【残された赤】赤い視界

 

 君が俺の所から旅立って、もう23年が経っているよ。
 でも、やっと、やっと、やっと、俺は君の所に行ける。

 でも、俺はもう40を超えて、50に近くなってしまっているよ。君に嫌われないか不安でしょうがない。
 頑張ったよ。君が好きだと言ってくれたスーツ姿。同じ形のスーツを着られるように、体型を維持しているよ。

 髪の毛も薄くなるかと思ったけど、薄くならないで良かったよ。
 白い色の髪の毛が目立つけど、君の所に行くときには、あの頃と同じで茶色に染めていくよ。

 もう少しだから、もう少し・・・。
 もう少しだけ待っていて欲しい。

 ただ一人・・・。俺が愛した君の所にいくその日まで・・・。

 左目を眼帯で覆った男は、右目で赤黒く染まっている少し変わった形のナイフを見つめている。

 手には、ウィスキーが注がれたグラスを持っている。

 今年で、47歳の男は23年前の6月12日から同じ気持ちで夜を過ごしている。
 二人で住むはずだった家で、これから長い年月を一緒に過ごすはずだった部屋で、男は静かにグラスに注がれたウィスキーを口に運んでいる。

 男は、23歳の時に独立開業した。ソフトウェアの制作会社だ。
 その時に作っていたソフトウェアの利益だけで、地方に家を即金で買うことができる位の売上があった。隙間ソフトだが需要が途切れる事は無いだろうと思われた、実際に男が作って個人名義で公開してから、2年経つが売上が下がる事はない。男もバージョンアップを繰り返して、対応OSや対応デバイスの数を増やしていた。
 周辺ソフトの開発依頼も毎月数本だが入ってくる。それを、知り合いの会社に流しながら、男は自分の好きなアプリケーションの作成を行っていく事にしたのだ。

 男は、女の実家に挨拶に行った。
 結婚の許しを得るためだ。女は喜んだ。女の実家は田舎に有ったのだが、男がなんなら引っ越してもいいといい出した。

 女は家族に、男を紹介した。
 男は、女の家族に交際している事や、結婚したい事を告げた。

 男は、女の父親に殴られる覚悟をしていた。女から、姉の結婚の話を聞いていたからだ。

 父親は、立ち上がって、男に歩み寄った。
 身長は同じくらいだが、漁師をしていた女の父は足腰もしっかりしている上に、腕の太さでは男の足と同じくらいかもしれない。喧嘩になれば、一日パソコンの前に座っている男が敵うはずもない。

 男の身体は硬直した。男は、殺されると思った。
 現実は違っていた。父親は、男の肩を叩いて、そのまま男と女を抱きしめた。

 涙を流しながら”ありがとう”とだけ告げた。
 恥ずかしくなったのだろう、外に出て自分の作業部屋に入っていってしまった。

 女の母親が笑いながら教えてくれた。
 父親は、娘に釣りや潜りを教えた。女の子らしい遊びを教えてやらなかった。子供の時に買ったのもリールや釣り竿だ。父親は、そんな娘が結婚できるとは思っていなかったようだ。姉は、そんな父親が嫌いで悪い仲間と遊び歩いた。そして連れてきたのは、ヤクザ者だった。正確には、チンピラだったのだが、子供ができたからしょうがなく結婚する。そんな態度が見え隠れした。父親は思いっきり殴った。チンピラは訴えると息巻いたが、父親の権力の方が上だった。親分筋に話を通して、チンピラを追い詰めた。小さな港町だ。話はすぐに広がる。
 姉は子供を産めなかった。チンピラと乗った車で事故に遭って死んでしまったのだ。チンピラは罪に問われたが、チンピラの父親が国会議員だった為に、示談を申し込んできた。父親は、示談に応じた。金は一切受け取らなかった。そのかわり、姉と子供は、自分たちの墓に入れると宣言した。
 そんな事が有った為に、妹が連れてきた男性がどんな男性なのか、話を聞いてからソワソワしていたようだ。

 父親は、女から男の素性を聞いた。正確には、母親から聞いたのだが、男が父親と母親の事を気にして、田舎に住もうと言ってくれた事が嬉しかったようだ。
 仕事があるので、それが難しいと思った事や、男の両親との兼ね合いがあるのと考えていた。

 男は笑いながら母親に説明した。
 自分の両親は、数年前に他界しているので気にしないで欲しいと、女の両親だけが自分にとっての両親だと説明した。

 男と女は、幸せの絶頂にいた。
 開業したばかりの男は都内に安い部屋を借りた。そこで作業をしながら引っ越しの準備をする事にした。

 女は実家に戻っていた。男と住むための家を探すためだ。
 男の仕事の事を考えて、駅の近くが良いのではと思っていた。男は、笑いながら女に言った。車があるし、電車はそれほど使わない。だから、沿線でなくてもいいから、好きな所にしてくれという事だ。女は、幼馴染に連絡していい場所がないか訪ねた。
 返ってきた答えは、丁度いい所がある。という返事だ。幼馴染は、おんなに隣町にある山を進めた。山まるまる一つと麓に広がる草原だ。町からの助成金対象の場所で住んでくれるのなら、駅前のマンション程度の価格で手に入るという事だ。モデルハウスが作られていてすぐに住める状態になっているという事だ。

 女は男に連絡した。
 男は、2・3質問をした。その返答が届いた時に、二人の住居が決まった。男が聞いたのは、山の資産価値と開発に関わる権利関係だ。それと、光ケーブルが通っているかだけだった。男は、町から満足できる返答をもらえたので、即日購入手続きに入った。ローンでも良かったのだが、男は町に即金で支払うと連絡した。

 女の父親は、無駄な事をと笑いながら女と男を叱った。女は、父に宝探しができるねと告げた。母は、それなら男を連れて皆で宝探しをしましょうと言った。

 幸せな時間だと思えた。
 女は、こんな時間が永遠に続くものだと思っていた。

「なんで!嘘だよな。嘘だと言えよ!」

 男は、女の幼馴染で刑事になった者からの連絡を受けた。
 女が殺されたという連絡だ。

「お前相手に嘘は言わない。すぐに戻って来られるか?いや、少し待て、ヤスを行かせる。ヤスは知っているよな?」
「あぁ家具を・・・それよりも・・・なんで・・・」

 男は声を失った。
 女の状態は?どこで?誰に?他には?
 いろいろな疑問が頭を駆け巡る。

 しかし、男が口にしたのは全く違う言葉だ。
「俺が悪いのか?俺が、山を買ったのが・・・。悪かったのか?俺が結婚したいと思ったのが悪かったのか?なぁ。教えてくれよ」

 幼馴染は、何も答えずに電話を切った。
 男の嗚咽だけが聞こえてきたからだ。それに、男が答えを求めてきたのでは事は解っている。

 数時間後に、男は幼馴染の所に来た。
 幼馴染は絶句した。左目が、赤く充血していた。血のように赤く、そして今にも吹き出してきそうな位に左目だけが赤く赤く充血していた。

 男の家族になるはずだった、女と女の父親と母親が殺された。
 犯人はすぐに捕まった。男が設置した防犯カメラが決め手となった。女の姉と結婚しようとした奴だ。

 奴は事故で心が病んだ。そして、薬に逃げた。
 そして、奴の耳元で囁いた者が居たようだ。奴が捕まってから言ったセリフは・・・。

「これで、財産は俺の物だ!山も全部!俺の物だ!」

 奴は、男が買った山も女の財産だと教えられた。そして、女の姉は自分の物だ。だから、女と邪魔な父親と母親を殺せば、全部が手に入ると教えられた。
 教えたのは、奴に薬を売っていた者だが、その後ろに、山の開発利権が眠っていた。
 男が買った山は、水資源として優秀だったのだ。水の民営化に伴い町の水利権を求めた者が居た。本来なら、男の前に別の人間が買う予定だったのだが、男が即金を用意してしまった為に、町の上層部が許可を出してしまったのだ。

 男は、ここまでの流れを女の幼馴染に教えてられた。

「やっぱり俺が・・・」
「それは違う。殺したのは奴で、後ろに居た奴らだ。君ではない!」

 男は、幼馴染を見つめてから、大きく息を吸い込む。

「後ろに居る奴らを教えてくれないか?」
「教えたらどうする?」
「何もしない」
「何もしない?」
「あぁ今は何もしない」

 同級生を親友に手錠をかけた時以上に、幼馴染は緊張していた。
 本来なら流していい情報ではない。男もそれが解っている。解っているから、”何もしない”と決めた。

 奴は、捕まった。
 身勝手な行動の代償は、24年の禁固刑だった。男は、裁判には一度も行かなかった。マスコミ対応も一切していない。婚約者の立場だった事や、奴が国会議員に連なる者だった為に報道はすぐに沈静した。

 男は、思った・・・。
 女を奪われ、義父と義母を奪われた。女の育った家は、数日後に不審火で焼失した。男は、奪われたのだ。全てを奪われたのだ。

 残ったのは、奴が女と義父と義母を殺したのに使った網切のナイフだけだ。そして、義父と飲もうと思っていた、義父が好きだと言ったウィスキーだけだった。不審火で、家族の思い出だけではなく、女の思い出も全てなくなってしまった。

 この地方の漁師は一本のナイフを持って漁に出る。ナイフは、網を切る為の物だ。自分と仲間を守るために、網を切る。その時の為だけに使うナイフだ。

 網切ナイフが、犯行に使われた。
 女の血と義父と義母の血で汚れたナイフ。

 柄まで真っ赤に染まったナイフだけが、男に残されたものだ。

 男は、女と住むはずだった家に引っ越しをした。
 仕事場にしようと借りていた都内のマンションは解約した。全ての機材を、女と住むはずだった家に移した。


 男は、日本国内の物件をいくつか購入した。
 海外にも不自然に思われない範囲で物件を購入した。

 準備に2年近い時間が必要になってしまった。特に海外の物件では、ギリギリの事をしながら自分の身元を隠した。

 男は、幼馴染から聞いた議員の名前と、企業の名前を頭に叩き込んだ。
 まずは、議員事から攻める事にした。こちらは簡単だった。

 女と住むはずだった家から、海外拠点に接続を行い。国内の拠点を経由して、議員の事務所にアタックを行う。狙うのは、ルータ。
 素直なルータ設定になっていた。事務所が狙われるとは思っていないのだろう。家庭用のルータが使われていて、設定もザルだ。接続が確認できれば、コマンドを流し込む。ルート権限を奪取してから、ルータの情報を奪取する。
 ルータの接続先を海外の拠点に変更する。海外拠点にはパケットを記憶するワームを仕込んである。

 議員が使っているパソコンが判明した。
 そのパソコンにキーロガーを仕込む。キーロガーの送信先は、議員秘書のパソコンにした。議員秘書のパソコンにもキーロガーを入れているが、外部からすぐに削除できるようにしてある。
 入手した情報を、再構築して、議員が属している派閥とは敵対している派閥の中堅に議員秘書のパソコンからメールで送信した。

 議員が使っているパソコンからいろいろな情報が抜き出せた。
 アクセス履歴から性的なサイトへのアクセスも確認できた。それらの情報を使ってSPAMを作成する。

 女の殺害に関係した議員を社会的に抹殺していく。不正に繋がる資料も入手できた。これは、週刊誌に送付した。わかっている限りのスキャンダラスや性的な情報を付属資料として一緒に送付した。
 第一報は、週刊誌のウェブ記事だった。そこから火が付いて各社が取り上げるまでに火が燃え上がった。

 男は、結末は気にしていない。
 ただ一報だけ・・・。関係している議員のアドレスにメールした。


 3年前にはお世話になりました。
 無事引っ越しも終わりました。
 心の整理もできましたので、ご挨拶させていただきます。

 水利権では失礼しました。知らなかったことでしたが、ご迷惑をおかけしました。

 企業は議員ほどセキュリティが甘くなかった。しかし、個人に関してはかなり甘かった。男は、関係者をターゲットに誘導を開始した。一人が網にかかればあとは簡単な作業だ。ルータはやはりザル設定になっていた為に簡単に侵入する事ができた。あとは、ワームが自動的に情報を吸い上げてくれる。
 セクシャルな情報は、会社のアカウントで社員に一斉送信を行う。それだけ行って終わりにする。何人かが引責辞任した事が報道された。

 男は、残っている実行犯の情報を集める事にした。
 男の左目は、幼馴染に会ったときのまま赤くなってしまっている。男は、日常では眼帯をして生活をする事にした。車の運転時には色の濃いサングラスをかけている。
 赤く充血した左目は、殺したいほど憎んでいる人間しか見えていないようだ。男の左目は、血に染まった殺害現場と、血に染まった愛おしい女と義父と義母の死に顔が貼りつて離れなくなってしまっている。赤く染まった視界。それが男に残された唯一の繋がりなのかもしれない。

 奴は、24年の禁固刑になった。
 男は、そんな事はどうでも良かった。極刑以外考えられなかった。極刑が与えられないのなら、自分で裁くと決めていた。男は、そのために準備を行う。
 女と義父と義母を殺した凶器は戻されていた。
 警察は、綺麗にする事もできると言っていたが、男は拒否した。柄の部分まで赤黒くなってしまった網切ナイフを受け取った。宝物のように扱い。常に身近に置いてある。

 23年が経過した。
 奴が出所してくる事がわかった。被害者の家族にはそんな情報は伝わらない。しかい、親切な人はどこにでも居る。親切にいろいろ教えてくれる。
 加害者が奴が反省も何もしていないのは明らかだ。公判中から一度も謝罪の言葉を口にしていない。

 入所する時に一度だけ男に形だけの謝罪の手紙が弁護士から届けられた。

 男は、弁護士に笑いながら言った。

「この手紙を受け取れば、私が欲する者が戻ってくるのですか?」

 弁護士は、男に手紙を受け取って欲しくて言葉を続ける。

「いいですよ。この手紙は受け取ります。24年ですよね?楽しみですね」

 弁護士は、必死に男に手紙を受け取ってくれと頼む。
 加害者が反省していると言葉をつなげるのだ。

「反省している?それなら、奴が出所した日か命日に墓の前で、貴方と一緒に謝罪してくれる事を期待します。できますよね?」

 弁護士は、自分の責務ではないと言うにとどめた。
 男に、手紙を無理やり渡して、その場を離れた。

 男は、大きな、大きな、笑い声を上げて、弁護士の背中に投げかけた。

「この赤い左目は、貴方もよく見えますよ」

 弁護士は、振り返る事なく足早に男から遠ざかった。

 男は、弁護士宛に何通か手紙を出した。
 弁護士が代わりに墓参りをするのか?できないのなら、奴の父親に謝罪にこさせろと・・・。弁護士は、一切合切を無視した。

 男は、弁護士や奴の父親が動かない事を確認してから、行動を起こした。奴の名前をwikiに載せた。公表されている事実だけを載せた。その後で、弁護した弁護士の名前や事務所を載せた。弁護士の名前で、wikiの項目を作成してウェブサイトで公表されている情報を載せた。事実だけを載せている為に、削除もできない情報となっている。

 海外サイトで、奴の情報や男が知っている、真実だと思っている事実をサイトにして公開した。弁護士の情報もしっかりと明記した。
 これらの事を、善意の第三者として弁護士に教えた。弁護士は、削除依頼を出す事ができても、削除される事はない。弁護士の名前で検索すると、事務所のページの次にwikiが表示され、次に男が作った”告白ページ”が表示されるようになった。

 このページ経由で善意の第三者からの情報が寄せられるようになる。

 男は、奴の行動を監視している。
 出所した日か6月12日に、奴が女と義父と義母が眠る場所に来たら。一人で旅立とうと思っていた。

 しかし、6月13日になっても奴は現れなかった。

 男は決心した。
 奴を殺す。

 赤黒くなってしまった網切ナイフを持って、奴に近づき、首筋を切り裂く。
 簡単な作業だ。男は最後の確認をする。奴を殺した後に必要な事の準備をした。

 男は、警察が家に家宅捜査に来る事がわかっていた。
 警察が敷地内に入ったら、思い出も、自分自身さえも全て燃やすつもりで居た。

 ただ、女の幼馴染には事件の情報を事細かく書いたメモが送付されるようになっていた。迷惑と考えたが、後始末を頼むためだ。
 男は、山の権利を幼馴染に移譲する事にしている。女の命日に、23年間欠かさずに来てくれたからだ。
 幼馴染には笑いながら「ついでだ。ついで」と言って、今まで一度も謝礼を受け取らなかった。

 男は実行する。
 男は、奴に”事件の事を記事にしたい。謝礼を出すのであって欲しい”と連絡して海に呼び出した。網切ナイフを使うのには一番適した場所だと思ったからだ。

 男は、奴に最後のチャンスを与えた。奴が、男を認識して謝罪したら、本当に話を聞いて謝礼を出すつもりでいたのだ。

 男は、奴を殺した。
 赤黒くなっていた網切ナイフを使って、やつの首を切った。

 真っ赤な血が男を染める。赤黒かった網切ナイフも赤く、赤く染まっていく。

 男は奴を海に放り投げる。近くに置いておきたくなかった。海が、奴の血で赤く染まっていく。

 男は奴の血と自分の血で赤く染まった地面に座った。
 男は、奴を殺した網切ナイフで自分の目をくり抜いた。そして、海に捨てた。もう何も見る必要も感じる必要もなくなってしまった、充血した赤い目を捨てた。赤くなってしまった目を持ったまま女の前に行きたくなかったのだ。
 男は、残る目で地面を見る。手は、赤く染まっている。徐々に視界が狭くなる。赤かった視界が白黒に変わっていく。

 男は、赤く汚れないように、持ってきた水筒で手を洗う。

 義父と酌み交わそうと思っていたウィスキーの封を切った。辺りに血とウィスキーの匂いが漂う。

 持ってきていた、袋からコップを4つ取り出した。
 男は、震える手で、力が入らなくなってしまった手で、4つのコップにウィスキーを注ぐ。

 コップを一つ持ち上げて、乾杯をしてから、一気に呷る。

 飲みきったコップを地面に叩きつけて割った、破片を拾い上げて、手首を切る。

 新しく赤い血溜まりを作りながら、男は女と義父と義母と過ごす夢を見るために目を閉じた。

「やっと・・・。赤い視界から解放されたよ。そっちには行けないかもだろうけど・・・。もういいよな・・・」

 男のつぶやきを聞いた者は誰も居なかった。
 赤く染まってしまったウィスキーと、赤く染まった網切ナイフと、3つのコップだけが男に残された全てだった。

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