【閑章 テネシー・クーラー】第四話 旧友

 

「マスター?」

「ん?あぁバイパスを戻ってくれ」

「うん」

「興津川を過ぎたら、四つ目・・・。いや、三つ目の信号を右折。近づいたら知らせる」

「三つ目?」

「そうだ」

男は、マスターからの指示通りに、興津川を過ぎてから、目印になる信号を探した。

1キロ程度走ってから、男は心配になってきた。

「マスター?信号がないよ?」

「大丈夫だ」

「わかった」

一つ目の信号が見えてきたので、男も安心した。
一つ目と二つ目は、押しボタン式だ。男は、二つ目の信号を越えてから追い越し車線に移動した。右折というからには、追い越し車線に居た方がいいだろうという判断だ。

「もうすぐだ」

「え?」

マスターが助手席から男に声を掛ける。

男は、信号を見つけて、右折帯に車を移動させる。
信号が変わるまでの間に、男はマスターに聞いておきたいことがあった。

「マスター?」

「どこに向かえばいいの?」

「そうだな」

チラッと時計を確認して、マスターは指示を出す。

「マスター。ちょっと待って、覚えられない。それに、道が変わっている可能性があるのでしょ?」

「あぁでも、目的地は変わっていない」

「そこに、彼等は居るの?」

「居ないぞ?」

「え?なんで?」

「最初の目的地には居ない。次の目的地で待っているはずだ」

「え?そうなの?それでいいの?」

「大丈夫だ」

男は、信号を右折して、港に入った。

高架を潜って田舎の街並みに出る。

「右」

「はい。はい」

男は、最初の目的地を聞いている。
そこで、マスターの旧友たちと合流するものだと思っていた。その場所までの距離が解らない。

港から最初の目的地までは10分もあれば到着する。
待ち合わせに指定された時間まで2時間以上の余裕がある。男は、時計を見て、ミラー越しにマスターを見る。表情は変わらないが、組んだ手が震えている。マスターは、今までも心無い言葉をぶつけられてきた。当然の行為だと自分に言い聞かせている。マスターを擁護する声も皆無ではなかった。しかし、マスターは耳を心を閉ざさなかった。全てに、耳を傾け続けた。

「おい。ゆっくり走れ」

「はい。はい」

男は、制限速度で走っていたが、狭い道だ。対向車とすれ違うのも気を使う。
マスターは車が傷つくよりも、町で事故をおこしたくない思いが強い。

「ねぇマスター?」

「あ?」

「まだ、まっすぐ?」

「次の川が見えてきたら、橋を渡る前を左折だ」

「わかった。でも、次の川?今まで、川があったの?」

男の疑問は正しい。
地元の人間で無ければ知らないような川だ。橋もかかっているが、民家と合体してしまっているような橋で、見逃しやすい。道路よりも広い橋なので見逃してしまう。

男は、川と呼んでも支障がないような場所を見つけた。

男は、助手席に座って、前をじっと見ているマスターの表情が、自分が見ている風景とは違う風景を見ているようにも思えてきた。古い昔の記憶を重ねているのだろう。時折寂しそうな表情をするのは、過ぎ去った過去を懐かしむというよりも、懐かしむ資格が自分には無いと思っているようにも思える。

「右の脇道に入ってくれ、もしかしたら行き止まりになるかもしれないが・・・」

男は、マスターの指示通りに、脇道というよりも、本来の道に見える方向にハンドルを切る。

「あ・・・。そうか・・・」

「マスター?」

「すまん。まっすぐに行ってくれ」

「え?あっうん。わかった」

マスターが覚えていた雰囲気から大きく変わっていた。
河川敷に繋がる細い道があると思っていた。河川敷に繋がる道は、遊歩道に変わって、車が入れない状況になっている。

橋に向かって伸びている道路を走る。信号が変わってまっすぐに進む。

(ここか?)

「門が開いている?」

「ん?門は、昔からないぞ?」

「え?」

男は、中学校と思われる場所の前で車を停める。マスターが中に入るように言ってくる。問題はないと言っているが、迷っていると、一人の男が門の横に立って手招きをした。
男は、指示に従って車を学校の敷地内に入れる。

そして、車を停める。

「すぐに終わるから、待っていてくれ」

「マスター!」

マスターが助手席から降りる。

「・・・。桜」

「遅かったな。皆は、仏舎利塔に向かったぞ」

「あぁ・・・。桜・・・。俺は・・・」

「いいさ。それよりも、その車は?」

「奴の遺品だ。美和に頼んだ」

「聞いている。そうか、大事にしてくれているのだな」

「あぁナンバーは変わってしまったが・・・」

「そうだろうな。安城」

「・・・」

「よく来てくれた」

「いいさ。お前がやらなければ・・・。違うな。すまん。俺が、俺が・・・。止めるべきだった」

「違う。桜。それは、違う」

マスターが一歩だけ踏み出す。しかし、そこで止まってしまった。上げた手を降ろして、桜と呼んだ男性をまっすぐに見る。

「安城。お前は・・・。変わらないな。真面目だ。真面目過ぎる。そして、今でもまっすぐだ」

桜と呼ばれた男は、一歩目をゆっくりと踏み出してから、二歩目は少しだけ早く、そして三歩目は勢いよく踏み出して、マスターに抱き着いた。

「桜!?」

「おかえり。安城」

マスターは、自分を抱きしめている”古い友人”が自分を抱きしめながら涙を流しているのが解る。
そして、もう枯れてしまったと思っていた自分の目からも涙が流れていた。桜から聞かされた現実を受け止められずに、桜を殴り倒した。そして、その後の現実を突き付けられても涙は出なかった。
ただ、ただ、哀しかった。”なぜ、なぜ、なぜ”と叫んだ時にも、その次に出て来る言葉は、『”一緒に行って欲しい”と言わなかった』だ。

「あぁ・・・。桜。ただいま。長く、待たせてしまったな」

桜は、マスターの身体を解き放った。

「そうだな。克己も美和も・・・。それに、他の奴らも待っている」

「他の奴ら?」

「冷たい奴だな。シンイチやツクモやヤスも待っている。まーさんは、学年が違うから遠慮するみたいだぞ」

桜が名前を上げた者が、行方不明だったり、死んでいたり、死んでいる可能性が高い事は、マスターも知っている。

「そうだな。・・・。桜は、ここからどうする?」

「バイクで行く」

「わかった。先導してくれ、警官に頼む事じゃないけどな」

「いいさ」

「田辺さんに会ってきた。好きだと聞いた酒を差し入れてきた」

「そうか、田辺さんも最後に心のつかえが取れるといいな」

「最後?」

「聞かなかったのか?今年で退官だ」

「そうなのか・・・」

「それから、シマちゃん。長嶋教諭が今、俺たちの母校の校長だぞ?」

「え?校長?」

「あぁだから、今日もわがままを聞いてもらった」

「ははは。苦虫をまとめて噛み潰した先生の顔が思い浮かぶな」

「どうだろうな」

二人は、懐かしい時間が戻ってきたのを感じていた。

「桜。そういえば、お前はなんで学校に来た?」

「お前と同じ理由だ。学校の許可は取ってある。行くのだろう?」

「いいのか?」

「大丈夫だ。世間的には、俺は信頼がある職業だからな」

「そういえば、そうだったな」

「安城。お前がバーテンダーとは・・・。まーさん辺りなら似合いそうだけどな」

「それは言われたよ」

「ははは。聞いているよ。先生絡みなのだろう?」

「なんだ、お前も知っているのか?」

「知っているも何も、世話になっている」

「いいのか?」

「大丈夫だよ。上は、何も言わないよ。それに、俺の上司も面白い人だから、出張の時にでも連れて行く」

「わかった」

二人は、中学校の校舎に足を踏み入れる。
マスターは止まっていた時間が流れ出した気がした。

いろいろ変わっているが、変わっていないものもある。

この場所が、自分たちが過ごした場所だ。
そして、冷たい廊下に足を踏み入れる。

卒業式が昨日のように思い出される。
マスターがゆっくりとした歩みで、校舎の中を進む。桜は、マスターの後を着いて行く.クラスの配置はマスターたちが居た時と違っていた。

来賓が使う玄関から入って、スリッパに履き替えて、左側に進む。すぐの階段で2階に移動する。本校舎への連絡通路がある。連絡通路を通り過ぎると、すぐに階段があり、マスターは3階に上がる。

そして、手前にある教室の前で足を止める。

「安城」

教室の中は自分たちが居た時の様子は欠片も残されていない。
マスターが教室を覗き込むと、そこには自分たちが通っていた時と、多少は変わっているが、大きく変わった様子がない教室の様子がある。

「桜?」

「少子化で、クラスは1つだけだ」

「そうか・・・」

マスターは、それだけ言って教室を眺めている。
見ているのは、今の教室ではない。自分たちが輝いていた時期に過ごした時間を見ているのだ。

「・・・。聡子」

マスターの呟きは桜の耳にも届いている。桜は、その言葉を聞いても何も言わない。マスターが誰と会話をしているのか解っている。マスターの隣に居るはずの人物が・・・。

だから、桜はマスターから離れて、廊下の壁に寄りかかる。そこには、上靴でついた汚れが付いていた。

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