【第四章 リブート】第一話 ニコラシカ
マスターが”珈琲貴族”で森沢に会って、今までで一番嬉しくて、一番切なくて、一番悔しい手紙を貰ってから、1年が経過した。
港町に新たに作られた拠点は、マスターが譲り受けてから改装を行っている。1年以上の時間をかけたが、まだ完成していない。
施設の名前は、”リブート”と決まった。
マスターが行っている裏の仕事で、逃げる必要がある人たちが居る。一時的に、避難する場所が必要になっていた。組織が持っている別荘が伊豆にあるのだが、隠れ家としての役割は果たしているが、再就職やその先の生活が保証されていない。
マスターが提案したのが、避難場所としての施設と自分たちが行っている事に興味がある者たちへの訓練を行う施設にすることだ。そして、新たな住所として登録が可能な場所の提供だ。
立地が、港に隣接している場所であり、その港は地元民しか使わない。釣りを目当てにやってくる者は居るが、殆どが顔なじみだ。港には特産物を売る土産物屋は存在するが、建物からは離れている。
アクセスは、バイパスから入ることができる為に便利だが、知らない人なら走りすぎてしまうほどの場所だ。そのうえ、速度が乗りやすい場所にある為に、周りに合わせていると通り過ぎてしまう。港からのアクセスもあるが、地元民しか知らないような道を通り抜ける必要があり、辿り着くのは難しい場所にある。実際に、初めての宅配業者や郵便業者は迷って辿り着けない。
マスターは、目の前に居る男を睨んでいる。
男が持ってきた資料を読んでも、表情を崩していない。
「マスター?」
「あ?」
「怒らないでよ。リブートの方向性とも合致しているでしょ?」
「そうだな」
「何が気に入らないの?」
マスターは、男の資料で、起案者の所を持っていたマドラーで指す。
「あぁ・・・。でも、しょうがないと思うよ?」
「誰が声をかけた?」
マスターが示した場所には、桜の名前と克己の名前が書かれている。マスターの名前は書かれていない。自分の名前が書かれていないのは、当然だと思っているのだが、桜と克己の名前が書かれているとは思っていなかった。
「え?」
男は、マスターの言っている意味が解る。
解っているが、話すことが出来ない。
「おい」
「無理」
「そうか・・・。わかった」
マスターは、スマホを取り出して、電話帳から旧友の名前を見つけ出してタップする。
「桜」
『そろそろ、掛かってくると思っていた』
「そうか?お前や克己まで、大丈夫なのか?」
『大丈夫だ。それに、退官したあとの就職先としては最高だろう?』
「桜」
『俺にも手伝わせろよ。それに・・・。由紀も、俺が警官をやっているよりも喜ぶ』
「いいのか?」
『大丈夫だ。そもそも、この話を俺と克己に知らせたのは、美和だ』
「はぁ?松原さん?なんで?」
『俺に聞くな。まぁだから、安心しろ。”美和も協力する”と言っている。美和が行っているシェルターとの連動も考慮してくれるとありがたい』
「前に、松原さんが言っていた奴だよな?”リブート”としてはメリットしかない。断る理由はない」
『美和に伝えておく』
「わかった。そのうち顔を出す。運営は、別の者に任せているから、松原さんに伝えてくれ」
『わかった』
「桜」
『なんだ』
「助かる」
『いいさ。何かあったら連絡をしてこい』
「わかった」
『またな』
通話が切れた。
マスターは、スマホを見つめながら、大きく息を吐き出す。
「マスター?」
「向こうの準備は、”いつ”終わる?」
「うーん。建物は終わっているけど、配管が・・・。特に下水道の許可が降りていない」
「そうか、塩水が出るのだったな」
「うん。井戸もあるけど、基準のクリアは不可能」
「しょうがないな。場所が場所だ」
「うん。下水道は、前に使っていた釣り人用の施設があるから、許可が降りれば、接続して終わり。上水道は、最悪は貯水タンクで賄う方法にする?」
「そうだな。貯水タンクと、確か先生の所で、塩水を生活用水に変換する装置が有ったよな?」
「飲み水には使えないよ?」
「飲み水は、買えばいいだろう?」
「ブルジョアだね。でも、それなら下水道の許可が降りれば・・・」
男のスマホが鳴った。
「マスター。下水道の許可が降りたよ」
「そういえば、ガスはプロパンガスか?」
「うん。あのあたりは、プロパンガスしか無いみたいだよ」
「まぁそうだな」
「その辺りは、マスターの方が詳しいよね」
「・・・。それで?」
「ん?工事は、すぐに始められるから、半月後くらいから始められるよ」
「わかった。人の手配が必要だろう?」
「そうだね。マスターは、行かないよね?」
「あぁ」
「それなら、工事中に人を集めるよ。任せてもらっていいよね?」
「任せる。法人にするのか?」
「うん。合同会社。発起人たちからは、財団法人でもいいと言われたけど、突かれたら面倒だから、合同会社にする」
「代表は?」
男は、指で自分を指している。
「ん?いいのか?」
「うん。形だけだからね。それに、マスターまで辿れないでしょ?」
「あぁ・・・。すまん」
「いいよ。それに、メリットがある事だからね」
「そうか?」
「うん。だから、マスターに”貸し”ひとつね」
「わかった。返すつもりはないけど、覚えておこう」
「うんうん。それで、マスターは?」
「タイミングがいいから、1か月後から店を開ける」
マスターは、スマホのカレンダーを開いた。マスターが大事にしている日の翌日が丁度一か月後になる。
バーシオンは、形を変えて再オープンを行う。
オープンまでに、マスターは馴染みの客や世話になっていた店に連絡を取った。
仕入れも必要になっている。
新しいトレンドを知る為にも、夜は繁華街に繰り出す生活を行っていた。
リブートの施設は、立ち上がった。
マスターは現地には行かなかったが、男から当日の様子を聞いた。
そして、バーシオンの再オープンが1週間後に迫った夕方。
マスターは、池袋の繁華街に来ていた。
最後に挨拶を行わなければならない人に会うためだ。
マスターは、雑居ビルの3Fに上がった。
そこには、店の名前も、看板も掲げていない。隠れ家になっているバーがある。申し訳ない程度に営業中を示す明りが照らされているドアを開けて店の中に足を踏み入れる。
グラスを磨いていたバーテンダーは、マスターを見て嬉しそうな表情を向ける。奥の椅子に、マスターを案内する。
マスターは、椅子に腰を降ろす前に、背筋を伸ばして、深々と頭を下げた。
「師匠」
「安城君。話は聞きました。そして、今日、入ってきた表情を見て、安心しました」
マスターは、勧められた椅子に腰を降ろした。
「ありがとうございます。師匠。バーシオンを再開する運びになりました」
「そうですか、区切りが出来たのですね」
「はい」
「挨拶は、終わらせたのですか?」
「はい。お客様から、取引先まで、挨拶を終わらせました。師匠が最後になってしまいました。もうしわけございません」
「いいですよ。安城君。それで、何か、私に頼みたいことがあるのですよね?」
「はい。師匠。再開にあたってフードを出そうと考えています」
「ほぉ」
「簡単なカットフルーツを使ったドリンクも扱う予定です」
「わかりました。話を通しておきます。店は解りますよね?」
「はい。ありがとうございます」
「仕入れは、大丈夫ですか?」
「はい。フードは、地元からの輸送を考えています。届かない日は、フードは出さない様にしようと思います」
「それは、面白い試みですね。それにしても、いい表情ができるようになりましたね」
「・・・」
「安城君。君は、許されることはありません」
「はい。心得ています」
「しかし、君が君を許してもいいと思います。”君を許す”と言ってくれた”友”が居るのですよね?」
「・・・。はい」
師匠と呼ばれたバーテンダーは、一杯のカクテルを作り始める。
置かれたボトルから、マスターには何を作り始めているのか解ったが、黙って師匠を見つめている。
「”ニコラシカ”です。弟子に送るのには相応しくないでしょうね」
「いえ、ありがとうございます。頂きます」
マスターは、砂糖が乗っているレモンスライスを二つ折りにして口で軽く咀嚼してから、ブランデーを口に含んだ。
しっかりと味わって、”決心”が鈍らないように・・・。
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