短編の記事一覧

2020/04/06

【そして空を見上げた】あの日見た空

 私は、今会社の屋上に登っている。
 あの人が最後に見た空は、私が今見ている空とは違うのだろう。こんなに、滲んで居なかっただろう。

 私は、あの人が最後に見た空を見たかった。
 光化学スモッグで汚れた空だが、あの人にはどんな風に映っていたのだろう。
 空を見上げていた、口元は笑って居た。ただ、もう二度と、話をする事も笑顔を見ることもできない。

 溢れ出る涙を拭って、部署に戻る。
 もう一度空を見上げる。見上げた空は、何も変わっていなかった。

 ここは、川崎駅から、南武線に乗って何駅か行った場所にある会社だ。小さいながらも自社ビルを持つIT企業が、私が務める会社なのだ。今、私は自宅謹慎になっている。私だけではない、私の部署全員が同じ境遇になっている。
 自宅謹慎といっても、別に自宅に居なくてはならないわけではなく、連絡が付く場所にいれば良いと言われている。

 私と同じ様に、自宅謹慎になっている人たちが、ちらほら会社に来ていた。私の部署は、会社の中では中規模な部署だ。人数は、20名ほどだが全員が実働部隊プログラマという珍しい部署だ。たいてい部署の中に専任の営業が居たり、ネットワーク屋が居たり、何かしらの専門家が居るのだが、私の部署は”プログラマ”だけの集まりになっていた。

 こんな部隊を率いていたのが、倉橋さんだ。

 私が、倉橋さんの部署に配属されたのは、社会人になってから2年ほど経ってからだ。
 最初は戸惑う事が多かったが、鎮火作業に繰り出される事が多い部署だと話を聞いていた通り、作業はほぼ”火”が点いている現場だけだった。
 そんな場所で、2年過ごせば、大抵の事はできるようになってくる。倉橋さんの部署に、専門家が居ない理由がよく分かる。専門家を置く必要が無いのだ。全員が、ある程度の事ができてしまうのだ。そうなるように、配置されていくのだ。現場に出てしまえば、”知りません”や”できません”は言えない場合が多い。そのために、専門家には敵わないのは当然だけど、ジェネラリストな対応が求められる。

 私も、経験と同時に扱える言語の数が増えていった。DBも触れるようになり、サーバ周りの設定やサービスの設定も行えるようになっていた。

 倉橋さんには、笑いながら

「業務履歴書にたくさん書き込めるぞ!」

 と言われた。事実、私たちの業務履歴書はすごい事になっていた。
 ただ、専門家ではないので、職種は”プログラマ”のままにしているのだ。

 倉橋さんは、よく笑う人だ。理由を聞いたら、”笑わないで居ると心が潰れてしまうから”と、笑いながら教えてくれた。

 39歳の誕生日を職場で迎えたと笑った笑顔を忘れない。

 あれは、ある巨大システムの鎮火作業に携わった時だった。
 そこは、今までの火付け現場とは違っていた。

 今まで、私たちも巨大システムの火消しに携わった事があったが、それは根本が違っていた。

 とある、大手SIerが、来春からオープンする病院のシステムを受注して、開発を行っていた。最初の火は小さな小さな物だったようだ。ハードウェアと連結する部分を担当していた、会社が飛んだのだ。

 この業界、仕事をしながら会社が飛ぶという現実はよく発生している。
 大きなシステムになればなるほど、間に入る会社が多ければ多いほど、支払いサイトが発生する。後で知った話だが、飛んだ会社は、翌末締めの翌々々末払いになっていた。支払いまで、120日かかる計算になる。しかし、そこで働かせている従業員には、末締め翌25日払いにしないと生活ができなくなってしまう。その間の約100日程度を会社が持ち出すのだ。
 それだけなら銀行融資とかで繋ぐ方法も考えられる。しかし、火が付いてしまうと、受注会社は支払いを渋る傾向にある。1週間遅らせるだけで、小規模の会社は飛んでしまう。

 こうして、1つの会社が仕事をしながら、飛んでしまって、火が具現化する。
 要因はいろいろ有るだろう。中間会社の支払いが少し遅れただけで、下は大きな反動を喰らう事になる。

 ここで、受注している会社が出てきてジャッジをすればほとんどの場合は鎮火する。しかし、中間会社が出てきて、こねくり回すと、間違いなく火が大きくなる。

 この時にも、飛んでしまった事を隠した中間会社は、内部の人間で作業を継続する事を考えて実行する。

 これで、火が少しだけ大きくなる。
 大きくなった火を消すために、他のうまく行っている部署から人を集めて来て火消しを行う。

 これを繰り返す。火がシステム全体に行き渡るのに、それほどの時間はかからない。
 特に、病院の様なシステムでは、人を投入すれば火が消えるような場所ではない。”お上”から出される難解な点数表を読み解く力や、意味不明な業界用語や業界の常識を知らなければならない。

 それがわかっていない”優秀なシステムエンジニア”たちが大量に投入され始める。
 中間会社が集めてくる人材は優秀な人たちだが、一点だけ”業務知識”が足りなかったのだ。それも、バラバラの対応方法で、目先の鎮火作業を行っている。
 その場所の火は小さくなって鎮火する。しかし、すぐ横に新たな火種が産まれる。

 受注会社が対応に乗り出すが・・・時すでに遅く、火はシステム全体を覆うようになってしまっていた。

 倉橋さんの部署にこの話が来た時の状況だ。倉橋さんに、まとめ役のになってほしいという事だ。私たちの部署は、このシステム案件に関わる事になる。部署の全員であたるのを、倉橋さんは渋ったようだが、会社の意向もあり、全員で現場に向かう事になった。

 現場を見た私たちの感想は、皆同じだった・・・。
 それほど長くこの現場は持たないだろう・・・と思った、いろいろな現場で鎮火作業をしてきたから解るが、悪い方に転がっている現場は、雰囲気が同じなのだ。
 作業をしている会社同士が固まって、お互いに監視し合っている。
 そして、話し声が聞こえないのだ。笑い声はもちろん誰も声を出さないで、モクモクと”自分が言われている”事だけをやっているのだ。指示を出す者も、自分たちの事しか考えていない。

 そして、顧客との打ち合わせでは、淡々とスケジュール消化状況だけが報告されていく。

 倉橋さんが、客との打ち合わせに呼ばれました。
 この時に、悟りました。私たちが貧乏くじを引いたのだと・・・。
 嫌な予感が的中しました。中間会社がスケープゴートにされて、リスケが発表されました。そして、私たちが鎮火部隊となり、作業を行う事になったのです。もちろん、受注会社は、顧客には火が付いているとは説明しません。

 作業が遅れている言い訳を探していたのです。倉橋さんが来た事で、体制を作り変える事。施設の設備を使って、実際に動かしながらテストをする事を告げて、作業が遅れている事を隠したのです。
 当初の計画では、施設の設備を使ってのテストは、運用を行う部署が担当するのですが、その時間を開発に使うのです。無茶苦茶な理論ですが、すんなりと承諾されてしまいます。不思議な事ですが、受注会社の手腕ごまかしなのでしょう。

 しかし、伸びたと言っても、数ヶ月です。
 ここまで消費してしまった日数に比べれば微々たるものです。

 ここで、1番の問題が発覚したのです。
 私たち以上に、受注会社の担当者が内情を把握していなかったのです。把握しないで、客と話ができるのは不思議ですが、困った事にこれができてしまうのです。”詳しい事はお手元の資料を御覧ください”の魔法の言葉を乱発したのです。
 資料には、小難しい言葉でごちゃごちゃと書かれています。遅れている事を、言葉を変えて説明しているのです。火付け現場でよくある事ですが、客に提出する資料を作って、作業が遅れていく、その遅れた時間を取り戻すために、現場が無茶をする。そして、現場から人が減って、営業が新しい”経験がない”者を投入して、現場が混乱して更に遅れる。

 この現場でも、同じ事が発生していました。
 しかし受注会社は顧客に遅れていると言えないために、この作業は継続させる必要があります。現場がまた更に圧迫されます。

 そして、現場が、実際の施設を使いながら作業を行う事についての”論理的”な説明がされます。
 そう・・・”できている物”を施設で動かして、確認しながら、実際に使う人に説明する。

 これが新たな火種になります。

 これまで、仕様を決めていたのは、”現場を知らない”事務方の人や経営者の人たちです。実際に現場の人の意見も入っているとは思いますが、現場の”直接”の意見ではありません。
 現場からの意見。
 実際に使う人の意見。
 これが、どんな結果をもたらすのか、やる前からわかっていますが、やらないわけには行きません。それが、数ヶ月を手に入れた時の約束なのです。

 これらの作業を、受注会社は私たちの作業としてくれたのです。ありがたくて涙が出てきます。

 倉橋さんは、笑いながら、

「なんとかしよう。受注会社や中間会社や会社のためではなく、実際にシステムを必要として、実際にシステムを使う人のために、頑張ろう」

 そう言って、私たちを鼓舞します。
 私たちの現場は、顧客の施設の中に作ってもらった部屋です。将来的には、システム屋が常駐する部屋になります。そのための作業も平行して行っています。

 私たちは、最前線に居ます。
 顧客と膝を突き合わせて作業をしていますし、一人ひとりの顔がよく見えます。相手も同じです。毎日、挨拶して毎日会話をして、毎日対応している人たちには、優しくもなれます。
 私たちは、現場に受け入れられたのです。しかし、それが受注会社には面白くないのです。本来なら、自分たちがやらなければならない事を、私たちにやらせておきながら、私たちがうまく回りだすと、営業を通して文句を言ってきます。

曰く
・作業時間が短いが本当に作業をしているのか?
 女性陣は、9:00-23:00ですが何か?男性陣に関しては、9:00-5:00(始発)ですが何か?
・笑い声が聞こえると、苦情が入っているが?
 顧客が来て笑っていますけど・・・誰からの苦情ですか?
・勝手にシャワーや仮眠室を使わないように
 顧客に聞いたら使って問題ないと言われましたがなにか?
・車やバイクでの通勤は認めていない
 最初にいい出したのは、受注会社の部長です。それも、私たちに確認と許可を取りに行かせていますけど?

 現場と私たちの距離が近くなればなるほど、受注会社がひた隠しにしてきた事が捲れます。

 開発が遅れている事がバレてしまったのです。
 慌てたのは、受注会社です。私たちの責任にはできない状況です。私たちも必死で調整を行いますが、無理に近い状況で作業をしていて、これ以上に何ができる状況ではありません。

 現場は、状況を薄々感じていたので、驚きはしませんが、上層部は違います。
 受注会社を呼び出して、大激怒です。

 受注会社は、ここで素直に謝罪しておけば良かったのでしょう。システムの稼働が遅れれば、困るのは顧客です。現状でも、だましだましなら使えるです。手作業が増えて困るのは現場です。でも、現場でもシステムがないと困るのは認識しています。ですので、手作業の部分を受注会社が肩代わりする事で、時間をもらう事はできたのです。事実、倉橋さんは、その様な提案を現場/上層部に投げて居ますし、感触は悪い物ではありませんでした。

 しかし、受注会社は禁じ手に近い手法言い訳を使ったのです。

 パッケージの導入です。

 大抵の業種で、パッケージ商品があります。
 マイナーな業種でも探せば誰かが作って売っていたりします。それを購入して可動させるという物です。

 正直、私たちも最初はこれを検討して、いろいろなパッケージを出している会社に打診しました。しかし、結果はパッケージを導入しても、連結作業に時間が掛かってしまって、ハードウェアの選定からやり直す必要が出てくる可能性もあるので、意味がないという結論に達しています。受注会社にもその旨は伝えてあります。
 しかし、受注会社はその手札を切ったのです。

 そして、新たな火が燃える事になるのです。
 パッケージですから、1つ1つは問題なく使えます。使えてしまうのです。顧客が巨大な病院です。部署も多ければ関連するパッケージも多くなります。それらを連結させなければなりません。それが新たな火種です。
 部署単位で動いているので、それでは業務として流して見ましょうとなる。この段階で問題が多々見つかります。

 もう時間との勝負になってきます。
 受注会社の関係者が泊まり込みで作業を始めます。

 倉橋さんは、私たちを交代で休ませたり、帰られそうにない時には、近くのホテルで休ませたりしてくれます。

 大本の火には私たちは手出しできません。
 受注会社が責任持って作業しますと言っています。そのために、私たちは主に顧客対応やパッケージ会社とのやり取りに終始し、テストを行ったりしています。

 火付け現場では、食事に行く時間を削って作業をしているようです。
 こんな状態が長続きするわけがありません。戦線離脱者が徐々に出てきています。悪循環が止まりません。

 そんなタイミングで火災の中心部に、自分は安全な所にいながら、ガソリンの入ったタンクを置いていった者が居たのです。優秀な営業が顧客に対して、リップサービスのつもりだったのでしょう・・・だと思わないとやっていられませんが、これだけ巨大なシステムですからパッケージ化して販売を検討してみてはどうかと・・・。
 まだ完全に動いていない状況で、こんな事をいい出した理由がわかりません。顧客が、他にも病院や施設を持っている事から、ここで発生した赤字を回収したいのかもしれません。

 しかし、今のチグハグはシステムではそんな事は、夢のまた夢です。それに、パッケージを導入してしまっている事から、会社間の調整も必要になります。繋げたのは確かに受注会社ですが、それだけです。それに、仕様を決めなければならない部分がまだ多数残っています。専門性があるアプリケーションを作るのはそれほど難しくなりません。顧客との間で信頼性が確保されているのならです。しかし、汎用性がある物を作るには、業界の事を知らなければならない上に仕様的にも矛盾が出てきてしまう事が多々あります。

 その優秀な営業が口走った言葉をきっかけに、受注会社は迷走し始めたのです。
 赤字を回収する。確かに、必要な事でしょう。

 結果・・・・二ヶ月間に続いた現場作業の”中断”が告げられた。

 それだけではなく、全員に”帰宅命令”が下されたのです。顧客が、現場作業員の現状を憂いたのです。
 作業員全員に、1~2日の休みが与えられたのです。私たちは、2日の休養が与えられました。

 確かに、身体は疲れています。
 久しぶりの休暇です。夕方の街を歩くのも久しぶりです。

 そんな中で、倉橋さんが

「久しぶりに歩いたら疲れた。ちょっと休みたい」

 近くに公園があるので、そこで休む事にしたのです。
 すぐに帰って寝たい人も居るので、公園に行く組とすぐに帰る組に分かれます。私は、公園で少しだけやすんで帰る事にしました。実際問題として、夕方になっているので、帰宅時間と重なってしまって、満員電車で帰るのが少しじゃなく億劫に思えていたのです。
 公園に残る人は最初はそれほど多くなかったのですが、帰宅ラッシュの事を思い出したのか、最終的には、18名が公園で時間を潰す事にしたのです。

 倉橋さんが、

「悪いんだけど、そこのコンビニで、人数分の何か飲み物と軽く食べられる物を買ってきてくれ」

 そういって、私を含めた若手数名に自分の財布を渡して、公園のブランコに座ったのです。

 倉橋さんは確かに・・・財布を受け取った私に対して、

「流石にちょっと疲れたな」

 そういったのです。

 若手たちで、手分けして人数分の飲み物とスナック菓子やコンビニのお惣菜を買って帰って来て、残っている従業員に分けます。倉橋さんの右腕と称される真辺さんが、座るためのレジャーシートを数枚買ってきてくれました。
 私たちは、そこに買ってきた物を広げて、各々座って時間を潰します。

「倉橋さん。いつものコーヒーでいいですか?ホットとアイスありますけど?」
「おっ悪いな。アイスをくれ・・・あっ余分にあるなら、ホットも置いておいてくれ」
「わかりました。あっお財布」
「あぁ足りたか?」
「大丈夫でした」
「そうか・・・それならいい」

 ブランコに座りながら、アイスコーヒーを飲みんで居る。
 倉橋さんを私は見つめるしかできない。この人がどんな大変な事をしているのか、私は片鱗しかわからない。でも、この人が私たちが大変だけど、しんどいけど、充実した日々になるように踏ん張ってくれているのは知っている。
 私は、女として、倉橋さんの事が好きだ。年齢は離れている。告白なんてするつもりはない。今感じている気持ちも、よくわからない。憧れなのかもしれない。ただただ、この人の側に居たいと思う気持ちは、私の中で確固たる物だ。

「倉橋さん」
「ん?あぁこれから・・・そうだな。俺たちは・・・ほら、見てみろよ」

 疲れているのだろう。
 でも、笑顔がいつもの倉橋さんだ。

 見てみろと言われたのは、夕焼けに染まった空だ。

「綺麗ですね」
「そうだな。空は、いつも同じだよ。俺たちが見ているのも・・・そうだよな。まだできる事はあるよな」

 誰に言っているのでしょう?
 私では無いのは解ります。倉橋さんは、ブランコに揺られながら、空を見上げて居ます。

「・・・くら」
「少し疲れたな。1時間くらい寝る。まだ大丈夫だよな?」
「え?あっはい。わかりました」

 私もレジャーシートに座る若手の所に戻ります。
 私が、倉橋さんの事を好きな事は誰にも言っていません。

 1時間が過ぎちょっと肌寒くなって来たので、倉橋さんを起こして帰ろうかという話になりました。
 真辺さんが、倉橋さんを起こしに行くようです。私たちは、レジャーシートを片づけて、周辺のゴミをまとめて、コンビニのゴミ箱に捨てに行ったのです。

 その時に、真辺さんの怒鳴り声が聞こえます。
「おい!救急車!いや、病院まで誰か走って、医者呼んで来い。医者・・・たのむ、誰か医者を・・・救急車・・・」

 真辺さんの声が、夕暮れも終わり、夜に入りかけている空に響いたのです。

 倉橋さんが、見上げた綺麗だと認めてくれた空に虚しく声が吸い込まれて行くのです。

fin

2020/04/05

【目が覚めるとそこには】夢で終わらない

 あぁこれは、いつもの夢だ。誰にでも、1つくらいあるだろう。
 同じような夢。疲れた時に見る夢。誰かを殺したいと思っている時に見る夢。

 窓も、ドアも、部屋の調度品がなにもない部屋。上も下もわからない白い部屋に私が全裸で居る夢をよく見る。

 私は、部屋の中を抜け出すために走りまくる。床だけでなく、壁や、天井を使って、走りまくる。走って、走って、走って、疲れ切って、倒れる。最後は、なぜか部屋から抜け出す。
 その時に、必ず振り返ってしまう。白かった部屋が、真っ赤に染まったシーンで目をさます。

 目を覚ますと、私の目の前には、いつもの天井が広がっている。白く塗った天井だ。
 そうこれは夢。私が見ている夢なのだ。

 今日も、現実が始まる。
 私の事を殴るしかしない。父。
 私の事を、父に殴らせる事で、自分が逃げる事しか考えない。母。
 私の事を、汚れた物でも見るように蔑む。妹。
 私の事など存在していないかのように振る舞う祖父母。

 これが私の現実だ。
 学校に行けば、私は存在しない人間として扱われる。
 学校はましだ、存在しないだけだからだ。1人で過ごせるだけましな時間だ。

 休み時間は、私の安らぎの時間だ。
 図書館で本を読むことが出来る。家で本を読むことはできない。洗濯をして、掃除をして、食事を作らなければならないからだ、その上で、バイトを行って、父に酒を買わなければ、殴られる。
 妹には、トイレが汚いと言われて、妹の排泄物を処分させられる。

 図書館だけは、私を受け入れてくれる。
 ここさえあれば私は満足出来る。学校の成績が良ければ、女子から呼び出されて殴られる。だから、テストはいつも間違えて提出する。そうすると、先生から呼び出される。さじ加減が難しい。
 真ん中くらいの成績で居なければならないのだ。

 妹は、身体を売っている。そのお金で、遊び歩いている。
 妹は、私も同じことをして、金を渡せと行ってきたが、逃げた。それから、私の事を、許さないと殴るようになった。殴られるくらいの方がましだ。好きでもない男に股を開くくらいなら死んだほうがいい。
 純潔を守りたいわけではない。私の意地だ。早く、高校を卒業したい。

 この家を出たい。そればかり考えるようになっている。

 一度、妹が男を連れてきて、私を犯そうとした。その時には、思いっきり男根に噛み付いた。
 それから、妹は、私の事を汚れた物を見るような目で見る。自分の排泄する姿を見せて、拭かせて、舐めさせて喜ぶようになった。どこか、心が壊れたのだろう。
 母は、数年前から、父の暴力におびえていた。父は、公務員だった。真面目に仕事をしていたが、なんとかという議員が役所にもとめてきた、文章提示に対して、別の議員からの圧力があって、提出文章を改ざんしてしまった。それが週刊誌に取り上げられて、酒に逃げるようになってしまった。その当時は、毎日のようにマスコミを名乗る狂人が、昼夜関係なくチャイムを鳴らしていた。
 私の学校にも記者を名乗る人が来て居た。それで、学校側も私は居ない者として扱うようになった。
 あれで、家族が壊れてしまった。
 壊れてしまった事を、私がマスコミに言ってしまった事で、またマスコミを名乗る狂人が騒ぎ始める。議員の圧力やパワハラが有ったのではないかと・・・。私が、家族の絆を壊してしまった。だから、これは当然の事なのだ。

 今日も無事、父のお酒を買うことができた。これで、殴られる回数が減る。

 そして、今日も1人で外の物置で眠る。
 ここが一番安心出来る。寒いし、暑いが、誰も近づいてこない。近づいてもすぐに分かる、私だけが知っている抜け道もある。下着は、妹が売ってしまった。今ある下着は、3枚だけ。バイト先で貰った物だ。バイト先の女性店長が私の事を気にかけてくている。それで時々服や下着をくれる。店の売れ残りだからと言っているが違う事は知っている。でも、嬉しい。バイトの時間は、私を人として見てくれる。

 あと、二週間。二週間ですべてが終わってしまう。

 今日も、いつもの夢を見た。
 少しだけ違った。今日は全裸で”なにか”に追いかけられる。それから必死に逃げる。逃げるがドアが見つからない。逃げ場がないと思った時に、”なにか”が爆発して、赤い色が白い部屋を染めていく、ゆっくり開いたドアから私は外に踏み出す。

 そこで目をさます。目を覚ましたら、いつもの天井が目に入ってくる。
 夢だとわかる。

 これから、毎日”なにか”が増えていく。私は、その”なにか”を知っているが、知らない。
 目をさます時には、いつもの天井だけが優しく私を見つめている。

 明日。私は、明日。ここから出ていける。私の事を知らない人たちの中に入っていくための準備が整ったのだ。

 ねぇみんな知っている?
 人って追い詰められると、どうでも良くなるのだよ?

 ねぇみんな知っている?
 私の事が見えないのなら、見ないのなら、必要ない物が有るよね?

 ねぇみんな知っている?
 人ってなかなか壊れないのだよ?

 ねぇみんな知っている?
 無視するってそれだけ意識しているって事だよ?

 ねぇみんな知っている?
 大切にしている物を壊された時、自分の中の別の自分に気がつくよ?

 ねぇみんな?なんで、人にやった事が、自分がやられないと思っているの?そんなわけないよね?自分が他人にやったことなら、他人から自分がやられるって事も有るよね?その時には、憎悪や悪意が付与されたら、やった事が大きくなって返ってくるよ?

 まずは、妹から始めよう。次は、祖父母。そして、父。最後は、大好きなお母さんにしよう。それが、終わったら、学校の卒業式に行かなきゃだよね。店長には、今日で街を出るからお店やめますと伝えた。毎日、お酒を安く売ってくれた酒屋さんにも、昨日の間にお礼の言葉を伝えた。残念だと言ってくれた。すごく嬉しかった。私の事を見て、私の事を必要だと言ってくれた。遠い人ほど親切なんだね。

 準備はできた。白い部屋の夢は、今日も見た。そして、私がやりたかった事がはっきりと解った。

 まずは、妹の部屋に行こう。
 大丈夫。ぐっすり寝ている。食事に睡眠薬が入っているとは思わなかったのだろうね。そのまま致死量を入れようかと思ったけど、それじゃ面白くないよね。

 さて、妹の部屋の鍵は持っている。掃除をするために必要だからだ。この娘。明日からどうするのだろう?私、卒業したら居なくなると伝えていたのに・・・。まぁいいか、そんなの、明日から考えればいいのだろうね。私以外の人が考えればいい。私でも考えられたのだから、大丈夫だろう。

 妹はぐっすり寝ている。
 まずは、服を脱がそう。起きないように丁寧にやらないとダメだね。
 次は、声が出て祖父母や母や父が起きたら迷惑だから、口枷をしてあげよう。あぁ起きて暴れたら大変だから、手枷と足かせもしよう。犬用の首輪も買ってあるから、してあげよう。男に股開いて、下品な声を上げるようなメス犬にはちょうどいいだろう。

 全裸の状態で手枷をして、ベッドに縛り付ける。首輪を買った時についでにかった鎖が役に立った。次に、足かせは、メス犬にちょうどいいように足を閉じられないように縛り付ければいい。そして口枷をしてから、あそこに、温めた棒を入れれば、起きてくれるだろう。前の穴よりも、後ろの穴の方がいいだろうね。楽しんでくれるだろう。少し、血が出ちゃったけどいいよね。

 なにか騒がしいな?犬の言葉はよくわからない?
 今更何を言っているの?散々やってきただろう?あぁ熱い?そうだね。冷やしてあげるよ。ちょうど、私もおしっこしたくなったから、顔にかけてあげる。いつも貴女がやっていたことでしょ?
 あっ注意してね。お腹の上にほら見えるでしょ?そうそう、貧弱な頭でよく考えて、貴女の両方の乳首をつまんでいる洗濯バサミ。そうそう、紐が天井まで伸びているよね?うん。気がついた?それほどバカじゃないみたいだね。アハ!楽しいでしょ。動かなければ大丈夫だからね。乳首に付けた洗濯バサミが取れなければ、天井から吊るしている包丁がお腹に刺さる事も無いからね。大丈夫何度か実験しているから、動かなければ、朝までは平気だよ。それまでに誰かが気がついてくれるといいね。声出ないでしょ?口枷だけじゃ心配だったから、舌を麻痺させる薬も入れているよ。大丈夫、麻酔じゃないから、お腹に包丁が刺さればしっかりと痛いと思うよ。

 全裸で、股を開いて、後ろの穴に棒を刺した状態の写真も沢山撮影してあげたからね。貴女のスマホのアドレス全部に送付しておいてあげたからね。嬉しいでしょ!!おしっこもう少し出そうだから、最後に出していってあげるね。
 あっそうだ!綺麗に舐めるのは無理だろうから、貴方の履いていた汚いパンツでも、こんな事には役立つね。私のおしっこを拭いておくね。あっそのパンツも売っていいよ。おしっこ付いていると高く売れるのでしょ?
 あぁ制服ももう必要ないよね?貴女の汚い物で汚れちゃったから拭いておくね。私、優しいよね。スマホ、動画にしておいたから!
 そうそう、貴方の汚い雄に入れてもらっていた場所がしっかり見える位置で、動画配信してあげるね。たくさんに人に見られて幸せでしょ?

 それじぁバイバイ!

 祖父母は、1階で寝ているはずだ。
 あぁ疲れているのかな?ぐっすりだね。居ない物として扱っているような目なら必要ないでしょう?

 両目とも潰してあげるね。これで、嫌な物は見なくて済むでしょ?
 騒がないでよ。誰か起きてきたら大変でしょ?汚らしくくちゃくちゃ食べる口なんていらないでしょうから、接着剤で止めておいて正解だったね。取れちゃうと困るから、縫い合わせておくね。痛くないよ。大丈夫。
 え?何?しっかり喋ってよ。なにいっているかわからないよ?

 大丈夫。死ぬことはないと思うからね。
 眼球をくり抜く事ができなかったのは残念だけど、お互いの目玉から出た血となにかわからない汁を食べたのだから、幸せでしょ?これからも一緒に元気に過ごしてくださいね。

 それじゃバイバイ!

 父とお母さんは、私が居ないとダメな人たちだから、さよならする前に、私が居なくなっても大丈夫な状態にしないとね。

 さて父は。やっぱり、お酒に匂いを撒き散らして、危ないな。
 割れたコップの片付けしないとダメだね。そんなにお酒ばっかり飲んでダメになってしまうでしょう?うん。しっかり眠っているね。首を縛って、手枷と足かせで、部屋の柱に固定する。うん。これで逃げられない。あとは、ネットで買った薬を注射して・・・量は間違えないようにしないとダメだよね。これで死んじゃったら大変だからね。
 うんうん。大丈夫みたいだね。起きちゃったけど、何言っているかわからないよ。ごめん。私、人の言葉しかわからない。獣に成り下がった人の言葉は理解できないんだ。そんなに暴れないでよ。これから大事な作業が有るのだよ。
 まずは、指からでいいかな。小指を切り落とそう。喚かないで、耳が痛いでしょ。だって、毎日殴っていたのは、この手でしょ。だから、手さえなければ大丈夫でしょ?
 面倒だね。そうだ!釘とハンマー!あった。あった。良かった。物置って便利だね。手が動いてうまくできないから、床に釘で固定すればいいよね。うん。できた。ほら、そんな騒がない。暴れないでよ。足そんなにうごかしたら・・ほらずれちゃった。足も動けないように釘で固定しておこう。あっそんなに長い釘がなかった。でも、大丈夫だよ。安心して、そんなこともあろうかと、木を削って、杭を作ったからね。これで、太ももを刺しておけば大丈夫だよね。ほら、これで、動かなくなった。あれ?おかしいな。身体全部が動かなくなっちゃった。あぁ心臓は動いているみたいだから大丈夫だね。
 反対の手の小指から斧で落としていく。うんうん。うまくできた。次は、足の指の爪を剥いでいく!
 うんうん。うまくできた。最後に、お酒が好きだったからね。手と足にしっかりとアルコール度数が高いお酒をかけておいてあげるからね。

 おやすみ!
 それじゃバイバイ!

 最後は、お母さん。
 お母さんは、心がもう壊れちゃっているから、心臓を取り出してなおしてあげる!
 大丈夫。私なら何でも出来るって言ったのはお母さんだからね。心臓取り出すの大変だけど、頑張るね。暴れると面倒だから、まずは、首を落としちゃうね。そうしたら、静かになるでしょ?
 ほら、お母さん。静かになった。心臓を取り出すね。これが壊れちゃったのだね。なおしてから戻してあげるから大丈夫だよ。

 だから、治ったら一緒に行こうね!お母さん!

 今は、治せないから、まずは、学校で卒業式に出てからになるけど、ごめんね。

 学校で、私の大切な図書館で暴れて、本を破った人たちを怒らないとならないからね。
 先生もだね。その人達が、私がやったと言ったからって、それを信じて、私を怒らなくてもいいのに、私、本を大事にしていたよ。先生も知っていたよね?その人達が、偉い人の娘や息子だからって、私の責任にしないで欲しいな。
 私から本を取り上げないでほしかったな。

 私が唯一癒やされた、白い図書館。出口がわからなくなるほどの本があった、私だけの白い部屋。

 お母さん。ごめん。少し、卒業式に遅れそうだよ。
 急ぐから許してね。なんか、今日街が騒がしいね。やっと学校に着いたよ。先生たち何を慌てていたのだろうね?

 卒業式は体育館だったよね。お母さん。急ごう!

 うんうん。やっぱりみんな揃っているね。
 私を無視していた人たちも、私から図書館を白い部屋を奪った人たちも、父がおかしくなるきっかけを作った人も、妹を抱いていたいやらしい教師も、みんな、みんな揃っているね。

 それじゃ!みんな、バイバイ!!

 あぁこれは夢だよね。いつもの夢だ。
 白い部屋の中で、私は皆を殺しまくる。そして、いつもの白い部屋のからでて目が覚める。

 目が覚めると、今日はいつもと違う現実が待っている!

 お母さんと一緒に、ご飯を作ろう。今日からは出来るはずだ。
 妹ももう大丈夫だろう。妹が好きなプリンも作ろう。そうだ!おじいちゃん歯が弱くなっているから、魚の方がいいかな。でも、今日は、私が大好きな。お母さんのグラタンが食べたい!今日は、わがまま言っていいよね?おばあちゃん。みかんばっかりそんなにむかなくていいよ。わかった、ジュースにするよ。一緒に飲もう!お父さん。おかえり!!今日ね。お母さんのグラタン一緒に作ったの!それとね。妹とプリン作った!ご飯の後で、一緒に食べよう!

 これが、私の現実だ!!!!!
 夢なんかじゃない。夢とは違う。そう、夢の中でだけの出来事だった。私は、私は、私は、私は・・・・私は・・・だれ?

fin

2020/04/04

【さよならの理由】取られる事の無いコール

 もう、貴方の事は忘れたほうがいいの?

 もう、連絡帳にも入れていない、貴方の連絡先。
 消すまでに、1ヶ月掛かったのよ?

 消してからも、指が、心が、体中が覚えてしまった、貴方の連絡先。
 連絡帳から選択しないでも、貴方の電話番号をコールする事ができる。

 ダメな事だとは理解している。
 この取られないコール音だけが、私と、貴方を繋ぐ。細い。細い。細い。一本の糸。

 けして繋がる事がない。一本の糸。
 あれから、コール音を何回聞いた?出るはずが無いコール。1回、2回、3回、4回、解っている事だけど、コール音を聞くのは辛い。6回。

 私は、決心した、もう揃っている。明日は、出かけられる。
 解っている、それが正しい事だと・・・

 ねぇ解っている?貴方が私にしてくれた事。
 ねぇ知っている?貴方が私の全てだったってこと・・・。
 ねぇ感じている?貴方が触った私。私が触ることができた貴方。
 ねぇ考えている?貴方のスマホのパスワード、私の誕生日だったのを知った時の喜びを!

 ねぇ教えてよ!私は、私は、貴方を愛していたの?
 ねぇ教えてよ!貴方は、愛してくれていたの?
 ねぇ教えてよ!もう触る事ができない貴方。私は、どうしたらいいの?

”さよなら”
 この4つの言葉で作られた、一番いいたくない言葉。一番言われたくない言葉。
 でも、一番言えなかった事に後悔が残る言葉。

 貴方は、教えてくれたよね。
”さよなら”
 は、別れの言葉じゃない。また合う約束の言葉。

 貴方は、私に、”さよなら”を言わせてくれないのね。

”さよなら”
 私が、愛した人。
”さよなら”
 私を、愛した人。

/*** 2ヶ月前の土曜日 ***/
「敦。どこいくの?」
「ん?内緒」

 朝日を受ける海岸通りを、敦の運転する車で進んでいた。
 敦は、今日、景子に”結婚を申し込む”つもりで居るのだ。

 普段以上に、気を使って運転する敦を、景子は不思議に感じていた。二人が付き合いだして、もう7年が過ぎている。景子も、”結婚”の二文字を意識している。意識しているが、自分から言えない事情もある。

 景子は、子供のときに患った病気が原因で、両目とも光を失っているの。彼氏が居なかったわけではない。でも、デートをした後に必ず言われるセリフがある。
では、景子の相手はできない。さよなら”だ、景子は世界で一番”さよなら”が嫌いな言葉になっている。別れの言葉だ。
 でも、敦は違った、景子とデートを重ねる。景子を自宅まで送ってくれる。母親が言うには、”嫌な顔ひとつしないで”と付け足してくれる。泊まりに行った事もある。人が多い所では、景子が歩くことをサポートし、景子の邪魔にならないように、軽く手を引いてくれる。足元になにかある時には、さり気なく教えてくれる。
 景観がいい場所にも連れ出してくれていた。見えないのだからと渋る景子を、”景色が見えなければ、全部僕が教える。風や音や熱を感じればいい”そう言って、景子をいろんな所に連れ出した。景子が、楽できるようにと、車も購入したのだ。

 敦は、景子に、出会ってから、いろんなモノを与えてきた。
 景子が、街中で佇んで泣いていたのに、声をかけたのが最初だった。ただの親切心なのか、下心なのか、敦本人もわからないのだろう。その時には、”声をかけないとダメ”と思った。景子が落ち着くまで、敦は話を聞いた。全部話し終わってから、敦は、景子を家まで送っていくと言った。実際には、最寄り駅まで送って、母親に引き渡したのだが、敦は別れ際”さよなら”と口にした。
 景子は、やっぱりまた、”さよなら”なんだと・・・敦の手を握ってしまった。
 敦は、優しく景子の手を握り返して、”お母さんに、僕の連絡先を伝えた。景子さんさえ良ければ、僕に連絡してきて”、それが嘘なのか、本当なのか、景子には判断できない。敦は、さっき”さよなら”と別れの言葉を口にした。もう、敦には会えない。
 ”景子さん。さよならは、別れの言葉じゃないですよ。また会う約束の言葉です”

 景子にとって、それは敦との繋がりを感じる事ができる言葉だ。
 母親に、連絡先を入れてもらって、連絡をした、今までしていたように、音声入力を使った方法だ。すぐに、敦から返事が来た。母親が確認して読み上げる・・・必要はなかった。敦は、わざわざ電車を降りて、音声を録音して返事をしてくれたのだ。

 この日から、景子の世界は広がった。

「景子」
「なに?」
「寒くない?」
「え?いきなりなに?大丈夫だよ」
「ちょっと1ヶ所寄りたい所があるけどいい?」
「もちろん。敦の行きたい所が、私の行く所だよ」
「そう言ってくれるのは、嬉しいけど、行きたい所じゃなくて、行かなきゃ・・・ううん。なんでもない。もうすぐだから我慢して」
「??うん」

 車は、海岸線を走ってから、少し脇に入って止まった。

「景子少し待ってて、5分くらいで呼びに来られると思う」
「わかった」

(どうしてだろう、敦。すごく緊張しているみたい)
(風が気持ちい場所ね。子供の声が・・・すごく楽しそう)

「景子。おまたせ。少し歩くけどいい?」
「問題ないわ」

 二人は、車を止めた場所から、子供たちの声がする方に歩いていった。

「園長先生。景子です」
「あらあら可愛らしい娘ね」
「景子。話していなかった事だけど、驚かないで欲しい「敦くん」あっ景子。俺は、孤児なんだ。それも、両親に捨てられた。園長先生が俺を拾って育ててくれた。俺の母さんだ」
「え?・・・ごめんなさい。園長先生。私、敦さんとお付き合いさせていただいています。橋本景子といいます」

 景子は、敦が正面を剥いている方向に、会釈しながら名前を名乗った。

「園長先生。景子は、目が不自由なんだ「敦くん!」」

 園長先生は、景子の手を優しく握って

「景子さん。敦くんの事をお願いします」
「いえ。こちらこそ」

 景子は、優しくも温かい手を握り返した。
 この手が、敦を育てたのかと思うと、尊敬の思いと、嬉しい思いが湧き上がってくる。

「園長先生。話し込むのはまた今度でお願いします」
「あらそうね。景子ちゃん。またいらしてね。そのときには、敦くんの子供の時の話しとか沢山してあげるからね」
「はい!」
「園長先生!」

 敦は、景子にプロポーズする。
 景子は、嬉しいながらも保留してしまった。

「敦。いいの?私、こんなだよ?」
「景子。景子だから、俺は結婚したいと思う。園長先生にもらった」
「うん」
「景子。それに、俺、昔・・・かなり」
「うん。知っている。少年院に入っていたのでしょ?」
「え?だれから?」
「親切な人かな?何度か、家のポストに、”敦は少年院あがりのろくでなし”とか入っていた」
「・・・ごめん。本当に、ごめん。でも、なんで?」
「それこそ、敦は敦でしょ。何が有ったのか知らないけど、私に優しい敦が、全てだよ。お母さんに同じ。敦なら・・・」
「なら?なに?」
「・・・知らない。でも、本当に、私でいいの?」
「景子じゃなきゃダメなんだ。俺は、景子を、橋本景子を愛している。結婚してください。幸せにしますとは言えないけど、俺は景子と一緒になって幸せになる!」
「フフフ。敦らしいね。すごく嬉しい。私をもらってください」

 二人は、キスをして、お互いの愛情を確認した。
 景子は、母親に連絡をするために、スマホを取り出した。

 いつものように、操作して、母親を呼び出すが、応答がない。虚しくコール音が鳴るだけだ。

 暫く待ってみても、折返しが無い。
 外は、寒くなってきているので、予約しているレストランに移動する事にした。何度も使っている場所なので、店員も覚えてくれている。個室に案内された。

 景子のスマホがなりだしたが、登録している番号でない事は、音が違う事で判断できる。
 電話には、敦が出るようだ。

「え?それは、本当ですか?」

 電話は病院からだ。
 景子の母親が、家の前で刺されたという事だ。今、病院で治療を受けている所だが、かなり危険な状況だという事だ。

「・・・うそ、お母さん・・・」
「景子。行こう!」
「え?」
「早く!」

 敦は、料金を払って、店を飛び出した。
 景子の手を引いて、車に乗せて、連絡があった病院に急いだ。

 病院まで、100m先で右折したら、もう病院の敷地になる。

「大丈夫。大丈夫。大丈夫」
「景子。もうすぐだよ」
「うん。うん。敦。敦。どうしよう。どうしよう。お母さん。なんで、なんで、なんで!!」

 車がウィンカーを出して止まる。
 この数秒が、景子には、長く長く感じてしまう。

「景子ぉぉぉぉ!!!!!!!」

 敦の声を最後にきいて、景子の記憶は途絶えた。

 景子は、枕元で鳴ったスマホの音で目を覚ます。
 普段と違う匂いと、布団の感触に、昨晩の記憶を探ってみるが、敦の声を聞いたのが最後だという事以外記憶にない。

(そうだ。お母さん!)

 立ち上がろとしても、手足に力が入らない。腕になにか管のような物が刺さっている。

「先生。先生。患者さんが目を覚まされました」
「あぁすみません。先生。僕が話を聞いてもいいですか?」

 景子は、知らないだろう男性と、先生と呼ばれた男性から話を聞く事になる。
 昨晩、刺されて、運び込まれた、母親は治療の甲斐なく、死亡が確認された事、そこに駆けつけようとした、敦と景子の乗る車に、後続車が突っ込んだ事。そのときに、敦が景子をかばって、死んでしまった事。
 そして、その車を運転していた男が、景子の母親を刺したのを自供した事。

 時間をかけて、これらのことを説明していった。
 何度、嘘だと思いたかったか、気が狂ったほうが楽だったろう。

 残されたのは、敦と母親のスマホだけ。母親のスマホは、刺されたときに、壊れてしまっていた。

— 景子 Side
 あれから、一ヶ月。
 いろいろ大変だった。事件を聞いて、園長先生が訪ねてきてくれた。敦の葬儀だけじゃなく、母さんの葬儀やら手続きをやってくれた。

 話を聞くと、敦は少年院を出てから、孤児院に戻って来て、孤児院に住んで、手伝いをしながら、夜間学校に通って、昼間は卒園者の会社で働いていた。園長先生がいろいろ教えてくれた。私にも、孤児院で働いて欲しいと言ってくれた。母さんが居ない部屋に帰るのが辛かった事もあり、園長先生に甘える事にした。
 独りになるのが、怖かった。

 母さんを刺したのは、敦と対立していた不良グループの人間らしい。
 警察が教えてくれないのだ。園長先生も問い合わせをしているが、”ダメ”という返事だけだ。私は、前に進むこともできないらしい。事情がわからないまま、時間だけが過ぎていった。

 園長先生や、孤児院の人たちは、私に優しくしてくれる。
 でも、その優しさは、敦から感じた、対等の優しさではない。可愛そうな人への優しさなのだ。母親と”婚約者”を同時に失った、可愛そうな”盲目の女”。それが私なのだろう。そんな事は望んでいない。望んでいないが、そう見えるのはしょうがない。

 敦や母さんは、怒るかも知れない。
 でも、二人の居ない世界にいてもしょうがない。敦さえいてくれれば、私は良かった。親不孝かも知れないけど、心からそう思う。

 園長先生や孤児院の人たちに、”さよなら”は言わない。言ってもしょうがない。もう会えない。

 私は決めた。
 敦と母さんに、”さよなら”を、言いに行くと・・・。

 そして、次に再開した時には、絶対に握った手を離さない。
 何度でも、言うよ。”さよなら”

 敦。”さよなら”
 母さん。”さよなら”

 また、会おうね!すぐに、行くから、待っていてね。約束だよ。

fin

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2020/04/03

【最高のおめでとう】一番欲しい言葉

弘樹ひろき!」

 同級生で、幼馴染の由紀乃ゆきのだ。

「なに?」
「卒業前に、みんなでボーリングに行くけどどうする?」
「みんな?」
「そう、大志たいし弥生やよいも一緒だよ」

 うーん。ボーリングは魅力的だけど、僕は高校受験が残っている。

「ごめん。行きたいけど、受験がまだ有るからね」
「え?弘樹は、私立に受かっているよね?」
「うん。滑り止めだからね。本命は、商業だよ」
「そうだったの?」
「うん」

 大志や弥生と家に来て、兄さんたちと受験の話をしていた。

「でも、私立なら、私と一緒に行けるよ?」

 由紀乃の言葉が、少しだけイラッとした。

「はぁ?僕は、商業に入って、情報処理の勉強をしたいの?由紀乃と一緒に行くよりも、僕のやりたい事がある!」
「ごめん」

 え?なんで、そこで謝るの?
 僕が悪いの?

「弘樹。ごめん。もう誘わないね」
「受験が終わるまでは無理」
「うん。商業だと、佳奈かなと一緒だよね?」
「へぇ。そうなの?」
「う・・・ん。ううん。なんでもない。ごめん。変な事を言ったよね。忘れて。それじゃ受験頑張ってね」
「うん。ありがとう」

 何がなんだかわからない。
 わからないけど、由紀乃が悲しそうな顔をしていたのがわかった。
 その原因が僕にある事も解る。でも、何が理由なのかわからない。

 僕は、由紀乃を悲しませるような事を言ったのか?
 会話を思い返してもよくわからない。

 部屋に返ってから、勉強をしていても手に付かない。
 由紀乃の泣きそうな顔が頭から離れない。

 今は受験に集中しないとダメだ。
 受験が終わったら、謝ろう。


 受験が終わった。
 面接も問題はなかったと思う。伯父さんが商業出身だったので、想定される面接や学校の事を教えてもらった。
 想定していた質問は来なかったけど、落ち着いてやれば問題ないと言われていた。

 面接が終わって、部屋から出ていこうとした時に面接官に声をかけられた。
 そんな事は想定していなかったので、パニックになりかけたのだが、常に見られていると思えと言われていたので、取り乱す事なく立ったまま質問に答えた。

 自分でもよくできたと思う。
 筆記試験も大丈夫。自己採点では、8割はあっている。
 同じ商業を受験している、佳奈やつとむ康生こうせいとも答え合わせをした。
 先生からは、自己採点で7割は必ずクリアしろと言われている。
 全教科8割はクリアした。理科と数学と社会は、9割を越えている。

 これで受験も終わった。
 由紀乃に謝ろう。メッセじゃなくて、直接会って謝ろう。


 家に帰って来て、すぐに由紀乃の家に行こうかと思ったが、夕方になっていたので、明日行こうと考えた。
 大志と弥生からは、受験の様子がどうだったのかを聞かれたので、簡単に説明をして、合格できそうだと返事をした。

「弘樹!どうだった?」
「ん?問題はないと思うよ?」
「そうか、発表は何時だ?」
「再来週の月曜日」
「そうか、俺も夏帆かほも仕事だな」
「いいよ。1人で見に行ってくるよ」
「オヤジとオフクロに頼んでおく」
「え?うん。わかった」

 父さんは本当にマイペースだ。
 自分と母さんが高校を卒業していないから別に勉強しなくても怒られた事がない。兄さんたちも同じだ。

 おじいちゃんとおばあちゃんは、すぐ近くに住んでいて、父さんが連絡したらすぐに家にやってきた。

「よし。それじゃ少し早いけど、受験お疲れ様会でもやるか?」

 父さんは、なにかにつけて食事会をしたがる。
 おばあちゃんが言っていたけど、父さんは食事会の時に、普段行けないような値段が高い店を予約して、おばあちゃんやおじいちゃんにお金を払わせているようだ。

 そのまま、父さんは普段では絶対に行かないような鉄板料理屋に予約を入れていた。
 僕と父さんと母さんとおばあちゃんとおじいちゃんの5人だけで行く事になった。

 合格発表までの9日間。
 僕は、まだ合格していないのに、親戚の人たちや父さんや母さんの友達からお祝いの食事会に誘われまくった。
 僕を肴に盛り上がりたいだけのようだったが、父さんも母さんもせっかくだから出ておきなさいとだけ言われた。


 合格発表の当日。
 10時に高校で発表が行われる。合格者は、そのまま手続きを行うようだ。
 父さんと母さんが来られないので、おばあちゃんとおじいちゃんが一緒に行ってくれる。

 最初僕は電車を乗り継いで学校まで行くつもりだったが、おじいちゃんが車を出してくれるというので、車で行く事になった。
 学校に行く時の経路は、合格してから考えればいいと言われたからだ。

 学校につくと、もう人が沢山居た。
 真剣な表情で、掲示板を見ている。

 おばあちゃんはさっさと車を降りて僕の受験票を持って掲示板に行ってしまった。

「ひろちゃん!」

 おばあちゃんが見ているのは、僕の希望した科だ。商業は、科を第二希望と第三希望が出せる。僕は、情報処理科しか考えていなかったので、第二希望は書いていない。もし、希望が通らなかった場合でも、補欠合格が有るのだが、情報処理科は一番人気なので補欠合格は無いだろうと先生に言われている。

 おばあちゃんが戻ってきた。

「ひろちゃん。おめでとう!合格していたわよ」
「本当?」
「ほら、一緒に見に行こう」

 おばあちゃんはまた人垣を分けて入っていく僕はその後に続いた。
 掲示板に自分の番号を見つけた時には、涙が出そうになった。

 合格するために勉強してきた。できる事は全部やった。
 だから、これで不合格ならしょうがないと思っていた。

 でも、合格できた。
 おばあちゃんからの”おめでとう”がすごく暖かくて嬉しい。

”弘樹くん。どうだった?私も合格していたよ。4月から一緒の学校だね。よろしく”

 佳奈からメッセが届いた。
 努や康生も無事合格したようだ。

「おばあちゃん。友達が来ているから、友達と一緒に帰りたいけどだめ?」
「いいけど、父さんと母さんには連絡しておきなさいね」
「うん!」
「あまり遅くならないようにしなさいね」
「解っている」

 佳奈と努と康生とは、学校を出た所で待ち合わせをした。

 努と康生は、市内で両親がお祝いをしてくれると言って、駅で別れた。
 佳奈と二人で電車に乗って帰る事になった。

 なんだか気まずい。

「弘樹くん」

 電車を降りて周りに人が居ない所で、佳奈に呼び止められた。

「なに?」
「やっぱり、気がついていないよね?」
「だからなに?」
「私が、弘樹くんの事が好きだって事!」
「え?だって?え?」
「ほらね。いいよ。片思いだって解っていたし、弘樹くんには、由紀乃が居るからね」
「え?なんで、ここで、由紀乃が出てくるの?」
「は?」
「え?僕?え?え?」

 なぜか急に、佳奈が僕の事が好きと言い出して、勝手に振られた雰囲気を出して、なぜか由紀乃の名前を出す。
 たしかに、由紀乃とは一緒に居る事が多いけど、それは幼馴染で子供の時から一緒に居たからで?

 違うの?

「はぁ・・・。由紀乃も可哀想に・・・」

 どうやら、由紀乃と佳奈は二人で話し合いをしたようだ。

 これで、由紀乃の悲しそうな顔や泣き出しそうな顔の理由がわかった・・・様な気がする。
 僕の独りよがりでなければいいな。

「弘樹くん。私が言うのもおかしいけど、由紀乃の事を真剣に考えてあげてね」
「うん。わかった。あっそうだ。合格おめでとう」
「ありがとう。弘樹くんも合格おめでとう」

 佳奈と最寄り駅で別れた。


 沢山の人から”おめでとう”を言われた。

 僕が高校に合格したからだ。
 無事志望校の希望した科に合格する事ができた。

 中学の卒業だけなのだが、僕には一つだけ心残りがある。
 今から、その心残りをはっきりさせようと思っている。

「由紀乃!ひろちゃんが来たわよ!」
「居ないって言って!」

「おばさん。ありがとう。勝手に上がるね」
「うん。なんか、この前から由紀乃がおかしいのよ。ひろちゃんに会いたくないとか言ってね」
「ごめん。おばさん。僕が悪かった」
「いいのよ。あの子が意固地になっているだけでしょ。あっそうだ。ひろちゃん。合格おめでとう」
「ありがとう。おばさん」

 由紀乃の部屋は解っている。
 何度も遊びにきているからだ。2階の奥の部屋だ。階段を上がるだけなのに、僕の心臓がドキドキしている。

「由紀乃。商業合格した」
「・・・」
「それで、佳奈に告白された」
「!!」
「よくわからない。そう返事をしてから、自分の気持ちを考えた」
「!!」

 ダメだ。
 すごく緊張する。

「由紀乃。僕は、由紀乃が好きだ。もう僕の事なんて嫌いかも知れないけど、ここから始めないと、僕は高校に安心して行けない」
「・・・」

 ドアが開いた。

「由紀乃」
「弘樹」

「「ごめん」」

 二人同時に頭を下げて、お互いの頭が当たってしまった。
 すごく痛かったがなんだか笑ってしまった。

「由紀乃?」
「私、弘樹が好き。ずぅーと好きだった」
「うん。ごめん」
「本当だよ。弘樹以外はみんな知っているのに!」
「え?本当?」
「うん。大志や弥生なんて賭けをしていたくらいだよ」
「賭け?」
「そう、私と佳奈のどちらと付き合うか?」
「それで?」
「二人とも、佳奈に賭けたわよ」
「由紀乃に賭けたのは?」
「私だけ」
「それじゃ、由紀乃の一人勝ちだね」
「・・・。ねぇ弘樹。私でいいの?」
「由紀乃じゃなきゃダメ」
「私、馬鹿だよ」
「大丈夫。僕が勉強教える」
「私、わがままだよ」
「知っている。でも、僕にだけわがままなのだよね」
「私、嫉妬深いよ」
「知っている。だから、僕は由紀乃を悲しませたくない」
「本当?」
「うん。本当だよ」

 何故かわからないけど、笑いだしてしまった。

「あっそうだ。弘樹、商業、合格おめでとう!」

 僕が一番聞きたかった、”おめでとう”がやっと聞けた!

 大志と弥生からは思いっきり責められた。賭けに負けた事ではなく、気がつくのが遅すぎると言われた。由紀乃がどれだけ待ったのか、しっかり考えろと言われた。
 でも、大志と弥生療法から、言われた”おめでとう”は合格への言葉じゃない事はすぐにわかった。
 照れくさかったが、なぜだかすごく暖かくて、嬉しくなってしまった。

 由紀乃も同じ様な気持ちになってくれていたら、嬉しいな

fin

2020/04/02

【3年目の出来事】3周年のチラシ

 高校生の男子が1人で住むには、少しだけ不釣り合いなマンションだが、大城おおしろ和義かずよしは一人暮らしをしている。
 よくある理由で、不幸が重なったからだけだ。

 高校2年になっているが、部活もバイトもしていない和義は、学校からまっすぐに部屋に帰ってくる。
 マンションはオートロック機能がついている上に常時人が居る状態になっている。その上、部屋のドアには監視カメラがついていて、帰ってからでも訪ねてきた人を確認できる状態になっている。

 和義が部屋のドアを開けると、白い1枚のチラシが床に落ちた。拾い上げて部屋にはいる。

(なんだろう?)

 チラシの一部はなにか書き込めるようになっているようだ。

(え?)

 チラシの印刷面には、いたずらとしか考えられない言葉が並んでいた。


 この地で開業して、来週で3周年。
 普段では、1人殺すのに、500万円+実費がかかる所を、このチラシの下部に名前を書いていただければ、3名まで無料で承ります。3名の殺人依頼が完遂してから24時間以内に、もう一人を決定していただければ、料金は発生いたしません。

 殺し一筋20年
 殺しの専門家、殺し屋本舗 代表:八本やもと聖人まさと

名前:      理由:
名前:      理由:
名前:      理由:

最後の1人
名前:

(は?)

 ふざけているとしか思えない。
 しかし和義にはこのチラシを簡単に捨てるにはもったいない気持ちになっていた。

 オートロックのマンション内に入って来た事実。
 そして、防犯カメラに何も映し出されて居ないのだ。

 ドアの近くに立たなければ、チラシを挟むことはできない。オートロックはいくらでもやり方があるが、防犯カメラに撮影されないで、チラシを挟むことは不可能だと思われる。

(いたずらにしては手が込んでいる)

 和義は、学校でいじめられていた。
 男子3名から暴力だけではなく、噂を流されるなどの行為を受けていた。

 最初は些細な意見の食い違いだった。本人たちもよく覚えていないだろう。
 それが、いじめに発展していった。

 和義は、チラシをリビングのテーブルに置いた。

(父さんと母さんが死んでから3年か・・・)

 両親は、車の事故だった。両親が運転していた所に、酔っぱらい運転の車が突っ込んだ。そのままガードレールに挟まられる形になってしまった。事故を起こした運転手は逃げ出したらしいのだが、荷物が悪かった。
 灯油を運んでいた。事故の衝撃で灯油に引火して、両親は逃げ出す事ができない状況で死んでしまった。

 保険の全額と、相手からの賠償金と和解金が払われた。
 両親には親も兄弟も居なかった事もあり、全額和義が相続する形になった。和義は、担当してくれた弁護士の勧めもあって今住んでいるマンションを購入した。
 それでも、贅沢しなければ、大学卒業するまでの資金が残される。大学を卒業した後で、有名なドイツ車のCクラスクーペをフル装備の新車を即金で買っても大丈夫なくらいには余裕がある。

 数日、和義もチラシの事を忘れて生活をしていた。
 日々続けられるいじめも淡々と受けて過ごしている。暴力は嫌だけど、相手にするのも馬鹿らしいと思ってしまっている。それが、相手を余計に苛つかせているとは考えもしていなかった。

 チラシが挟まれてから5日後。
 和義の部屋にまたチラシが挟まれた。

 その日は、学校が休みでどこに行くわけでもなく部屋に引きこもっていた。誰も部屋を訪問してきていないのは確かだ。防犯カメラにも誰も写り込んでいない。


 3周年記念企画

 終了間近

 内容がほぼ同じチラシだ。
 最初の書き出しだけが変わっている。

 翌日、3周年記念のチラシに、和義は同級生3名の名前を書く。

 その日、学校には行ったものの体調が良くなかった和義は保健室で休んでいた。いじめに有っているのは、先生たちも認識している。保健室で休むと言われると拒否できない。

 和義が保健室で休んでいるとは知らない3名がやはりサボりの意味で、保健室を使ったのは偶然だったのだろう。
 しかし、その時の会話を聞いてしまった和義の心情は偶然では済ます事ができる類の事ではなかった。

 和義が偶然聞いた3人の会話から、父親と母親が殺された事。
 3人が薬をやっているのを注意されて、両親が証拠を持った状態で警察に駆け込もうとしていた。それを知った3人は、自身の父親に泣きついた。泣きつかれた父親は、息子たちを叱るのではなく、証拠もろとも消す方法を考えて実行に移した。
 本来なら、運転手も殺す手はずだったのだが、運転手が生き残ってしまった。
 口止め料を払うと行って呼び出して、殺したようだが、そのために余計に金がかかってしまって、自分たちが自由に使える金が減ったと憤慨していた。

(父さんと母さんは殺された?)

 午後の授業には出られる気分にはならなかった。
 和義は、そのまま部屋に帰って、リビングのテーブルの上に置いてあった”3周年チラシ”に空欄に3人の同級生の名前を書き込んで、理由の欄に、”父と母を殺した”とだけ書いた。

 そのままベッドに横になり寝てしまった。
 夜中に、喉の渇きで起き出して、買ってきていたペットボトルで喉を潤した。

 リビングのテーブルの上に置いてあったチラシを探したが見当たらない。
 寝ぼけて捨ててしまったのだろう。気にしてもしょうがないと思い、和義はベッドに倒れ込むように寝てしまった。

 翌日も、気分が優れない事から、学校を休んでしまった。

 夕方まで、ベッドで横になっていた。
 3人の同級生にあった時に、どういう顔をすればいいのかまだ考えがまとまっていなかった。彼らの話しが真実だとして、証拠は何もない。問い詰めても言い逃れはいくらでもできてしまう。

 言い逃れを言ってくる彼らを和義は受け入れられる自身がなかった。
 護身用に携帯しているナイフを眺めてみても、同じ結論にしか到達しない。

(殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す)
(父さんと母さんを、そして俺を)

 和義は、ナイフを閉まって、起き上がった。
 昨日探して見つからなかったチラシがリビングのテーブルの上に戻っている。和義には、戻ってきているという印象が正しい。テーブルの上に無いのは、ベッドで横になる前にも確認している。

 チラシを手にとった。

(え?)

 チラシには、昨日3名の名前を書いた。
 理由も明確では無いが書いた。

 それ以外は何も書いていないはずなのに、チラシには、”受諾”のハンコが押されている。

 空いているスペースに一人目と二人目には今日の日付が書かれている。

 和義は、慌ててスマホを取り上げるが、3人の連絡先を知るはずもなかったが、学校の知人で唯一知っている連絡先に、メールを送った。

 聞ける事は少ない。
 ”学校でなにか変わった事が有った?”
 だけだ。

 返事は、すぐに返ってこない
 10分待っても返事が来る事がなかった。

 翌朝。
 気になってチラシを見ると、最後の1人の所に昨日の日付が書き込まれていた。
 3人に同じ日付が書かれた事になる。

 和義は、学校に行く決心をした。ナイフはベッドの上に投げておく。
 持っていくと、奴らを殺してしまうかも知れないからだ。

 インターホンが鳴った。
大城おおしろ和義かずよしさんですか?」
「はい。そうです」
「警察署の者です」
「え?」
「朝早くから申し訳ありません。同級生の○さんと○さんと○さんの事をお聞きしたく伺いました。お手間は取らせません。少しお話を伺ってよろしいですか?」

 和義が振り返って、テーブルの上を見ると、さっきまで有ったはずのチラシがなくなっていた。

「はい。学校の時間までなら大丈夫です」
「ありがとうございます」
「あっそうですね。開けますね」
「はい」

 5分ほどして、二人の警官が和義の部屋を訪ねてきた。
 ドア越しの話しもおかしいので、部屋に入ってもらった。警察は、もし学校に遅れそうなら、送っていくとまで言ってくれている。

「最初にお伺いしたいのは・・・」
「調べてきたのでしょう?俺は、奴ら3人にいじめられていました」
「それだけですか?」
「どういう事でしょうか?」
「彼らの部屋から、貴方のご両親を殺害するように依頼する書類が見つかっています」
「え!父さんと母さんは事故で・・・。殺された?本当・・・ですか?でも・・・なんで・・・?」
「それを調べています」
「そうなのですね。でも、俺は何も・・・。知りません。それよりも、奴らがなにかしたのですか?」
「彼らは・・・死にました。殺された可能性も有るために、調べています」
「え?死んだ?殺された?誰に?え?もしかして・・・」
「えぇ貴方を疑っていましたが、死亡時刻に貴方がこの部屋に居たのはほぼ確実です」
「え?そんな・・・でも、何時なのですか?」
「一応聞きますが、貴方は昨日どこにいらっしゃいましたか?」
「昨日ですか、体調が悪くて寝ていました。でも、誰もそれを証明してくれる人はいないと思います」
「そうですね。でも、このマンションは防犯カメラが沢山あります。死亡時刻の前後に貴方が防犯カメラに映っていないのは確実です。ですので、貴方のアリバイは成立していると考えています」
「・・。それで、奴らはどうやって・・・」
「焼死です」
「え?」
「手足を縛られた状態で、煙が出ない状態で火炙りにされていました」
「・・・。それで、俺を疑ったのですね」
「そうです」

 警察は、指紋とDNAの提出を求めてきた。
 すべての要求を受けた。警察が部屋から出ていってから、和義はテーブルを見た。

 やはり
”3周年チラシ”は戻ってきていた。
 最後の1人に、自分の名前を書いて、空白に苦しまないように殺して欲しいとだけ書き込んだ。

 和義は、学校に行って、戻ってこなかった。


「聖人。本当に、ここ貰っていいの?」
「正当な報酬です」
「遠慮しないからね」
「はい。それでは、これで契約は完了で問題ないですよね?」
「うん。本当に、3周年チラシにかかれていた通りだね」
「えぇ嘘は書きません」
「うん。それじゃね。聖人」
「はい。今日から、貴方が和義さんですね。また何かご入用のときにはお声がけください」

fin

2020/04/01

【残された記憶】何気ない日々

 今日も憂鬱な一日が始まる。
 最低な目覚めだ。

「太輔!太輔!朝だよ。早く起きて、ご飯を食べちゃいな!」
「解っている。起きるよ」

 ほら、こうして、無理矢理起こされる。勉強なんてしてもしなくてもさほど変わる事はない。
 母親も父親も弟も妹も幼馴染のあいつも俺に何を期待している。

 どうせ、今更勉強しても変わらない。
 中堅の大学に入って、運が良ければどっかの公務員にでもなれるだろう。そうじゃなかったら、俺程度が入られる会社なら、大した仕事もさせてもらえないだろう。楽しくもない仕事を、もらえる賃金で釣り合いを取りながら、休日を楽しむのだろう。

「大兄!早く起きないと、ゆっこ姉にまた怒られるよ」

 妹も、中学に入ってから急に色気づいてきた。
 隣に住んでいる由紀子とたまに遊びに行っているようだ。どうせ、俺の悪口を言っているのだろう。

「わかった。わかった。楓。お前、また化粧なんかして」
「だって・・・みんな、しているよ?」
「みんなって誰だよ?」
「みんなはみんなだよ!」
「わかったから、布団をとるな。起きるよ」
「解ればよろしい。大兄も、ちょっと身嗜みを気にしようよ。ゆっこ姉に嫌われちゃうよ」
「はぁ?なんで、ここで由紀子の名前が出てくる」
「高校生にもなって、まだそんな事を言っているの?いいの?ゆっこ姉に彼氏ができても?」
「はぁ無理だろう?由紀子だぞ?」
「はぁ・・・。これだから、大兄にだけはわからないのだろうね」
「はぁ?由紀子だぞ?俺に所構わずに蹴りを入れたり、殴ったり、あんな暴力女に彼氏?無理だな!」
「大兄本気??」

 お?
 なんか、とてつもなく、妹に蔑まれた目で見られた気がする。
 確かに、由紀子は可愛いと思う。口を開かなくて、動かなければ、だけどな。

「大輔!楓!なにしているの?早く、朝ごはんを食べて、さっさと学校に行きなさい!」
「ママ。大兄が悪いの!私は悪くない!」
「楓!お前!」
「いいから、早く食べなさい!」

 リビングに行くと、さも当然な顔で、弟が座って1人だけパンを食べている。

「雄輔」
「なんですか?お兄様?」
「なんでもない。お前だけパンなのか?」
「はい。僕は、お兄様や楓と違って、朝起きて、新聞配達をして自分で稼いだお金で食事をしています。文句があるのなら、いつまでも惰眠を貪るご自分を責めるべきではないでしょうか?」
「はい。はい。そうですね。俺が悪かった。オフクロ。メシ!」

「うるさい。自分で取りなさい。炊けているから!」
「あっおばさん。私が、大ちゃんのご飯を渡しますね」
「悪いね。由紀子ちゃん」
「いえ、いえ」

 こっちもさも当然の様に、朝から我が家に居る、隣に住んでいるはずの由紀子だ。

「由紀子。なんで居る?」
「なんで?迎えに来たのに、まだ寝ているって言うし、暇だから手伝っているだけだよ。それよりも、早く食べてよね」
「え?なに?なんで?」
「はぁ忘れたの?」
「えぇ・・・と??」

「ゆっこ姉。馬鹿兄貴には、はっきりと言わないとダメですよ」
「そうね。覚えているとは、思っていなかったけど、本当に忘れているとは思わなかった」
「だから、なんだよ?」
「今日、会長選があるから、早くに行かなきゃならないのでしょ?」
「・・・・あ!!!今日か?」
「今日よ」
「なんで・・・」

 ダメだ。これ以上いうと墓穴を掘る。
 急ごう。

 由紀子から茶碗を奪い取って、シーチキンの缶を開けて、油を捨てて味の素を振って、醤油を適量垂らす。それを、ご飯の上に掛けてかき混ぜてから、2枚の海苔に乗せてから伸ばして巻く。簡易的なシーチキン巻きが出来上がる。
 二本を味噌汁と一緒に流し込んだ。

「オヤジは!」
「もう仕事に行った」

 弟が答えてくれる。
 電車で行ったのか?朝早くに出ていったのなら、乗って行っていないだろう。

「バイクは?」
「あるよ」
「由紀子。俺は、バイクで行く。どうする?」
「大ちゃんだけ行っても、なんにもできないでしょ。一緒に行くよ」
「わかった。着替えてきてくれ」
「大丈夫。そうなると思って持ってきているし、着ているよ」

 制服のスカートをめくって中を見せる。
 確かに、ライダースーツを着ている。
 それなら、スカートは意味ないよな?と思ったけど、口にだすほど野暮じゃない。

 オヤジのCB400SF。30年近く前のバイクだが、オヤジが好きで転がしている。
 今では俺が乗る事が多い。

 免許を、一発免許で受かれば貸してくれると言って、3度目に合格して勝ち取った。
 16で原付きの免許をとって、18でバイクの免許を取得した。

 学校は、バイクでの通学も許されている。
 許可は必要だが、距離的な事や事情を説明すれば案外簡単に許可が降りるのだ。

 後ろに、由紀子を乗せて学校に急ぐ。
 この選挙を仕切っているのが、タクミとユウキだ。奴らには逆らわない方がいいのは間違いない。
 会長でもないのに、会長選を仕切っているのは、タクミだ。本人は押し付けられたと言っているが、そうじゃないことも、裏の事情もユウキから聞いて知っている。

 それにしても、由紀子。いい匂いさせているな。
 それに、こんなに大きかったか?

「大輔!遅いぞ!」
「すまん。タクミは?」
「もう準備が終わって、待っているぞ」
「わかった。急ぐ」

「大ちゃん私は着替えてから行くね。ねぇユウキは?」
「ユウキも、タクミの後ろに乗ってきて、着替えてから行くと言っていたぞ」
「わかった。ありがとう」

 門番が答えてくれた。たしか、生徒会の役員だったはずだ。

 CB400の独特のエンジン音を聞けば、タクミなら俺が学校に到着した事くらいは解るだろう。
 学校も普段の喧騒が嘘のように静かだ。

「タクミ!悪い。遅れた」
「いや、大丈夫だ。それよりも、大輔。CB400だけど、回転数を落としたのか?」
「ん?いつもと同じだぞ?」
「そうか・・・。あぁ隣の姫を乗せていたのか?」
「あぁだから、何度もいうけど、由紀子は彼女じゃねぇ!」
「お前は、そういうけど、周りはそうは考えていないぞ?」
「え?」
「なんだ、知らないのか?」
「何がだよ?」
「工業の二大美女の話だよ」
「知らない?なんだよそれ?由紀子が美人?そんな事があると・・・・え?まじ?」

 タクミが、この手の冗談を言わないのは知っている。
 そもそも、二大と言っているが、由紀子が1人だとしたら、もうひとりはユウキで間違いない。
 そして、ユウキの彼氏は目の前で座って3台のパソコンを操っている変わり者だ。

「まぁそんな事はいい。それよりも、お前の準備はいいのか?」
「大丈夫だ」
「そうか、お前が最初だからな。最初からつまずいたら、いい笑いものだからな」
「そうおもうのなら、お前がやれよ」
「やってもいいけど、お前が操作してくれるのか?」
「わるい。無理だ」
「だろう?」

 それから、タクミと立候補者と応援演説をする奴らの所に移動する。
 平凡な俺にそんな大役を任せたのは、由紀子だ。俺が司会をする事がいつの間にか決まっていた。確かに、もうバイトもしていないし、部活もしていない。なにより、由紀子に頼まれてしまったのだ。昔から、由紀子の頼み事が断れない。昔の話を切り出して脅してくるからだ。

 つつがなく、会長選も終わった。
 無投票での決着だが、一通りの儀式は必要になる。

 クソみたいな授業を受けて、友達と言われる者たちといつものような話をして、家に帰る。

 たまにある。イベント事はクソみたいな日常に刺激を追加してくれる。

 夜。由紀子からのメッセージに返事を出して、布団に潜り込む。

 弟は、今日も遅くまで勉強するようだ。たしか、小学校の七夕で、雄輔が書いた短冊の事で、両親が呼び出されていたな。
”学力が欲しい”
 だったかな?小学生が考える事じゃないとか言われていたのを思い出す。

 妹が、彼氏ができたと喜んで見せてきた写真が、大学生のチャラ男の写真だったときには、本気で怒った。相手を呼び出したら、小学生が出てきて二度びっくりした。写真写りを研究していると言っていた。

 オヤジの仕事を手伝うと言った時には笑って必要ないとだけ言われたな。

 オフクロは、もう少し料理がうまくなって、洗濯で色物を分けてくれて、掃除機の使い方を覚えてくれたら完璧なのだけどな。オヤジの話では、お嬢様だったからしょうがないのかな?

 眠いな。
 そうだよな。由紀子が・・・。あの男からの告白を断ったのを聞いて、安心したよな?なぜだろう?
 俺の横に由紀子が居なくなると思ったら悲しくなったのだよな。俺、由紀子の事が好きなのかな?そんな事が有るのか?

 ゆっくりと目を閉じる。由紀子からのメッセージが届いた。音を変えているから解る。あの音は、由紀子が好きな曲だ。なんと言ったかな。そうだ、ヴェルレクだ。ヴェルディが作曲した曲だ。由紀子からそう教えられた。

 明日の目覚めも最悪なのだろうな。
 最悪な目覚めで、いつもの憂鬱な日々が繰り返される。


「教授。この被験者は、これが最良の夢で、最高の目覚めなのでしょうか?」
「この被験者のステータスは見たかね?」
「はい。34歳で自殺」
「そこじゃない」
「えぇーと。22歳の時に、夢に出てきた、由紀子という幼馴染と結婚。翌年・・・え?」
「そう、この男性は、22歳で結婚した。翌年、産まれてくるはずの子供と一緒に最愛の妻を殺された、ただ覚せい剤という薬が欲しいという理由で、家に泥棒に入った男に、妻と弟と妹夫婦と両親を殺された」
「教授。でも、わかりません、なぜこれが”最高の目覚め”なのですか?」
「それは、君たちが考えなさい。今日のレポートにします。来週までにまとめて来なさい」
『えぇぇぇーーー』

 教授と呼ばれた男性は、踵を返して部屋を出ていった。
 残された生徒は、友達と今見た夢の話をして、考察を行っている。

 大輔が自殺してから、約250年。
 脳の一部から記憶を読み取る技術が確立した未来。

 大輔は、最低だと思って居た日常が、最高の日々で毎日母親や妹や幼馴染に起こされるのが最高の目覚めだと未来になって知らされる事になる。

fin

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2020/03/31

【残された3分】冷めてしまった紅茶

 私と彼の距離を表現するのに、一番適切な言葉は、紅茶が冷めない距離。

 彼は隣の部屋に住んでいる。
 それは偶然だった。

 中学卒業までは、一緒の学校に通っていた。
 高校になったら、彼のご家族は引っ越してしまった。何か理由が有ったのだろう。

 中学卒業の時に彼に告白しようと思っていた。でも、告白ができなかった。
 学校で一番可愛いと言われている子に告白されていた。受け入れると思っていた。

「紀子!」
「え?」
「一緒に帰ろう。オヤジとオフクロとお前のご両親は先に帰ると言っていたぞ」
「なんで?」
「ん?なにが?」
「だって、さっき」
「見ていたのか?」
「うん」

 ダメ。泣いちゃダメ。

「紀子。俺は明日引っ越しをする」
「うん。聞いている」
「だからな」
「うん」
「あぁもう。俺は、お前が好きだ」
「え?なに?」
「聞こえただろう。もう一度なんて言わない」
「わたしのことがすき?」
「なんも言わない!」
「明、わたしも、好き」
「よかった」

 明は、彼は、高校は別々になったけど、会いに来ると約束してくれた。
 私も会いに行くと約束をした。明の新しい住所も私にだけ教えると言ってくれた。

 交際が始まった。

 そして、お互い都会の大学に合格した。
 別々の大学だ。明は、大学の寮に入ると言っていた。私は、一人暮らしをする事にした。

 引っ越しをした。
 隣も同じ地方の高校から、都会の大学に入った人が来ると教えられた。
 気にしてもしょうがないので、自分の荷解きをしていた。

 インターホンがなった。
(だれ?)

 確認したが姿が見えない。

「隣に引っ越してきた者です」

 聞き覚えがある声だがわからない。
 姿をわざと見せなくしているのだろうか?

「紀子。久しぶり。いや、5日ぶりか?」
「え?」

 そこには、満面の笑みで明が立っていた。
 夢じゃないよね?

「え?どうして?」
「隣に引っ越してきたからだぞ?」
「え?だって、寮に」
「最初は、寮に申請出していたけど、許可が出なかった。おじさんに相談したら、紀子が借りた部屋の隣が空いているからと言われて、オフクロもそれならと言ったからな」
「え?え?誰も教えてくれなかったよ?」
「俺が黙っていてくれとお願いした。実際、寮が空くかも知れないからな」
「!」
「紀子?」

 泣き出しそうだ。

「紀子。なくなよ。悪かった。そうだ。紅茶でも飲まないか?ほら、デートした時に飲んだやつあるだろう?お前が美味しいって言っていたやつだよ。あれがうまく入れられるようになったからな」
「へ?」
「ほら来いよ。俺の片付けは終わっているから、一緒に飲もう!」
「うん?」

 明に手をひかれるまま隣の部屋にはいる。
 明が隣に引っ越してきた?

「明?」
「なに?」
「紅茶の入れ方教えてくれる?」
「ん?いいけど?」
「ほら、この前、明が美味しいと言った・・・ほら、あの紅茶?」
「オータムナルか?」
「そうそう、そのオーなんとかが美味しかった!」
「わかった。でも、お前、紅茶よりも緑茶だろう?」
「そうだよ?でも、明と飲むなら紅茶の方がいい!」
「そうだな!紀子。今度の休みに、買いに行こう。合格祝いをしていなかったよな?」
「え?それなら、明にだって、私何もしてないよ?」
「ううん。紀子からは、俺が欲しかった物がもらえたから必要ない」
「え?なにか?」

 明がニヤニヤしている。
 この顔の時は、私の嫌がる事を言わせようとしている時か、恥ずかしがるような事をするときの顔だ。

 あ!

 引っ越しをする前、両家の家族公認で、私と明は、2泊旅行にでかけた。
 初めての二人だけの旅行だ。明は受験が終わってからバイトを始めた。貯めたお金で、伊豆旅行を計画してくれていた。卒業祝いだと両親を説得した。私の両親もどうやって説得したのかわからないが、了承してくれた。

 そしてでかけた伊豆旅行で初めて私は明に抱かれた。
 それまでキスしたりや触り合ったりはしていたが、そこまでだった。明なりの誠意だと言っていた。でも、伊豆旅行で初めて、明を迎い入れた。すごく痛かったが、すごく嬉しかった。明と一つになれたのが嬉しかった。

 旅行では、土産物屋さんで見つけた3分が測れる砂時計を買った。
 明が好きな紅茶を入れるのに必要などだと言っていた。

 ”最後の3分”
 明が私に教えてくれた紅茶を入れる時に一番大事な時間だ。

 準備の時間は必要だ。
 茶葉が開いて紅茶が出てくる3分間が、明が言っている”最後の3分”。この間に話をしながら、紅茶と対面に座る人の事を考える時間なのだと言っている。

 それから、私と明は、何度も何度も、”最後の3分”を楽しむ。

 明が部屋に帰ってくる。
 私が部屋に居るのを確認するかのように、そっけないメッセージが届く。

”今から行く”

 これだけで十分だ。
 私は、メッセージに”紅茶?”とだけ返す。

 部屋に居ないときには、部屋に居ないと返事を返す事になっている。

 明らからは一言だけの返事が返される。
 ここで明の気分が解る。絵文字の時もあれば、長文の時もある。一言の時が多い。でも、それで十分だ。

 明は鍵を持っているのに、わざわざインターホンを鳴らす。

 私は、明が来る前に紅茶の準備を始める。
 教えられたように、教えられた通りに、明が喜んでくれる事を期待して。


「これも片付けていいですか?」
「お願いします」

 疲れ切った老夫婦が、業者の問いかけに答えを返す。

 10月に差し掛かろうとしている時期。今年も気温が落ち着かずに夏のように暑い。
 都会の片隅の大学生が多く住むマンションの一室で片付けが行われている。

 この部屋に住んでいた。男子大学生が危険ドラッグをキメて運転していた車に跳ねられて死亡した。

 マンションまで3分くらいの場所だ。

 大学生は、彼女の為に予約していた、ケーキを取りに外に出て、事故にあってしまったのだ。

 些細な事で喧嘩していた大学生は、仲直りのためにケーキを予約していたのだ。大学生は、彼女にケーキを予約してある事を告げて、紅茶を用意しておいて欲しいと彼女にお願いした。彼らなりの仲直りの方法なのだ。

 彼女は、了承するまで3分間ぐずった。自分が無茶な事を言っているのは解っていた。でも、彼には解ってほしかった。彼とインターホン越しに話をした。彼が条件を出したが納得してくれた。彼女は、彼に謝罪して、彼も納得してくれた。

 彼女は、紅茶を入れる準備を始める。
 彼は、ケーキを受け取りに外にでかけた。

 たった3分。
 されど3分。

 かれを引き止めた3分で、彼女は彼を失ってしまった。
 引き止めないで、部屋に入れてから話せばよかったと彼女は悔やんだ。

 彼女は、彼から送られたメッセージとインターホンに残された、彼との最後の3分間に交わされた会話が彼女に残された物だった。


 彼が隣に居るのが当たり前だと思っていた。

”今から行く”

 彼は私にそっけないメッセージをくれる。

 これから、彼が好きなオータムナルの準備を始める。

 ポットに入る分量と二人分のお湯を沸かす。
 それから、二人分の茶葉を取り出して、軽く振るいにかける。小さな茶葉やゴミを取り除くためだ。

 一度目のお湯は、ポットとカップを温めるのに使用する。
 少しだけもったいないが、彼がこの方法が好きなのだ。

 二度目のお湯を沸かす。
 今度は、たっぷりと沸かす。

 お湯がフツフツと言ってきたら一旦火を止める。お湯を休ませるのがいいそうだ。
 その間に、オータムナルによく合うミルクを作る。

 ダージリンとしては茶葉も厚くてしっかりしているし、渋めになる。
 彼は、これに、甘めに作ったミルクを入れて飲むのが好きなのだ。

 ミルク人肌くらいまで温めた所で、インターホンがなる。
 スペアキーも渡しているし、部屋の番号も解っている。下のセキュリティロックの方法も解っているのに、彼は必ずインターホンを鳴らす。私は、インターホンを確認してロックを外す。

 休めていたお湯に火を入れる。

 彼の到着と同時くらいに、お湯が湧くのだ。
 彼を出迎えに玄関に行く。その時に、お湯を火から下ろす。

 持ってきてくれたケーキを受け取る。

 最初の3分間は準備の時間だ。

 ポットとカップをお湯から取り出す。
 ケーキをお皿に並べる。

 湧いたばかりのお湯をもう一度カップに注ぐ。
 二人分の茶葉とポットを持っていく。

 慣れた手付きで紅茶の準備を始める。
 茶葉を見て、お湯の量を調整する。少しだけお湯が熱いと感じると、ここでお湯を冷ますのだ。

 この間に、話しかけてはだめ。私だけが楽しめる。ゆっくりと眺めている事が許される時間なのだ。

 茶葉を入れたポットにお湯を注ぐ。
 そして、用意している砂時計をひっくり返す。

 最高の3分が開始される。

 私は、話をする。
 紅茶ができるまでの3分間。開き始める茶葉からの匂いを感じながら、話をする。

 3分間が終わってしまった。

 紅茶が冷めたら居なくなってしまう。湯気が上がらなくなったら、彼を感じられなくなる。
 
 残された3分。
 私が彼を感じていられる最後の時間。

 これは、私への罰。
 私が、あんな事を言わなければ、彼との距離はもっと近くなっていた。

 私は、永遠に彼と交わした”最後の3分”のために紅茶を入れる。
 彼が美味しいと言ってくれた、彼が私に教えてくれた、彼が私に残してくれた物のために、私は”最後の3分”を楽しむ。

 茶葉が開く3分間。
 私が、彼と言葉を交わした、最後の3分。

 彼が残してくれた。私の唯一の希望。


「なぁ母さん」
「なんですか?」
「のりちゃん」
「えぇ妊娠していて、産んで育てると言っているそうですよ」
「そうか、明の子供か」
「そうね。こんなに、哀しい初孫なんて」
「小野さんは?」
「賛成しているわ。謝罪しに行ったら怒られたわ。結婚を認めているから、子供を産ませますと言ってくれているわよ」
「そうか。嬉しいな。明の子供か。のりちゃんは抱かせてくれるかな」
「大丈夫よ。でも、明に似て、紅茶が好きになったら、この荷物を渡しましょう」
「そうだな」

「荷物片付け終わりました!」
「ありがとう」「今、行きます」

 老夫婦は何もなくなった部屋を確認してから、そっとドアを閉めた。

fin

2020/03/30

【君と決めたルール】僕がルールを破る時

 何気ない日常の何気ない時間。
 それが僕にとってかけがえのない物だったと知ったのは、何もかも・・・。”自分の身体”と”君への想い”と”君と決めたルール”だけが残された日だった。

 君は、僕にそんな事を望んでいないだろう。
 僕は、初めて、君との約束を僕の都合で破る事にする。

 君と決めたルールは4つ。この4つは何が有っても変えないと二人で決めた。
1.嫌がる事はしない
2.他人に迷惑をかけない
3.辛くても笑おう
4.大切にする
 だ。
 今から1番と4番のルールを破る。


 高校1年の最初の席決めの時に、隣に座ったのが君で良かった。
 最初にルールを決めようと言ったのは君だった。どうせ、1学期だけだと思って、僕は承諾した。

 それから、君は高校3年間ずぅーと僕の隣だった。
 数え切れないほど、君はルールを決めた。

 明日持ってくるお弁当をルールで縛った事も有った。
 君はルールという名前のゲームを楽しんでいるようだった。僕も、君と決めたルールを守るのが嬉しかった。

 ルールで君と繋がっているのがわかったからだ。

 最初のキスも、君が決めたルールだった。

 初めて身体を重ねたのは、僕が決めたルールと罰で、君がわざと破って罰を実行する事にしたからだったよね。

 お互いにルールを決めて、ゲームを楽しんだ。
 僕たちは、高校3年間で数えきれないルールを決めた。

 僕たちは、高校3年間の高校生活をルールに則った恋愛ゲームを本気で楽しんだ。


 私は、君に恋をした。
 私は、君を最初から好きだった。

 私は、最初から君を求めていた。

 私は、最後まで君を守るつもりだ。

 私は、ルールを決める事で、君を守りたい。

 君は、私のすべて。私が、君のすべてじゃなくてもいい。私のすべては君の物。
 私が、私で決めたルールだ。


 男と女は、高校卒業して、就職した。

 男の両親も女の両親も、高校卒業後に二人がプレゼントした旅行で・・・。飛行機事故で帰らぬ人となった。
 それから、二人はお互いしか居ないと、より強く思うようになった。

 高校時代から続けているお互いのルールでお互いを縛った。

 二人しか居なくなった、男と女は自然な流れで、結婚した。

 言葉は少なかった。
 お互いが決めたルールではなく、社会的なルールには興味がなかった。

「結婚しよう」
「うん」

 これだけだった。

 二人だけの小さな小さな結婚式をあげた。職場の人も、古くからの友人も、誰も呼ばない二人だけの結婚式だ。

 それが周りから見て異常な事だとしても、お互いは二人だけが決めたルールに従っている。

 男と女には、社会が決めたルールに従って、多額のお金が舞い込んできた。
 しかし、男と女は、そのお金を全額寄付してしまった。自分たちの決めたルール。

・お金は自分たちで稼いだ分だけを使う。

 したがって、お互いに稼いでいないお金は必要がない物だった。
 自分たちと同じ様に両親を無くした子供たちが居る事を知って、その子たちが過ごす児童養護施設に寄付する事に決めた。

 もともと、肉親への興味が薄かった二人は、お互い以外は必要としていなかった。

 そんな二人が決めたルールは、4つのルールの上に成り立っていた。
1.嫌がる事はしない
2.他人に迷惑をかけない
3.辛くても笑おう
4.大切にする

 二人だけが解る二人だけのルールだ。


 男は暗い部屋に通された。頭に巻いた包帯が痛々しい。

「細川さん。落ち着いて聞いてください」
「大丈夫です。落ち着いています」
「奥様・・・。真帆さんで間違いありませんか?」
「・・・。刑事さん。教えてください。僕が、ここで、真帆じゃありませんと言ったら、真帆は帰ってきますか?」
「・・・。細川さん」
「大丈夫です。落ち着いています。真帆と決めたルールで、いつだったかな・・・。そうだ、高校の文化祭で決めた物だ。”取り乱さない”と決めました。そうだ。破ったら、相手の望む所にキスをするだったかな・・・。ねぇ刑事さん。教えてください。僕が、ルールを守らないから、真帆は寝たままなのですか?」

 男は、泣くわけでもなく、喚くわけでもなく、淡々と刑事に質問していた。
 刑事が答えられるわけもなく・・・。時間だけが流れていった。

 男は、唯一人の理解者で、ただ1人の肉親を失った。
 通り魔に殺されたのだ。

 お互いの休みを利用して、買い物にでかけた。二人で街にあるスーパーにでかけた。買い物をすませた帰り道。

「真帆!」

 ナイフを振り回す男が、男の目に映った。
 男は、女と男の間に身体を入れた。女は振り返って、ナイフを持った男が自分の半身を世界で一番大切な男に向かって、ナイフを振りかざしたのを見た。

 女は、咄嗟に男を抱きしめて、身体を回転させた。
 ナイフは、女の背中に刺さった。ナイフを持った男は、ナイフを抜いて、女を何度も刺した。骨にナイフがあたって折れるまで何度も何度も刺した。男は、倒れ込む女を支えて、地面に頭を打ち付けて意識を飛ばした。

「よかった・・・りゅうちゃんを守れた・・・。よかった。ルールを・・・わたし・・・守れたよ・・・りゅ・・・うちゃ・・・ん」

 女は自分が死ぬ事が怖かった。
 最愛の竜司に会えなくなるのが怖かった。

 竜司が守れたのが嬉しかった。

 竜司は1人だけになってしまった家に戻った。
 笑っている真帆の写真を見つけて、部屋に飾ってある。

 遺影は、二人で決めていた。
 お互いにいつ死んでもいいようにルールを決めていた。

 竜司は、真帆の生命保険を全額寄付した。二人が決めたルールを守ったのだ。
 翌日から仕事に出た竜司を同僚や上司は心配した。でも、竜司は、真帆以外から心配されても嬉しくなった。

 毎日のように流れるニュースにも興味がなかった。
 犯人が解っても、真帆が帰ってくるわけではない。
 犯人の父親が偉い議員の先生だからと言って、真帆が新しいルールを決めてくれるわけではない。
 犯人の父親が代理人を通して慰謝料を持ってきたからって、真帆が自分のルールを守ってくれるわけではない。

 竜司の顔は、笑顔で愛想笑いの状態で固まってしまったかのようになっている。
 真帆と決めたルールの三番目を実行している。”辛くても笑おう”

 親戚を名乗る者たちや、竜司と真帆の事を知っていると言っている者たちがマスコミを賑わしている。そんな話を聞きながら、竜司は笑って過ごしている。

 竜司は、真帆と一緒に過ごした時間を大切にしたいだけなのだ。

 マスコミや世間が、竜司を追い詰めていった。
 竜司は、いつの間にか、壊れていた。

 竜司は、真帆が眠る場所を毎日訪れて話しかけるのが日課になった。
 高校の出会いから、真帆と最後に買い物に行った日までを繰り返している。

 そして、真帆のルールを思い出して、最後に笑ってその場を立ち去る。
 まるで、なにかやらなければならない事を思い出したかのように、にこやかに笑って立ち去るのだ。

(真帆。僕は、君と決めたルールを守るよ。でも、君はルールを守ってくれなかったよね。だから、僕もルールを破る。君と決めた罰を君は実行してくれるのだろう?)


 男は、2つのルールを破る事に決めた。

 ”嫌がる事はしない”
 男は、女が自分の復讐なんて望んでいない事は解っていた。嫌がるだろう事も解っていた。でも、自分の気持ちが抑えられないのだ。妻を、最愛の女性を、世界で唯一人の身内を奪った犯人ゴミが許せない。

 ”大切にする”
 男と女は、決めていた。お互いの身体を大切にする事。自分の身体も心も大切にして、疲れたら休む事。自分の身体を傷つけない事。男は、復讐を果たした後で女の所に旅立とうと思っている。もしかしたら、会えない旅路かもしれない。長い長い旅路になるかも知れない。そう思っていても、男は女が居る場所に行くために、旅立つ決心した。

 男と女のルールには、破った時の罰則がある。

 4つの基本のルールを破ったら

 男は言った
「死んでも許さない。ずぅーと一緒に居る」

 女は言った
「ルールを破ったら、探してずぅーと側に居る」


「また、その事件ですか?」
「・・・。不思議な事が多いからな」
「そうですよね」

 二人の刑事が見ている調書は、被疑者死亡で終わった事件だ。

 被害者は、5年前に通り魔殺人事件を起こしている。
 薬をやっていて、善悪の判断ができていなかったという理由で無罪になっている。父親が有名な議員先生だった事も影響しているのかも知れない。マスコミも、事件当初は通り魔事件と大々的に報じたが、犯人が解ってからは報道を自粛するようになった。

 厚生施設に送られていた男が、遠い施設に移される事が決まった当日。

 通り魔事件で唯一死亡した女性の旦那が通り魔犯を殺害した。

 自分の妻が刺された場所をと寸分違わない場所を刺していた。背中を9箇所刺した。

 警官の護衛も居た。少ないがマスコミも居た。

 だが、誰一人として犯行現場を見ていなかった。
 白昼の空白。そんな言葉が皆の頭によぎった。

 男は、最愛の妻が眠る墓地の前で、墓地を汚さないように、布をかけて、墓地に寄り添うように自分で腹を切って自殺した。自分の血で墓地や地面が汚れないように、細心の注意がされていた。墓地とノートを抱きしめて眠るように死んでいた。

 墓の前には、几帳面な字で事件を起こした事の謝罪と経緯が細かく書かれていた。
 議員の息子が何時出てくるのかを知るために、男は議員の事務所で働き始めた事も書かれていた。議員の不正も全部メモとして残していた。

 ”他人に迷惑をかけない”
 自分の死後に、警察が調べたりする手間を省いたのだ。男は女の決めたルールを守っただけなのだ。
 墓地が汚れたりしたら迷惑をかけると思ったから、男は細心の注意をはらった。

 男は、ルールを書いた、三冊にも及ぶノートを胸に抱いて、眠るように旅立った。

「どうやって殺したのか?」
「そうですよね。マスコミもいたし、警察も居たのですよね?」
「・・・。それに、刺し傷が全部同じなんてあり得るか?」
「無理ですよね。それに、事件現場から見つかる場所までもかなりありますよね?」
「あぁまるで誰かが助けたようだよな」

 二人は持っていた調書を閉じた。

fin

2020/03/28

【隣の料理人】食事のスパイスは勘違い?

 その女性の住む部屋は、古いアパートだだ。

(はぁ今日も疲れた)

 誰も待っていない部屋に女性が入っていく。手に持っているのは、近くにある弁当屋さんの袋だ。

 部屋に入って、仕事場にしていくポニーテールを解いて、髪の毛を下ろす。

(どんどん。好きだけど・・・今日も、隣の部屋からはいい匂いがしている)

 アパートと言っても、女性の一人暮らしだ。セキュリティには気を使った。
 部屋を借りる時に、隣に音が聞こえないようにとか、周りにどんな人が住んでいるのかを確認していた。

 しかし、匂いまでは気にしていなかったのだ。キッチンは通路側ではなく、ベランダ側になっている。少し変則的な2LDKの作りになっている。
 そのために、ベランダ越しに匂いが漂ってくるのだ。

(美味しそうな匂いだな。今日は、何を作っているのだろう?焼きそばかな?)

 女性は隣に住んでいるのが、一つ年上の男性だと教えられている。

(まさか、美味しそうな匂いさせやがってと怒れないよな)

 買ってきた、”舞茸のり弁”を袋から取り出す。

(私も料理したら。時間がないから無理!)

 という言い訳をし続けて、もうすぐ1年が経つ。
 その間、キッチンを使ったのは3回だけ。

 キッチンではお湯を沸かすだけになってしまっている。

(ゴミ捨てとかでお隣さんに会うけど、料理なんてしているように見えないけどな。でも、ギャップがいいなぁ。彼女とか居るのかな?イケメンってよりは、かわいい系?古川慎くん似で好みだな)

 彼氏居ない歴=年齢の女性には隣の男性に声をかけるなどという高難易度のミッションをこなすことなどできない。

(はぁ今日もお隣さんは、美味しそうな物を作っているな。ソースのいい匂いだな)

 男性は、綺麗なキッチンで、封を切ったカップラーメンにお湯を注いでいる。
 3分待てばできるやつだ。

 仕事場から近くだからと借りた部屋だったが、その仕事場が不況の煽りを受けて、田舎に引っ越してしまった。
 せっかく入った会社なので、男性は辞める事なく勤めている。

(通勤時間5分。夢の生活だと思ったのに、いきなり通勤時間30分だからな。それでも幸せだと思わないとな)

 男性が部屋を決めたのは、裏に駐車場がついている事だ。隣は空き部屋だと教えられた、角部屋とそうじゃない部屋のどちらでも大丈夫だと言われたが、角部屋の方が家賃が高くなっているし、駐車場もついていないと言われた。

 男性が部屋を決めてから3ヶ月後に、空き部屋の一つに女性が引っ越してきた。

 年齢=彼女いない歴の男性は、今日もカップ麺をすすって餓えをしのいでいた。

(ごちそうさま!ゴミ出しの時に会う様な子が作った料理ならもっとうまいのだろうな)

 今日は近くのスーパーの安売りをしている日だ。男性はカップ麺を求めてスーパーに来ていた。

「あれ?大家さん?」
「古川さん?」

 大荷物を抱えた、大家さんが男性の前でレジを行っていた。

「古川さんも、買い物?」
「はい。安売りだったので」
「それにしては、あまり買っていないようだね」
「えぇ一人暮らしですから、こんな物じゃないですか?」
「そうなのね?」

 二人は無人のレジで支払いを済ませた。

「そうだ。大家さん。車で来ていますから送っていきますよ。荷物もあるし歩いて帰るよりはいいでしょ?同じ場所に帰るのだし」
「そうじゃね。お言葉に甘えましょうかね」
「はい。正面に車を廻してきますね。あっ。荷物、持っていきますね車に積んでおきますよ」
「それなら、私も一緒に行きますよ」

 二人は並んであるき始めた。
 男性は、自分の買い物を手に持って、カートには大量に買っていた、大家さんの荷物を入れている。日用品も多いが、食料も多い。男性から見たら、何ができるのかわからないような、肉や野菜や魚介類が大量にカートに積み込まれている。

「大家さん。こんなに食べられるのですか?」
「ハハハ。孫が、今度遊びに来るからな。その時に出す料理の材料じゃよ」
「あぁそうなのですね。それで、調味料とかも沢山あるのですね」
「なんと言ったかな、あの板みたいな奴。孫娘が持ってきて、これでレシピがいろいろ見られるからって置いていってから、試しにやってみているのですよ」
「へぇそうなのですね」

 男性は、車に大家さんが買った物を積み込んで家まで帰る事にした。

 暫く車を走らせたら
「あっ!古川さん。ちょっと停めて!」
「どうしました?」
「孫娘が高校合格したお祝いを予約してくる!」

 近くのケーキ屋さんで予約をするようだ。

「それなら待っていますよ」
「後で取りに行くから買い物したものをお願いしていいかい?」
「問題ないですよ。冷蔵庫には余裕がありますから」

 男性は自虐的に少しだけ笑ってから停めた車を走らせた。

 駐車場について、大家さんが買った大量の食材や調味料を抱えながら、自分のカップ麺が入った袋を持って部屋に戻る事になった。

「あっこんばんは」

(え?普段はポニーテールだと思っていたけど、学校?に行くときだけど?普段は下ろしている?こんな時間に、デートなのかな?やっぱり彼氏が居るのだろうな)

 女性は、今日は仕事が休みだったので、一日部屋で過ごしていた。
 さすがに何も食べないのは辛いがせっかくの休日にお弁当では気分が滅入ってしまう。そう考えて、夕方に外に食事に出かける事にした。自分で作るという発想は女性の頭からすっかり消えている状態なのだ。

「あっこんばんは」

(え?)
「あっこんばんは」

 女性は、荷物を抱えた男性とすれ違った。

 男性が持っていた物を女性が見て少しだけ残念な気分になってしまった。

(やはり、料理を作っているのね。それに、あの量。やっぱり、彼女が居るのね)
(こんなすっぴんで、髪の毛に縛った跡を残して、普段着のまま近くの定食屋に食事に出かけるような女じゃ彼女にはなれないよね)

 女性は、マンションの敷地から出て、どっちに行こうか迷っていた。駅方面に向かうか、スーパー方面に向かうかだ。

 スーパー方面から小柄な女性が歩いてきた。

「大家さん。こんばんは」
「はい。こんばんは。森川さん。今からデートかい?」
「違いますよ。今日お休みだったから、なにか買ってくるか、食べてこようか、考えていたところですよ」
「そうなのかい?」
「はい」

 大家さんは少しだけ考えていた。
 女性は、孫娘よりも少しだけ上だが、最近の女性には違いない。

 大家さんから見たら、15歳も23歳も大した違いはない。

「そうかい。森川さん。ちょっと私の手伝いしてくれないかい?」
「手伝いですか?」
「孫娘の合格パーティを開くのだけど、その時に出す料理を食べてみて感想が欲しいのだけどダメかい?」

 女性は少しだけ躊躇したが、以前に食べた大家さんからもらった”お煮しめ”の味を思い出して、承諾してしまう。
 そして、外食をするという計画から、大家さんの家で食事をするという話になってしまった。

 一通りの食事を終えて、女性は食事代を払うと大家さんに言ったのだが
「いいよ。意見ももらったし、食事代なんていらないよ」
「そう言われても」
「そうかい?」
「はい」

 大家さんは少しだけ考えてから
「それなら、明日ゴミの日だろう。ゴミ出しを頼めるかい?」
「もちろんです」

 女性は、明日の朝のゴミ出しの約束をして、少しだけ幸せの気分で部屋に帰った。

— 翌朝

 男性はいつもの時間に起きて、いつもの様に支度をして、部屋を出る。ゴミの日なのはわかっているが自炊をしていない男性の1人ぐらいではゴミは殆ど出ない。月に一回程度で十分なのだ。

 女性はいつもよりも早く起きて、大家さんの部屋に行った。
 約束していたゴミ出しをするためだ。

「おっ」

 男性が扉を開けると、大きなゴミ袋を持った女性がドアにぶつかりそうになっていた。

「あっ申し訳ない」
(やっぱり、あの匂いは、この子からだったのか?大学生なのに毎日料理を作るなんて)

「いえ、大丈夫です」
(社会人だと聞いていたけど、魚とか匂いがしてくる、やっぱり料理しているみたいだね)

「おはようございます。ゴミ。持ちましょうか?」
(少しでも話せるチャンスだからな。彼氏が居るとは思うけど)

「いえ・・・。あっそれなら、これお願いします」
(そんな捨てられた子犬みたいな顔されたら・・・。私のゴミは恥ずかしいけど、大家さんのゴミなら・・・)

「わかりました」
(生ゴミって事は、昨日の夜に作ったのかな?)

「あっありがとうございます」
(優しいな。勘違いしちゃいそう)

(話が続かない・・)
(なにか話さないと・・)

 二人は黙って、階段の方に歩いていく。

「あっ」
「どうしました?」
(私、なにかまずかった?)

「いえ、なんでもないです。学生さんですよね?」
(俺は、いきなり何を聞いている!?馬鹿なの?馬鹿なの?ほら、困っている)

(え?私の事?)
「え・・・いえ、働いています。社会人一年目です」

(え?)
「そうなのですか?」
「はい。あっゴミ重くないですか?」
(・・・。大家さんのゴミだから大変かな?)

「いえ?平気ですよ。でもすごいですね。一年目で、しっかりされていて」
(すごいな。一年目なんて大変なのに、料理を毎日しているみたいだし)

「いえ、そうでもないです」
(仕事は慣れちゃったけど、食べ物が・・・なぁ)

 二人は黙ってゴミ捨て場まで歩いた。
 ゴミ捨て場では、大家さんが掃除をしていた。

「あれぇ二人ともおはようさん」
「おはようございます」「おはようございます」
「古川さん。昨日は荷物ありがとうね。森川さん。ゴミ捨てありがとう。帰りに寄ってね。お煮しめ作っておくから!」

 大家さんは掃除をしながら、昨日お互いに聞いた、料理をしない話や彼氏や彼女が居ないと言った話をしてしまった。

「え?」
「え?」

 二人に微妙な空気が流れる。
 お互いの勘違いが一気に解消されていった。

 一年後に角部屋の表札が”古川・森川”という物から”古川”に変わった。
 そして、使い込んだキッチンからは匂いではなく二人の笑い声が聞こえてくる。

fin

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2020/03/25

【二番目の愛情】戸惑いの告白

 俺には長男だけど二番目の子供だ。

 当然の事だと思う。
 俺は少しだけ複雑な子供だ。

 俺の父はバツ1なのだ。
 父の再婚相手が、俺の産みの母で、産みの母の最初の配偶者が本当の父なのだ。

 ようするに、俺が今『父』『母』と呼んでいる両親とは血が繋がっていない。

 本当の両親が、どうなったのかは知らない・・・ことになっている。

 一度酔った父が話してくれた。

 俺の本当の父は、父の友人だった人物ですでに死去している。産みの母も、父と再婚して2年後に死去した。
 自殺だと言っていた。父は、本当の母の死を自分たちの責任だと悔やんでいる。

 父は友人に産みの母を頼まれたようだ。
 死ぬ間際に頼まれたのだと言っていた。理由は話してくれなかった。

 どういう経緯で母と結婚したのかはわからないが、母も産みの母を知っているようだ。
 全員が、幼馴染と言ってもいい関係だったようなのだ。

 そんな不思議な環境の中で、俺は二番目として生活してきた。
 父の事も、母の事も、感謝しているし、尊敬もしている。弟の事も大事だ。しかし俺は、この家では2番目の存在でしか無いのだ。小さいときには、弟に嫉妬した事もある。でも、酔った父に真相を聞かされた時に、納得してしまった。

 グレるという選択肢は俺にはなかった。本当の両親と、育ててくれた両親。どちらも俺にとっては両親なのだ。今の両親が二番目の両親などと考えていない。

 明日、卒業式が終わったら、俺は家を出て一人暮らしを始める。
 街に出て働くことになっている。就職先の寮に入る事が決まっている。

「父さん?なに?」

 家を出る前に、父に呼ばれている。
 部屋のリビングで、父さんの対面の椅子に座る。

「・・・」

 なんかいいにくそうにしている。
 もしかしたら、本当の両親の事を教えてくれようとしているのか?

さとし。明日の準備は終わっているのか?」

 笑いそうになってしまう。
 荷物をまとめて寮に運んである。父さんに運んでもらった。
 そんな事も考えられないほど動揺しているのか?

「大丈夫。もう寮に運んだから、明日は着替えを少し持っていくだけだよ」
「あっそうだったな。・・・それでな」
「なに?」

 話しにくそうにしているけど、チラチラとリビングからキッチンの方を見ている。
 母がそっちで聞き耳を立てているのがわかる。

「あのな。慧」
「うん」

 長い沈黙だ。

 パタパタとキッチンから母が出てきたのがわかる。

「アナタ。慧が困惑しているでしょ」
「そう言っても・・・」
「もう。いいわね。私が」
「ダメだ!これは、俺の役目だ!」

 びっくりした。
 温和な父が母を怒鳴るなんて・・・。それほど、大事に思っていてくれたのか?

 もしかして、二番目なんて思っていたのは、俺の勘違いだったのか?

「そ、そうね。アナタの役目ね。ごめんなさい。慧。少し、パパとママの話を聞いてくれる?」

 母は、父の隣に座って、お茶を俺の前と自分と父の前に置く。

「もちろん。俺に関係する事?この目に関係する?」

 両親が話しやすいように、目の話をする。
 俺の目は、茶色と濃い青だ。父と母は、びっくりするくらいの黒色だ。この両親から、俺の様な目を持つ子供が産まれるわけがない。

 両親は身体を少しだけ強張らせる。
 大丈夫。俺は知っている、知っていて、父と母を、父さん。母さんと呼ぶ。呼んでいたいと思っている。

「慧。お前は、俺と母さんの本当の子供じゃない」
「うん。知っていたよ。だって、目が違いすぎるし、髪の毛の色も俺だけ違うからね」

 わかっていた事だが、父にはっきりと言われるとやはり心に・・・来る。

「慧!でも、お前は、俺の子供だ。血が繋がっていなくても、俺と母さんの子供だ!」
「うん。ありがとう」

 ダメだ。
 泣くな!泣いちゃダメだ。涙を見せるな。哀しいわけじゃない。教えてもらえて嬉しいと思え!

「サトちゃん。あのね。私とパパの」「母さん!」

 父が、母のセリフを止める。これも珍しい。

「そうね。私が言ってはダメね。ごめんなさい」

 なにか事情があるのだろう。

「慧。お前の父親は、俺の同級生だった男だ」

 父から、本当の父の学生時代の事を聞く。これは、ある意味・・・拷問に違いない。
 なぜ顔も知らなければ、有ったこともない、父親の話を育ててくれた父から聞かなければならない。
 学生時代の出来事なんて話の筋として関係ないだろう?

「アナタ」
「おっすまん。奴は、憎たらしいが、そんな男だった」
「そうだったのですね」
「他人事だな?」
「え?だって、俺の父さんは目の前に座っている人だけですからね。あった事もない人の事を父とは思えないですよ?」
「・・・。それで、お前の生みの・・・、本当の母親なのだが・・・」

 ちらっと母を見る。
 母が気にすると思っているのだろうか?それなら、杞憂だと先に話したほうがいいかも知れない

「そうね。加奈子の事は、私から話したほうがいいね」
「加奈子?」
「そうよ。慧の生みの親だけど・・・心が弱かったのね」
「??」
「加奈子は、慧を産んで、次の子を身ごもった時に、あの人が事件で死んでしまって・・・」
「え?」
「それはいいのだけど・・・」

 事件?
 死んだとは知っていたけど、なにかに巻き込まれて死んだのか?

「うん」
「優しいのね。そういうところは、加奈子にそっくりね。加奈子は、慧の妹になる女の子を産むはずだったのに・・・」
「死産だったの?」
「そうね。死産・・・かな。よほど、ショックだったのだろうね」
「でも、それだと・・・」
「そう、パパは、あの人に頼まれて、心が壊れた加奈子と結婚したのよ」
「え?」
「私との結婚が決まっていたけど、アナタを実子として向かい入れる為に、私との結婚を先延ばしにしたの」
「え?母さんはそれで」
「良くないけど、しょうがなかったのよ。加奈子には、パパも私も返しきれない恩があるのよ」
「え?それじゃ俺の事は・・・恩を返す・・・ため・・・なのか?」

 自分で言っていて悲しくなってくる。
 違うと否定して欲しい。でも、今の言い方じゃ・・・。

「サトちゃん。違うわよ!貴方は、私とパパの子供!これは間違いない!あの人や加奈子が生き返っても渡さない。私の、パパの宝物!」

 俺もしっかり愛されていた・・・のだ・・・。二番目でもいい。俺の両親は、この二人だ。

「慧。すまんな。混乱させてしまって、こんな話は、しないほうが良かった・・・」
「父さん。母さん。俺、二人の子供で良かった」
「慧」「サトちゃん」

「知らない両親の事なんかどうでもいい。二人の馴れ初めとかのほうが気になるよ」
「サトちゃん。それは、サトちゃんがお嫁さんを連れてきた時に、お嫁さんにだけ話してあげますよ」

「ハハハ。それじゃ、隠し事ができない嫁さんを見つけないとな。その前に彼女を探してこないとな」
「そうだな」

 少しだけ気になった事を聞いておく。
 父と母が話したくなければ無理に話さなくて良いと先に言ってから聞くことにしよう。

「父さん。母さん。話しにくかったら話さなくてもいい。俺の両親は、父さんと母さんだから・・・。でも、教えて欲しい事がある」

 ここで一息入れる。
 父も母も俺をまっすぐ見てくれている。

「俺の産みの両親だけど、なんで死んだの?」

 聞いてしまった。
 本当なら、聞かないほうが良かったかも知れない。

「そうだな。お前には知る権利があるだろうな」

 そう、父が語り始める。
 学生のときの話だ。本当の母加奈子母さんと父と母の3人は幼馴染だったらしい。
 本当の父の家は、裕福だったようだ。

 父と母の家も、加奈子と呼ばれた加奈子母さんの家も貧乏だったようだ。
 不愉快になる話であるが、加奈子母さんは資金援助と引き換えに、本当の父クズのところに嫁入りしたようだ。その資金で、父も母も家族が残した借金を完済したようだ。だから、父も母も親戚の付き合いが殆ど無いのだな。

 本当の父は家に来ていたお手伝いさんに刺された。事情は、結局わからなかったらしい。父の表情から、なにか知っているのはわかるが、わからなかったと言っている父の言葉を信じる事にする。

 暫く生死の境を彷徨ったクズは、父と母を呼んで加奈子母さんを娶ってくれとお願いしたと言っている。
 実際には、お願いではなく、命令なのだろう。この時点で、加奈子母さんは心が壊れてしまっている。クズの実家は、加奈子母さんと俺を家から追い出した。心が壊れて何もわからない状態の加奈子母さんに財産を放棄させている。

 そして、父は加奈子母さんと結婚して、俺を引き取った。
 加奈子母さんを、父と母の二人で面倒を見ていた。そして、俺が3歳になった時に、加奈子母さんは自ら命を断った。理由はわからなかったらしい。

 加奈子母さんは父と母に、クズからの手紙を渡したのだと、俺に向けての手紙ではなく、父に向けての手紙だ。その時に、加奈子母さんの手はやけどしていたらしい。

 封は切られていない。父も母も読みたくないのだろう。
 俺に処分を任せると言って渡してくれた。

 その場で破いて燃やす事もできたが、父と母が知らない事情が書かれているかも知れない。
 好奇心を抑える事ができなかった。
— 
 親愛なる我が友へ

 俺は、お前に勝ちたかった。お前は、俺が持っていない物を全部持っている。
 俺が好きになった女は、お前の事が好きだった。
 お前にとって二番目の女なのだろう。
 俺が金の力で娶った。
 加奈子は、俺の子供を産んだ後もお前の事を愛していると泣いていた。子供は、お前の子供だと思っているぞ?

 子供を産んだ後にすぐに犯して子供を作った。
 二番目を産んだ後でお前に返すつもりだ。もらってくれるよな?

 加奈子の目の前で、他の女を犯すのも楽しかったぞ。
 お前はいつまでも二番目だと思い知らせてやった。

 素晴らしくクズな内容が長々と書かれていた。素晴らしくクズな内容で、手紙を燃やす事に戸惑いはなかった。

 父と母にとっては、加奈子母さんの変わりかも知れない。
 二番目の愛情なのかもしれない。
 加奈子母さんからも、父からも母からも愛情を受けている。

 加奈子母さんは本当に心が壊れていたのだろうか?

fin

2020/03/25

【白いフクロウ】御使い

 そこは終末医療専門の病院だ。
 誰も訪ねてくる事もなく、ただ死を待つだけの人たちが、最後の時を心安らか過ごす場所だ。冥界に旅立つその時まで、サポートを行う病院なのだ。

 1人の女性が運び込まれた。
 身寄りのない女性。女性というには幼い。少女と言ってもいい年齢だ。

「先生」
「もって1ヶ月と言われている」
「でも、なんでここに?」

 看護師が不思議に思うのも当然だ。
 ここは救いのない病院。少女が最後を迎えるのに相応しいとは思えない。

「彼女の希望だ」
「え?」
「彼女は、とある事件の被害者の家族で、唯一の生き残りで、マスコミがまだ追っている」
「それで・・・」
「それに、彼女は残された遺産を全部この病院と隣接する孤児院に寄付すると言っている」
「孤児院の事も知っているのですか?」
「そうだ。なぜ知っているのかは教えてくれなかったけどな」
「そうなのですね。不思議ですね」

 医師と看護師が不思議がるのも当然なのだ。
 終末医療を行っている病院と孤児院をつなげて考える人は少ないだろう。管理母体が違うので当然なのだが、孤児院の49%の株は医師が持っている。そして、若くして30代や40代でこの病院に来てしまった場合に残された子供の事を安心させるために、孤児院を運営しているのだ。

「それであの部屋なのですね」
「彼女が希望したからな」

 その部屋は、暗い深い森に面しているが、近くにある山の影響で、麓にある孤児院からの声が聞こえてくる。
 患者にとってはあまり気持ちがいい部屋ではない。暗い深い森は、”死”を連想させる。それを見ながら、将来ある子供たちの声を感じるのだ。子どもたちの声だけなら、思い出に浸る事ができる。しかし、”死”を感じながら未来を、将来を考える事などできない。

 防音された個室に入る事もできた。しかし、彼女は自らその部屋を望んだ。

「先生!」

 今日、5回目のナースコールが鳴り響く。
 どこかの部屋の患者が冥界に旅立ったのだろう。

 私は、この病院に務めるようになって希望を持つ事を辞めた。
 先生は立派な人だ。私は、まだ患者さんに向き合う事ができないでいる。患者さんの名前を覚えない。これが、この病院でやっていくための鉄則なのだ。看護師の先輩たちの中には薬に手を出した人も多くいる。それだけ精神に負担がかかるのだ。

 これは、私の罪滅ぼし。
 娘を救えなかった私に課せられた罰なのだ。

「先生。森の女性が、お薬が欲しいと言っています。どうしますか?」
「痛み止めを処方する」
「わかりました」

 森の女性。余命1ヶ月と宣告された少女。いつも、森を眺めて、子どもたちの声を聞いている少女を、私たちは”森の女性”と呼んでいる。
 その少女が痛みに耐えられなくなって、薬を求めるようになったのは昨日のことだ。

 処方された薬で、ゆっくりと寝られるようだ。

 今日も、薬を入れた事で、寝てくれた。

 肩が冷えないように、布団をかける。
 彼女の希望で、窓は空けておく、夜の風が、朝の風が、森の匂いが、森からの音を聞いていたいのだと言っていた。

 彼女から寝息が聞こえてきたので、私は部屋を出た。

 僕は、あと何回・・・朝を迎えられるのだろうか?
 1回?2回?

 気にしてもしょうがない。僕は、早く父と母と弟が待つ場所に行きたい。でも、自分で旅立つのはダメだ。父に言われている。自ら命を断ってしまうと、父と母と弟が待つ場所に行く事はできない。でも、もうすぐ旅立てる。

 僕が、この部屋を選んだのは、森からの使者が訪れるのを期待しているからだ。
 この森には・・・彼の使者が住んでいた。僕に、この病院と孤児院の事を教えてくれた、男の子・・・。僕の初恋で、僕の初めての人。彼は僕に、自分が孤児院で育った事を教えてくれた。山の麓にある孤児院。彼は、病院の事も知っていた。

 でも、僕は、彼に僕の身体の事を告げていない。別れも告げていない。全身の痛みに耐えながら、彼と初めてのキスをした日に僕は彼の前から姿を消した。

 僕は、最初で最後のキスをした彼の事を思いながら、迎えが来てくれるのを待っている。

”ほぉーほぉーほぉー”

 フクロウ?
 痛み止めが効いたのか寝てしまっていた。看護師さんからは『虫が入ってくるから閉めましょう』と言われたけど、風を感じたいと・・・。無理を言って開けてもらっている。

 身体を起こして外を見ると、真っ白いフクロウが、僕の髪の毛と同じ色のフクロウがこっちを見ている。

「君が迎えなの?」

 もちろん、フクロウは何も答えてくれない。

 黙って、窓に止まって僕を見ている。
 僕を見つめるフクロウの目が、彼を思い出させられてしまう。真っ直ぐな視線で彼と同じ様に僕を見つめている。

 彼は今何をしているのだろう?
 僕の事を少しでも覚えていてくれたら嬉しい。僕はずるい。彼に忘れられたくなくて、彼に何も言わずに彼の前から消える事にした。

 彼は、僕の事を覚えていてくれるだろうか?僕の事を探してくれるのだろうか?

 あっ・・・。
 フクロウは何も言わないで窓から飛び立ってしまった。

 あれから毎晩、フクロウは僕のところにやってくる。
 寝ている僕を起こすかのように鳴いて、僕の他愛もない話を聞いてから、帰っていく、まるで彼に僕の事を告げに行くかのように・・・。

 僕を連れに来た使者ではないのか?
 夜中の訪問者が来てから、痛み止めを入れなくても、寝られるようになった。身体の調子がいいわけではない。徐々に悪くなっているのも自分でもわかる。昨日できた事ができなくなっている。

 僕は、もう長くないだろう。
 僕の事は僕が一番わかっている。

 僕が旅立ったら、フクロウはあの部屋に来るのだろうか?

 夜目が効くフクロウだから、僕のところに来てくれたのだろうか?

 フクロウは、アテナの使者。僕をアテナのところに連れて行ってくれるのだろうか?

 戦いの女神の使者が僕のところに来るはずがない。僕は、負け戦を戦っているのだ。

 違う!!僕は、負けるわけではない。僕は、負けない。僕は、自ら命を断つ戦いに勝っている。苦しい状況でも、彼の事を考えて、待っている家族の事を考えて、僕はひたすら戦っている。
 戦いの女神の使者であるフクロウが見ている、見に来ているところで無様な戦いはできない。

”ほぉーほぉーほぉー”

 今日も、フクロウは僕の戦いを確認しに来てくれた。
 僕は、負けない。父に母に弟にあう為に、僕は自ら命を絶たない。

 アテナの使者に僕は告げる。

「僕は、負けない!冥界に旅立つその時まで、僕は僕だ。僕のまま死んでいく!!」

「彼に・・・会いたい。僕の唯一の・・・彼に・・・」

”ほぉーほぉー”

 僕は何を・・・願った?彼に・・・?

「先生」
「もう長くないだろう」

 少女に処方する痛み止めの量が日増しに増えている。
 寝て過ごす日々が続いている。窓も締め切って、一定の温度になるように空調を入れている。

 少女は、天涯孤独で、引き取り手も連絡をする相手も居ない。

「そう言えば、彼女の部屋の窓を開けていないよな?」
「はい。以前は開けていましたが、ここ1週間は開けていません」
「そうか・・・」
「どうかされましたか?」
「いや、昨日も今日も枕元に鳥の羽が落ちていたからな」
「え?本当ですか?」
「白い・・・。真っ白な大きな羽が落ちていたから不思議に感じていて、なにか知らないかと思ったのだけどな」
「掃除したときには気が付きませんでしたが?」
「そうか・・・患者の誰かが持ってきたのかも知れないな」
「そうですね」

 深夜にナースコールが鳴り響いた。

「先生。森の女性です」
「わかった。急げ!」
「はい!」

 多分、痛みで起きたのだろう。
 痛みの間隔が短くなってきてしまっているのか、苦しんでいるのを何度も見かけた。

 今日が・・・。

 心を閉ざす。少女の事を、考えてはダメ。感情に自分が引きずられる。

「先生!」

「あぁぁぁぁぁ来てくれた!!!!!ありがとう!」

 少女が、窓の外を見てつぶやいている。
 誰かが居るわけではない。この病院ではよくある事だ。最後が迫ってきているのは間違いない。

「あのね。僕、頑張ったよ。今日まで、貴方が来てくれるまで、頑張って死なないでいたよ!」

 

 少女の言葉が胸をえぐっていく。少女は自分の死期を悟って、悟った上でなにか貴方を待っていた。

 少女の目は、窓の外をはっきりと捕らえて動かない。

「先生!」
「・・・・」

 先生は、首を横にふるだけだ。
 私もわかっている。彼女に、医者が、看護師ができることなど何もない・・・。

 痛みも感じなくなったであろう身体を優しく支える事しかできない。

「あぁぁぁぁぁ。嬉しい。僕の事を覚えていてくれたのだね」

「もちろんだよ。僕も、貴方の事だけを考えていた」

「でも、お別れだね。僕には、時間がない・・・。みたいだから・・・。もっと、もっと、いろいろ・・・。話したいけど・・・。いざ、目の前に、貴方がいると・・・。言葉が出てこない」

「ほんとう?同じだね。ごめんなさい。僕の事・・・。忘れてほしくなくて」

「ゆるして・・・くれるの?」

「でも・・・もう・・・だめ・・・。こんど・・・でも・・・すぐじゃなくて・・・いいよ・・・ぼく・・・まって・・・い・・・る・・・から・・・ね」

 少女は最後の力を振り絞るかの様に窓に手をのばす。何もない虚空を掴んでから力尽きた

”ほぉーほぉーほぉー”

 え?嘘?どこに居たの?
 少女が見つめていた窓の外を、大きな大きな大きなフクロウが1羽・・・。大きな翼をはためかせて、なにかを掴んで空に登っていく・・・。
 もしかして、彼女を迎えに来たの?

「大和!」
「大和なら、ほら・・・例の・・・」
「そうか、フクロウが死んだとか言っていたな」
「そっちじゃなくて・・・。そっちもだけど」
「??」
「探していた彼女が見つかったらしくて、病院に行ったらしいぞ?」
「そうなのか?」
「フクロウが、知らせてくれたとは言っていたぞ」
「そうか、不思議な真っ白なフクロウだったからな」
「そうだな。彼女と同じ色だとか言っていたな」

fin

2020/03/22

【近くて遠い50cm】最後の一歩

 僕が彼女を意識し始めたのは、何時だっただろうか?

 彼女が、僕に向かって
「ちょっと家まで遠いけど送ってくれる?」
 送った時に話した事がきっかけだったのだろうか?

 彼女は、1つ年下の19歳になる大学生。話を聞いて初めて知ったのだが、僕と同じ大学の2つ下の学年になる。

 僕と彼女の出会いは、バイト先が同じになったことがきっかけになる。
 バイト先も同じだし、同じ大学に籍を置いている、話そうと思えば話せる関係にあるし、メールアドレス・電話番号も知っている。

 同じ時間を共有する機会は多く存在している。

 しかし、僕と彼女の距離は大きく離れている。離れている50kmが、短く感じてしまう位遠い場所に彼女は居る。

 僕のこの気持ちを彼女に伝えることが出来ないでいる。この想いを気持ちを、僕の中に閉じ込めておくべきなのかもしれない。

 僕は、彼女を近くに感じる、日々を過ごしていた。しかし、そんな日々に僕は満足していたのかもしれない。
 想いを伝えることで彼女と時間を共有する権利を失うくらいなら・・・。

 バイト先で、イベントが催されることになった。バイト先の関連会社が、新たにキャンプ場をオープンする。新装オープンを記念して、常連さんを交えてバーベキュー大会をやろうって事になった。勿論、店員やバイトに、全員参加が言い渡された。

 大学でもそうだが、僕は貧乏くじを引いてしまう癖があるようだ。車を持っていて、1番の下っ端の僕が、買い出しを行って、設営の準備をやることになってしまった。

 悪いことばかりではなかった。

 彼女の迎えを、僕がやることになったのだ。彼女は一人だけ、遠いところに住んでいて、朝早くからの準備はキツいが、バイトの人数も少ないので、彼女自身も”朝から参加する”とのことだ。そこで、車を持っていて、朝から準備をする事になっている、僕が迎えに行くことになった。

 これは嬉しい誤算だ。

 大学から帰って来て、すぐに洗車場に行った。普段なら、簡単に洗うだけだったが、昨日は、お金をかけて、プロに中まで綺麗に清掃してもらった。彼女を乗せるのだ、当然のことだ。タバコを吸わないので、匂いは大丈夫だと思ったが、消臭効果が高い物を購入した。エアコンを使う季節ではないが、エアコンのフィルターの洗浄もお願いした。ガソリンは満タンにしてある。

 陽が昇る前に、僕は、はやる気持ちを押さえてエンジンに火を入れた。

 一秒でも早く彼女の下に行きたい。普段なら使わない高速を使って彼女が住んでいる街に急いだ。
 予定の時間よりも大分早く着いてしまった。このまま訪問しては、彼女はまだ寝ているかもしれない。そして、どういう顔をして訪問したらいいのか解らない。誰も僕の想いを知らない。

 不自然な態度よりも自然に接した方がいい事は解っているが、できるだろうか?

 ここまで来て迎えに行かないわけには行かない。そんな事を車の中で考えている内に、約束の時間が近づいてきた。まずは、彼女に近くまで来ている事をメールで伝える。

【10分位で着きます】

 それだけのメールを打つだけで、僕の心臓は信じられない位の速度で動いている。そして、8分30秒が過ぎた。

 僕は、勇気を振り絞って彼女の住んでいる部屋に歩を進めた。

 彼女の部屋は、2階だ。階段を上がって、彼女の部屋の前に着いた。彼女の部屋は前に、一度送っているので知っている。しかし、前と状況が違う。彼女は起きているのか?早い時間なのに、迷惑じゃないのか?着替えをしている最中だったら・・・。余計な事ばかり考えてしまう。

 そして、僕の心臓が信じられない音を立てている。心臓の音がドアを通り越して、彼女に聞こえてしまわないか心配になるくらいだ。

 僕は、彼女の部屋のベルを鳴らした。
(ピンポーン)

 インターホンから、彼女の声が聞こえてきた。
「江端さん?」
「おはよう。江端です。約束より早いけど」

 カメラがあるから、僕だってわかるはずだ。
 僕はそう言ったつもりで答えたが、彼女に聞こえたかどうか不安になった。声が震えていたかもしれない。心臓の音が聞こえたかもしれない。それが彼女が気がついたかもしれない。

 しかし彼女からの返事はあっけない物だ。
「うん。すぐ行くから、待っててね」

 僕は安堵と共に、少し残念な気持ちになった。

「うん。下に車止めているから、車で待っているよ」

 5分位して、助手席を叩く音がして、そちらを見たら彼女が笑って手を振っている。僕は、急いで助手席のドアを開けた。彼女が助手席に乗り込んで来た。

「お待たせ」

 彼女は明るい笑顔で、僕にそう言ってくれた。凄く幸せな気持ちになることができた。

「じゃぁ行こうか」

 彼女は、僕を促した。
 会場に向かう道を、僕は海沿いの道を選んだ、この時間帯なら空いている。それが理由だが、早く行くのなら、高速を使えばいい。でも、僕はあえて、この道を選んだ。彼女とこの道をドライブしたかった。

 彼女は、車の窓を開けながら・・・呟いた。
「気持ちいいね」

 僕には確かにそう聞こえた、それが僕に言ったセリフなのか解らなかった、僕は返事ができないでいた。

 彼女は、海を見ながらまた呟いた。

「朝日が照らされて綺麗だね」

 僕は心の中で、(朝日も素敵だよ)そう思ったが、口に出す勇気は無かった。

 楽しいドライブも終焉に近づいてきた。
 左車線に入るために、ドアミラーを見ようと思った、後方を確認しようと思った時だった、意識しないつもりで居たが、彼女の姿が視界に入ってしまって、僕の視線は彼女に固定されてしまった。そのせいで、車が安定を失い左右に動いてしまった。

「大丈夫?どうしたの?」

 彼女は不安そうに、僕に話しかけてきた。

「うん。ごめん、大丈夫だよ」

 (君の姿が視界に入って、確認が出来なかった)
 そんな事を言うことができない。
 他愛も無い会話でさえも貴重に思える僕がいる。そして、その貴重な時間を今共有できていることに喜びを感じている。

 もうすぐ待ち合わせ場所に着いてしまう。買い出しの時間はあるが、それは二人だけではない。
 彼女と一緒に居る時間は、刻一刻と終焉と向かっている。

 彼女はすぐ隣にいる。助手席までの距離 50cm 手を伸ばせば届く距離に居る。でも、50cm の物理的な距離よりも遠く感じる。彼女が、助手席に座っている。届く距離ではあるが、届く距離ではない。何もかもが遠く感じる。僕には、この距離を埋めることが出来ない。このままなら、何も変わらないことは解っている。

 今の僕には、何も出来ない。このまま彼女の居ない平凡な日々を過ごすことは考えられない。しかし、僕には 50cm を埋める事が出来ない。
50cm などすぐに埋まる距離だ。

 指示された場所に付いた。そこは、キャンプ場には見えなかった。それに、まだ誰も居なかった。
 少し早かったのだろう。店長に電話してみたがつながらない。

「ごめん。早く着きすぎたみたい」
「いいよ。待っていよう」

 助手席に座ったまま笑いかけてくれた。

 彼女の携帯が鳴った。画面を確認している。僕からは見えない。見てはいけない。

「ちょっとごめん」

 そう言って、彼女は車から降りて、少し離れた所で、電話に出るようだ。誰だろう?こんな時間に?彼氏?
 彼女は、すごく”モテる”わけではないが、”モテない”わけではない。大学でも、可愛い方から数えても上位に来るのは間違いない。でも、彼氏が居るという話は聞いた事がなかった。

 時計を確認すると、5分くらい経っただろうか。僕には、1時間にも2時間にも感じられた時間が過ぎて、彼女が戻ってきた。
 何やら嬉しそうな雰囲気がある。やっぱり、彼氏だったのだろうか?彼女は、そのまま助手席に座った。

 彼女が戻ってきて、何を話そうかと思っていたら、僕の携帯が鳴った。フロアマネージャーだ。

「おぉ江端。悪いな。少し遅れそうだ。貴子。居るだろう?」
「えぇもちろん迎えに行きましたからね」
「そうだったな。それじゃ悪いけど、二人で、荷物の受け取り頼むわ。お前の車ハッチバックだよな?」
「荷物?」
「貴子の指示に従ってくれ。なんか、常連さんが告白したいらしくてな。協力する事になってな。そのための物の受け取りを頼む」
「え?僕、そんな話し聞いていませんよ?」
「そうだったか?ワリぃ伝えたつもりで居たワ。買い出しとかは、俺がしておくから、頼むな」
「え?あっわかりました。朝日さん」

 フロアマネージャーは、言いたいことを言って、電話を切った。かけ直しても、呼び出し音がなるだけで出てくれない。

「誰から?」
「あっフロアマネージャーから、それで、荷物の受け取りを頼まれたのだけど、朝日さんの指示に従えって言われたけど?」
「うん。大丈夫。それじゃ行きましょう」
「わかった」

 僕は、彼女の指示通りに、車を走らせる。この辺りに住んでいないのに、土地勘が有るかのようなナビで、目的地には迷わずに付けたようだ。

「ここでいいの?」
「うん。ちょっと行ってくるから待っててね」
「うん」

 そこは、有名な洋菓子屋だ。ここのケーキが好きでよく食べている。バイト先にも、何度か持っていったことがある。彼女は、中で店員となにか話している。時折、店員がこっちをみて笑っているように思える。彼女は、その都度うつむいて何かを言っているようだ。少し大きめの箱を彼女が持ってきた。

「うしろ。大丈夫?」

 トランクルームも綺麗にしてよかった。
 学校で使った物とか全部部屋に放り込んである。

 甘い匂いがする?ケーキだろうか?滑り止めのシートをしておく。ずれないように、ネットで固定しておけばいいだろう。あとは、安全運転すればいい。

「疲れちゃった」

 彼女は、手をプラプラしていた。
 確かに、ケーキとはいえ、20cmを越えるような物だったから、重たかったかも知れない。それ以上に気を使ったのだろう。僕は、助手席の方に廻って、ドアを空けた。彼女は、嬉しそうにしてくれた。映画とかでよくあるシーンだ。彼女の荷物を一度僕が預かって、片手を出す。彼女は、解ってくれたようで、手を握ってくれた。手に心臓ができたかと思うくらいにドキドキして、彼女の熱が伝わって、手が熱くなる。

 彼女に握られた手がまだ熱い。

「あっもう1ヶ所いい?」
「ん?いいよ?どこ?」
「バイトとか関係無いんだけど、知り合いの部屋なの?ダメかな?」
「いいよ。時間も余裕が有るだろうし、問題ないよ」
「ありがとう!」

 誰だろう?知り合い?大学の?それとも、彼氏?
 彼女のナビに従って、車を移動させた。少し大きめのマンションの前に付いた。彼女は、少し待っていて欲しいと言って、マンションの中に消えていった。どの部屋だろう?見ていてもわからない。やっぱり、彼氏なのかな?

 僕的感覚で、3時間ほど経ってから彼女が戻ってきた。
 大きいバッグを持ってきていた。荷物からは、男物の香水の匂いがする。やっぱり彼氏なのだろう・・・。

「もう。大丈夫だよ。行こう」
「ん」
「どうしたの?なにかあった?」
「ううん。なんでもないよ」

 そういうのが精一杯だ。
 彼女を乗せたまま、車を走らせる。

「そう言えば、江端さん。猫好きだったよね?」
「え?そうだけど?なんで?」
「ん。小耳に挟んだ」
「・・・フロアマネージャーが言っていたの?」
「そんな感じ」
「ふぅ~ん」
「どんな猫が好きなの?」
「うーん。どんなって聞かれると困るけど・・・暫く。猫は・・・」
「どうして?」
「うん。実家に住んでいた時に、飼っていたけど、今の所に引っ越してから、ペット禁止だからね」
「そうなの?」
「それに、僕・・・2年前に・・・」
「ん?」
「ううん。なんでもないよ。ペット禁止だし・・・ね。それに」
「それに?」

 信号で車が止まった。
 彼女の表情を見たくて、助手席の方を見て

「それに、好きだから、無責任な事はしたくない」
「え?あぁ猫の事だよね」

 何を、そんなにびっくりするのだろう?彼女から振ってきた話なのに?
 待ち合わせ場所に着いたが、誰も居ない。

 彼女がなにか携帯を操作している。彼氏に連絡でもしているのだろうか?

 僕の携帯が鳴った。また、フロアマネージャーだ。
「ごめん。フロアマネージャーから」
「うん。いいよ」

 今度は、彼女に断ってから電話に出た。
 彼女は、僕が電話に出た事を確認して、携帯を持って、車から降りた。彼氏に電話でもするのだろうか?彼女の事が気になって仕方がない。やはり、電話をしだした。彼氏と話しているのだろう。何か、慌てているし、手振り身振りをし始めた。正直、すごく可愛い。

「おい。江端!聞いているのか?」
「え?あっすみません。聞こえていませんでした」
「ウソつけ、貴子を見ていたのだろう?」
「え?え?」
「お前が、貴子に好意を寄せているのは、常連含めて全員知っているぞ?」
「は?」
「今日、お前以外には、待ち合わせ時間は2時間遅い時間になっている」
「えぇぇぇ??」
「貴子だけだろう?告白しろよ!」
「いやいや。なんで?はぁ?」
「いいな。フロアマネージャー命令な!貴子に、告白しろ!」
「いや、だって、彼女、彼氏が居るでしょ?」
「ハハハ。わからんぞ、江端。お前は、お前が思っている以上にいい男だぞ!根性出せよ!それじゃぁな。あぁ待ち合わせ場所も違うからな。本当の場所は・・・今は、内緒だな」

 それで、電話が切れた。
 え?常連さんへのサプライズのためのケーキを持っているから、待ち合わせ場所には行かなきゃならない。
 え?は?なんで?
 驚いて、車を降りてしまった。それから、何度電話しても、フロアマネージャーどころか、バイト仲間、連絡先を知っている常連さん。誰も出ない。まるで、僕と彼女だけしか居ないように思えてくる。

「ねぇどうしたの?」

 彼女がいつの間にか、電話を終えて、僕の側に来ていた。
 首をかしげて、途方に暮れる僕の顔を下からのぞき見ている。

「フロアマネージャーは、なんだって?」

 言えるわけがない。

「ねぇ?」

 くそぉ本当に可愛いな。

「もう、あれだけヒント出したのに?」
「え?」
「フロアマネージャーに何を言われたの?」

 そういえばさっきの電話で、””や””と、言っていた。

「うん。1分。いや、30秒・・・いや、10秒待って」
「わかった。後ろ向いているから、気持ちができたら、肩叩いてね」

 彼女は、僕に背中を向けて、数を数え始めた。

 彼女のカウントが3になった所で、僕は、彼女の肩を叩いた。初めて、自分から彼女に触った。

「うん。それで、なに?」
「うん。僕は、キミ。朝日貴子さんの事が好きです。彼氏が居るのも解っている。でも、好きな事だけでも伝えたい。迷惑かも知れないけど・・・僕と付き合ってください」

 全部言えた。考えていた事とは違うけど、迷惑にしかならないだろうけど、やっと言えた。

「やっと、言ってくれたね」
「え?」
「克己さん。私、貴方の事を、2年前から知っていました」
「え?だって、バイトで・・・」
「うん。そうですね。克己さんが、バイト始めたのは、1年前ですよね。私がバイトに入ったのは、その少し後・・・だから、知り合って1年経っていない。ううん。正確には、今日で1年ですよ」
「え?」
「2年前の雨の日、克己さん。捨てられた子猫」
「あっ!」
「思い出してくれました?雨の日に、保健所に連れて行かれそうになっていた2匹の子猫を、保健所職員から奪って、自分がなんとかしますと言ったのを、動物病院に連れて行って、病気やノミのチェックを頼んで、有り金全部置いて、足りない分は、また持ってきますと言った事を、必死に里親を探したのを、見つかったのは、4日後ですよね?」
「え?なんで?」
「あれ、お兄ちゃん。あっ従兄弟なんですよ。さっき寄ってもらった部屋なのですけどね」
「え?」
「あぁちなみに、朝日健吾って名前です。聞き覚えは?」
「・・・・あっフロアマネージャー!」
「だから、さっきの荷物は、彼氏の物じゃ無いですよ」

 そう言って、彼女はクスクスと笑った。

「え?なんで?どうして?」
「ねぇ克己さん。私の事好きなんですよね?」
「好きだよ」
「私の事、彼女にしてくれるのですよね?」
「うん」
「私の事、大事にしてくれますか?」
「もちろん」
「大好きな猫よりも?」
「もちろん・・・です」

「なんか怪しいなぁでも、嬉しい。私も、2年前から貴方の事が好きだった!」

 彼女は、僕に抱きついてきた、僕も彼女を抱きしめた、あの時あった50cmの距離がなくなった瞬間だ。
 そして、彼女のくちびるに触れるようなキスをした。

 彼女の電話が鳴った。彼女が笑いながら、僕に携帯を渡してきた。
 店長の声が聞こえてくる。
「おぉ江端。やっと言ったな!次のシフト覚悟しておけよ!」
「え?今日は?」
「はぁお前は・・・まぁだからなのだろうな。朝日さんの部屋に行け。バイトは今日は休みだ。朝日さんを幸せにしろよ。店長命令だ!」

「店長はなんて?」
「ねぇもしかして、全部、僕・・・はめられた?」
「イヤ?」
「ううん。すごく嬉しい!」
「それなら良かった。サプライズ成功だね。それから、さっきのケーキ。猫も食べられるケーキ何だよ。4人で食べようね!それから、私の部屋二部屋あって、一部屋空いていて、家賃高くて困っているのだけど、誰か、安心できる人で、私を一生大事にしてくれて、猫好きな人って知らない?」
「え?だって、親御さん」
「大丈夫。私のパパ。ママとは離婚しちゃっているけど、店長だよ。それで、店長命令は何だって?」
「ちょっとまって」

 店長に電話する

「なんだ。江端!まだなにかあるのか?」
「朝日さんを一生大切にします。絶対に幸せにします」

 それだけ言って電話を切った。
 彼女が持ってきた、荷物は、ペットシートや餌や猫砂だった。

 それから、僕は、大学から離れた場所から通っている。二人で!
 そして、二人の荷物で重なっていらない物を捨てた。

 可愛い猫二匹と、可愛い彼女と、新しい生活を始めるために・・・僕は、彼女への気持ちを隠す気持ちを捨てた。

「ねぇなんで、私よりも、コウとハタに先にキスするの?」

 彼女を抱きしめて、深いキスをする。
 そして、今日、お互いのベッドを捨てた。広い大きなベッドが届くからだ。

fin

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2020/03/22

【嘘と裏切り】彼と彼女の選択

 彼は、僕にこんな感じで話を切り出した。

「彼女は僕を好きでいてくれるし、僕も彼女を愛している」

 彼には家庭がある。
 その事実を、彼女には告げているという。裏切りが成立してからの恋。

 これほど残酷な結末を二人以外に強いる関係ははない。僕は、不倫を否定するつもりはない。僕には出来ない、ただそれだけだ。

 僕の持っている”物”で、約束できることは、

 ”裏切らないこと”

 話すことに”嘘”を、入れないこと。聞かれていない事や聞かれたくないことは、そう答える。それが唯一、僕が、恋人や、好きな人たちに言っていて実行していること。だから、僕には不倫は出来ないと思っている。

 彼は、奥さんとの仲が悪いという。だから、自分に好意を寄せてくれる女性に引かれた。それが好意に変わったのだと言う。もう、彼女なしでは居られないし、凄く大切に思っている。

 僕は、彼に問いただす。
「奥さんと別れないの?」

 彼は言う
「別れようとは思っている。でも、それは今じゃぁない。もう少したってからだ」
「なんで?もう、奥さんに気持ちがないんでしょ?それに、リスクを考えている?」
「リスク?」
「そう、奥さんから見たら浮気だよ。お互いに気持ちが無いのなら、弱みは君に有ることになるんだよ」
「わかっているよ。だから、時期を見て、別れようと思っている」
「ふ~ん。それは”別れない”と言っているように聞こえるよ」

「なんで? 別れようとも思っているし、彼女の事は真剣に愛して居るんだよ」
「奥さんと結婚した時も同じ気持ちだったんでしょ?」
「そうだけど、気持ちは変わる物だからね」

 ”気持ちは変わる”この言葉は、彼が口にしてはいけない台詞

「君が、今言った台詞を、彼女に言える?」
「言えるよ」
「言えるのなら、さっさと離婚の話をして、奥さんを傷つけないようにしないと、本当にリスクを追う事になるよ」
「だから、何がリスクなんだ?」
「彼女に、リスクが覆い被さるって事だよ。いいかい。君と奥さんは、既に心が冷め切っていて、”夫婦生活が成り立っていない”と、言っているけど、そんな事は、浮気の理由にはならない。奥さんが、浮気の実態を知った時に、どっちにしろ離婚する事になる。君は流されてラッキーくらいに思っているのかもしれない。それに、奥さんが、彼女を相手取って慰謝料の請求をする可能性もある。実際、過去に事例もあるし、この場合不倫だと解って付き合っていた、彼女側に不利益な判断が下される。全部解っているのか?」
「あぁそうだ。でも、妻は裁判なんて起こさないし、彼女に無茶な事を言ってこない」

「本当にそう思うかい?君が今やっていることを、奥さんがやっていたとしたらどう思う?君は、気持ちが冷め切っているから、すんなりと別れるかい?相手の男には文句の1つも言わないのだね。でも、奥さんには慰謝料の請求はするよね?君がしている事は、そう言う裏切り行為なんだよ。だから、2重に裏切っているって言って居るんだ」
「妻には悪い事をしているって認識は持っている」

「まぁ話を聞け。君の不倫。違うな、恋愛をとやかく言うつもりはまったくない。ただ、不幸になる女性が居るのが許せないだけなんだ。いいかい。奥さんが、離婚に踏み切るとして、慰謝料の支払いが間違いなく発生する。それも、浮気を行った君が全面的に悪い。例え、夫婦仲が冷め切っていたとしても、奥さんが裁判をおこして”自分は夫を愛していました”と、涙ながらに語ったら、どう思うだろうね。完全に非は君にある。この事実だけでも、奥さんが不幸になる」

「まぁそうだろう。その位の覚悟はしている」
「覚悟をしていると言うのなら、奥さんが気がつく前に、彼女の存在がはっきりとする前に、何故離婚しない。それは、彼女を裏切っている事にもなる」
「あぁ解っているよ。だから、離婚は考えている」
「”考えている”するかどうかは解らないって事だよね?」
「違う。違う」
「何が違うんだい?いいかい。本当に彼女の事を思っているのなら、彼女に我慢させるな。彼女が我慢しているのは、君の傲慢さから来ている。お互い我慢しているなんて思うな。この恋愛が成就した時には、彼女は足かせを持った状態からのスタートなんだからな」
「解っているよ。だから、彼女がしたいと思っている事。やりたいと思っている事。全部叶えるつもりでいる」
「違うよ。彼女が求めているのは、そう言うことじゃぁない。些細な幸せなんだよ」

 僕と彼との話は平行線になる事は解っている。価値観が違うのだろう。
 僕には、守るべき物が、自分が言った台詞だけで、それが嘘にならなければいい。そして、自分を必要と言ってくれている人たちを裏切らないで居ればいい。でも、彼には守るべき地位と守るべき気持ちが沢山ある。

 多分、世間的には、彼の方が大人に見えるだろう。僕は、企業体に就職したがそこの水が合わなくて、企業体を転々と移っている。社会不適合舎なのだ。
 彼は違う。大手とは言えないが、そこそこ大きな会社に勤めて、着実に地位を上げて大きなプロジェクトも任せられる位になっているし、小さいとはいえ郊外にマンションも買っている。成功者ではないが、いい人生を歩んでいる。

 僕が許せないのは、彼女との結婚や旅行を口にするのなら、自分の足下をしっかり固めて欲しい。
 僕は、彼女の事は彼を通してしか知らない。彼から話を聞いて作り上げた彼女の像がまったく間違っているのかもしれない。その事を考えても、確実に言えることがある。お互い愛し合っているのだと思う。でも、それは足かせがあった状態での愛情で、何もなくなってしまった時に、実は何も残っていなかったって事にならない事を祈るばかりだ。
 そして、多分彼女が望んで居るであろう。些細な幸せが実現出来る事を祈っている。
 その些細な幸せを得ることが難しくて、いろんな恋愛の話が産まれているのだと言う事に、彼はまだ気がついていない。不倫カップルが難しいのは、お互いの努力だけではどうにもならない壁が存在していて、それが些細な幸せを奪うのだ。
 だから、幸せの形を手に入れた後に、どちらかが我慢したり、どちらかが抑圧されていると、壁が目の前に広がったときに、乗り越えることができなくなってしまう。

 そんなカップルを沢山見てきた。
 僕は、そんな経験から、裏切りだけはしないように・・・それがどんな形だとしても・・・。必然と偶然の長い狭間の間の出来事だとしても、もう誰も裏切りたくない。

///
 彼女は、僕にこう切り出した。
「優しいの。私の方を愛していると言ってくれるの」

 彼女は、この言葉を、何度も何度も、自分に言い聞かせるように僕につげる。
 僕が聞きたいのは、彼女が感じている真実ではなくて、具体的な事実だけなのだ、この日、僕を入れて、彼と彼女と、3人で逢う約束になっていた。僕が、贔屓にしている、雰囲気がいい居酒屋で話をする事にしていた。この店は、オープン当時から使っているので、多少の無理も聞いて貰える。この店は、半個室な状態になっていて、普段は一番奥は開けておくのだが、少し無理を言って奥を使わせて貰うことにした。ここは、3人掛けになっていて話をするのに都合がいいとおもったからだ。
 僕は、少し早めに店に着いた。彼から、遅れると言う連絡が入った。僕は、彼女の事を知らないので、ナビも出来ないし来ても判断が出来ない。彼に言って、僕の連絡先を彼女に伝えて貰って、先に来て貰う事にした。程なくして、彼女から新宿に着いたと言う連絡が入った。最寄り駅につたようなので、迎えに行くことにした。
 彼女と出会い、簡単な自己紹介を行った。
 彼女を伴って、エレベータに乗った。簡単に世間はなしをして、彼を待つことにした。

 席について、オーダーを行った。飲み物が来て、軽く飲んでから、彼とのなれそめを聞いていた。
「それで、彼とは、どうやって知り合ったの?」
「聞いていないのですか?」
「別に敬語じゃぁなくていいよ」
「あっはい」
「それで、出会いは?」
「ネットです。出会い系じゃぁ無いのですけど、チャットで知り合ったのです」
「そうなんだぁ」
「それで?彼が、結婚している事ははじめから知っていたの?」
「ううん。最初は知らなかった」
「そうなんだぁ」
「何回かデートした後に気になって聞いたら、教えてくれたんです。でも、奥さんとの関係は冷え切っていて、もう関係ないから、気にしないでって言われた」
「そうなんだぁ」
 もし、本当に気にしなくて良いのなら、電話もメールも自由に出来ると思うんだけどね。事実と真実が違っている。

「うん。凄く優しいし、エッチも上手いし、奥さんにはない魅力を感じているって言ってくれるし、私の方を愛してくれるって言ってくれるんです」
「そうみたいだね。君は彼の事が好きなんだよね」
「当たり前です」
「うんうん」
「それに、今は無理だけど、数年後には結婚しようねっと言ってくれるんですよ。私の事が好きじゃなきゃそんな事言ってくれないと思うんですよ」

 彼から聞いている話と殆ど同じだ。彼女の中では、彼女が感じている真実だけが重くて、そこから導き出される事実には目を向けていない。彼女が、彼のことを好きな事はよくわかる。よくわかるだけに、事実に目を向けるのが怖くなっている。

 僕は、凄く悩んでいた。真実だけを考えて、事実を見ようとしていない人に、事実を認識させるのは簡単な事ではない。彼の考えが許せないのであって、彼女にはなんの罪はない。彼女には、幸せになって欲しい。純粋にそう思える。

 でも僕はあえて、彼女にも事実を突きつける。
 お互いに、事実を認めた上で、答えを見つける事が出来ると思ったからだ。

 彼女に聞いてみた
「ねぇ彼の職業は知っているよね?」
「うん。詳しくは知らないけど、IT関連の技術者なんでしょ」
「そうだね。不規則な時間の中で仕事をしているんだよね」
「そうなんですよね。彼もよく今日みたいに、急に仕事で遅れるって連絡が入るんですよね。それに、泊まりは無理だから、どんどん逢える時間が短くなっちゃうんですよ」

 こんな話をしている時に、彼から連絡が入って、今ビルの下に居る。今からあがる・・・とのこと。
 彼も合流して、注文を行う。乾杯を行って、本格的に話をする事にした。彼を真ん中にする形で、私と彼女が向き合う様に座った。

「ねぇ遅れた理由は、嘘でしょ? 仕事じゃぁなかったんでしょ?」

 僕は、彼に告げる。

「いきなり何を根拠にそんな事を言うんだ」
「だって早すぎるよ。15分の遅刻だよ?彼女さん。いつも遅刻は1時間とかじゃぁないの?」
「えっそうですよ」
「・・・・」

 やはりな。彼は嘘を付いている。

「そうだね。実際の所は違うかも知れないけど、誰かと電話していて、違うな電話がかかってきて、時間に間に合いそうになったのでしょ?もし本当に、会議が長引いていたのなら、会議中に連絡は出来ないだろう。僕の連絡先を彼女に教える事も出来なかっただろう。もし逆に会議が終わってからの彼女に連作先を教えたのなら、彼女を待たせておいて、一緒に来ればいいだけだからね」
「・・・・」

「ねぇそうなの?」
「そんな事ないよ」
「まぁいいかぁ話を本筋に持って行こう」
「・・・・」

「えぇ奥さんとは、もう冷め切って居るんだよね?私の方が好きなんだよね?結婚してくれるんだよね?」
「答えてあげたら」
「そうだよ。奴とはもう冷え切っているし、君の方が好きに決まっている。時期が来れば結婚したいと思っている」
「だよね。私も、貴方の事が好きなの?好きで好きで毎日でも逢いたいし、毎日声も聞きたいし、メールもしたい」
「俺もだよ」

「じゃぁなんでそうしないで、彼女に我慢を強いるの?君は、奥さんとは冷え切って居るんだよね?」
「あぁそうだよ」
「じゃぁ家で電話しても問題無いだろうし、彼女から急な電話やメールも問題ないんだよな?」
「・・・・」

「・・・・。それは、奥さんに気がつかれると大変だから・・・・」
「何が大変なの?冷え切って居るんだし、彼も彼女さんと逢いたいっておもっているんだし、声も聞きたいし、メールもやりたい。何か障害があるの?」
「だって、不倫だ・・・よ」
「彼女さん。それは違う。君にとっては、純粋な恋愛だ。君が我慢する事がおかしい」
「・・・・」

「君に聞いて居るんだよ。彼女に我慢を強いて、君は彼女に何を与えているの?」
「・・・・」

「彼は、優しいし、私の方を愛していると言ってくれる」
「おまえに何が解る!!」

 彼は、立ち上がって、手に持っていた、コップを僕に投げつけてきた。
 壁にコップがあたって、割れる音が店中に響く。彼女の顔が青くなる。僕の、頬に赤い一筋の水分が流れ出る。

 店員が、慌てて、こちらに駆け寄ってくるのがわかる。
 手で、制してから

「解らんよ。相手に、不安と我慢を強いる関係なんて、僕には出来ないからね。前にも言ったけど、君は裏切りから恋愛にはいっている事が解っているの?」
「裏切り?」
「そうだよ。事実から目を背けない。彼は奥さんを裏切って居るんだよ」

「・・・・そうだけど、もう冷め切って居るんだから、裏切りにはならないと思う」
「彼女さんは優しいね。でも、僕は、君に聞いて居るんだよ。答えてよ」
「しょうがないだろう・・・おまえも解るだろう」

「解らんよ。本当に、彼女さんの事が大切で、守るべき存在だと思っているのなら、態度で示せよ」
「示しているよ」
「そうですよ。私が逢いたいって我が儘を言えば、時間作ってくれるし、優しくしてくれる」

「違うよ。そんな事は、当たり前の事なんだよ。時間作る?はぁ大切な思いがあれば当たり前だろう?」
「お前に、お前なんかに、時間を作る難しさが解らないんだよ。家にも帰る必要があるんだからな」
「はぁお前今自分が言っている意味がわかっているのか?」
「・・・・」

 話は平行線をたどり始める。

「彼女さんが思っている真実と、君が言っている真実が同じことはわかった。でも、事実は違うよ。本当に、冷め切っているのならささっと結論を出すべきだろうし、なぜそうしない?」

「それはどういう意味だ?」
「彼女さんの方が大切で、本当に好きなのが、彼女さんだって言うのなら、なぜ彼女さんに我慢させる」
「関係が冷え切っている奥さんに気を遣って、彼女さんに我慢を強いるのは何故だって聞いて居るんだ?こんな簡単な事を今更言わせるなよ」
「・・・・」

「何かいいたそうだね」
「我慢なんてしてないよ。彼も、凄く我慢してくれていて、私に逢いたいって言ってくれるし、帰りたくないけど・・・帰らなきゃならない・・・、彼も凄く凄く我慢してくれるし、私の我が儘を聞いてくれるんだよ」

 それだけ言うと、彼女は下を向いて涙を落とし始めた。それ以上言っても何もならないのは解っている。

 店員を呼んで、割れた破片を片付けてもらう。店長にチップを渡す。
 消毒液が有ったようで貰って、簡単に消毒してから、絆創膏を貼る。破片は、それほど散らばっていない。そういうコップなのだろう。

 彼だけに聞こえるように、ちょっと来てっと言って席を立った。
「ちょっとトイレ。君も付き合って」

 彼女は、その声を聞いて慌てて涙をぬぐいながら、顔を上げて笑おうとした。僕は、それに気がつかないフリをして、彼の腕を掴んで、席を立った。カウンターに居た顔見知りの女性店員に目配せして、僕たちのボックスに行ってもらった。

「解っているな? 彼女さんには、これから僕が話を聞いて、知恵をつけるぞ」
「・・・・」

「それは、承諾の意思表示と取るからな」
「本当に、彼女を愛して居るんだ。邪魔しないで欲しい」
「邪魔なんてしないよ。彼女さんに、”事実”と”真実”の違うを教えるだけだ」

「今まで君が言ってきた真実が、事実と違っているのなら、早めに訂正でも謝罪でもするんだな」
「・・・・」

「彼女さんが、自分の真実と自分の幸せを考えて動けるようになって貰う。だから、邪魔もしなければ応援もしない。僕は、彼女さんの味方になる」
「・・・・」

///
 彼は結論から逃げている。
 縛りのある関係の方が長続きすると彼は言う。それは確かに正しいだろう、僕もそれは認める。好きと言う感情だけじゃぁどうにもならない現実が目の前に存在することもある。
 どこまで『愛していると話を切り出しても』『好きだ大切にしている』と口にして、身体を合わせて、将来の事を語ったとしても、空虚でしかない事実が存在する。不倫と言う名前のカップルには、将来を語る時に現実・結論から目を背ける行為にしかならない。

 男女の関係だから、実際にそれだけでは語れない物がある事は解っている。
 傷ついた者でしか解らない現実や乗り越えてきた現実が解る人間でしか味わえないリスクへの恐怖。

 彼女は、僕に頻繁に連絡してくるようになった。
 知り合ったばかりの僕に、何故?

 答えは簡単だった
「寂しいの」
「寂しい?」
「そう。彼と逢っている時には、彼からの愛情を感じるし、私も彼の事を愛している。でも、彼と別れた後に、彼は帰るべき場所へと帰っていく、信じているけど、信じられるけど、寂しい」
「そうなんだぁそれで、どうしたいの?」
「解らない。今のまま・・・じゃぁ寂しいけど、しょうがないんだよね」
「しょうがない?何で?」
「だって、メールも電話もあんまりしちゃぁダメだからね」
「彼からは、夫婦の間は冷め切っていて、彼女さんしか居ないって言っているよね?」
「うん。それは感じる事が出来る」
「それなら、それでいいんじゃぁないの?信じて居るんでしょ?」
「勿論信じているよ。お互いに愛し合っている。それに、私の気持ちも彼にぶつけたらしっかり答えてくれた」
「そうなんだぁでも、彼は離婚するとは言っていないんだよね?」
「・・・・うん。でもね。でもね。私と逢う時間も増やしてくれるし、メールも返してくれるんだよ」
「それじゃぁそれでいいんじゃぁないの?」
「うん。でも、不安なの?」
「何が不安なの?彼の事は信じて居るんでしょ?」
「信じているよ…でも・・・怖いの」
「それ以上を望んじゃって居るんだね」
「うん」

 そうなんだ、愛し合っている。信じている。私の事を愛してくれる。そう言っても、不倫関係に違いはない。冷め切っていると言っていても、最後には彼は帰っていくのである。それが寂しい。その事実は紛れもない事実なのである。

 彼女は多くの心配を持っている。
 まだ彼女自身が時間に自由が効く立場にだ。これから時間と共に、自分にも世界が広がってくるし、やりたいと思っている仕事を任される事が有るだろう。その時に、彼との時間が取れなくなる。それは彼女自身の我が儘なのかもしれない。彼は、その時には、私を見つけたのと同じように、別の女の人を探すかもしれない。そんな不安を抱いてしまう。自分の気持ちは変わらない。でも、彼が将来の話をする時の、実現姓を考えてしまっている自分が居る事に気がついた。

 最後には、彼からの言葉”愛している”」その言葉だけを信じているから大丈夫だと言い聞かせている

 そんな話をした後に、彼から連絡が来た。
「少し聞きたい事がある」
「何か合ったの?」
「お前彼女に何か言ったのか?」
「少し話を聞いて上げただけだよ」
「そうかぁ」
「順序立てて説明しろよ」
「いや。お前が何も言っていないのならいいや」
「おい!そりゃぁないだろう」
「いいって言って居るんだ」
「そうか、そうか、それなら俺に連絡して来た事が解らんよ」
「・・・・・」
「だから、何があったんだ」
「・・・」
「だから、何かあったんだね」
「あぁ彼女が自殺を図った」
「はぁ何でそれを先に言わないんだ。彼女は大丈夫なんだろうな!」
「あぁ大丈夫だと・・・思う」
「お前・・・見舞いにも行っていないのか?」
「俺だって行きたいよ。でも、どの面下げて行けばいいんだよ!」
「お前、彼女を愛して居るんだろう?信じさせて居るんだろう?」
「あぁ」
「ここに来て、はっきりとさせないんだ!?」
「俺に何を言わせたい?」
「お前は簡単に言うよ。そうして、俺達の関係を否定するよな」
「否定していない。ただ、立場をはっきりさせろって言っていたんだ」
「はぁお前には解らないだろうなぁ俺だって苦しいんだ」

「あぁ解らないよ。好きだった子が自分が原因で自殺したり、目の前で友人が飛び降り自殺をしたり、信頼していた人に裏切られて多額借金を背負わされたり、ストーカー野郎に不倫だと勘違いされて刺されたりした程度の経験しかないからな!解るか?だから、リスクを考えろって言っていたんだ」

「・・・・」
「確かに、結婚している時には、幸福な時間を過ごせたよ。離婚したとはいえ元嫁とは、いい関係を保っているよ」
「・・・・」「・・・・」

「お前とは違うよ。俺は彼女を大切に思っているし、結婚してもいいと思っている」
「思っている。思っている。そうだな。お前は、思っていれば、なんでも叶えてくれるなにかを持っているか?思っているだけでなにもしていないからこうなったんだろう?」
「・・・・」
「お前は、結局彼女に将来の事は話すけど、将来への道を現実的な道を示せなかったんだ」
「・・・・」

「いいか、お前はどうしたいんだ?」
「まさか、10年後に結婚しようなんて考えていないだろうなぁ」

「・・・・」
「それは立派な事だと思うよ。俺には言えない台詞だからな」
「嫌みを言うなよ。何が言いたいんだ」

「解らないなら言ってやるよ。お前は、約束手形で彼女を縛って居るんだ。”愛している”だとか、”お前しか居ない”だとか、”自分たちには自分たちの関係がある”とか言っていないで、結論を出せよ」
「・・・・」
「お前、結婚を餌にしていないか?」
「そんな事はない。彼女の事は真剣に考えている」
「それなら、お前!」
「解っている。解っているけど・・・」
「なんだ、解っているのなら行動に移せばいいじゃぁいか」

「・・・・」
「あぁそうか怖いんだな」
「・・・・」
「彼女は、天秤に命を乗せたんだぞ。お前は、反対側に何を乗せるんだ。生半可な物じゃぁ釣り合わないぞ」
「・・・・」

—————

 それから、数日後、彼は離婚届と結婚届の両方をもらいに行って、両方に自分の名前を書き込んで判を押した。まだ提出はしていないようだが….これからの道のりは長いが、一歩目を踏み出した事には違いない。
 彼は結論から逃げなかった。逃げる事は出来たのかもしれない。でも最後の一線で踏みとどまった。

 僕の出現がこの結果を産んだ。彼女は傷つき。彼は僕を軽蔑したのかもしれない。そうして、彼の妻は知らなくていい事実を知ってしまった。
 その罪を感じながら・・・僕を恨む人間が増えただけかもしれない。それはそれでいいのかもしれない。僕のエゴだと言う事も解っている。僕が感じた苦痛と苦渋をあじあう寸前で、落としどころが決まったのかもしれない。

 まだ結論が出たわけでもない。

 そして、数年・数十年後に、僕が行った事への罰が下るのかもしれない。

fin