【第四章 襲撃】第五話 移動
昼食に近い朝ごはんを晴海と夕花は並んで食べた。夕花は、食事の度に場所を変えて食事を摂ってみるが、正面で食べれば晴海の視線が気になってしまうし、横で食べれば晴海の仕草が気になってしまう。そして、晴海の匂いを感じて、自分の匂いを晴海が感じているのかと思うと赤面してしまうのだ。
食事を終えて、夕花が食器を片付ける。最初は、晴海がやろうとしたが、自分の仕事だと言って夕花が行うようになった。
「晴海さん。何か飲みますか?」
「そうだね。コーヒーを頼むよ」
「はい。ミルクをたっぷりと砂糖は少なめですか?」
「うん。ありがとう」
「はい」
夕花は、何気ない会話が楽しくなってきている。
母と交わした会話を思い出すのだ。
「夕花もこっちで飲もう」
「はい」
二人分のコーヒーを入れた。晴海に渡すコーヒーには砂糖を少しだけ入れてかき混ぜてからたっぷりのミルクを入れる。自分のコーヒーには、たっぷりの砂糖と適量のミルクを入れる。色が違うので間違えない。
「ありがとう」
晴海は渡されたコーヒーを一口だけ飲んでから、”おいしい”と言葉にして、正面に座ろうとした夕花を横に座らせる。
「夕花。情報端末は大丈夫だった?」
「大丈夫です。それで・・・。晴海さん」
「ん?資格の事?」
「はい。私が取得していた資格が・・・。それも、名前も変わっています」
「うん。必要だからね。事後承諾だけど、勝手に復活させてもらったよ。ごめんね」
「いえ、いえ、私の資格が必要になるのでしたら、嬉しいです。母が、”いつ何時に、必要になるかわからないから、資格は取れるだけ取っておきなさい”と言って取らせてくれたのです」
「そうか・・・。いいお母さんだったのだね」
「はい」
目を伏せて俯いた夕花の肩を晴海は優しく抱き寄せる。キスするわけでもなく、ただ抱き寄せるだけだ。
夕花は解っていた。肩に置かれた手が震えていたのを・・・。晴海は、行動を移すのに戸惑いがあった。夕花に悟られないように、優しく肩に手を置いて抱き寄せたのだ。晴海は解っていた。夕花が泣きたい気持ちを抑えているのを、自分と同じなのだと・・・。抱き寄せた身体から力が抜けるのを、晴海の震えていた手の上に夕花の手が重ねられた事実を・・・。
二人は、そのままコーヒーの湯気が見えなくなる程度の短い時間。お互いを感じながら過ごした。
晴海の情報端末が鳴った。二人は、身体を離して相手を見る。なぜだか悪いことをしていた感じになってしまった。
晴海は、情報端末を操作した。能見からの連絡だ。この時間に連絡してきたという事は、夕花のことで何か動きがあったのかも知れない。晴海は少しだけ、本当に、少しだけ危険を感じながらスピーカーに能見の声をだす。
「晴海様。能見です」
「何か解ったのか?」
「いえ、愛しの晴海様と夕花様の邪魔をしようかと思いまして連絡しました」
晴海は、頭を抱えたくなった。能見は声だけではなく、映像を表示してきた。場所は、いつもの事務所ではないので、何か問題が有ったのか、進展したのか、報告があるのだろう。
だが、30代後半のイケメンが”愛しの晴海”とか言えば、夕花がびっくりするのは当たり前だ
「え?」
夕花が、情報端末に映る能見と晴海を見て、頬を赤くしたのだ。
「切るぞ!」
「おや、私から、愛しの晴海様を奪った、夕花様がお側においでだったのですか?良かった、まだ一線は超えていませんよね?」
夕花が側に居るのは解るだろう。側に居ないとわかれば、呼んでから茶化すつもりだったのだ。
「能見忠義!」
晴海は、能見がこのまま暴走してしまっては、夕花への印象が悪くなると考えて、フルネームを呼び捨てにした。
「失礼しました。晴海様。夕花様の資格の調整が終了いたしました。大学の手配が終了しました。伊豆のお屋敷に書類一式を用意いたしました。あっ制服はないので、晴海様が大好きなブレゼーやセイラー服は用意していません。それから、義母の三弥子様の墓前を汚そうとした者たちの排除を行いました」
能見は、姿勢を正してから簡潔に報告を始めた。
「え?なんで?母のお墓?」
中の大学や制服の下りはスルーした。母親の離しがそれだけ強烈だった。
「ふぅ・・・。能見さん。わざとやっているのだろう?」
晴海は、解っていたのだが、夕花の反応を確かめているのだと・・・。
「夕花様がお作りになられました、お母様のお墓に私どもが確認に向かった所。大切な夕花様のお母様のお墓が荒らされていました。お母様のお墓を見張っていた者もいました。見張っていた者たちは捕らえて背後関係を尋問中です。お墓は、ご遺骨は大丈夫でしたご安心ください。副葬品などが盗まれた可能性がありまして、夕花様にご確認をしたいと考えています」
「え・・・。あっ・・・。副葬品?」
「はい。お母様をお休みいただく時に、ご遺骨と一緒にいれた物です」
「・・・。お母さんが大切にしていたペンダントをいれました。他は・・・写真を数枚・・・。です」
「ありがとうございます。ペンダントは、2つ見つかっています。写真は全部で5枚です」
能見は、夕花に見えやすいように、黒い布を下に敷いて、ペンダントを見せた。綺麗に磨いてある。写真も重ならないように注意しながら広げてある。
「あ!それで、全部です!よかった・・・。でも・・・。なんで・・・」
「夕花様。”なんで”はこれから、私たちが調べます。夕花様は、晴海様をお守りください。お願いいたします」
「・・・。はい。ありがとうございます」
「そうだ。夕花様。お母様のお墓ですが?今のお寺に何か理由があるのですか?」
「・・・。いえ、葬儀社に進められただけです」
「わかりました。晴海様。夕花様のお母様は、晴海様のお母様です。改葬したいのですが、ご許可を頂けますか?」
「夕花。問題ないか?もっと安全で、俺たちが住む予定の場所から近い場所に、お母様に引っ越してもらいたいがダメか?」
「いいのですか?」
「あぁ。その方が、お母様も安心するだろう?」
「でも、僕・・・。そんなに・・・。なにも・・・」
夕花は、晴海や能見の言葉は嬉しかった。でも、自分にはそれだけの価値があるのか解らなかった。安心したいが、晴海や能見に返せる物がないと悩んだのだ。
「夕花様。貴女は、これから晴海様をお守りするのです。そんな夕花様のバックアップも私たちの仕事です。いいですか?晴海様を頼みます」
「わかりました。能見様。よろしくお願いいたします」
能見の強い口調と、”晴海様を頼みます”というセリフが嬉しかった。誰かから必要とされていると思えたからだ。
「違います。夕花様は、晴海様の奥方です。晴海様の手下に敬語を使わないでください」
「でも、僕・・・。晴海さんの奴隷で・・・。だから・・・」
「違います。晴海様は、夕花様を選んだのです。そして、ご結婚されたのです。晴海様を、”晴海さん”と呼んで、部下である私に”様”付けしては家の秩序がおかしくなってしまいます」
「はい。わかりました。能見さん。母のお墓をお願いします」
「承りました。奥様。晴海様。それから、あの家が動き出しました」
「わかった。何日後だ?」
「予想通りです。3日後だと思われます」
「奥州方面にデコイを撒いておいてくれ、信州はわざと開けて、駿河方面にも足跡を残しておいてくれ」
「かしこまりました」
能見は綺麗に頭を下げてから、晴海にウィンクをしてから通話を切った。
「疲れた・・・」
晴海の心の底からの言葉を聞いて、夕花は自分の疑問を心に押し留めた。
「あっごめん。夕花。彼は、能見忠義。俺の家に昔から仕えてくれる人で、弁護士をしている。あんな感じだけど有能なのは間違いないよ」
「え?あっ・・。はい。能見さんが、僕の資格を戻してくれたのですか?」
夕花は、まだ緊張しているのか、自分の事を”僕”と言ってしまっている。
「そうだよ。生体情報コードを用意したのも彼らだよ」
「そうなのですね。でも、母まで・・・。いいのですか?」
「もちろんだよ。僕の奥さんのためだよ。お母さんにも安心してもらわないとね。夕花を殺した時に、眠る場所だと思えばいいよ」
「あっ・・・。ありがとうございます」
夕花は、死にたいという思いは変わらないが、死ぬのなら晴海を守って死ぬか、晴海の役に立ってから死にたい。殺されたいと思い始めている。
—
能見が宣言した通り、3日後の夜に襲撃が行われた。晴海と能見が誘導した結果だった。
晴海が最初に取った”六条晴海”名義の部屋からチェックアウトした男女が襲われたのだ。晴海たちの代わりにホテルに泊まった者ではなく、途中で入れ替わった能見の部下が、襲撃されたのだ。
男女6人組に、攫われたのだ。攫われた二人には発信機を持たせていて、能見の部下が尾行していた。同じ頃、文月の家宰が屋敷を出たのを確認した能見は部下に尾行させた。誘拐を行った男女は、六条晴海だとは知らない様子だ。金持ちの跡取りを攫って身代金を要求する計画のようだ。
文月の家宰が、誘拐犯に合流した所で、能見の部下たちが一斉に誘拐犯と家宰を取り押さえた。
文月は、家宰を切り捨てた。
誘拐した男女が、晴海と夕花ではなかったので、家宰が独断で行ったと苦しい言い訳を繰り返した。誘拐犯は、金に困った奴らを街で拾っただけのようだ。晴海が望んでいた半島系の者に繋がる糸ではなかった。
状態は依然として混沌としている。
晴海に、能見から、伊豆の準備が出来たと連絡が入った。
晴海は、夕花を連れてホテルから伊豆に行くと決めた。
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