
 だから、幸せの形を手に入れた後に、どちらかが我慢したり、どちらかが抑圧されていると、壁が目の前に広がったときに、乗り越えることができなくなってしまう。

 そんなカップルを沢山見てきた。
 僕は、そんな経験から、裏切りだけはしないように・・・それがどんな形だとしても・・・。必然と偶然の長い狭間の間の出来事だとしても、もう誰も裏切りたくない。

///
 彼女は、僕にこう切り出した。
「優しいの。私の方を愛していると言ってくれるの」

 彼女は、この言葉を、何度も何度も、自分に言い聞かせるように僕につげる。
 僕が聞きたいのは、彼女が感じている真実ではなくて、具体的な事実だけなのだ、この日、僕を入れて、彼と彼女と、3人で逢う約束になっていた。僕が、贔屓にしている、雰囲気がいい居酒屋で話をする事にしていた。この店は、オープン当時から使っているので、多少の無理も聞いて貰える。この店は、半個室な状態になっていて、普段は一番奥は開けておくのだが、少し無理を言って奥を使わせて貰うことにした。ここは、3人掛けになっていて話をするのに都合がいいとおもったからだ。
 僕は、少し早めに店に着いた。彼から、遅れると言う連絡が入った。僕は、彼女の事を知らないので、ナビも出来ないし来ても判断が出来ない。彼に言って、僕の連絡先を彼女に伝えて貰って、先に来て貰う事にした。程なくして、彼女から新宿に着いたと言う連絡が入った。最寄り駅につたようなので、迎えに行くことにした。
 彼女と出会い、簡単な自己紹介を行った。
 彼女を伴って、エレベータに乗った。簡単に世間はなしをして、彼を待つことにした。

 席について、オーダーを行った。飲み物が来て、軽く飲んでから、彼とのなれそめを聞いていた。
「それで、彼とは、どうやって知り合ったの?」
「聞いていないのですか?」
「別に敬語じゃぁなくていいよ」
「あっはい」
「それで、出会いは?」
「ネットです。出会い系じゃぁ無いのですけど、チャットで知り合ったのです」
「そうなんだぁ」
「それで?彼が、結婚している事ははじめから知っていたの?」
「ううん。最初は知らなかった」
「そうなんだぁ」
「何回かデートした後に気になって聞いたら、教えてくれたんです。でも、奥さんとの関係は冷え切っていて、もう関係ないから、気にしないでって言われた」
「そうなんだぁ」
 もし、本当に気にしなくて良いのなら、電話もメールも自由に出来ると思うんだけどね。事実と真実が違っている。

「うん。凄く優しいし、エッチも上手いし、奥さんにはない魅力を感じているって言ってくれるし、私の方を愛してくれるって言ってくれるんです」
「そうみたいだね。君は彼の事が好きなんだよね」
「当たり前です」
「うんうん」
「それに、今は無理だけど、数年後には結婚しようねっと言ってくれるんですよ。私の事が好きじゃなきゃそんな事言ってくれないと思うんですよ」

 彼から聞いている話と殆ど同じだ。彼女の中では、彼女が感じている真実だけが重くて、そこから導き出される事実には目を向けていない。彼女が、彼のことを好きな事はよくわかる。よくわかるだけに、事実に目を向けるのが怖くなっている。

 僕は、凄く悩んでいた。真実だけを考えて、事実を見ようとしていない人に、事実を認識させるのは簡単な事ではない。彼の考えが許せないのであって、彼女にはなんの罪はない。彼女には、幸せになって欲しい。純粋にそう思える。

 でも僕はあえて、彼女にも事実を突きつける。
 お互いに、事実を認めた上で、答えを見つける事が出来ると思ったからだ。

 彼女に聞いてみた
「ねぇ彼の職業は知っているよね?」
「うん。詳しくは知らないけど、IT関連の技術者なんでしょ」
「そうだね。不規則な時間の中で仕事をしているんだよね」
「そうなんですよね。彼もよく今日みたいに、急に仕事で遅れるって連絡が入るんですよね。それに、泊まりは無理だから、どんどん逢える時間が短くなっちゃうんですよ」

 こんな話をしている時に、彼から連絡が入って、今ビルの下に居る。今からあがる・・・とのこと。
 彼も合流して、注文を行う。乾杯を行って、本格的に話をする事にした。彼を真ん中にする形で、私と彼女が向き合う様に座った。

「ねぇ遅れた理由は、嘘でしょ? 仕事じゃぁなかったんでしょ?」

 僕は、彼に告げる。

「いきなり何を根拠にそんな事を言うんだ」
「だって早すぎるよ。15分の遅刻だよ?彼女さん。いつも遅刻は1時間とかじゃぁないの?」
「えっそうですよ」
「・・・・」

 やはりな。彼は嘘を付いている。

「そうだね。実際の所は違うかも知れないけど、誰かと電話していて、違うな電話がかかってきて、時間に間に合いそうになったのでしょ?もし本当に、会議が長引いていたのなら、会議中に連絡は出来ないだろう。僕の連絡先を彼女に教える事も出来なかっただろう。もし逆に会議が終わってからの彼女に連作先を教えたのなら、彼女を待たせておいて、一緒に来ればいいだけだからね」
「・・・・」

「ねぇそうなの?」
「そんな事ないよ」
「まぁいいかぁ話を本筋に持って行こう」
「・・・・」

「えぇ奥さんとは、もう冷め切って居るんだよね?私の方が好きなんだよね?結婚してくれるんだよね?」
「答えてあげたら」
「そうだよ。奴とはもう冷え切っているし、君の方が好きに決まっている。時期が来れば結婚したいと思っている」
「だよね。私も、貴方の事が好きなの?好きで好きで毎日でも逢いたいし、毎日声も聞きたいし、メールもしたい」
「俺もだよ」

「じゃぁなんでそうしないで、彼女に我慢を強いるの?君は、奥さんとは冷え切って居るんだよね?」
「あぁそうだよ」
「じゃぁ家で電話しても問題無いだろうし、彼女から急な電話やメールも問題ないんだよな?」
「・・・・」

「・・・・。それは、奥さんに気がつかれると大変だから・・・・」
「何が大変なの?冷え切って居るんだし、彼も彼女さんと逢いたいっておもっているんだし、声も聞きたいし、メールもやりたい。何か障害があるの?」
「だって、不倫だ・・・よ」
「彼女さん。それは違う。君にとっては、純粋な恋愛だ。君が我慢する事がおかしい」
「・・・・」

「君に聞いて居るんだよ。彼女に我慢を強いて、君は彼女に何を与えているの?」
「・・・・」

「彼は、優しいし、私の方を愛していると言ってくれる」
「おまえに何が解る!!」

 彼は、立ち上がって、手に持っていた、コップを僕に投げつけてきた。
 壁にコップがあたって、割れる音が店中に響く。彼女の顔が青くなる。僕の、頬に赤い一筋の水分が流れ出る。

 店員が、慌てて、こちらに駆け寄ってくるのがわかる。
 手で、制してから

「解らんよ。相手に、不安と我慢を強いる関係なんて、僕には出来ないからね。前にも言ったけど、君は裏切りから恋愛にはいっている事が解っているの?」
「裏切り?」
「そうだよ。事実から目を背けない。彼は奥さんを裏切って居るんだよ」

「・・・・そうだけど、もう冷め切って居るんだから、裏切りにはならないと思う」
「彼女さんは優しいね。でも、僕は、君に聞いて居るんだよ。答えてよ」
「しょうがないだろう・・・おまえも解るだろう」

「解らんよ。本当に、彼女さんの事が大切で、守るべき存在だと思っているのなら、態度で示せよ」
「示しているよ」
「そうですよ。私が逢いたいって我が儘を言えば、時間作ってくれるし、優しくしてくれる」

「違うよ。そんな事は、当たり前の事なんだよ。時間作る?はぁ大切な思いがあれば当たり前だろう?」
「お前に、お前なんかに、時間を作る難しさが解らないんだよ。家にも帰る必要があるんだからな」
「はぁお前今自分が言っている意味がわかっているのか?」
「・・・・」

 話は平行線をたどり始める。

「彼女さんが思っている真実と、君が言っている真実が同じことはわかった。でも、事実は違うよ。本当に、冷め切っているのならささっと結論を出すべきだろうし、なぜそうしない?」

「それはどういう意味だ?」
「彼女さんの方が大切で、本当に好きなのが、彼女さんだって言うのなら、なぜ彼女さんに我慢させる」
「関係が冷え切っている奥さんに気を遣って、彼女さんに我慢を強いるのは何故だって聞いて居るんだ?こんな簡単な事を今更言わせるなよ」
「・・・・」

「何かいいたそうだね」
「我慢なんてしてないよ。彼も、凄く我慢してくれていて、私に逢いたいって言ってくれるし、帰りたくないけど・・・帰らなきゃならない・・・、彼も凄く凄く我慢してくれるし、私の我が儘を聞いてくれるんだよ」

 それだけ言うと、彼女は下を向いて涙を落とし始めた。それ以上言っても何もならないのは解っている。

 店員を呼んで、割れた破片を片付けてもらう。店長にチップを渡す。
 消毒液が有ったようで貰って、簡単に消毒してから、絆創膏を貼る。破片は、それほど散らばっていない。そういうコップなのだろう。

 彼だけに聞こえるように、ちょっと来てっと言って席を立った。
「ちょっとトイレ。君も付き合って」

 彼女は、その声を聞いて慌てて涙をぬぐいながら、顔を上げて笑おうとした。僕は、それに気がつかないフリをして、彼の腕を掴んで、席を立った。カウンターに居た顔見知りの女性店員に目配せして、僕たちのボックスに行ってもらった。

「解っているな? 彼女さんには、これから僕が話を聞いて、知恵をつけるぞ」
「・・・・」

「それは、承諾の意思表示と取るからな」
「本当に、彼女を愛して居るんだ。邪魔しないで欲しい」
「邪魔なんてしないよ。彼女さんに、”事実”と”真実”の違うを教えるだけだ」

「今まで君が言ってきた真実が、事実と違っているのなら、早めに訂正でも謝罪でもするんだな」
「・・・・」

「彼女さんが、自分の真実と自分の幸せを考えて動けるようになって貰う。だから、邪魔もしなければ応援もしない。僕は、彼女さんの味方になる」
「・・・・」

///
 彼は結論から逃げている。
 縛りのある関係の方が長続きすると彼は言う。それは確かに正しいだろう、僕もそれは認める。好きと言う感情だけじゃぁどうにもならない現実が目の前に存在することもある。
 どこまで『愛していると話を切り出しても』『好きだ大切にしている』と口にして、身体を合わせて、将来の事を語ったとしても、空虚でしかない事実が存在する。不倫と言う名前のカップルには、将来を語る時に現実・結論から目を背ける行為にしかならない。

 男女の関係だから、実際にそれだけでは語れない物がある事は解っている。
 傷ついた者でしか解らない現実や乗り越えてきた現実が解る人間でしか味わえないリスクへの恐怖。

 彼女は、僕に頻繁に連絡してくるようになった。
 知り合ったばかりの僕に、何故?

 答えは簡単だった
「寂しいの」
「寂しい?」
「そう。彼と逢っている時には、彼からの愛情を感じるし、私も彼の事を愛している。でも、彼と別れた後に、彼は帰るべき場所へと帰っていく、信じているけど、信じられるけど、寂しい」
「そうなんだぁそれで、どうしたいの?」
「解らない。今のまま・・・じゃぁ寂しいけど、しょうがないんだよね」
「しょうがない?何で?」
「だって、メールも電話もあんまりしちゃぁダメだからね」
「彼からは、夫婦の間は冷め切っていて、彼女さんしか居ないって言っているよね?」
「うん。それは感じる事が出来る」
「それなら、それでいいんじゃぁないの?信じて居るんでしょ?」
「勿論信じているよ。お互いに愛し合っている。それに、私の気持ちも彼にぶつけたらしっかり答えてくれた」
「そうなんだぁでも、彼は離婚するとは言っていないんだよね?」
「・・・・うん。でもね。でもね。私と逢う時間も増やしてくれるし、メールも返してくれるんだよ」
「それじゃぁそれでいいんじゃぁないの?」
「うん。でも、不安なの?」
「何が不安なの?彼の事は信じて居るんでしょ?」
「信じているよ…でも・・・怖いの」
「それ以上を望んじゃって居るんだね」
「うん」

 そうなんだ、愛し合っている。信じている。私の事を愛してくれる。そう言っても、不倫関係に違いはない。冷め切っていると言っていても、最後には彼は帰っていくのである。それが寂しい。その事実は紛れもない事実なのである。

 彼女は多くの心配を持っている。
 まだ彼女自身が時間に自由が効く立場にだ。これから時間と共に、自分にも世界が広がってくるし、やりたいと思っている仕事を任される事が有るだろう。その時に、彼との時間が取れなくなる。それは彼女自身の我が儘なのかもしれない。彼は、その時には、私を見つけたのと同じように、別の女の人を探すかもしれない。そんな不安を抱いてしまう。自分の気持ちは変わらない。でも、彼が将来の話をする時の、実現姓を考えてしまっている自分が居る事に気がついた。

 最後には、彼からの言葉”愛している”」その言葉だけを信じているから大丈夫だと言い聞かせている

 そんな話をした後に、彼から連絡が来た。
「少し聞きたい事がある」
「何か合ったの?」
「お前彼女に何か言ったのか?」
「少し話を聞いて上げただけだよ」
「そうかぁ」
「順序立てて説明しろよ」
「いや。お前が何も言っていないのならいいや」
「おい!そりゃぁないだろう」
「いいって言って居るんだ」
「そうか、そうか、それなら俺に連絡して来た事が解らんよ」
「・・・・・」
「だから、何があったんだ」
「・・・」
「だから、何かあったんだね」
「あぁ彼女が自殺を図った」
「はぁ何でそれを先に言わないんだ。彼女は大丈夫なんだろうな!」
「あぁ大丈夫だと・・・思う」
「お前・・・見舞いにも行っていないのか?」
「俺だって行きたいよ。でも、どの面下げて行けばいいんだよ!」
「お前、彼女を愛して居るんだろう?信じさせて居るんだろう?」
「あぁ」
「ここに来て、はっきりとさせないんだ!?」
「俺に何を言わせたい?」
「お前は簡単に言うよ。そうして、俺達の関係を否定するよな」
「否定していない。ただ、立場をはっきりさせろって言っていたんだ」
「はぁお前には解らないだろうなぁ俺だって苦しいんだ」

「あぁ解らないよ。好きだった子が自分が原因で自殺したり、目の前で友人が飛び降り自殺をしたり、信頼していた人に裏切られて多額借金を背負わされたり、ストーカー野郎に不倫だと勘違いされて刺されたりした程度の経験しかないからな!解るか?だから、リスクを考えろって言っていたんだ」

「・・・・」
「確かに、結婚している時には、幸福な時間を過ごせたよ。離婚したとはいえ元嫁とは、いい関係を保っているよ」
「・・・・」「・・・・」

「お前とは違うよ。俺は彼女を大切に思っているし、結婚してもいいと思っている」
「思っている。思っている。そうだな。お前は、思っていれば、なんでも叶えてくれるなにかを持っているか?思っているだけでなにもしていないからこうなったんだろう?」
「・・・・」
「お前は、結局彼女に将来の事は話すけど、将来への道を現実的な道を示せなかったんだ」
「・・・・」

「いいか、お前はどうしたいんだ?」
「まさか、10年後に結婚しようなんて考えていないだろうなぁ」

「・・・・」
「それは立派な事だと思うよ。俺には言えない台詞だからな」
「嫌みを言うなよ。何が言いたいんだ」

「解らないなら言ってやるよ。お前は、約束手形で彼女を縛って居るんだ。”愛している”だとか、”お前しか居ない”だとか、”自分たちには自分たちの関係がある”とか言っていないで、結論を出せよ」
「・・・・」
「お前、結婚を餌にしていないか?」
「そんな事はない。彼女の事は真剣に考えている」
「それなら、お前!」
「解っている。解っているけど・・・」
「なんだ、解っているのなら行動に移せばいいじゃぁいか」

「・・・・」
「あぁそうか怖いんだな」
「・・・・」
「彼女は、天秤に命を乗せたんだぞ。お前は、反対側に何を乗せるんだ。生半可な物じゃぁ釣り合わないぞ」
「・・・・」

—————

 それから、数日後、彼は離婚届と結婚届の両方をもらいに行って、両方に自分の名前を書き込んで判を押した。まだ提出はしていないようだが….これからの道のりは長いが、一歩目を踏み出した事には違いない。
 彼は結論から逃げなかった。逃げる事は出来たのかもしれない。でも最後の一線で踏みとどまった。

 僕の出現がこの結果を産んだ。彼女は傷つき。彼は僕を軽蔑したのかもしれない。そうして、彼の妻は知らなくていい事実を知ってしまった。
 その罪を感じながら・・・僕を恨む人間が増えただけかもしれない。それはそれでいいのかもしれない。僕のエゴだと言う事も解っている。僕が感じた苦痛と苦渋をあじあう寸前で、落としどころが決まったのかもしれない。

 まだ結論が出たわけでもない。

 そして、数年・数十年後に、僕が行った事への罰が下るのかもしれない。

fin

2020/03/20

【感じた重さ】失った物

 確かに、僕は、彼女の・・・君の重さを感じていた。ほんの数秒前に、君は僕の腕の中に居た。

 彼女は僕の前に現れた。僕は、一目見て君を愛する道を選んだ。そして、彼女もそれを受け入れてくれた。僕の心には、彼女がいて、彼女が側にいる日常が当然の事の様に思っていた。
 僕は、彼女の夢を聞いて、彼女は僕の夢を聞いてくれた。そう、二人を別つ事が来ることを考えていなかった。

 僕は、彼女と初めて身体を合せた公園に来ている。あの時は、確かに彼女を身体で感じる事が出来た。
 そして、彼女も僕の重みを感じてくれていた。二人は、これが永久に続くことを、信じて疑っていなかった。”疑っていない事”さえも、考える必要はなかった。
 僕は、今感じなくなってしまった重みをかみしめながら、彼女の後を追うことにした。

 やる事を果たしてから・・・。

 あれは、一年前の同じ日。彼女が、僕の重さを感じる事ができなくなった日。
 何が合ったのかは思い出したくもない。あの日、初めて僕たちはお互いを感じる事ができ、その時、僕は左腕と左目を失った。そして、失ってはならない彼女を失ってしまった。彼女との思い出だけを、心の中にとどめ、全てに決着をつける事だけを考えた。恩には恩で、彼女を屠ってくれた心優しき人。
 彼女は確かに僕の中で生きているし、僕は彼女の甘い誘う匂いや腰の柔らかさ、そして確かに感じる事が出来た彼女を、身体全体で覚えている。失ってしまった左腕で彼女を支え、抱き寄せた。その感触までも残っている。そして、触れた唇、触ってくれた事、彼女の中で果てた事。

 全てが昨日の事の様に、思い出す事が出来る。

 そう、ここで確かに彼女と結ばれて・・・そうして、永遠の別れをしたのだ。もうすぐ”やつら”がやってくる。もうすぐ彼女の所に行ける。それだけを、それだけを、それだけを夢見て僕が今日まで死なないで居た。

 もうすぐだ、もうすぐだ、もうすぐだ・・・・。


「そういやぁ林の奴事故ったって聞いたけど、何やったんだ?」
「あぁいつもの事だよ。」
「なんだ、そうか、それじゃぁ心配する事じゃないな」
「いやそうでもないみたいだぞ、昨日警察から連絡があってな、林の車に細工された形跡が見つかったけど、何か心当たりは無いか?って聞かれたよ」
「え!?そう・・・なのか?」
「え、奥、何か知っているのか?」
「細工か知らないけど、この前林に合ったときに、”車のバンパーに付いた赤色の染みが、どうやっても消えない”とはなしていたからな。”いたずらされているみたいだ”と話していたぞ」
「あぁその話なら俺も聞いたよ。塗り直しても翌日になるとまた同じ場所が赤くなるってな」
「事故起こすような細工には見えなかったからな」
「でも、もう退院するんだよな?」
「来週だって言っていたな、俺が迎えに行くことにしているんだよ。ほら、あいつあれだろ?」
「あぁまだ彼女の事で両親と揉めているのか?」
「そうみたいだよ。そりゃぁ両親としては…なぁ他の男の子供を産んだって言っている女を嫁には出来ないだろうからな」
「うん。林も解るけど、彼女に隠し通すつもりなんだろう?それでいいのか?」
「でも、ほれあいつ高校の時にも…な」
「それもわかるけどな」
「まぁ奥も一緒に向かいに行こうや、1年前見たいに、海見に行こう。男三人でって言うのはつまらないけどね。」
「そうだなぁ林の退院祝いに久しぶりに行くか…」
「よし、決まりだな。俺は、林を迎えに病院に行って、ここまで来るから、奥は、ここで待っていてくれ。」
「あぁ解ったよ。時間は?」
「林に聞いておくよ。退院時間の関係もあるからな、解ったら連絡するよ。」
「頼むよ。それじゃぁ今日は、俺バイトがあるからな」
「なんだ、まだ辞めてなかったのか?」
「そりゃぁなぁ生活が苦しいからな」

 そういって、奥と俺は別れた。一週間後の再開を約束して、俺はそのままバイト先であるレンタルビデオ店に向かった。
 最近、俺のバイト先ではちょっと変わった事が起きている、バイトの更衣室に、古い映画の金田一シリーズのなんだかと同じ様に印が付いているらしい、俺はその古い映画を見ていないから解らないが、映画好きの店長が言っているから間違い無いだろう。
 まぁ誰かのいたずらだろうけど、俺には被害はないし、直接関係ないだろうから気にしないことにしている。バイトだし危害がありそうなら辞めてしまえばいいと思っている。学校を卒業するまでの生活費稼ぎだし、別にここでなくてもいいと思っている。

「き!キャァァァ!!」

 今日のシフトで入っている女の子の悲鳴だ。

「どうした?」
 俺は、近くに居た別のバイトに声を掛けた。

「・・・」
 ふるえて声にならない。俺は、そのバイトを押しのけて、悲鳴がした方に目を向けた。そこには信じられない光景が広がっていた、”ぬいぐるみが、血を吹き出している”のだ!
 それも、二体のぬいぐるみが….ひとつは完全に潰れて原型を残さない様な状態になっていて、もう一つは左腕を切断さて、そして、左目だと思われ場所から大量の血が流れている。
 俺は、今までいろんな事をしてきたし人を傷つける事も沢山してきた。

 でもこんな薄気味の悪いぬいぐるみを見たことない。
 そして、ぬいぐるみは、どこから出しているのかわからない血が、今でも吹き出している。
 ぬいぐるみが俺を見たような感覚になる。そして、流れ出た血が、血が意志でも有るかのように、俺に近づいてくる。

「どうした!」
 そう店長の声で、意識が戻ってきたのが自分でも解った。

「店長。警察に届けますか?」
 俺は店長にそう聞いた。

「必要ないだろう。いたずらに警察を呼べるか?」

「店長…でも、俺の友達に林って交通かの警察官が居ます。そいつに相談してみましょうか?」
「いいよ。たんなるいたずらだろう。相手にすればつけあがるからな、何も無かったかのように振る舞えばいい」

「そうだ、木村お前片付けをしておけ」
「え?!解りました」
 店長は、俺にそういって店に戻っていった。女の子はまだ錯乱していて、話を聞けなかったが、とりあえず落ち着かせる意味もあるので、別室に連れて行った。
 店もこの時間は混むから早めに片付けて、店に戻らないとまた店長に文句を言われる。
 そう思って、ぬいぐるみに目をやると、当然の事だが、血が止まっていた。
 その変わり目線は俺を捉えている、まるで、俺を捜しに来たかのように思えるくらいだ。
 血を吹こうっと流しに向かうときに、何か解らない物に後ろに引っ張られる感覚にとらわれて、後ろを振り向いた。

「え?!」「・・・・」「・・・・・」「・・・・・・・」「なんで?え?」
 俺は自分の目を疑った、その状況に、現実を受け入れる事を脳が拒否しているかのように、状況の確認が出来ないで居た。

「ぉ木村。仕事早いなもうぬいぐるみ片付けたのか?床は明日掃除はいるから滑らないようにしておけばいいからな」

 そう、ぬいぐるみが”いなく”なっているのだ。
 俺は片付けていないし、一瞬後ろを振り向いただけで、俺は”何も”していない。
 でも確かに、そこに存在していたであろう物が存在していないのだ。


 木村の奴大丈夫かなぁあいつ彼女の事をまだ気にしているからな。
 自分が一緒に居ればあんな事にならなかったと・・・。
 彼女の両親にまで頭下げに言ったって話だからな。本人達は、木村が無事だった事を喜んでいるし、彼女も事故だったと思う事にしているんだし、蒸し返さなければ良いんだろうけど、自分が許せないんだろうな。

 まぁ俺が間に入れば問題ないだろうな。
 俺は、そんな事を考えながら、木村を見送った。
 来週か、仕事の納期も過ぎているし、一日休むのは問題ないだろう。

 それに久しぶりに男だけで遊ぶのも悪くない、林の彼女の事や木村のこともあって、三人で遊ぶ事も無かったからな。林には悪いけど、これがきっかけになればいいと思う。
 そんな事を思いながら、自分の会社に戻った。納期を終えたばかりで、皆帰っているが、残務作業が残っているし、来週休みを貰う為にも、やれる事は、全部やっておこうと思う。
 それに…部屋に帰っても、あいつが居ない事の方が辛い。
 木村の事も、林の彼女の事も、そして今の俺の現状も・・・。
 受け入れがたい事だが、やっぱり俺の軽率な行動が、今の結果を生んでいるとしか思えない。

 首筋をひんやりした感触の物が通った。何かに見られている。

 最近、何かから”見られている”と、感じる事が多い。それも何か解らない恐怖も感じる。

 今もその感じが首筋にある。安心を得る為に、首筋に手をやった.何も触る事がない。いつものように勘違いだと思うことにした。

「あぁやっぱりな勘違いだな」
 俺は安心を確信する為に声に出して確認した。
 その瞬間、指に何か触る感触がある。そう、雨でも指に当たったのかと思う様な感触がである。

しかし、指先から手の甲にその雨粒が徐々に移動している、手に付いた雨粒は少し粘着がある。
 .雨だと思い早くその場を離れる。

 そう頭が足に命令しても、足はその場に根でもはっているかのように、一歩を踏み出す事ができない。
 自分でもわからないが、雨に濡れた手を直視するのを拒んでいる。
 指は動く、目も動く、しかし、足も腕も動かない。

 そう左腕だけが動かない。右側に伸ばした左腕が動かないのだ、自分でも理解できない。
 右腕には雨粒を感じない、もちろん頭にも感じる事が出来ないが、左腕だけは雨粒を確認している。

 雨が降っているのだと、心が頭に言い聞かせて、理解させようとしている。

 雨で無いことは、もう頭では理解している。認めたくないのだ。

 右腕で、左腕を手の甲を触ったが濡れている感触がない。
 俺は、そのまま右腕で左腕を確認するように、手を這わせた。
 左腕に、触られていると言う感覚がない。

 そう腕が無くなっているように感じる。
 でも、右手には確かに左腕が存在している感触がある。

 やがて、右手が、有るはずの左肩に来た。肩に触れる右手には違和感がある。右手は確かに左腕が触っている。

 しかし、左肩には左腕が付いていた。そこには、あるはずの左腕の感触がない。
「ぅぅぅぅうぉきゅぅぎゃぁぉぅぇ」
 そう、腕が無くなっている。
 左目の視野も無くなっている。右手には、流れ出る雨の感触だけが伝わってくる…。「そうこれは夢なのだ」「そう俺は今夢を見て居るんだ」

「奥村。奥村。奥村。」
「….ん」
「奥村。あぁよかったぁ連絡が来たときにはびっくりしたぞ」
「ん。木村どうした?」
「どうしたじゃぁないだろう、お前がマンションの前で倒れて病院に運ばれたって聞いたから、俺バイト抜け出してきたんじゃないか?」
「俺、倒れたのか?」
「なんだ覚えてないのか?」
「あぁなんか、左腕が無くなる夢を見て居たのは覚えているけど、夢だからな」

「・・・・」
「木村。悪い冗談は辞めろよ。ほら、有るじゃないか」
 そういって、奥村は左腕を前に出した。

「・・・・」
「・・・木村、これ何だ?」
「奥、その事で刑事さんがお前に聞きたい事があるんだと、それで俺もその刑事に呼び出されたんだ」
「・・・俺は知らないぞ、何も知らないし、何もしていない。俺じゃない」
「解っている。解っている。俺はお前がそんな事出来ない事は知っている」
「でもなんだ、でも、なんだ木村、言いたい事が有るならはっきり言え!」
「・・・・」
 二人の男が入ってきた。

「奥村さん少し落ち着いてください。」
「・・・誰です」
「あぁ失礼、南署の高橋です」「小和瀬です」
 そう言って二人の男は名乗った。

「ちょっとその左手に握られている物についてお聞かせ願えればと思いましてね」
 そう、奥村の左手には刃渡り15cmほどのナイフが握られていた、握られていただけではなく、左腕の肩から手に掛けて真っ赤な血が付着していた。

「見たところ、自分の左腕には傷や怪我がありませんよね。先ほど医師立ち会いで確認させていただきました。そうなると、その血は誰の物でどこで付けられたのかが凄く気になります。お友達の・・・」
「木村です」
「そうそう、木村さんにも来ていただいて、あぁ奥村さんの携帯の発着履歴で、木村さんの名前がありまして、お電話差し上げたら、近くでバイトしていて、さっきまで奥村さんに合っていたって事でしたので、お忙しいとは思いましたが来ていただいて先ほどまで事情を聞いていました」
「・・・」「・・・」

「さて、奥村さん。木村さんのお話ですし、お二人で林と言う友人、あぁ林は南署の”交通課だった”林の事らしいですね。林の事を話していて、西口公園で別れたって事ですが、間違いないですか?」
「えぇ間違いないです。そこから、家に向かって」
「そうですね。奥村さんのお部屋は倒れられていた場所とはかなり離れていますけど、どちらにお行きになる予定だったのでしょうか?」
「え?蒲田にある自分の部屋ですよ」
「えぇそうですね。でも奥村さんが倒れられていた場所は、一年前に転落死があった公園近くのマンションの前ですよ」
「え?俺・・・僕は、確かに部屋に向かう為に、え!?」
「そうです。奥村さん貴方が倒れられていたのは、一年前に当時貴方の恋人だった小沢桂子さんが発見された場所です」
「・・・・。」「・・・・。奥、お前..なんで?」
「知らない。俺は行っていない、桂子の事は、忘れたい・・・俺じゃ・・・」
「しかしですね。事実貴方は、小沢さんが見つかったマンションの前で倒れていたのですよ、左手にそのナイフを握りしめてね」
「・・・・」
「何か思い出されましたか?」
「・・・」
「それに、そのナイフ、どこで買われたのですか?」
「・・・・」「・・・・」

「おや、お二人とも何か見覚えがある見たいですね。今日は、遅いですし、奥村さんも木村さんも混乱している様ですので、明日ゆっくりお話を伺います」
「・・・」
「あの?」
「何ですか、木村さん」
「いや、なんでも無いです」
「何か思い当たる事があるなら、早めに行っていただけるとこちらも調べる手間が省けて助かります」
「いや、本当になんでもないです」
「そうですか、わかりました。何か思い出されたら早めに言ってくださると助かります。調べれば解ることですからね。あぁそうそう、お二人には、明日お持ちの靴を調べさせていただくかも知れません。小沢桂子さんの転落死があった現場に、不明の靴後がいくつか見つかっていますし、それから屋上の手すりにナイフの様な物で付けられた傷もありますからね。その辺りの事を含めてお話が聞ければと思っています」
「・・・」「・・・」

「あ、それから、お友達の林ですが、本日付で退官しています。理由は一身上の都合と聞いています。多分明日は、林さんを交えてお話を聞かなければならないですね。三つの足跡についても聞かなければならないでしょうね」

 それだけ言い残して、高橋と小和瀬と名乗った二人の刑事は部屋を出て行った。
 そして、夜の廊下を歩く音が木霊の様に聞こえてきた。こつこつと遠ざかる足音が何かを遠ざけたがっている二人の気持ちを代弁する様に・・・。

 そして、そこには沈黙だけが残った。医者も看護師も次の患者を迎え入れる為に準備を始めていた、二人は一枚の戸を隔てた待合室の椅子に座っている。ナイフを握りしめていた腕は鈍く重くなっている。それ以上に二人の間には重く苦しい空気が流れている。
「奥、そのナイフ….捨てなかったのか?」
「捨てたよ、公園で捨てたのをお前も見ているだろう?」
「あぁ見ていたよ」
 二人は一変に入ってきた情報で混乱している。

「足跡って言っていたよな?」
「あぁ言っていたな」
「”水を巻いて”消したよな」
「あぁ」
「埃の上に付いた足跡だから、水で流せば全部消えるって言っていたよな?」
「あぁ確かに消えていたし、それ以外の痕跡も全部消したし、ここ一年何もなかったよな?」
「・・・・」「・・・・」
「・・・あれは事故だ!」
「奥村。奥村。解っている、解っている。だから何も言うな」
「ナイフも石も全部捨てたんだから…それに、石は煮沸して…血を洗い流したはずだし…解らないようにもした!」
 きぃ~ドアが開く音がした。そこには先ほどの刑事が二人立っていた。

「おかしいなぁ。何度出口に向かっても、ドアを開けるとまたここの扉の前に戻ってきてしまうんですよね。まぁそのおかげで面白いお話を聞けました。もう少し詳しくお聞きしたいので、署までご同行いただけないでしょうか?」
「・・・・」「・・・・」
 二人はうなずくしか無かった。

 一週間後、二人の元に凶報が届いた。
 林が死んだと言う知らせが届いたのだ。
 林は、夜病院から、見張りをしていた警官二人を振り切って逃亡した。
 病院の中庭に行き、近くにあった石で自分の顔を何度も何度も殴りつけて居たようだ。

 直接の死因は、大きな石が上から落ちてきて林の頭を潰した事だ。

 二人の警官が駆けつけた時には、既に林は死亡していた。

 三人とも自分達のした事を認め話している。
 三人は、奥村の当時の彼女であった、小沢桂子を自殺に見せかけてビルの屋上から突き落としたのだ、原因はいくつかあるようだが、大きいのは、小沢桂子が妊娠し、子供を産むといい出したことにあるようだ。

 そして、奥村が中絶を迫ってた。二人は言い争いから、奥村が、近くにあった石で小沢桂子の頭を殴ってしまった。
 そして、死なせてしまったのだ。それを隠蔽する為に、林に連絡をした。林は、林で奥村からの申し出を断る事が出来なかった。林は結婚を決めている女性を二度犯しているのだ、それも自分だと言わないまま。
 その事を、奥村も木村も知っている。高校の時に、当時の彼女を犯したのは木村と林、そうして二年前に犯したのは林なのだ、その事を知っているのは、三人だけの秘密になっている。林の彼女が産んだ子供は犯された時に出来た子供だが、その子供は事実林の子供だと言う事になる。
 その事実を、今回の奥村の事で白日の下に晒された。

 それが解っているかのように、病院に入院した日に、林は辞職願を提出している。

 そして、残された二人は全てを話て、罪を認めた。

 ただ解らない事がある。
 確かに、あのナイフは捨てたし、ビルの屋上には足跡が残っていない事も確認した。
 血の付いた石が現場に有るはずがないし、石は解らないように工作して捨てたのも確かな事だし、今回の林の自殺も遺書も無ければ何も無い。不可解な事ばかりが残る。そして一番の謎は、血まみれになっていた奥村の腕に付着していた血が人間の物では無かった。


 そして、三日後。奥村が、自分で左腕をドアに何度も何度も挟んで、左腕の組織がめちゃくちゃになるまで挟んだようで、その状態で死亡しているのが見つかった。
 残された、木村は何かを悟ったように・・・つぶやいた。

「そうかぁお前が全部やったんだな。ゴメンな。ゴメンな。許されない事だと解っているけど・・・もう許してくれ、お前達の事を忘れていたよ。本当にゴメン」

 そういって、刑事が持っていたボールペンを奪って、自分の左目に突き刺した。
「俺がやったのはこれだったよな。これで許してくれとは言わないけど・・・もう勘弁してくれないか?罪を償ったら、お前達への罪を償いに行くからな。本当にゴメンよ」
 慌てた刑事が、ボールペンを取り上げたがその時には、既に木村の左目は二度と光を見ることが出来ないであろう状態になっていた。

「ゴメンよ」
 そう木村は、呟くと気を失ってしまった。

「みーちゃん。みーちゃん。どこにいるの?」
「あっママ」
「どうしたの?お手々泥だらけになって!!」
「うん。にゃんにゃんがね。冷たくなっていたの?」
「え?にゃんにゃんが?」
「うん。ほら、いつもみーとママの方を見ていた、三本足のにゃんにゃんだよ」
「あ!それで、みーちゃんはどうしたの?」
「そのにゃんにゃんと約束していた事があったから、その約束を守ってきたの!」
「え?にゃんにゃんと何を約束したの?」
「う~ん。もう大丈夫かなぁ??」
「うん。怒らないから教えてね」
「うん。あのね。ママが、一年くらい前にこの近くの公園で冷たくなっていたにゃんにゃんを埋めてお墓作ってくれたでしょ。あそこの隣に埋めて欲しいって言われていたの」
「・・・え。だって、みーちゃん知らないでしょ…そんな事?」
「うん。でも、そのにゃんにゃんが言っていたよ。ママは優しい人で、他の人が見ぬふりしていたにゃんにゃんをしっかり弔ってくれたんだって。そして、時々お祈りをしてくれていたんだよってね」
「・・・。それ誰に聞いたの?」
「だから、三本足のにゃんにゃんだよ」
 ・・・・・。もしかして、この子の病気が奇跡的に治ったのは…そうなの?

「ねぇみーちゃん。ママと一緒にそのにゃんにゃんを埋めた所に連れて行って」
「いいよ。きっとにゃんにゃんも喜ぶと思うよ!」
 そう確かに”ここ”は、一年前に私が、頭を潰されて死んでいた猫を埋めた公園の花壇だ。
 そして、思い出したときに手を合わせたり、花壇に花を埋めたりしていたが、3ヶ月前まで病院のベッドにいた娘が知るはずもない事だ。

「ここなのね?みーちゃん。二人で、にゃんにゃんに名前付けてあげましょう。二匹が天国でも一緒に入られるようにね。みーちゃんが名前付けてあげて、そして呼んであげようね」
「うん。じゃぁ『ハナ』と『ケン』」
「そう。それじゃ、みーちゃん。二人で名前を呼んであげようね」

「うん。いっせいの」
『ハナ』『ケン』
「(ありがとう。娘を救ってくれて…)」

「(にゃ~)」「(にゃ~)」

「(お礼を言うのは私の方だよ。本当に、ありがとう。安らかに眠ってね!)(名前気に入ってくれた?娘をありがとう。お礼が遅くなってごめんなさい)」

 もう、ハナもケンも答えなかった。

fin

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2020/03/20

【消された証】過去の清算

 俺は、消防士をしている。
 よくある話だが、この職業をしていると、”バカ”に遭遇する事が多い。

 今日も、高校生の”ガキ”が、公園で花火をしていると連絡が入った。”警察に言えよ”とも思うが、公園の遊具が燃えていると言われたら、緊急出動しなければならない。

 俺は、大木の様にはなれないだろう。
 やつは、中学生の時に、学校で自殺騒ぎがあり、それが後に事故だと言われて、最終的には、いじめの延長で殺されたと知った。その殺人がきっかけで、同窓会で数名が殺されるという事件があった。やつは、それがきっかけで、今でも収監されている犯人の所に、月イチで通っている。そして、独居老人が増えている田舎町で、独居老人をボランティアで休みの時に訪ね歩いている。
 本人は、罪滅ぼしだと言っている。やつの同級生も何人か紹介されたが、心に傷を持つのか、少し考え方が”普通”じゃなかった。

 今日、警察に引き渡した、”ガキ”も普通ではなかった。3人だったが、3人とも有名市立で、親や親族が、地元ならではの有名人だ。

「所長!」
「おぉおつかれ。引き渡しは終わったか?」
「えぇいつもどおりですよ。警察も受け取りを拒否していますからね」
「まぁそうだろうな。それで?」
「いつもどおりですよ」
「わかった。こちらの義務は果たしたのだから問題ない」
「お願いしますよ」

 どうせ所長の所にも金が流れてきているのだろう。所長もクズだが、それを良しとしている時点で俺も同類なんだろうな。

「佐伯!」

 消防署を出た所で、呼び止められた。
 振り向いた所に居たのは、幼馴染と言っていいだろう。近藤だった

「なんだ。近藤。迎えに来てくれたのか?」
「あぁ高橋に連絡したら、少し遅れると言っていたからな。お前を拾ってから、高橋を拾えばいいだろうからな」

 高橋も、同級生だ。3人でよくつるんでいろんな事をやった。
 だが、俺たちも今年で30になる。この前集まった時に、誰がいい出したかわからないが、”あの場所”に、行ってみようという事になった。

「わかった。それで足は?俺が出すか?」
「お前の乗れるか?」
「乗れるとは思うけど、近藤が車で来ているのなら、そっちがいいよな?俺なら、消防署に停めておいても大丈夫だからな」

 地方都市の消防署だけあって、職員は全員車で出勤してきている。ただ、夜勤明けで車の運転が怪しい場合は、消防署に車を置いたまま帰宅する事がよくある。土地だけは余っているので、職員なら駐車は無料だ。

「そうするか?」
「どこに停めている?」
「その先のコンビニ」
「了解。少し何か買ってから、高橋の所に行くか?」
「そうだな」

 高橋が勤めている会社は、市内にある。車で15分くらいだ。国道を通るか、バイバスを通るか、地元の連中が使う。北街道きたかいどうを通るかだが、近藤はバイバスを通らないで、北街道を行くようだ。時間的に、丁度いいのだろう。
 コンビニで買った、サンドイッチをつまみながら、近況報告をお互いに行う。

 それほど頻繁に会っているわけではないが、社会人になってから、1年くらい会わなくても報告しあう近況報告は少なくなる。
 ネットもある。そのために、自然と話は昔話になっていく。

 俺と高橋は同じ中学で、近藤が隣の中学。高校が、俺と近藤が同じで、高橋が違う高校。小学校が同じとかではなく、小学校の時の塾の合宿に参加したときに仲良くなった。
 3泊4日で、目的地の寂れた港町にある、山?にある”野外センター”で勉強をするというものだった。そこで、出会って意気投合した。

 小学生らしく、かわいい悪戯いたずらも沢山やった。
 そんな昔話しに花を咲かせていた。

 それは、高橋を拾ってからも変わらない。
 高橋は、約束の時間に間に合いそうに無いと言って、奴が働いている会社の入っているビルの地下にある。カフェで待っていて欲しいと言われた。
 30分程度待っていると、高橋が現れた。小腹も空いていたので、3人で軽く食事を摂ってから、目的地に向かう事にした。

 今から向かいのは、寂れた港町。
 俺たちも、なんで向っているのか、正直わからない。俺たちが、小学生や中学生の時の、話に花を咲かせているのには、理由がある。
 高校の時にも、学校は違ったが、よくつるんでいた。3人とも何か部活をやっていたわけではない。バイト先を同じにして、待ち合わせをして遊びに行ったりしていた。

 高校3年生。夏の終わり。


「佐伯。進路どうする?」
「俺は、消防士になるよ。子供の時からの夢だから」
「へぇそんな事言っていたな」

 子供の時からの夢と言っているが実際には違う。
 爺さんから言われ続けて、爺さんが死んでしまった事で、他に選ぶ事ができなくなってしまった”呪い”の様な物だ。

「それにしても、佐伯が消防士とは笑えるな」
「なんだよ。そういうお前はどうする?」

 近藤は、家業を継ぐのだろう。長男だったはずだし、妹だけだったはずだ。

「俺か?多分、高校卒業したら、水産加工会社に就職して、しばらくしたら、修行に出るだろうな」

 おでん屋をやっている近藤としては、それが決められた道なのだろう。
 それに反発する気持ちも有ったのだろう、俺たちと一緒にいる時間が多くなっている。

「そういや、高橋はどうする?」
「俺か?多分、学校の求人に適当に応募すると思うぞ」
「へぇそうなのか?」
「あぁ工業だからな。求人は多いし、殆どが就職だぞ。お前たちみたいなエリート様とは違うからな」

 そんな事を言っているが、俺たちの高校よりも、高橋の入った”科”のほうが偏差値が高い。工業は、”科”ごとの偏差値の開きが大きい。

「あ!そう言えば、佐伯も高橋も、免許取ったよな?」

 俺も、高橋も、5月産まれ。12月生まれの近藤と違って、夏休み中に免許が取得できる。
 就職組として免許の取得が学校から認められるのだ。

「おぉ」「あぁ」
「!!それなら、遊びに行かないか?」
「いいけど、どこへ?」
「どこでもいい。車で出かけようぜ!」
「はぁ車?持ってないのだけど?」
「あぁ大丈夫。俺が免許取ったとき様に、爺さんが乗っていた車もらってある。おやじが言うには、保険も入っている・・・らしい」

 近藤の爺さんの車は、Kカーだ。俺たちは、初めてのドライブで気分が高揚していた。
 目的地はなく、なんとなく車を走らせている。今までは、親父やお袋の車に乗らないと行けない場所にも、行ってみた。

 いつの間にか、辺りは暗くなってきていた。
 時間には、21時近くになっていた。3人とも普段から遊び歩いているので、親たちは何も言わなくなっている。

「そうだ!」
「なんだ、近藤!」
「あぁワリぃワリぃ。クラスの女子共が話していた事を思い出した」
「誰だよ?」
「誰でもいいだろう」「どうせ、飯塚さんだろう?」「っ違う。確かに、飯塚さんの友達らしいけど・・・な」

「そんな事じゃなくて、ほら、飯塚さんたちの町」
「あぁバイバスを行った所にある港町だろう?」
「そうそう、その町の話って聞いたこと無いか?」

 あの町には、いろいろな話しがある。
 野外センターの仏舎利塔に出る火の玉。誰も使っていないのに、水浸しになるトイレ。港の儀式で死んだ男が海に現れる話。元武家屋敷だった場所で夜中に聞こえるうめき声。夜中にプールに佇む子供。中学校の男子更衣室の老婆。いじめを苦に自殺した女子生徒が現れる沢。一度入ったら出られない消波ブロック。

 それぞれに逸話があり、心霊スポットになっている。
 新しくここに、廃業した焼却炉が、夜中に使われている。と、言うものだ。市内なら浮浪者でも居るのだろうという結論になるが、その焼却炉がある場所が、山の中でトンネルを抜けた先にあり、車がなければいけない場所にある。そして、トンネルが車一台が通れるくらいで、もちろん灯りなどない。人が住める場所もない上に、焼却炉も壊れて居るし、事務所だった建物も、土砂崩れで埋まってしまっている。
 その焼却炉で”何か”を燃やしているらしい。煙を目撃した人も居る。その上、土砂で事務所が埋まったときに死んでしまった。夫妻を見たという証言もある。この山を流れる沢が、いじめに苦しんだ女子生が自殺した沢の上流で、女子生徒とその両親では無いかとも言われている。

 そんな話を、車の中で近藤がした。

「それじゃ俺たちでその心霊スポットの真贋を鑑定してやろう」
「はぁバカじゃないのか?」

 しかし、高橋が運転する車は、バイバスに入っている。港町に向かう進路を取っているのだ。
 バイパスに入ってしまうと、あの町まで一直線だ。20分くらいはかかるだろうが。近藤が、愛しの飯塚さんたちが話していた内容を披露した。

 目的地はなかなか見つからなかったが、港町だが、すぐに山がある。狭い町だ。
 話では、港から煙が見える山となっている。この町には、港は二箇所あり、一箇所は小さな港で、地元の人間も殆ど行かないらしい。もうひとつは、灯台があり船も係留してある。バイバスから側道に入る。上り坂になっている側道を上がって、左に曲がる。そして、すぐに右に曲がる。駅方面に向かう。駅で一休みする事にした。地図を広げて確認すると、目的地がわかった。
 焼却炉は書かれていなかったが、港から近くて、山道があり、道幅が狭く、トンネルがある。その先が行き止まりになっている。途中に、プールがあり、さらに奥に行くと、お墓がある場所は、そこだけのようだ。

 車を走らせる。

 トンネルを抜ける。”何も”なかった。
「ほら、何も無い。学校が始まったら、飯塚さんたちに言ってやろう!」

 近藤がこんな話を大声でしだす。普段よりも、大きな声は、何か意図があるのだろう。実際、俺たちの話し声は、普段よりも大きくなっている。怖いわけではない。何も無いのはわかっている。

「なんだデマか?」
「焼却炉なんて無いぞ!」

 ゆっくり走っている車の中から周りを見るが、焼却炉は見当たらない。
 5分くらい車を走らせたら、少し広場の様になっている所が見つかった。

 一旦車を止めて、皆外に出る。

「Uターンして帰るか?」
「そうだな」

 皆同じ気分なのだろう。
 なんとなく気持ち悪い。怖いわけではない。気持ち悪いのだ。車のラジオもさっきから入らない。ライトを付けているのに薄暗く感じるのだ。この町で、霧が出るとはあまり聞かない。

 3人が車に乗り込んで、一気にUターンしようとして、アクセルを踏み込む。
 レーサがやるように、アクセルターンをしようとしたのだろ

「おぃ高橋。車がぁぁぁ」

 横滑りを起こしている。

「わかっている!」

”ドン!”

「・・・」「え?」「・・・」

 車が止まった。
”バン!バン!”
”ギャァァァァァ!!”

「なに?」「え?」

 皆、あわてて車から飛び出た。

「何も無いよな?」

 高橋が震える声で聞いてくる。
 車の周りを見るが、砂利の上に、車が横滑りした後が残されているだけだ。

 夜の街灯がない場所。周りを照らすのは、車のヘッドライトと室内灯だけだ。暗い。上を見上げると、星や月が出ているが、光が差し込んでいないかのように、辺りは真っ暗。漆黒の闇だ。

「確かに、人の声だったよな?」
「違う!そんな事はない!どこに、人なんていない!」

 車の後部座席の窓に、”人の手”の跡がある。徐々に赤くなっている。

「高橋。近藤!後ろ!」

 二人が後ろを振り向く。俺には、そこに”誰か”が居たように感じた。

「脅かすなよ」
「まったく、何も居ないよな・・・佐伯・・・どうした?」

 俺は、左腕に激痛を感じる。何かに握られて居るようだ。すごい力で、上腕を掴まれている。
 掴まれているところを、触るが何も無い。上腕が間違いなく締め上げられている。

 引っ張られる。俺だけじゃなく、皆も、同じ上腕を抑えている。車からどんどん離れていく。
 引きずられている。崖なのか、暗闇の方に、そこになにがあるのかわからないが引きずられる。

「やめろ!!!!」

 ふっと上腕を握る力が弱まる。
 高橋と近藤の腕を掴んで、車に戻る。

 運転席に座って、エンジンをかける。

 アクセルを踏み込むが車が前に進んでいる感覚が無い。

 フロントガラスや窓ガラスに、手形が浮かび上がる。赤く、赤い手形が無数に出ている。

「どけぇぇぇ!!!」

 前輪が空転していたのが、急激に地面をとらえて、車が急発進する。

 どこを走ったのかわからないが、トンネルを抜ける。周りの音が戻ってくる感覚になる。
 そうだ、トンネルを抜けてから、音が、虫の鳴き声が、エンジン音が、何も聞こえなかった。
 音が聞こえるようになると、ガラスを覆っていた手形が綺麗に消えている。何もなかったかのように・・・。

 山道をゆっくりと走りながら旧国道に戻る。街灯の下に車を止めた。

 何もいわないで、車から出て、確認する。傷どころか、車には、なんの跡も残っていなかった。
 高橋も近藤も、不思議そうに、気持ち悪そうに、車を確認している。

 そうだ、上腕は?

 掴まれていた場所を確認すると、4本の線が入っている。ただそれだけだ。太めの鉛筆で引いたような線だ。長さは、5cmくらいだろうか。高橋と今度にも、同じ跡が残されていた。左上腕に、4本の線ができている。どこかで、できた線なのだろう。そう考えるしかなかった。

 それから、どうやって帰ったのか覚えていないが、てっぺん近い時間になってしまったが、お互いの家の前で別れた。

 あれから12年。
 運転は、近藤から高橋に変わった。

 この辺りは、12年くらいじゃさほど変わらないのだろう。コンビニができたり、パチンコが潰れたり、その程度の変化はあるが、山道に入ってしまうと、何も変わっていないように思える。

「そういやぁ高橋。焼却炉ってあるのだろう?」
「あぁ調べた」

 あれから、俺もしばらく新聞を読むようになった。2日が経過して、4日が経過して、1週間が経過したくらいでやっと落ち着いた。

 高橋も気になって調べたようだ。焼却炉だけではなく、トンネル事やいろいろだ。

 焼却炉が有ったのは事実だったらしいが、事務所とかはなく、近くの農家がゴミをまとめて燃やす場所になっていたようで、実際に、12年前にはすでに使うのを禁止されていたようだ。あの広場は、ゴム集積所になっていて、月に数回。あそこまで、ゴミ集積車が上がっていって、回収する事になっているらしい。焼却炉は、広場の下に有ったらしい。
 そして、あの山のトンネルの先は、東京の物好きが購入しているらしい。トンネルの先は、私有地となって立ち入りが禁止されている。

 そんな話をしていると、トンネルが見えてきた。
 街灯が切れている状態では暗くて確認できないが、確かに、記憶にあるのと同じトンネルが目の前に見えてきている。

 トンネルの中に入る。高橋がハイビームにする。そのまま、車が暗闇を照らしながら進んでいく。狭いトンネルを抜ける。記憶している場所はもっと上のハズだ。

「どうする?」
「せっかくここまで来たから歩くか?」
「そうだな」

 車を、柵の前で止め、懐中電灯を手に持って外に出た。
 こんなに、空が近かったか?
 虫の鳴き声や、草木が揺れる音がしている。星や月明かりで十分明るい。柵を超えて、悪くなってしまっている道路を進む。

 10分くらい進んだのだろうか?
 広場になっている所が見えてきた。目的地だ。

 広場の真ん中まで歩を進める。やっぱりなにもない。

「佐伯!!」
「あぁ?」

 痛い。左上腕がすごく痛む。
 なんだ?どうした?

 横を歩いていたはずの近藤を見る。は居た。近藤も左上腕を抑えている。

「近藤!?高橋は?」

 高橋は、俺の左隣に居たはずだ。
 懐中電灯で、地面を照らすが、足跡もなにもない。もともと、そこに存在していなかったかの様だ。

「近藤!高橋は、ど・・こ?え?こ・・・ん・・・ど・・・う??」

 さっきまで近藤は居た、腕を抑えて、うずくまりそうになっていた。確かに居た、近藤も高橋もいなくなっている。

 左上腕に激痛が走る。
『ボクハオマエダケハユルサナイ!』

 誰だ!
『ボクヲワスレタヨウダネ。オモイダスマデタノシンデアゲルヨ』

 指が!俺の指が!
『ユビゴトキデ!!ボクハオマエニハネトバサレタ!!』

 はぁ誰でだよ。
 俺の指・・・ぎゃぁぁぁ今度はなんだ!近藤!高橋!助けろよ!
『フタリハコナイヨ。セイカクニハコラレナイヨ。モウシンデイルヨ』

 嘘だ!そんな・・・いてぇぇぇ何する。お前、出てこい!
『ホラショウコダヨ』

 近藤と高橋。おまえた・・・ち?
 えぇぇ??タぁもぉしちのいみにみちエぇピぃかいにすな??
『アァァコワレチャッタ。ナオセナイカナ?』

「大木。悪いな」
「いえ、大丈夫です。佐伯が無断欠勤ならしょうがないですよ」
「わるい。そのかわり、佐伯が見つかったら、休み交代させるからな」
「いえ、いいですよ。どこかで、抜けさせてもらえれば十分ですよ」
「そう言われてもな・・・そうか、そろそろ命日か・・・」
「え?あっその日だけは申し訳ないです」
「大丈夫わかっている。それに、昨日も、ムショに行ってきたのだろう?」
「え?あっはい。変わりないことだけ確認してきました」
「そうか・・・それにしても、お前の同級生ってよりも、同郷でクラスも同じなのだろう?」
「えぇそうですね」
「キャラクター豊かだよな」
「そうですね」
「刑事と、殺人犯と協力者?に、弁護士、お前も、普通なら濃い方なのだろう消防士なんてな。ITで有名になった奴も居るのだろう?医者と看護師や自衛官も居るよな?」
「えぇそうですね。あと、料理人と学校の先生ですかね」
「すごいって言葉が悪いけど、すごいな」
「えぇそうですね」
「それらが全員集まるのだろう?」
「いえ、二人はまだ来られませんからね。あと15年くらいですかね」
「そうだったな。お前たちは、許しているのか?」
「わかりません。少なくても、俺は桜と朝日の味方ですよ。もちろん、桜が許しているのなら、安城も飯塚も、やった事は最低だけど・・・」
「そうか・・・」

 消防署の電話がなった。
 出動要請ではなく、事務所の電話だ。

 所長が電話に出る。小さい消防署だからそうなってしまうのだろう。

「大木。お前にだ!森下桜と名乗っている」
「桜?珍しいな」

 大木は、やっていた書類作成を一旦止めて、電話に出る。

「桜?珍しいなどうした?」
『悪いな。靖。仕事中に・・・お前の家にかけたけど出なかったからな』
「いや。別にいいけどなんだ?」
『正式には、うちの上から連絡が行くと思うけど、佐伯が死体で見つかった。それも、少しだけまずい状況だ』
「え?どういう事だ?」
『さっきのは所長か?』
「あぁ」
『10分後くらいに少し出られるか?』
「大丈夫だ」
『ありがたい。美和も呼んでいる。あと、克己と沙菜もだ』
「そんな事なのか?」
『わからん・・・だから、お前たちの意見を聞きたい』
「わかった。それでどこにいけばいい?」
『10分後に、克己と沙菜が迎えに行く』
「わかった。都合を付けておく」
『たのむ』

 大木は、電話を切った。

「所長。少し出てきていいですか?桜がなにか、個人的に相談したいって事ですので、連絡はつくようにしておきます」
「あぁいいぞ。本当なら、今日お前は休みだからな」
「ありがとうございます」

 着替えた所で、克己が運転する車が、消防署の敷地内に入ってきた。

「悪いな。克己。沙菜も久しぶり」

 3人は、簡単に挨拶を交わした。
 実際には、沙菜と大木は、3年ぶりくらいの再開だが、そんな感じはしない。

 車は、5分くらい走って、国道沿いにある漫画喫茶に入った。
 克己が手続きをして、カラオケルームに通された。克己や桜がよく使う方法だ。内緒の話をするのに丁度良いのだと言っていた。

 すでに全員揃っていた。
「それで桜どういう事だ?佐伯が死んだ事は、まぁ良くはないが、正直どうでもいい。少しだけまずいってどういう事だ」

 桜は、全員を見回すようにしてから
「大木以外には、ちらっと言ったが、佐伯消防士が見つかった場所が、あの場所で、真一に頼んで買ってもらった土地だ」
「桜?大丈夫なのか?」
「あぁ真一には連絡した。そっちに警察が行くかもしれないってな」
「そうか、でも奴なら大丈夫だろう?どうせ、デスマ中だろ?克己!」
「真一の奴は、桜の連絡をいい事に、俺に仕事を振ってきやがった」
「受けるのか?」
「あぁ」

「すまん。桜。それで?」
「”まずい”のはこれからだ、あの場所では無いが、あの場所から下がった場所の広場があるだろう?」

 皆がうなずく
「あそこで、死体が4つ。一つは白骨化していた。見つかった」
「その中の一人が、佐伯って事だな。あぁそして、残りの二人は、克己と真一の知り合いだ」

 皆が沈黙する。
「白骨化した死体は、12年前に行方不明になった、克己と真一の学校の者だ」
「桜。12年前って、行方不明事件か?」

 話は皆知っている。克己と美和に関しては、警察に何度も尋ねられている。
 今回死体で発見された、佐伯/近藤/高橋からいじめられていた。一人の生徒が夏休み明けに居なくなったのだ。佐伯たちが何か知っていると思っていたが、3人は知らないと言っていた。確たる証拠がないまま、行方不明で処理されてしまっていた。

 彼らが大切にしている。昔、寺が有った場所の近くを、流れている沢までは、距離があるために、今回はそこまで警察の手が入ったり、マスコミが入る事は無いだろうが、どこからか嗅ぎつける者が居ないとも限らない。
 それに、彼らとあの山の関係を知られたら、興味本位で取材と称した暴力行為を受けるかもしれない。

「桜。それほどなのか?」
「そうだな。早ければ、今日の夕方のニュースで取り上げられるだろうな」

 死んだ二人は、左腕が切り落とされていた。致命傷は、首を深く切られた事らしい。

 そして白骨は、一部、高橋の車の荷台から発見された。掘り起こされた場所も特定している。そこには、車で轢かれた跡が残る衣服も見つかっている。佐伯は、自分の腹に切断に使ったと思われるボロボロの包丁を指していた。近くには、のこぎりも見つかっている。土の着いたスコップも一緒に見つかっている。

 警察は、佐伯が高橋と近藤を殺した後で、自殺したと見ている。
 12年前の行方不明事案に関係した3人が、それを確認しようとして、仲間割れをしたのではないか?
 奇妙だが、それで説明ができる。

 奇妙と言えば、3人の左上腕の同じ位置に、一つの黒い線が残されていた。

fin

2020/03/20

【消えない絆】それぞれの思い

 僕には、彼女が居る。他の人には見えないが、僕には彼女を感じる事が出来るし、彼女を見ることができる。
 彼女とのであいは、かなり前にさかのぼらなければならない。僕と彼女は、世間で言う”幼なじみ”の関係にある。僕が、彼女を好きだって事に気がついて、彼女が受け入れてくれたのは、つい最近の事で、彼女が肉体を失った日になる。

 彼女が好きなアニメの劇場版のチケットを買って、日曜日に映画に誘った。彼女は友達と行く予定だったようだが、僕の誘いを受けてくれた。

 そして、映画を見る前に、待ちの駅前の喫茶件で僕の気持ちを打ち明けた。
 彼女は、わかっていたのだろうか、すぐに返事をくれた。

「私も、幸宏君の事、好きだよ」

 そして、言葉を続けた
「気がついていた?美久も幸宏君の事を見ていたの・・・を」

 僕は、正直に美香に告げた。「気が付かなかった」と・・・。
 僕は美香だけが居ればいい。美香がどこにいても見つける事が出来るし、美香を感じる事ができる。

 僕の美香への気持ちを、美香に熱く語っている。そんな僕の話を美香は微笑んで聞いてくれる。

 でも、美香は優しく微笑んで
「私が居なくなっても、私を探さないでね。美久に優しくしてね」
 僕は、このセリフの意味を理解する事が出来なかった。

 これから起こる悲劇を考えていなかった。

 お盆の真っただ中の8月16日。僕たちは、喫茶店を出て、この街唯一の地下道を通って映画館に向かっていた。

 この日地下道を歩いたのには、理由が合った。地上が太陽の日差しで暑かった事もあるが、地上でお披露目するビルの取材が行われていて、通りがふさがれていて、歩きにくかった。

 しかし、この選択を僕は後々まで後悔する事になる。

 9時31分。事故が発生した時間だ。

 完成を控えたビルの地下部分で、ガス漏れから引き起こされたガス爆発が発生した。
 僕達は、このビルの前を通り抜けて、50m 位の所を歩いていた。後ろから、鼓膜を突き破る爆音と一緒に瓦礫が飛んで来た。

 爆音や瓦礫の後に襲ってきたのは、猛烈な炎の乱舞だった。

 僕は、壁際に吹き飛ばされて強く胸を打った。息が止まる思いがした。
 しかし、これは序章でしか無かった。その後の炎の乱舞で、僕は身体の左半分を業火にさらすことになる。

 僕は、美香だけは、美香だけは守らないと・・・握っていた、美香の手に力を込める。強く握り返されるのがわかる。美香を引き寄せる。僕の身体で、美香を業火から守り抜く。

 僕は、この時まで美香の手を握っていた。確かに、左手で美香の手を握っていた。

 しかし、握っているハズの左手には、美香の重さを感じる事が出来なくなっていた。

 そこで、僕の意識は闇に閉ざされた。

 次に、僕が左手に美香の手を感じたのは、病院のベッドの上だった。美香の右手は、僕の左手に確かにあった。
 しかし、右手の先にあるハズの美香が居ないのだ。

 そして、僕は左半分のから来る激痛を感じて、改めて周りを見回した。
 両親と幸昭の姿があった、そこにいるハズの、美香がいない。

 声が出ない。左手には、確かに美香の右手が見える。僕が、美香にプレゼントした指輪もしている。

 でも、美香が居ない。僕は、左半身の火傷を追ったが、命に別条ない。身体の一部のやけど以外は、問題ないようだ。

 そして、僕は痛みを堪えて、聞いた。
「美香は、どこに居るの?右手だけここにあるのに?」

「美香ちゃんは見つかってないの?」

 僕は、母親の言っている意味が解らなかった。
 そもそも、これから映画を見ようと思って、地下街を歩いていた、僕たちがなんで病院のベッドに横になっているのか?理解できない。

 そして、なぜ美香の右手だけが僕の左手にあるのか・・・・。

 消防士らしき人が入ってきて、僕の話を聞きたいとの話だった。
 消防士は、大木と名乗った。ナース・・・看護師のお姉さんの同級生だと話していた。

 先に僕の置かれている状況の説明をお願いした。

 大木さんが言うには、完成間近のビルの地下で、テナントの工事が行われていたが、そこでガス漏れ事故が発生して、1店舗で小さな爆発が発生し、その隣接していた店舗を巻き込む形で大規模なガス爆発に発展したとの話だった。

 そして、地下道に逃げ場を失った爆風と炎が吹き抜けていった。

 まさにそこは生き地獄だと言っていた。
 地下道は、全長700m程度の小さな物だった。その地下道の中で、今のところ生還が確認出来たのは、僕を含めて2名だけ。

 そして、僕は爆発から 4日間意識を戻さなかった。今も地下道では懸命な救出作業が行われているが、生存者は確認されていない。
 絶望的な状況だと言う事だ。

 僕は、恐る恐る聞いた
「美香は、僕の彼女は?」

 大木さんらの返答は機械的に
「まだ発見に至っていません」だった。

 そして、その場に居た医者は変な事を言い出した
「君、幸宏君の左手は握った状態で炎に晒されてしまって、指が癒着してしまって、開くことが出来ない」

 そんなはずはない。
 僕の左手は、美香の右手をしっかり握っている。
 僕には、解るのだ。美香の右手である事と、右手が脈打っている感覚が、美香は生きている。

 それから数日後、”美香の遺体が見つかった”と、連絡が入った。

 遺体は、綺麗な状態で全身が確認できる状態だった。
 最初の爆風で壁に打ちつけられたときに、頭を打ったのが原因ではないのか?っと言うことだった。

 しかし、美香は僕の左手と繋がっている。ここにいるのだ、僕にはそれが解るし、僕には美香だけ居れば十分だ。

 それから、数年が過ぎた。僕は、まだ左手に美香の右手を握っている。美香が存在している事の証明として、僕はこの手を離すことはないだろう。

 そんな時に、美久から呼び出された。
「いい加減にして、私だって、美香が居なくなって寂しいの、あなたが何時までもそんな事をしているから、美香はあなたを忘れてくれない。」
「私は、あなたが好きなの、美香を見ている・・・あなたが好きだったの・・・」

 そう言って、僕の左手を握ってきた。僕は、美久の手を振りほどいて、美香が待っているベンチに急いだ。

 そして
「美香は生きているよ、君たちには見えないのかも知れないけど、美香は居るよ僕を待ってくれている」

 美久は黙って僕を見送った。
 僕たちは、手を繋ぎながら、美久の方を振り向いて、手を振ってその場を立ち去った。

 僕は、この日ある決心をしていた。
 僕は、美香の居る場所に旅立つ事を考えていた。

 美香は確かに、僕の側に居るし、感じることもできるが、話すことができない。

 僕は、美香と一緒に居て、もっといろんな事を話したい。
 学校の事、友達の事、そして二人の将来の事・・・。

 だから、僕は、旅立つ決意をしていた。

 美香は黙って僕の話を聞いて、うなずいてくれた。

 美香は、僕と一緒に居たいと思ってくれている。でも、僕には、来てほしくないようだ。美香は、美久の事も大切に思っているのは知っている。
 僕に、美久と一緒に居て欲しいようだ。

 でも、僕は、美香と話せない現状をこれ以上受け入れる事ができない。僕は、美香だけ居ればいい。美香の代わりなんて欲しくないし、必要としていない。

 いろんな方法がある事が解っているが、僕は、僕に相応しい方法を選ぶことにした。
 美香の肉体が見つかった場所で眠るようにしよう・・・っと。

 明日が、ちょうどいいのだろう。
 8月16日。9時31分。僕の魂は、美香の待つ場所に旅立つことが出来た。


 ”おねーちゃんいい加減にして、おねーちゃんはガス爆発で死んだの、幸宏君の気持ちをかいほうして、そして、私の中から出ていって!”

 毎晩繰り返される悪夢に、美久は脅えていた。毎晩の様に繰り返される悪夢。

 美香が幸宏に告白されて、受け入れる”夢”を、そんな夢を見ている、自分と同じ顔を持つ姉の死の瞬間までを・・・・。

 いろんな場面が夢で繰り返される。
 幸宏を目で追っていると、姉である美香と目があう事を・・・。幸宏が、姉を好きだという事を・・・。

 前を歩く二人の背中を見つめている自分を・・・。繋がれた手を・・・。

 その繋がれた手が、姉が、幸宏が・・・爆風で飛ばされる瞬間を・・・。

 右手が無い姉が、幸宏を探している事がわかる。
 でも最後には必ず。

「美久助けて」

 怨嗟の様なこのセリフが、美久の中から消えない。
 私が、二人の仲を嫉妬したから?
 私が、美香の願いを邪魔したから?
 私が、幸宏を望んだから?

 美久は、美香に幸宏が繋ぎ止められているのだと・・・理解した。
 そして、幸宏を美香から解放する事で、美香と幸宏を助けようと考えた。
 しかし、それは最悪な結果を生んでしまった。

 幸宏の自殺と言う形で・・・。
 そして、美久も幸宏と美香に誘われるように、同じ道を歩む。

 同じDNAを持つ姉を求めるように、そして、自分自身を開放するために・・・。

— 現実

 事故から、3ヶ月が過ぎていた。
 幸昭はまだ、目を開けなかった。

「幸昭。幸昭。目を開けて、貴方だけでも・・・貴方だけでも、目を開けて・・・」
 母親の必死の呼びかけも、病室にこだまするだけだ。

 地下街ガス爆発事故。死者15名。負傷者223名。大惨事だ。
 看護師の増田も、当時の事はよく覚えている。病院がパニックになっていた。消防士の大木が、なん往復もしていたのをはっきりと覚えている。

 8月16日。
 美香と美久が、見に行きたいと話していた映画を、見に行く約束をしていた。
 兄である。幸宏が、美香の思いを受け入れたのだ。兄が、美香を選ぶのはわかっていた。
 美久も悲しそうな顔をしていたが、そうなる事はわかっていたようだ。

 最初の爆発で、爆発現場の上を歩いていた4人は、崩壊した、地下街に落下した。その上に、瓦礫が落ちてきて、下敷きになった。
 少し後ろを歩いていた幸昭は、地下街に落ちる事にはなったが、瓦礫の下敷きにはならずにすんだ。

 幸昭だけは、右手切断するという大怪我をおったが、命は助かった。
 しかし、目を覚まさない。まるで、夢の中を彷徨っているかのように・・・。

 そして、二年近くの時間が流れた。

 本来なら、今年が卒業で、今頃4人で進路を話していただろう。

「幸昭。もう二年が経ったよ。幸宏も美香ちゃんも、美久ちゃんも、見つかっているよ」
「幸昭くん。美香も、美久も、君には生きて欲しいと思っているはずだ。早く目を覚まして、私たちの最後の希望なのだから」

 両家の両親が来て、話しをしていく。

 最初の頃は見舞いに来ていた高校の友達も、受験や就職で忙しくなっている。田舎の夏休みは、高校3年生は、車の免許を取り始める。徐々に来る頻度が少なくなって、最近では誰も来なくなった。
 それを薄情と呼ぶには、少し可愛そうな気がしていた。

 8月16日。9時31分。

 増田は、ナースコールが押された部屋に向っていた。
 二年近く、意識を取り戻さなかった高校生の病室だ。本来なら、個室に入る必要がない患者だったが、諸事情があり個室に入っている。ご両親の負担ではない。

 面会時間ではないが、ご両親に連絡をした。
 30分くらいで駆けつけると言っていた。

 増田は、すぐに大木にも連絡をした。ついでに、旦那にも連絡をして、今日は帰れない事を告げた。

 幸昭は、何事もなかったかのように、本当に、少し寝坊した高校生が、ばつが悪そうに起き出した様だ。
 立ち上がろうとするのを、増田が抑えた。すぐに立ち上がれるわけがないと思ったからだ。

 幸昭は、駆けつけた大木から説明を聞く必要がないと言った。
 全部わかっているから・・・と。

 幸昭の両親と、美香と美久の両親が駆けつけた。
 4人の顔を見て、悪さがバレた子供の様な顔をした。

 しばらく、誰も口を開かない。
 幸昭は、大きく息を吸い込んで
「おふくろ。おやじ。おばさん。おじさん。俺、兄貴と美香ちゃん。美久が、いる所に行くよ。ごめん」

 本当に、それだけ言って目を閉じた。4人は、まだ混乱しているのだろうと思っていた。
 そして、幸昭が眠りに入ったのを確認した。今までと違う事に、安堵も覚えていた。

 しかし、幸昭は二度と目を開けなかった。

 そして、唯一生き残った、幸昭も”同じDNA”を、持つ幸宏を追うように、一切の説明を聞かなくても、すべてを理解しているかの様な微笑みを残して、兄と、愛する美久と、兄の愛した美香が、待つ場所に旅だっていった。

fin

2020/03/19

【笑えない話】仕事を頑張る人

 あぁ今日も終電を逃してしまった。
 しょうがない。いつものように、プロジェクトの進行状況を確認して、問題がありそうなところをレビューしておこうかな。

 僕が務める会社は、ソフトウェアの開発を行っている。小さな地方都市の、小さな小さな会社ですが、幸いな事に仕事が切れる事がない。人手不足とまでは言わないけど、待機工数が発生しないくらいには仕事が充実している。こんな事を言うと自慢に聞こえかもしれないが、僕が開発した”開発ライブラリ”が売れている。
 音声を使って操作コマンド入力を可能にする開発ライブラリだ。各種デバイスで、似たような事ができるようになっているが、それらとは認識率が違う上に、デバイスによる差異をなくしたラッパーまで用意している。一回ライブラリの使い方を覚えれば、違うデバイスでも同じ使い方ができるのだ。僕が作ったのは、それだけではなく、使っている人の声が、聞いている人にどう聞こえるのか?それを、108の感情から割り出すようにしている。感情判定ができるようになっているのだ。急いで聞こえる時には、手順を数個飛ばすようなアプリケーションの構築ができるようになる。画期的なのは、そこではなく、ライブラリが自動的に組み込んだアプリケーションの機能を学習して、最適化を行う部分にある。僕の最高傑作と言っても過言ではない。

 そんな開発ライブラリだが、単体での販売はそれほど多くない。組み込みが容易なために、値段設定は高くなっている。そのために、ライブラリの一部機能だけを使いたい顧客からのカスタマイズ案件が多い。社内要因は、そのカスタマイズや、ラッパーの開発が主な業務になっている。

 僕は、深夜の暇つぶしを始める事にした。
 社内のルールで、帰宅時には全ソースをコミットする事が義務付けられている。いつ倒れてもおかしくない職場(けしてブラックではない)なので、最新版のソースは、ローカル環境と社内サーバにしっかり保存する事になっている。
 文章(仕様書や見積もりや発注書や議事録)は、ローカルには置かないで、社内サーバにだけ保存するようになっている。これらの設定を作ったのは、数年前に他界してしまった。真辺という技術者だ。僕が、頼んで来て構築してもらった。ネットワークから、開発まで一人でできる奴で、都会の会社で火消し部隊を率いていたようだ。

 さて、最新版のソースを取得して・・・。
「増田の所、コンパイルエラーが出ているじゃぁないか・・・。ぉぃおい、このコーディングはなんだ・・・会議中に、奴は何を聞いていたんだ」

 コミットするソースは、最低限コンパイルエラーが出ないようにする事と義務付けている。
 そうしないと、他の人が待機してしまう可能性があるためだ。コンパイルエラーを回避する方法はいくらでもある。これも、真辺の置き土産だが、コンパイルチェックを行った結果を読み込ませると、ソースコードの修正を行ってくれるツールがある。サーバに仕込んでいるので、一通りこれで、コンパイルエラーを回避しておくことにする。最終コミット者に、修正内容がエラー内容と修正前のコードと共にメールで伝えられるというおまけ付きだ。

「恵子ちゃんの所も酷いなぁコンパイル以前の問題だなぁ、ラッパークラスを作ればいいのに、そうすればNULL判定だけでこの部分のソースが綺麗になるし、わかりやすい」
「中村部長も・・・これじゃぁデータに依存しちゃう。データ依存すると、開発コストが嵩むって自分で言っていたのに・・・仕様がわからないから指摘だけだな」

 僕の深夜の時間つぶしはこうして進んでいく。始発が動き出す頃には、一通り僕のライブラリを使っているプロジェクトに対してのレビューが完了する。時計を確認すると、既に7時を回っていた。後2時間もすれば、皆も出社して来るだろう、僕は何時ものように、そろそろ帰ろう。
 ホワイトボードには、何ヶ月か前に書いた、”午後出社”の文字が残されている。まぁ無くても、僕が午後にならないと出社しないのは皆知っているから問題ない。こういう所は、小さな会社で助かっている。大きな会社ではきっとこうは行かないだろう。

 さて、パソコンも落としたし、コミットされたのも確認した。

 さて帰ろう。


「恵子ちゃん。結合してみようかぁ」
「は~い。わかりました。コンパイルは通ると思うので・・・」
「いいよいいよ、納期までまだ時間があるから、インターフェースが正しいかだけ確認しよ」
「わかりました」
「部長。ライブラリも組み込むので、キーを発行してください」
「おぉわかった。それにしても、田中の奴も面倒な事するよなぁ都度キーを生成しないとダメなんて・・・ほら、発行したぞ」
「ありがとうございます。部長それを言ったら、そのおかげでライブラリを利用する事が出来る会社を限定できているんですから」
「あぁわかっている。わかっている。ほら、早く結合しろよ」
「ん?エラーが出るなぁ。ライブラリの組み込みの所だなぁ・・・部長、何か変えました?」
「バカ、俺に弄れるはずないだろう。どうせ、インターフェース関連の問題だろう、ドキュメントみて調べておけよ、ちょっと客先に行ってくる。キーが必要になったら、自分で発行していいからな」
「わかりました。戻りは」
「15時位になると思う。もしかしたら、お客さんとそのまま食事に行くかも知れない。そうなったら連絡する」
「わかりました。誰かに聞かれたら、飲みに行くから直帰しましたって答えておきます」

 ・・・・昼休みも終わって、午後の業務が開始された
「増田さん。わかりました。部長、ライブラリをラッピングする API を作っていたみたいです。それを入れてみたら、うまくいきました」
「あぁそうか、この前の会議で、ラッピング API を使うようにいわれて、そっちに切り替えたんだったな」
「よしテスト始めるか・・・」
「おっとその前に、今のソースをコミットして置くか・・・」
「よしっと」
「恵子ちゃんは、UI 周りのテストを初めて、今回は弱視の人向けになるから、そのつもりでテストをやってね」
「わかりました。テスト仕様書はどうしましょう?」
「あぁ・・・まだいいかな。でも、ひな形が有ったはずだから、メモだけを作っておいてね」
「増田さん。今回は、テスト仕様書の納品はないですよね?」
「うん。現物納品だよ」
「それなら、画面ショットとかいらないですよね?」
「いらない。いらない。テスト項目だけ先に作って、後でレビューしよう」
「了解です。3倍でいいですか?」
「そこまでいらないかな。倍でいいよ」
「わかりました!」

 どうやらテストを始めるようだ。僕の出番はしばらくはなさそうだな。
 テスト仕様書も作るようになったし、大分業務改善ができているよね。でも、増田。倍は少ないと思うけどな。ライブラリを使っているからって、UI周りは新規開発なんだから、コードの3倍くらいはテストしたほうがいいとは思うけどな。まぁプロジェクトリーダの増田が決めた事だから、それでいいのかもしれないな。
 昨晩直した所も無事コミットされたし、さて、ライブラリの拡張でもやろうかなぁそれとも、ラッピング API の方を充実させようか。時間はまだあるから、手つかずになっている。ライブラリの拡張をやってみようか。

・・・・
「よし今日の業務も無事終わり!」
「そうですね」
「恵子ちゃん。時間も早いから、ちょっと飯でもいかない?」
「ゴメンなさい。今日デートなの」
「ぉぃ。またかぁ」
「そ」
「まぁしょうがないな」

 電話がなる音がした。
「はい。はい。そうですね。解りました」
「部長?」
「そ、客から要望が出てきて、バカな社長が、明日にも見積もりを出しますって言ったらしく、今から見積書の作成をやるんだって」
「部長戻ってくるんだ」
「らしいね。恵子ちゃんは帰っていいよ。いかなきゃぁならない所あるんでしょ」
「すみません。今日が、丁度一周忌ですので・・・逢いにいかなくちゃ」
「あぁそうだね。そうした方がいいね。その後で、僕とデートしてね」
「気が向いたら考えます」
「お疲れさま」
「お先に失礼します。部長によろしく言っておいてください。増田さん。私なんかをデートに誘う前に、ナースの奥様に何か買って帰ったほうがいいんじゃないのですか?」

・・・・
「増田君どうだい。出来そうかな」
「出来るとは言いませんが、できる限りの事をします。今日、遅くまでかかりそうですよ。最低でも検証コートを書いてから、流してみないとわからないですよ」
「わかった、ビルの管理会社には、私の方から申請を出しておく」
「よろしくお願いします。このビルで一人は嫌だなぁ」
「まぁそう言うな、後2ヶ月もすれば、新しい所に引っ越しするからな」
「え!?本決まりなんですか?」
「社長が今日決断したよ、それも逢って、その見積もりが重要な意味を持って来るんだ」
「え・・・あぁ・・・この見積もりの提出先が、引っ越し先なんですね。敷金をシステム開発費で減額するんですね」
「まぁ簡単に言ってしまえばそう言う事だな」
「わかりました、全力を尽くします」
「よろしく頼む。私も残るから・・・な」
「いや、邪魔なので帰ってください」
「ぉぃおい。邪魔は無いだろう、『お疲れのようですから、部長は引き上げてください』位の事は言って欲しいなぁ」
「何をいまさら・・・。いや本当に大丈夫ですから、居られても、プレッシャーにしかならないから、帰ってください」
「わかった、わかった。それじゃぁよろしく頼むな。お先」
「お疲れさま。部長、私、明日は午後から来ますね」
「おぉわかった。それじゃ」

 そう言えば、今日、嫁も遅くなるって連絡が来たな。
 数年前から目覚めなかった、高校生が目を覚ましたとかで、対応で忙しくなるとか言っていたな。

 どうしろって言うんだ、これじゃぁ検証コードが動かないぞ。ラッピング API を使って・・・ぉ?
 何だ、このオーバーライド。知らないぞ、誰かが作ったのか?
 ぉぉこれを使えば・・・出来そうだな。よし作ってみるか・・・・。

 23時
 出来た、ラッピング API のおかげだ・・・ん? これって、コミットされてないのか? サーバにだけソースが上がっていたのか?
 う~ん。う~ん。まぁいいかぁ他に影響しそうにないし、この見積もりでは必須の機能だから、コミットしちゃえ!
 さて見積もりの作成を行うか・・・。あぁそうかぁ、掃除の時間か

・・・・
「あれぇおばちゃん達って夜の掃除もやっているの?」
「何いってんだか、夜もこのメンバーだよ、一年前からずぅーとね。」
「一年前からかぁ・・・。」
「そうだね。発見したのも、おばちゃん達だったんだもんね」
「そうだよ、驚いたからね。」
「そうそう、増田さん。時々何だけど、パソコンの電源が付いたままになって居るけど、消してもいいの?」
「え、サーバ室の奴じゃぁ無くて・・・?」
「違う違う。ほら、今日も付いて居るでしょ。ディスプレイは付いてないけど、パソコン本体は動いている音するでしょ」
「夜だと静かだから、音で気がついたんだけどね」
「え!?だって、あのパソコン・・・・。田中さんが最後に使っていた物で、電源が故障して入らないはず・・・だよ」
「そうなの?だって、動いて居るでしょ。ほら音もするしね」

 増田は、パソコンに駆け寄って確認した、確かに電源が入っているし、HDD の駆動音もする。ファンの音も確かに聞こえてくる。増田は、おそるおそるディスプレイに電源を入れてみた。起動していない。ケーブルが繋がって居ないのではないかと思い。確認するが、問題ない・ディスプレイを他のパソコンに繋いでみたが、問題なく使える。
 そして、増田は決定的な事に気がついてしまった。居るはずが無い田中の椅子が暖かいのだ、そして、キーボード・マウスも微妙に暖かいのだ・・・・・・・・。

「あぁ田中さん仕事熱心だったからね」

 掃除のおばちゃんは、そう言ってその場を離れていった。
 心からの恐怖と、そして感情レベルで納得している自分が居る。恵子ちゃんの婚約者であった田中さんは、1年前の昨日、ここで倒れていたのが発見され、病院に搬送された。医師ができたのは、田中さんの死亡を確認する事だけだった。

 掃除のおばちゃんが最後に言ったセリフ「田中さん仕事熱心だったからね」が、頭から離れないでいる。

 会社の引っ越しも決まった。
 しかし、恵子ちゃんの隣の席には、電源が入らないはずのパソコンとディスプレイ。誰も使う事がない、マウスとキーボード。
 それから、田中さんが一番使っていた、コーヒーメーカが置かれている。会社も規模が大きくなって、一時的に机が足りなくなったが、田中さんの席だけは残されている。

 今でも、田中さんの席は誰かが使っている様に綺麗にキープされ、深夜にパソコンが起動されている。

fin

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2020/03/19

【見えない手】港町の喧騒

 僕の田舎は、東名高速が通って居ることと、銘産となる海産物があるくらいしか取り柄がない。田舎町だ。
 その中でも、港に近い地区には、昔からの風習が残されている。中学校卒業を間近に控えた、十分冬と言われる季節に行われる行事だ。

 春漁の豊漁と、新しく船乗りになる、男児が行う行事だ。

 僕は、漁師にはならない。高校に進学するし、できれば、大学にも行きたい。伝統行事と言われるが、はっきりって迷惑この上ない。しかし、悲しい村社会・・・漁師ではない僕は、参加を拒否する事はできるはずだったが、円味まるみが参加する。
 村社会が色濃く残る。田舎町では、有力家に逆らう事ができない。僕たちの世代だけの話しなら、それほど困る事はない。嫌なら出ていけばいい。だが、親や兄弟の事を考えると、村社会での生活を維持する必要が出てくる。そして、祖父が円味まるみの船に乗っている事を考えると、拒否する事はできない。

 そもそも、円味まるみの家は、船元の家系だ。円味まるみの跡取りが、僕と同級生で、彼は船乗りになる事を決めている。
 僕には、行事の”参加を断る”選択肢は用意されていない。

 この行事は、漁師になる男児が、”船の上から海に飛び込んで、船の下を潜って反対側から登る”といった儀式だ。船乗りの行事らしく、服を着込んだまま行われる。昔は、沖に出て、服を着たまま海に飛び込んで、接岸した船に上がる行事だったが、死者が出たり、行方不明者が出たり、危険性が指摘されてからは、現在のような形に変更された。

 この形式になってから、けが人は出ているらしいが、死者や、行方不明者は出ていない。もう、20年以上もこの形式で行事が行われている。そして、過疎化が進む町としては、貴重な観光資源だと考えているのか、行事から、祭事になり、最近では、TV局が取材に来たりしている。
 数年前には、タレントが挑戦もしていた、しかし、その時が不漁になってしまった事から、長老たちから批判が出て、タレントや他の地方の人間の挑戦は、行わないようになっていった。

 今年は、何事もなく終わる予定だった。
 僕たちは、”そう”思っていた。しかし、大人たちの雰囲気が去年とは明らかに違っていた。

 縁日の如く、屋台も多数出ている。地方テレビの取材も来ている。

『今年は、円味まるみの跡継ぎが出るのか』
『”また”あんな事が起こらなければいいのだが』
『もうあの頃とは違う。大丈夫だろう?』
『いや、跡継ぎは、似ているらしいぞ?』

 過去に何かが合ったことを示唆している。
 変な空気が港中に流れているが、儀式は例年通りに行われる。

 町といっているが、”平成の大合併”で、市に吸収されたので、正式には、”町”ではないが、住民は”町”と呼称している。
 儀式は、船元達の挨拶から始まる。その後、区長や市長の挨拶が予定されている。以前は、町長だけだったが、市に吸収された関係で、挨拶する人間が増えたのだ。それに、マスコミが来る事から、普段なら欠席するような先生方まで列席している。

 儀式は、暖かい地方だといえ、春はまだ先だ。気温もそこまで上がらない、事実周りの人たちは、薄手とはいえコートを羽織っている。僕たちは、船の上で待機する事になるのだが、伝統的な衣装を着ることになっている。船の上で作業をする時の格好だが、潜る事を考慮して、厚着する訳にはいかない。その上、救命道具などを着けるわけにもいかないのだ。

 寒い格好で、待たされて、その上、十分に冬と言われる海に飛び込むのだ。
 万が一の時の対応も、消防署の指導などで行ってはいるが、長老たちの”伝統行事”という言葉で、安全性が担保されない状況になっている。

 船元が、一人一人儀式を行う男児の名前を呼んでいく、呼ばれた男児は、船元に会釈してから、海に飛び込むのだ。

 僕は寒さとこれから飛び込む海の冷たさに、心と身体を冷やしていた。
 長い長い、区長と市長の挨拶も終わりに近づいてきた。儀式に参加するのは、僕を入れて、6名。順番も決められている。独特の階級があり、最上位に、船元。その後は、船大工・船乗り・船守りと続く事になる。儀式は、階級が下の者から執り行われる。船元にも、力関係があり、順番で揉める事はない。
 僕の家は、祖父が船乗りをしているが、家系的には、船大工に相当する。そのために、順番は最後の方になる。

 今年は、船乗りが居ないので、僕の前に、船守りの田中が行う事になっている。

 田中が、名前を呼ばれて、海に飛び込んだ。
 船から飛び込むのも勇気が必要だ。船は、油を抜いて、計器類も外して軽くしているので、喫水はそれほどではないが、それでも、船の下を潜るのにも勇気が必要になる。田中も体制を整えてから、潜った。水中で吐く息が泡となって現れる。それが、船に近づいて、反対に現れた。無事に移動できた事が解る。後は、今までの4人の様に、上がってくるだけで終わりだ。
 船に上がるには体力が必要になる。冷たい海は思った以上に体力を奪う。縄を使って、船上に上がってきた。観客席に居る人達に一礼して、暖かい格好になっている。

 僕の名前が呼ばれる。
 最初は、かっこよく飛び込もうと思っていたが、田中と同じ様に一度、海に飛び込んでから、船の下を潜ることにする。
 船上から、周りを見ると、同級生の女の子達が何人か見学に来ている。両親や祖父母の姿も見える。心配してくれているのだろう。

 冷たい海に飛び込む。心臓が跳ね上がるのが解る。覚悟を決めて、肺にめいいっぱい空気を取り入れる。

 船底を回るためには、潜らなければならない。そんな当たり前の事も、自分が実行する段階になると、覚悟を決めていても怖い。
 目を開けたくないが、開けていないと、船底にぶつかってしまうかも知れない。ソレだけならいいが、不測の事態に巻き込まれた時に、状況を確認するためにも、目を開けておく必要がある。

 冷たい海。
 港の中とはいえ、暗く深い海。

 手で船底を確認しながら、進む。肺の中の空気が消費される。僕は、大丈夫だ!
 そう言い聞かせながら、船底を深い方に向かって進む。

 船底の先端だ!
 後は、戻るだけだ!

”ビックン”
 何か、足に絡まった。怖い。怖い。怖い。

 急いで、水上に向かう。何か引っ張られるような感じがする。怖いが、確認してみるが、足には何も捕まっていない。だが、確実に、右足に何かが絡まっている。ゴミかも知れないが、掴まれている感じがする。

 陽の光が見える。
 水上はすぐそこだ。

 肺に入っている空気を吐き出して、一生懸命に顔を海から、恐怖から、逃げる。

 顔が水から出る。
 助かった。

 無事反対側にも出られたようだ。
 同級生の女の子達が、拍手と笑顔を向けてくれる。両親も祖父母も安堵の表情を浮かべているのが解る。
 女の子達の笑顔が、僕だけに注がれているわけじゃないのは解っているが、それでも、嬉しい。

 船上から縄が下がっている、登れば、終わりだ。

 船に上がるために、縄に掴まる。

 その瞬間。
 僕の腕を誰かに掴まれた。握っていた縄を離してしまう。

 気のせいだろう。再度縄に掴まるが、今度は違和感はなにもない。
 いつまでも海の中に居れば、体力が奪われるだけで、良い事はない。力を入れて、縄を登る。甲板まで、あと少しだ

”おまえだ!”

 耳元で誰かが怒鳴った。
 腕を掴まれた、右足も掴まれて、海に引きずられる。

 縄を握っていた手を離して、海に落ちてしまった。
 周りを見るが、人が居るわけが無い。こんな大きな声なのに、周りには聞こえていないのか?
 失笑が起こっているのがわかる。

 疲れて、幻聴でも聞いたのだろう。気を取り直して、縄を握る。右手には、不自然と思える跡が着いていた。
 縄を握った瞬間に、右足を握られて、海に引きずり込まれる。

 『やめろ!』
 心の中で叫んだ!それでも、右手と右足を掴む力は弱まらない。

 海に引きずり込まれる。
 この状況になって、失笑していた観衆が、ざわつき始める。僕は、必死に、手足を掴む力に、抗おうとしている。
 
足を掴んでいる”なにか”を、確認しようとした時、

”違う!こいつじゃない!魂が違う!”

 何かが、”そう”叫んだ。
 その瞬間、僕の手足を拘束していた力が無くなった。縄を握って、一気に船に上がる。

「大丈夫か?」
「あぁ」

 船上で田中が話しかけてくれる

「何か絡まったのか?」
「わからない。でも・・・ううん。なんでもない。大丈夫だ」
「そうか・・・」

 田中も何かを感じたのだろう、それ以上、聞いてこない。田中の目線は、僕の右足に付けられている、”握られた”様な痣に向けられている。僕も、痣には気がついているが、勘違いだと思うことにした。
 大人たちは、僕が船上に居る事で安心したのが、儀式を続けるようだ。僕が、今の話をしても、鼻で笑われるのだろう。どんなに、真剣に訴えても、”彼”が海に飛び込むのは止められないのだろう。

 嫌な予感とはこういう事を言うのだろう。
 大声を出して止めたい。”彼”に飛び込むのを辞めて欲しい。でも、誰も・・・・僕以外は、それを望んでいない。

 ”彼”は、僕の方を一瞥して、立ち上がっている。
 縁に足をかけている。”彼”は、船元の跡取り。当然ながら、最後を飾らなくてはならない。僕たちが、儀式用とはいえ安全に気を使われた服装をしているのに対して、”彼”は、昔ながらの・・・伝統的な衣装を着て、儀式に挑むようだ。それが、船元であり、船員の命を預かる者の、”証だ”と、いいたいのだろう。

 ”彼”が縁に立ち上がる。
 ”彼”自信、失敗するとは思っていない。
 群衆も、”彼”が飛び込んで、潜って、出てくる。この流れが違える事がないものだと思っている。

 そして、船に上がって、挨拶をする。

「俺は、円味まるみの者だ。今回の儀式も、誰一人掛ける事なく」

 ”彼”は、ここで言葉を切って、僕を見る。少しだけイラッとした。”彼”は、口上を続ける。聞いていると、ただ普通の事を、大声で言っているだけなのは解る。

 ”っつ!痛!”

 右足に痛みが走る。痣がうずくと言えばいいのか?

「どうした?」

 田中が、そう声をかけてくれる。
 僕と田中のやり取りが気に入らないのだろう、”彼”は、僕たちを睨んだ。

「なんでもない。大丈夫」

 ”彼”の方を見て、頭を下げる。変に、言い訳してもいい結果にならないのは、経験から解っている。”彼”は、自分の話を遮られるのを一番嫌う。尊大だとは思わないが、やはり、”彼”は、円味まるみの跡継ぎなのだろう。

「俺は」

 ”彼”が、僕たちをみて

「俺たちは、成人する。諸先輩方、祖先の英霊。円味まるみの跡継ぎとして、儀式を成功させる!」

 ”彼”は、そう高らかに宣言して、海に飛び込んだ。

 飛び込んだ後で彼がなかなか浮いてこない。通常なら飛び込んだ後で、一旦浮上して、それから船の下を潜るようにする。彼は、一気に船の下を潜ろうとしているのでは?

 その場に居合わせた全員がそう思った瞬間。思いもよらない出来事が発生した。
 僕達が乗っていた船が動き出した。儀式の為に、エンジンは切っていた。しかし、船は確実に動いている。スクリューが回っている音さえ聞こえる。

「キーを抜け!早く!」

 その声に反応するように、船室に向かう。
 しかし、エンジンを回す為のキーは着いていない。

「キーがない!でも」

「「「きゃぁぁぁぁ」」」

 最悪な結果を連想させる悲鳴が港中にこだまする。

「血が・・・血が・・・」

 僕たちは、エンジンの停止を諦めて、船尾に向かう。
 僕たちが、船室を出たら、エンジンが停止した。

 船尾で、僕たちの目の前には、信じられない光景が広がっていた。

「・・・血か?」

 田中が一言だけそうつぶやいた。

 海の中で怪我をした事がある人なら解ると思うが、切断くらいの怪我をしない限り、海の中で血が解るくらいに出る事は少ない。目に見える範囲全部が、”赤く染まる”状態になるとは考えられない。どれだけの血を流せば・・・違う。多くの血が流れ出ても、ここまで広がる事はない。

 この血が全部”彼”の者だと誰もが思った。

 一瞬の静寂。
 永遠だと思える、刹那の時間がすぎ、”彼”が浮上してきた。

 微笑みを浮かべている。眼を開いて、なにかを見つめているようにも見える。

 僕たちは、”彼”が助かったのだと理解した・・・・。

 しかし、”彼”の微笑みは、最悪の結果を覆す事はできなかった。

 ”彼”の微笑みを受けて、観客から吐息が聞こえてくる。
 それが、悲鳴に変わった。

 ”彼”の身体は、永遠に頭の重さに耐える必要が無くなってしまったようだ。

 微笑みのまま、うつぶせになるように、海に顔面を鎮める。
 切断された首が、はっきりと解る。切断面が、観客の方に向けられる。

 悲鳴にならない悲鳴が聞こえる。

 それから、右足・左足・胴体・左腕・右腕。何かを暗示するように、順番に浮かんでくる。

 理解が追いつかない。
 ”彼”はまだ海の中にいるのか?これが、彼だとはどうしても思えない。そもそも、切断された身体は海に浮かぶのか?

 ”彼”の頭部が、”ぐるり”と回って、こっちを見た。誰しもがそう思ったのだろう。これは、”夢”だと・・・。しかし、”彼”の顔は、なにかに怯える様子もなく、微笑んだままだった。
 エンジンがたしかに止まって、スクリューの音もしなくなった。喧騒や悲鳴も聞こえてこない。

 ”ピィーピィー”

 笛の様な高い音が鳴り響いた。

『はっはははは』

 笑い声が、狭い港に木霊する。誰かが笑っているわけじゃないのは解る。確かに笑い声が聞こえた。

 どのくらいの時間が流れたのだろう?
 大人たちが海に飛び込む。女たちの叫び声が”遠く”から聞こえる。

 大人たちは・・・長老衆は・・・”あの時と同じだ”と、言って崩れ落ちてしまった。

 それから、暫くは何が起きたのかはっきり覚えていない。救急車のサイレンが聞こえた気がしたが、それは遠い別世界で起こった出来事だったと思う。
 しかし、現実に彼はバラバラになってしまった。そして、不思議な事にレスキュー隊や海に精通している人達が潜って探したが、彼の右手だけは発見する事が出来なかった。

 それからの事は、僕は覚えていない。どうやって、家に帰ったのかさえも覚えていない。涙を流した記憶も無い。

 そして、数日が経って、彼の右手は結局見つからないまま、葬儀が執り行われた。その時まで気にもしていなかったが、僕が儀式をした時に聞こえた声と僕の足を掴んだ手の事を思い出して、恐る恐る足を見てみた。足には、しっかりと手の後が残っていた。そう右手で掴まれた後が・・・。

 葬儀は何事も無く終わろうっとしていた。古株の言ったセリフが忘れられない僕は、思い切って祖父に問いかけてみた。祖父は、円味の船に古くから乗っているので、何か事情を知っているのでは・・・そう思ったからである。
 僕の問いかけに、祖父は何も答えてくれなかった。しかし、一言、”葬儀が終わったら書斎に来い”それだけ言い残して、その場から立ち去ってしまった。僕は、葬儀が終わるのを待って、祖父が言った書斎に向かった。祖父は既に着ていて、椅子に座って僕を待っていた。

 僕がドアを開けて入る。

「ドアを閉めろ」
 普段とは違うキツイ口調で僕に命令をした。そして、

「足を見せて見ろ」
 僕は言われるがままに、祖父に掴まれた後が残る足を見せた。

 足のあざを見た祖父は、僕を抱き締めて・・・話し始めた。それは、僕にだけ聞こえるように耳元で囁いているようでもあった。

「よかった、お前が無事で、本当によかった。このあざを着けられた者は、全員あいつらに殺されているんだ、よかったお前が無事で・・・本当によかった」

「あいつらって?」
 僕は、好奇心と同じくらいの恐怖心から祖父に尋ねた。祖父は、僕を抱き締める腕を少し緩めながら話を続けた。

「昔、そう俺が儀式を行うよりも昔の話だが、昔は沖から泳いで来る事が習わしになっているのは知っているな」

 僕は、頷いた。

「その時に、悲劇が起こった、一人の青年が泳げないのに、儀式に参加させられたのだ、この儀式は、お前も知っていると思うが、基本的には船乗りの関係者だけに限られる。その泳げない者は、船乗りでもなんでもない家の息子だった。しかし、ある船本の跡取りが面白がって、その青年も一緒にやらせる事になったのだ、本来そんな事は断れば良いのだが、その青年の家は、船本から魚を仕入れていたために、断れなかったのだ」

「そして、当日、悲劇が起こってしまった。泳げない青年は海に飛び込んだが、それでなくても泳げないのに、衣服を着けたままでは、溺れるしかなかった。その青年は、必死になって泳ごうっとしたが、もがけばもがくほど溺れてしまう。そして、青年は、溺れてしまった。その時に、青年は必死に何かに捕まろうとして、船本の青年の右足に掴まったが、船本はその手を左足で蹴って、振りほどいてしまったのだった」

「そして、青年はそのまま海の底に沈んでしまった。昔は、今ほどしっかりしていなかったし、船本の力は絶対的な力があった、この件は、青年が自分からやるっと言い出して、溺れて死んでしまった悲しい事故として処理された」

 そこまで一気に話すと祖父は、腕の力を緩めて、僕に椅子に座るように言った。

「それで、その青年はどうなったの?」
 ちょっと間抜けな質問だったが、祖父に聞いてみた。祖父は、困った顔になり。

「死体は出てきたが、右手だけは見つからなかった」
「え?」
「そう、今回と同じで、右手だけは見つからなかったのだよ」

 それだけ言って、祖父は黙ってしまった。僕は、聞かなければならない事を思い出した。

「それって、円味の所の話なんだよね? その話って今回が2度目って事はないよね?」

 暫くの沈黙の後、僕が口を開きかけた瞬間に・・・。

「そうだ、円味の大将のお父さんの話だ、今回のような事故は、2度目じゃない、前に円味の分家筋にあたる末丸の所の小僧が成人を迎えるときに起こった。その時には、今回と同じように、船が勝手に動き出して、末丸の小僧をスクリューに巻き込んだが、一命を取り留めたその代償として、小僧は右手を失った。右足には、今でもはっきりとあざが残っている」

「あぁだから、あのおじさん儀式には顔出さないし、水辺にも絶対に行こうっとしないんだ」

「そう、だから、お前からあざの話をされたときに、俺は・・・。俺が、円味の船に乗っているからか?っと思ったんだ」

「それはないでしょ、最後に耳元で『違う。こいつじゃない。』って言っていたから・・・」

 祖父は、僕の話を聞いてからは一言も発することなく、立ち去ってしまった。

 それから、必死の捜査にもかかわらず、彼の右手は見つからなかった。
 彼の右手は、どこに行ってしまったのだろうか? そして、僕の足に依然として残るあざは何を意味するのだろうか・・・・。

 それから数年が経って、僕の右足のあざも綺麗とは言わないが、消えかけてきた。僕は、結局祖父の後をついで、船乗りになる道を選んだ。そして、初出港の日・・・。何気なく、見た右足に、消えかけていた記憶を呼び起こすかのように、あざが克明に現れた。しかし、そのあざは以前の物とは明らかに違っていた、僕にはそのあざに見覚えがあった、そう、誰に相談する事なく、誰に証明されるわけでもないが、僕にははっきりと解ってしまった。それは、彼の右手が残したあざなのだ。

 僕がそのあざを撫でようっとした瞬間、違和感を覚えた。あざに触れないのだ、実際には触れるはずだが、いくら手を向けても、あざに降れることが出来ないのだ・・・。そう、見えない手がそこにあるように・・・僕があざに触るのを拒否している。

 そして、今でも僕の右足には、彼の無くなった右手がしがみついている。

fin