【第六章 縁由】第二話 攀援

   2020/05/10

「晴海さん?」

「もう少し」

「あっはい」

 会話にならない会話を二人は続けていた。晴海は、ソファーに自分が座って、膝の上に夕花を乗せて抱きしめている。
 抱き枕ではないが、自分の膝の上に乗せて、夕花を横座りの状態にして抱きしめているのだ。夕花も最初は恥ずかしかったが、今は呆れ始めてしまっている。

「うん!夕花。テーブルの上に置いてある、情報端末を取って」

「はい。でも、私が降りれば・・・」

「ダメ」

「わかりました」

 夕花は、晴海の上に乗ったまま身体を曲げて情報端末を取って、晴海に渡した。

 晴海は、情報端末を受け取ってから、夕花を後ろから抱きしめる格好にして、夕花が見える場所で情報端末を操作して、能見の資料を夕花に見えるようにした。もちろん、夕花を抱きしめたままだ。
 後ろから回した手は、夕花のお腹当たりを抱く状態になっている。そして、夕花の肩越しに情報端末を片手で操作している。

 資料が表示されると、晴海は黙って夕花に見せた。

 夕花は、資料を黙って読み進めた。晴海に守られていると考えながら、夕花は自分の父親と兄の悪行を読んだ。

「今、わかっているのはここまでだよ」

「・・・」

「夕花?」

「晴海さん。ありがとうございます」

 夕花は、晴海に”ありがとう”と伝えるのが正しいと思ったのだ。
 この資料を、夕花に見せない方法もあった。でも、晴海は夕花に資料を見せた。情報端末を持つ晴海の手が、腕が、心が、揺れていたのを夕花は知っている。夕花に資料を見せる寸前に、晴海が躊躇したのに気がついた。そして、背中から伝わる晴海の暖かさ。強く脈打つ臆病な心臓の音。すべてが、自分のためだと考えたのだ。うぬぼれではなく、奴隷として、人間として・・・。女のとして、晴海の優しさを感じたのだ。

「夕花?」

「大丈夫です。私は、晴海様の奴隷です。晴海様のために存在して、晴海様に殺される者です」

「違う。夕花、夕花は、僕の奥さんだ」

「はい!」

 夕花は、体重を晴海に預けるように寄りかかる。
 晴海は、夕花の全てを受け止めるように、身体で夕花を支える。

 夕花は、耳元で囁かれる晴海の言葉が心地よく聞こえている。心を現世に留めてくれている。勘違いかもしれない。ただの思い上がりかも知れない。ただの執着なのか知れない。たしかなこともある、夕花には晴海が必要なのだ。

 トレーラーが加速した。

「夕花」

「はい」

 夕花は、晴海から身体を離すと、すぐに立ち上がって、壁際にあるスイッチを押した。
 正面に設置してあるモニターが明るく光る。

『晴海様。もうしわけありません』

 すぐに、礼登が応答した。
 晴海は、二分割されている画面を4分割にして、前方と後方と左右を表示させた。

 見た感じでは、異常は見つけられない。

「礼登。どうした?」

『はい。先にご連絡をしなかったことをお詫びいたします。圏央道に入ってから、尾行らしき者がいまして、速度をあげて反応をみてみました』

「うしろか?」

『今は、前を走っています。そろそろ視界に入ってくると思います』

 礼登の宣言通り、5分後に通常車線をゆっくりとした速度で走っている車が映し出された。

「礼登。あの車か?」

『はい。抜き去った後の動作を見てください』

「わかった」

 車の動きは不自然に見えた。トレーラーが追い越した瞬間から加速を初めてピッタリと後ろに付ける。しばらくは、後ろを走っていたが、加速して前に出る。

「礼登。このまま、減速したらどうなる」

『はい。マーキングをしてありますので、御覧ください』

 マーキングとは、2000年初頭から繰り返された悪質運転に対抗する機能だ。悪質運転を行う車を見つけたときに、カメラで撮影してナビシステムに記憶させる。記憶した車の情報は共有される。車の位置情報が分かる仕組みになっている。昔は、撮影された車で警察車両が悪質運転を認知する必要があったが、現状では動いているすべての車が対象になっている。

「確かに不自然だな・・・」

『はい。この後です』

「動き出した。パーキングエリアを出るのか?」

『高速バスの停留所でも同じ動きをしています』

「一台だけか?」

『わかりません。気がついたのは一台ですが、圏央道に入ってから、車が少ないのも気になっています』

「車が少ないのは、時期だからじゃないのか?」

『わかりません。どうされますか?』

「法定速度まで加速して、しばらく走ってくれ」

『わかりました』

 晴海と夕花は、トレーラーが加速したのを感じた。
 通信中のランプが消えたので、運転席との通話は遮断されたのがわかる。モニターは、ナビモードに変わっていて、マーキングされた車の位置がナビに表示されている。

「そうされるのですか?」

「うーん。狙われる可能性は多いからな。問題は、どの組織が出てきたか・・・。だけど、あまりにもおそまつすぎる・・・。素人かもしれない」

「え?」

「僕や礼登程度に尾行を見破られるのだよ。素人だと思うよ?」

「・・・」

「あっ!夕花、礼登に繋げて」

「はい」

 夕花が、ボタンを押した。礼登もすぐに気がついて通話のラングが光る。

「礼登。次に彼の車がパーキングエリアに入ったら、僕たちも休憩しよう。礼登だけが降りて様子を見てよ。トレーラーが目的なら、何かしらのアクションを起こすだろうし、礼登が目的なら、礼登を付けるだろう?僕や夕花が目的なら、トレーラーに近づくかこちらを見張っているだろう?」

『わかりました。次は、狭山パーキングエリアです。狭山パーキングエリアを通過してしまうと、東名中央高速になるので、狭山パーキングエリアに寄ります。長めの休憩になると思いますが、問題はありませんか?』

「大丈夫だ」

 通信が切れた。
 礼登は、指示に従って、狭山パーキングエリアにトレーラーを停める。

「晴海さん。私たちは?」

「ごめん。今回はトレーラーの中に居よう。相手がわからないから、動くに動けないからね。もしかしたら、杞憂かも知れないし、細い一本の糸なのかもしれないし、全く想像が出来ないからね」

「わかりました。何か、お飲みになりますか?」

「いいかな。あまり水分を摂取すると、トイレに行きたくなってしまうからね。それよりも・・・。夕花」

「はい。なんでしょう?」

 紅茶のセットを元の位置に戻しながら、夕花は晴海の問いかけに答える。

「夕花。お義母さんの話を聞きたい。ダメかな?」

「構いませんが、私が知っている母は・・・」

「そうだね。でも、僕は、夕花が知っている優しく夕花を育ててくれたお義母さんをもっともっと知りたい」

「・・・。ありがとうございます」

 晴海は、礼登から報告が来るまで、夕花から母親の話を聞いた。
 夕花は、母親が結婚する前はよく知らないようだ。東京都出身とだけ母親から聞いていた。詳しい話は知らないようで、旧姓も”文月”とだけ教えられていただけで、本当なのか判断は出来ないと正直に伝えた。

 夕花は、晴海の求めに応じて、好きだった食べ物や、母親がよく作ってくれた物や、二人だけになったときによく連れて行ってくれた場所や、子供のときによく聞かせてくれた歌を話した。

「そうか、夕花はお義母さんがどの州国の出身なのか知らないのか?」

「はい。東京都と言っていましたが、東京都から武蔵州国に嫁ぐのはないと思います」

「そうだね。横浜州国ならまだ可能性はあるけど、武蔵は無いだろうね。絶対に、無いとは言わないけど・・・」

「そう思います」

 トレーラーが狭山パーキングエリアに到着してから一時間が経過した。
 礼登も運転席から離れてフードコートの椅子に座ってから戻ってきていない。トレーラーの近くを通る者は居るが、監視したり、何度も接近したり、怪しい動きをする者は現れない。

 その頃、礼登は狭山パーキングエリアで、狭山茶を飲んでいた。
 一時もの間、礼登を見ている男性が居るのには気がついていた。監視しているわけでも、尾行しているわけでもなさそうだ。本当に、見ている状況なのだ。

 礼登は情報端末で、能見に連絡をした。
 能見からは、男の視線を感じていなさいとだけ指示があった。能見の部下たちが、礼登を見ている、男が乗っていた車や男の素性を調べる時間を作る。

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