【第六章 神殿と辺境伯】幕間 サンドラの決意
辺境伯の屋敷。奥にある当主が使っている執務室には、父親と娘だけがテーブルを挟んで向かい合っている。
娘はサンドラ。母親の身分は平民なのだが、辺境伯が自分で選んだ女性との間に生まれた娘だ。現在17歳。婚約者が居たのだが、半年前に発生したスタンピードで命を落としている。そのため、婚前未亡人となってしまっている。婚約者の死去から1年間は喪に服すことになる。その間は、領主の許しがなければ外に出ることは無い。
「お父様。どうされるのですか?」
「第二分隊に王都に食料を」「おやめになったほうがよろしいかと思います」
「なぜだ?奴らがしでかしたことだぞ?奴らに責任を取らせるのが当然ではないのか?」
「私見を述べてもよろしいですか?」
「構わない。言ってみろ」
「はい。ありがとうございます。第二分隊は、練度が足りていません。ミーシャ様が組織した護衛と比べると恥ずかしくらいでは無いでしょうか?」
「そうだな。しかし・・・」
「練度だけではありません。彼らは、お父様への忠誠がありません。もちろん、兄様に忠誠を誓っているわけでもありません。”利”で繋がっているだけです。そんな者たちが、目の前に大量の食料があり金品を輸送して大丈夫だと思いますか?」
「・・・」
「また、ミーシャ様がどのようなルートで移動していたのかわかりませんが、村や町に立ち寄って補給しながら王都に向かったと思われます」
「そうだな」
「お父様。そんな場所に第二分隊だけで行かせたらどのようなことが発生するのか考えればお解りになると思います」
「しかし、彼らしか・・・。それに、儂からの命令で・・・」
「無駄でしょう。兄様の部下で、領都の中でさえ好き勝手している連中です。お父様もご存知だと思いますが?」
「・・・。だが、喧嘩や脅し程度の問題だ。その程度ならどこでも同じではないのか?」
「お父様。ミーシャ様に依頼を出すときに同じことが発生しましたか?」
「・・・」
父親は娘のセリフを肯定するしかなかった。
娘は父親の言葉を待つために冷えた紅茶を口に含んだ。
「発生していませんよね?それが答えです」
「わかった。それでは・・・。依頼料が高くなるが王都で商隊を雇って輸送させるか?」
「お父様。ユーラットに行く許可をいただきたい。そして、神殿の主にお会いしたいと考えております」
「神殿の主?」
「はい。アーティファクトを利用して食料を運んでくれるように依頼しようと思います。ご許可をいただけますか?」
辺境伯も貴族である。神殿が攻略されて、主を定めたと報告を受けた時に衝撃を受けた。
新しい国が勃興するかもしれないと考えたのだが無理であると考えを改めた。まず場所が悪すぎる。神殿の領域になっている場所は、王国の辺境の辺境なのだ。それだけではなくユーラット方面以外は山に囲まれているので広げることができない。王国が定める領域では、魔の森は神殿の領域となっているが、資源に乏しい森なので大きな発展は望めない。辺境伯は、作るとしたら”国”ではなく”自治領”が妥当だと考えている。王都に居る息子に送った報告書が早ければ王宮に届けられているだろう。判断は、神殿の攻略者に委ねられるのだが、神殿が接しているのは実質的には辺境伯の領都になっている。交易を行うのは自分が治める領だと思っているのだ。
サンドラを神殿の主や近い者に嫁がせることも考慮しなければならない。報告に合ったようにリーゼのことが気になるが、エルフ族を敵に回すような愚かなことはしたくない。それだけではなく魔通信機の権利を持つリーゼを蔑ろにはできない。サンドラなら母親の身分も低いし第二夫人でも良いと思っている。
ランドルフが行ったことが問題になってくる。
すでに神殿の主がリーゼと恋仲の場合にはサンドラを向かわせることで一気に関係が悪化することが考えられる。神殿の主がどの程度の武勇なのかわからないが、今までの幾多の冒険者や兵士たちが攻略を試みた神殿をらくらく手中におさめていることから絶対に敵対してはならない人物だと判断している。
辺境伯は娘の提案を考える。
(成功しても、失敗しても、メリットとデメリットが存在する。最悪はサンドラを差し出せばいいか?神殿と付き合うことができるのは、儂の領地だけだ。神殿の主がどのような人物なのか確認する必要もあるか?)
「わかった。まずはやってみろ。後で資料を渡す。前回までの輸送した実績と今回の予定が書かれている」
「ありがとうございます。お父様」
ユーラットまでの予定やどこまで交渉を行うのかを話し合った。
クラウスは娘のサンドラに全権は与えずに許せる範囲の裁量を与えることにしたのだ。
「それではお父様。早速準備を行いましてユーラットに向かいます」
「わかった。アフネス殿に手紙を渡してくれ」
「かしこまりました」
—
(ふざけるな!俺よりも、妾の子の方が大事なのか!)
自室に軟禁される形になってしまったランドルフは部屋にあるものに当たり散らしていた。
自分の行いのどこに問題が有ったのか考えもしていない。
自分以外はすべて無価値な物として判断しているので、自分が正しいと思うのは当然のことなのだ。
(俺が!俺が、辺境伯を継ぐ!ハインツは高々子爵家の後ろ盾しか無い!俺には侯爵家の血が流れている!王家の血さえ入っている!)
ランドルフは次男だ。長男であるハインツは王都の屋敷の管理を任されている。
母親の身分だけを考えれば次男であるランドルフの方が上なのだ。ハインツの母親は子爵家から嫁いでいる。順番は、ハインツの母親が先に嫁いでいるので、第一夫人になるのだが、子供がなかなか産まれなかったことで侯爵家が横槍を入れてきて、ランドルフの母親を第一夫人にするように圧力をかけたのだ。
それでも、クラウスは子爵から嫁いだ夫人が産んだハインツを後継者に指名した。そして、ハインツは皇太子の従者をしている。
王家には、男児は皇太子の他にもうひとり居るのだが年齢的にかなり下でまだ成人の儀式を行っていない。ハインツは皇太子からの信頼も厚いだけではなく次男からも”ハインツ兄様”と呼ばれて懐かれている。そのため、辺境伯は王都での仕事を安心してハインツに任せている。
「おい。誰か!近くに居ないのか?母上を呼べ。侯爵家に直訴しに行く」
「ランドルフ様。クラウス様のご命令で部屋からお出しすることも、誰かをお通しもできません」
「何!俺を誰だと思っている。お前程度ならすぐに首にしてやる」
「どうぞご自由に。私は、クラウス様のご命令に従います」
部屋の中では、ランドルフが真っ赤になって怒鳴っているが、扉の外に居る者たちは何も感じることがない。
—
父親であるクラウスとの話を終えて納得がいく状況に持っていくことができたサンドラは機嫌よく自分の部屋に戻った。
部屋では、サンドラ付きのメイドで護衛であるマリーカが待っていた。
サンドラは、マリーカから渡されたガウンを羽織ながら、少し興奮した口調でマリーカに命令を出す。
「マリーカ!お父様のお許しを頂きました。馬車の用意をお願いします」
「お嬢様!少しお待ち下さい」
マリーカは、サンドラから話を聞いて相談を受けていた。今年17歳になるサンドラは母親の身分が低いこともあり、一度婚約者が死去してしまっている事もある新しい婚約者を決めない状態で来ている。現状は”喪に服している”という理由で領都で過ごしていたのだ。
マリーカとしては、主人であるサンドラの命令なら叶えたいのだが情報が少なすぎる。馬車だけで行けるような距離では無いのだ。
「待っていられないわ。アーティファクトよ!それも完全に動いているのよ!早く準備をして出発します!」
「出発と申されましても・・・」
目的地はユーラットでいいのか?何日くらい滞在する予定なのか?
聞かなければならないことが多い。サンドラの頭の中はそんなことをすべてすっ飛ばしてあることだけを考えている。
「まずはユーラットに謝罪に行きます。でも最終的には神殿に移動します」
「かしこまりました。ユーラットまではわかりますが、神殿と申されましても情報が無いので食料や着替えがわかりません」
「ひとまず、ユーラットまで往復できる準備だけをお願いします。それから、護衛は最少人数にしてできるだけ移動時間を短縮できる方法を考えてください」
「かしこまりました」
マリーカと呼ばれた女性は、頭を下げてから主の部屋から出ていった。主人からの命令を実行するためだ。
(兄様のおかげで神殿に行くことができる!あの不思議なアーティファクトをじっくりと見ることができるかもしれない!)
サンドラの目的は領都の食糧問題の解決やエルフ族との和解ではなかった。
辺境伯であるクラウスが考えているような婚姻の為でもない。全ては自分の好奇心を満たすためだったのだ。
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