【第二章 リニューアル】第三話 雪うさぎ

 

「マスター。ボンペイをお願い」

 マスターは、カウンターに座る女性の注文を聞いて、泣き出しそうな女性の表情を見て、ブランデーとスイート・ベルモットとドライ・ベルモットをカウンターに並べる。カウンターには並べなかったが、パスティスとオレンジ・キュラソーを用意した。

「ねぇマスター」

「はい」

「ボンペイの意味は?」

「『1人にしないで』です」

 ステアして完成したボンペイを、マスターは女性の前に置く。

「ボンペイです」

「ふふふ。『1人にしないで』かぁ・・・。あの人が、好きだったカクテル。1人にされてしまったのは、私・・・」

 女性は、グラスに満たされた液体をゆっくりと喉に流し込む。

 グラスをテーブルに置いた女性の前に、水が満たされたグラスが置かれる。

「ありがとう」

 チェイサーを一気に喉に流し込む。
 冷えた水が、熱を持っていた喉を冷やしていく感覚を女性は感じていた。冷えた喉が、女性の気持ちを落ち着かせる。

「マスター。何か、ドライ・ジンで作って・・・。それで、彼のことを忘れたい。私を捨てていった優しいけど、酷い人を忘れる」

 マスターは、うなずいて、カウンターにドライ・ジンとデュボネをシェイカーに注いで、オレンジ・ビターズを加える。

 マスターがシェイクする音が、女性の耳に届く。
 女性は、目をつぶって、2つの液体がマスターのシェイクで一つの液体になっていく音を感じる。

 マスターの動きが止まった。
 用意したショートグラスに、シェイカーの中で一つになった液体を注ぐ。

「メリー・ウィンドウです」

「ねぇマスター。どういう意味?」

「『もう一度素敵な恋を』です」

「ふふ。ありがとう。そうね。あの人との思い出も、”素敵な恋”だった・・・。もう一度・・・」

 女性は、ショートグラスを持ち上げて、一気に液体を流し込む。

「マスター。ありがとう」

「・・・」

「そうね。私ね。を辞めるの・・・」

「そうですか、それでは、『またお越しください』とは言えないですね」

「ありがとう。でも、また来るね。今度は、『サイレント・サード人知れぬ恋』ではなくて、『ウィスキー・フロート楽しい関係』を頼むわ」

「わかりました。『オールド・パル思いを叶えて』でお迎えします」

「ふふふ。ありがとう」

 女性は、カウンターに置かれた新しいチェイサーを飲み干してから、立ち上がって一万円札をカウンターに置いた。お会計には多すぎる金額だ。だが、女性はお釣りを取らずに、店を出る。マスターも後を追うようなことはしない。

 マスターはノートを取り出して、女性の名刺が挟まれたページにチェックを入れる。

「マスター?」

「居たのか・・・」

「ひどくない?」

「それで?」

 男は、マスターに封筒を渡す。

「わかった」

 マスターは、男が差し出した封筒の封を切らずに、カウンターに置いた。
 店の明かりを消して、ドアに施錠をする。閉店を示すように入り口のシャッターを降ろした。

 カウンターに置いた封筒を持つ。

「マスター。『オレンジブロッサム』をお願い」

「・・・」

 ドライ・ジンとオレンジジュースを取り出して、シェイカーに注ぐ。アンゴスチュラ・ビターズを入れて、シェイクする。
 ショートグラスに注いで、男の前に置く。一緒に、チェイサーを置く。

 男は嬉しそうに、ショートグラスを持ち上げて、光が消えたライトにオレンジブロッサムを掲げる。

「『感謝の気持ちを忘れない未来少女』かぁ・・・。ねぇマスター。未来少女の現在は、どうなっているのだろうね」

 男の問いに、何も答えずにマスターは奥の部屋に移動した。
 簡易ベッドに横になって、封を開ける。中には、A4用紙と新聞の切り抜きと一枚の写真が入っていた。

 新聞の切り抜きは、半年くらい前に発生した飲酒運転のトラックが小学校の列に突っ込んだ物だ。小学生二人と、庇った人が犠牲になった。3人の命を奪いながら、運転手は飲酒運転と業務上過失死傷で裁かれた。危険運転致死傷罪ではない。求刑も5年と短い。それだけではなく、反省の意図があるという理由で判決は執行猶予付きの4年になった。遺族が、控訴を求めるが検察は動かなかった。マスコミも、加害者を保護しているような報道を繰り返した。
 被害者に11歳になる女の子が居た。母親が夜の店で働いていると解るとマスコミは母親に殺到した。母親が自殺未遂を起こすまで報道が加熱した。すべては、事故を起こした運転手と、飲酒運転の常習で、免許停止中なのにトラックを運転させた企業側にあるのに、母親が夜の仕事で歯を食いしばって1人娘を育てるのが悪い事のように報道した。

 マスコミの報道から得られる情報が簡潔にまとめられている。
 A4用紙の裏には、裏事情が書かれている。わざわざ。透かしで、”表”と”裏”と書かれている。

 マスターは写真を手に取る。
 写真には、1人の女の子が母親らしき女性に抱きついている。プリクラで撮影したのだろう。二人の笑顔が眩しい写真だ。写真にはお互いへの感謝の言葉が書き込まれていた。

『ママ!お仕事、お疲れ様。いつもありがとう。ママ。大好き!』

 マスターは、裏事情をもう一度しっかりと読んでから、A4用紙と新聞の切り抜きを封筒に戻す。奥の部屋から店に戻ると、男がロックグラスにウィスキーを入れて飲んでいた。

「ターゲットは?」

 マスターは、写真をカウンターに並んでいる瓶に立てかける。

「検察・弁護士・裁判官。そして、最初に報道した記者」

「検察や弁護士や裁判官は、先生に頼んでくれ、俺には荷が重すぎる」

「大丈夫。そっちは、別の者たちが動いている」

「記者だけなのか?運転手や会社は?」

「運転手は、死んでもらった。飲酒運転で事故死だ。本望だろう。記者が終わったら、社長の家族が病死する」

 マスターは黙って男の話を聞いて居る。

 カウンターに、ドライ・ジンとドライ・ベルモットとスイート・ベルモットを並べる。シェイカーに材料を注ぎ入れる。適量のオレンジジュースを入れて、シェイクする。

 4つのショートグラスを並べる。3つには、シェイカーから液体を注ぐ。写真の前に、空のグラスと液体が入ったグラスを置く、一つは男の前に置いた。写真の前にある空のグラスには、ローズシロップとパッションシロップとミルクをシェイクした液体で満たす。

ブロンクスまやかしと雪うさぎ」

 写真の中で笑っている女の子は、自分の頭にうさぎの耳を書き込んでいる。

「「献杯」」

 マスターと男は、グラスを持ち上げて、女の子に杯を捧げた。

 翌日から、バーシオンは1週間の臨時休業に入った。
 マスターは、知り合い弱みを握っている記者に情報をリークする。情報をもらった記者からは”記事にはできない”とだけ返事が来た。

 マスターは次の手として、記者を罠にはめることにした。

 記者は、女性に独占取材を申し入れた。女性の素性や女児の情報は記事にしないと約束していた。しかし、掲載された内容は女性と女児の生活が赤裸々に書かれていた。それだけではなく、女性が女児を虐待していたという嘘の内容まで含まれていた。
 記者は、虚栄心を満たすために女性と女児を汚した。

 マスターは、本当のことを含めた嘘の情報を流す。記者が喰い付いた情報を、他の雑誌社に本当の情報だけを流した。
 記者は、嘘を膨らめて記事にした。独占情報だと思ったために、大々的に発表を行った。それが、罠だと知らずに・・・。

 記者は、表の顔を持ち複数の店舗夜の店を実質的に、運営を行っている者の”虎の尾”を踏んでしまった。誤報というミスの上で・・・。だ。

 訂正記事を出す時間も与えないで、関連会社だけではなく、アダルト系の広告のすべてを停止した。該当雑誌だけではなく、出版社と出版社の親会社への広告の入稿も取りやめた。Webへの広告もすべてだ。
 そして、他の出版社から出されている雑誌やネット記事で、記者が今までやってきた記事を書き連ねた。

 記者が自殺するのに時間は必要なかった。

 マスターと男は、一つの小さな墓に来ている。
 男は、とあるトラック運営会社の破綻と会社社長と社長夫人らの病死を告げる記事を置いた。記事には、会社が行ってきた不正の数々が書かれていた。同時に繋がりがある議員の病死と、とある裁判への介入が書かれていた。不正は、検察だけではなく裁判官にも及んでいた一大スキャンダルに発展して、議員が所属していた派閥は大きく力を落とした。
 マスターは、ショートグラスを取り出して、作っておいた液体を流し込む。

 マスターは、墓石に深々と頭を下げる。
「雪うさぎです。ノンアルコールです。是非、お酒が楽しめるようになりましたら、お母様と一緒にご来店ください。お二人にピッタリなカクテルをお作りいたします」

 マスターと男は、もう一度だけお墓に手をあわせてから、立ち去った。

 墓前には、女児が着ていた服にデザインされていた”ひまわり”の大輪が置かれていた。

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