【第八章 リップル子爵とアデヴィト帝国】第二十一話 リーゼに頼み事
「マルス。それで、リーザは?」
『地下を出て、自宅に戻りつつあります』
「誰か付いているのか?」
『個体名ファーストが付いています』
「今から行けば、家で捕まえられるな」
『はい』
ヤスは、地下の執務室を出て、リーゼの家に向かった。
「旦那様。ファーストです。リーゼ様は、お部屋でお待ちです」
「ファーストか、ありがとう。マルスから連絡が入ったのか?」
ヤスはドアの前で待つファーストから、リーゼが待っていると告げられる。
考えられるのは、マルスだけなのだが、ファーストに確認した。
「はい。情報端末に連絡が入りまして、リーゼ様のご指示で旦那様を待っておりました」
「そうか、ありがとう」
ヤスは、ファーストが開けたドアから家の中に入る。住み始めて数日が経過している。リーゼの家の匂いになっている。不思議な物で、食生活はそれほど違わないのだが、家の匂いが違ってくる。些細なことなのだが、ヤスは嬉しく思えてしまう。こうして、一軒一軒、個性が出てくるのだと考えてしまうのだ。
「旦那様」
「おっありがとう」
「ヤス!」
「おっリーゼ。久しぶり」
「久しぶりじゃないよ!ボク、寂しかったよ!」
「悪かった。忙しかったからな。いろいろやることや、考えることが多かったからな」
「そうなの?そうだ!ヤス。今度、カートで勝負してよ!ボクも速くなったよ!スズカコースで2分を切れるようになったよ」
「ほぉ・・。1分50秒が切れたら相手してやるよ」
「えぇぇぇ。ヤスのタイムは?」
「ん?聞かなかったのか?」
「ん?聞いてないよ?」
「俺のタイムは、1分42秒だ。カートのカスタマイズをして調整したら、もう1-2秒は早くなると思うぞ」
ヤスは謙遜しているわけではないが、カートで走るコースは、F1の決勝でのコースレコードに近いタイムが出るようにコースの全長が調整されている。理論的な数値なので、コーナー数が多いコースやテクニカルなコースでは10%程度のタイムロスが考えられる。したがって、1分30秒983(2019年時点)がタイムレコードのスズカサーキットでは、1分40秒前後がターゲットタイムになってくる。
「えぇぇぇぇ。あと、20秒も・・・。どこを削ればいいのかわからないよ・・・。ヤス。本当?」
「あぁ嘘を言ってもしょうがないだろう。そうだな。リーゼの場合は、ブレーキングを覚えないとオーバースピードでコーナーに入るから、出口で踏み込めなくて、加速が鈍っているのではないか?」
「うーん。もう少し考えてみる」
「あぁ受付で、俺のタイムも解るようにしておくよ。参考値として乗せておく」
スマートグラスを渡して、理想のラインや過去の自分とのレースが出来るようにしてもいいかも知れないと、やすはリーゼの話を聞きながら考えていた。
「わかった!ヤスのタイムは、レコードには表示されていないよね?」
「除外している。もう少しリーゼたちが俺に肉薄してきたら考えるよ。まだ、10秒以上の差が出るだろうからな」
「うぅぅぅ悔しいな。ヤスは、自分のカートじゃないよね?」
「そうだな。リーゼたちと走るのなら、どのカートでもいいかな?カートを調整するまでもないな」
「うぅぅぅ。悔しいけど・・・。しょうがない。まだまだだね」
ファーストは、このままカートの話を続けさせると、終わらない状況になってしまうだろうと考えて、やや強引に話に割って入る。
「旦那様。リーゼ様。お飲み物はどうしますか?お食事のお時間ですが、用意しますか?」
「ヤス。どうする?ボクは、一緒に食べていって欲しい・・・。かな?」
「疑問形なのがわからないけど、そうだな。どうせ、神殿に帰っても食事を頼むし、ここで食べても同じだな。ファースト。面倒だろうけど、頼む。飲み物は、リーゼに合わせる」
「かしこまりました。準備をいたしますので、お話を続けてください」
「ヤス。今日は、泊まっていくの?」
「その言い方は、いつも泊まっていくように聞こえるけど、明日は朝から仕事だからな。話をして、食事したら帰るよ」
誤解されない様に言っておくと、ヤスは一度もリーゼの家に泊まったことはない。
ユーラットのときに、リーゼの実家?の宿屋に泊まったのと、領都でラナの宿で違う部屋に泊まったことがあるだけなのだ。ひとつ屋根の下で寝たのは事実だが、泊まったという感じではない。
「・・・。わかった。また来てくれるよね?」
「もちろん」
ファーストが、部屋から出ていくのを横目で見ながら、ヤスはリーゼを観察する。
そして、ディスペルの話をどうやって切り出そうかと考えていた。
「ヤス?」
ヤスが、何か言いたいのは解るのだが、何を言いたいのかわからない。言いにくそうにしているのは、何か悪い状況になっているのではないかと不安になっている。
「ん?あっ。そうだな。まずは、状況を教えないと駄目だな」
順序立てて説明するほうがいいだろうと思った。
「うん。お願い」
リーゼは、姿勢を正した。
ディアスがカスパルと領都に行くのは知っていたし、サンドラも王都までお兄さんに会いに行くと言っていた。ドーリスもサンドラがしばらくの間、ギルドの仕事から抜けるので、仕事が忙しくなると言っていた。ミーシャは、何度かカート場に来たが、何か心配事があるのか上の空だった。デイトリッヒは、なんか真剣な表情で領都に行くと言っていた。”帰りがいつになるのかわからない”と話していた。神殿に居る皆がなんか忙しそうにしているのは解るが、何も聞かされていないのは不安になってしまう。ここ数日、リーゼは不安を抱えていた。そこで、ヤスが訪問してくると言っていたので、自分に関係する事で神殿に迷惑がかかったのではないかと思ってしまったのだ。
その不安を隠すために、努めて明るくカートの話しをヤスにしたのだ。ヤスの口から聞きたくない言葉が紡がれるかも知れない恐怖を誤魔化すために・・・。
「子供たち・・・だけど・・・な」
「子供?カイルやイチカのこと?」
「あぁ違う。さっきな。カスパルとディアスが領都から帰ってきてな。帰り道で、12名の皇国から流れてきた子供を保護して連れてきた」
「皇国?子供?もしかして・・・。二級国民」
「・・・。そうだ。神紋があったようだ」
「ヤスは見てないの?」
「消化にいいものを食べさせて、風呂に入れたら、寝てしまった。起こすのも悪いから明日の朝に確認するつもりだ」
「・・・。そう・・・。「リーゼ」ヤス」
「あっ。リーザ。何をいいかけた?」
「・・・。うん。ヤスが、なんで知っているのかわからないけど、多分・・・。ボクのスキルだよね?」
ヤスは、リーゼの顔をまっすぐに見る。少しだけ憂いを感じさせる表情をしている。しかし、目だけはいつものリーゼの様に、ヤスの目を見つめている。
「そうだ」
ヤスは覚悟を決めて、一言だけつぶやいた。
「いいよ。でも、ボクが使ったってわからないようにはして欲しいかな?特に、ミーシャやデイトリッヒには絶対に内緒にしてほしい。他にも、ディスペルをかける子たちにもわからないようにして欲しい」
ヤスからの言葉を聞いて、安堵の表情をリーゼは浮かべた。出ていけと言われるのではないかと恐怖していたのだ。それ以外なら・・・。頼み事なら、何でも受けるつもりで居たのだ。ただ、聖魔法だけは”母親”から同族のエルフにも知らせないようにしなさいと言われていたのだ。リーゼが聖魔法を使う事が出来るのを知っているのは、アフネスとロブアンだけなのだ。
「わかった。ありがとう。リーザだと解らなくする。約束する」
「うん。でも、12人も・・・。皇国は許せない」
「リーゼ。俺たちの手はそんなに長くない。助けられる者だけ確実に助けよう。全員を助けようなんて考えるな」
「・・・。うん。解っている。解っているけど・・・」
「リーザ?」
「ん?あっごめん。それでどうする?」
「子供たちの話を聞いてからになる。開放を望まない可能性もある。それに皇国に帰りたいと言うかも知れない」
「え?あっそうだね。わかった。ボクも準備をするね」
リーゼは、準備と言ったが、特別な準備が必要なわけではない。
祝詞も覚えている。”母親”から教えてもらった、詠唱省略も出来るようになっている。準備は必要ないのだが、心の準備だけはしておかないと、”ヤスの前で出来ません”とならないよう・・・。それだけを考えている。
「端末に情報を入れる」
「うん。ヤスが知らせに来てくれる?」
「わかった。俺が、リーゼに知らせに来る」
「うん。それなら、待っている」
「頼むな」
「ううん。ボクが出来ることだし、ボクにしか出来ない事だと思うからね」
「あぁリーゼにしか頼めない事だ」
「フフ。それなら、余計に頑張らないとね。ヤスの為に、ボクは頑張るよ」
タイミングを図ったかのようにファーストが食事を持って来た。リーザは、果実水を頼んだので、ヤスも同じものを頼んだ。
白パンと野菜のスープと、肉を焼いた物が用意された。なんの肉なのかは聞かなかったが、美味しかったので問題はないとした。
雑談としてカートの走らせ方を説明しながら食事を楽しんだ。
デザートはなぜかヤスが作ったのだが、リーゼが喜んだのでよかったと思うことにしたようだ。
食後に紅茶を飲んでから、ヤスは自分の部屋に帰った。
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