【第九章 ユーラット】第二十七話 侵攻(5)

 

 ヤスが、楔の村ウェッジヴァイクへの出兵を行うと宣言をした。
 元々、帝国から攻めてきた戦争だ。それに対して、神殿側は反撃らしい反撃をしていなかった。

 帝国の部隊が、神殿の領域に到達する前に瓦解することが多く、散発的な戦闘はこれまでも有った。しかし、まとまった攻撃は、楔の村ウェッジヴァイクが初めてだ。待っていたというよりも、神殿の中にも痺れを切らしている者たちが存在していた。その者たちのガス抜きの意味もあり、攻勢に出た方がいいと判断した。

 指令室に居る者たちは、交戦を回避したいと考えていたのだが、前線を守っている者たちは違っていた。
 やっと自分たちが活躍できる状況になったことで、指令室に交戦許可を求める通信を何度も送ってきていた。

 ヤスは、それを抑え込み続けたが、楔の村ウェッジヴァイクからの”救援”が届けられた。
 体裁が整ってしまった。

 それでも、神殿で量産が可能なドッペルを先に出すのは、ヤスらしい作戦だ。そして、嫌らしい作戦でもある

「ヤス!」

 リーゼがモニターを指さしている。皆の視線が一つのモニターに釘付けになる。

「大丈夫だ」

 モニターには、”出撃命令”を受けて、トーアヴェルデから出撃したヴェストが、帝国の先遣部隊を蹂躙している様子が映し出されている。
 蹂躙という言葉の通り、一方的な戦闘だ。

「マルス!」

『是』

「被害は?」

『3体のドッペルが活動不能。その他は、活動に支障なし』

「ヴェストには、戻れ。敵が出てきたら、エアハルトが側面を穿つ。出てこなければ、体制を整えたヴェストとエアハルトで同時に攻撃。帝国を押し返せ」

『了』

 実際には、指令室から指示を出すことは可能だ。
 しかし、マルスを経由することで、同時に伝令が出せる。

 そして、各部隊にはある程度の権限が与えられている。
 帝国の部隊は、楔の村ウェッジヴァイクを包囲するように布陣している。

 しかし、これは後方が帝国領であり、神殿勢力が攻めてこないのが前提条件だ。後方を無防備にしているわけではない。帝国は、トーアヴェルデを牽制する意味で先遣部隊をだしている。
 先遣部隊が戻るよりも、神殿勢力の情報伝達能力は数倍・・・。数十倍の速度で情報が伝達される。それが、戦場では、どれほどのメリットになるのか・・・。話を聞いているオリビアは戦慄を覚えている。自分が、亡命してこなくても、帝国は神殿勢力には勝てない。
 単純に戦力の違いだけではない。情報戦でも負けている。そのうえで、神殿勢力は策を用いて有利な状況に持っていっている。勝てるわけがない。神殿には、戦死者を絞る余裕さえある。

 ヤスの命令が伝えられる。
 カウントダウンが始まる。

 同時に出撃ではない。
 同時に着弾するためのカウントダウンを行っている。マルスが距離を計算して、ずらしたタイミングで指示のカウントダウンを始めている。

 最初に準備を終えて出撃したのは、ローンロットが率いる隊だ。ローンロット以外は、ドッペルと魔物で構成されている。森から、魔物が溢れてきたという体裁で、帝国軍に突撃を行う。ドッペルは指揮の為に、ローンロットと後方に下がっている。魔物は、使いつぶすために、ある程度の強さが主軸だ。帝国軍が勝てないと思うと逃げ出してしまうために、なんとか撃退が可能だと思わせる位の強さでなければ困ってしまう。

 神殿の思惑通りに、帝国は迎撃態勢に入った。
 しかし、迎撃が間違いだと数分後に判明する。

 後方から、トーアヴェルデを攻めていたはずの者たちが合流する。
 ただ合流するのではない。ヴェストたちを引き連れている。

 挟撃されるような状態になってしまっている。
 逃げ帰ってきた先遣部隊と、後方は安全だと思っていた帝国兵を挟み撃ちする状況だ。トーアヴェルデから逃げてきた帝国兵は、一度戦っても勝てないと思っている。帝国兵は2倍近い兵数にはなったが、混乱は加速する。

 一人も逃がさない。
 全員を捕えるか殺す。現実は不可能だと思える命令を、ヤスは出している。
 同じ命令で、相反する命令も出している「逃げる者は追うな」という命令だ。

「エアハルト!」

「お!ヴェスト。お前、身体が引き締まっていないか?」

「あぁ鍛錬が好きな奴が配属されて、困っている。変わってくれるか?」

「いいけど、数字とのにらめっこだぞ?」

「・・・。やめておく、鍛錬の後で飲む、”ビール”の美味さを捨てるのはあまりにも惜しい」

「ははは。そりゃぁ美味いだろう。そうだ。旦那から、サウナが送られたけど、入ったか?」

「あぁ訓練の後で、更に汗を流すのは、どうかと思ったが、思っていた以上に気持ちがいい」

 戦闘中なのに、緊張感がないやり取りを二人がしているが、咎める者は居ない。
 戦闘は、ドッペルと魔物たちだけで終わりそうだ。

 今、神殿の勢力として認知されかねない二人が出て行ってもメリットはない。

「あっちは大丈夫なのか?」

「ん?ルーサか?」

「いや、そっちの心配はしていない」

「あぁ楔の村ウェッジヴァイクか?」

「そうだ」

「大丈夫だろう?旦那が動いているのだし、他にもおっかない女性陣が居るからな」

「ははは。そうだな。姫だけが、俺たちの癒しか?」

「そうだな。カイルの奴がさっさとイチカを射止めれば、旦那も覚悟を決めるのに・・・」

「そりゃぁ無理だ。カイルも、旦那が覚悟を決めなければダメだろう?」

「違いない。姫も、他が狙っているのに気が付いているのだろう?」

「どうだろうな?他の者も狙っているというよりも・・・。いや、やめておこう。それよりも、楔の村ウェッジヴァイクには、誰が行っている?」

「あぁどうやら、イワンたちが動いたようだ。旦那からの報酬に魅かれた様だぞ?」

「そりゃぁ帝国兵も可哀そうに・・・。それにしても、新しい酒精か?」

「今度は、今までの物よりも、酒精が強いらしい。伝え聞いた限りでは、ドワーフ殺しよりも酒精が強いらしいぞ?」

「はぁ?誰が、そんな物を飲む?死ぬぞ?」

「それが、口当たりを滑らかにして飲むらしい」

「おいおい。俺は、やめておくよ」

「そうだな。どうせ、ルーサが飲むだろうから、その反応を見てからにするか?」

「そうだな。帝国を退けたら、作ると言っていたから、短期熟成も使うみたいだぞ?イワンが旦那に許可を貰ったらしい」

「おぉぉウィスキーをもっと作ってくれないかな?イワンに頼まないと・・・。問い合わせが酷い。王国内の貴族に少量だけ出回ったのが悪かったようだ。今では、1瓶で大銀貨が数枚必要になっている。このままでは、金貨になるのも時間の問題だ」

「はぁ樽でなくて、瓶?ルーサが、パカパカ飲んでいる瓶で?本当か?」

「そうだ。王家やレッチュ伯からはないが、他の・・・。旦那にも頼んでは居るけど、旦那も酒精の増産にはあまり積極的では無くてな・・・」

「そうだな。神殿に居る奴らの特権を使いまくって、実家に送っているのだろう。それが、また悪いのだろうな」

 二人は、戦場とは思えない話をしているが、目の前では戦闘が繰り広げられていた。

 最初は、二人の声は戦闘音にかき消されていたが、二人は通常の声量で話をしていても、聞き取れるくらいには静かな状況になってきた。

 二人の前に、帝国風の装いをした者が跪いている。
 帝国の貴族・・・の、ドッペルだ。

「終わりました」

「逃げた者は?」

「100名未満です」

「想定よりも少ないな。大丈夫か?」

「はい。逃げた方向を探っています。追いますか?」

「いい。指示通りに動いてくれ」

「かしこまりました」

 ドッペルは、二人に頭を下げてから持ち場に戻る。

「旦那もえげつないよな」

「ん?」

「前面には、イワンたちだろう?後方を、俺たち・・・。違うな。魔物を率いた奴らが行くのだろう?」

 ローンロットの目の前には、王国で捕えた者たちが、帝国風の装いに変更しているのが見える。
 ヤスの次の手は、増援部隊を装った後背からの挟撃だ。

 イワンたちは、楔の村ウェッジヴァイクを守るように布陣する。
 そこに、後方から魔物を引き連れた帝国部隊が接近してくる。帝国兵は、最初は疑問に思う可能性が高いが、先頭に居るのは、帝国の貴族だった者たちだ。自分が属している派閥の貴族が魔物と一緒に来てくれたら”増援”の可能性を考えるだろう。
 最低でも、一度は面会を行う。
 その時に、ドッペルは司令部を急襲する。その瞬間に魔物たちが後背から攻撃を行う。

 今度は、誰も逃がす必要はない。
 殲滅する。ヤスからくだされた命令だ。

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