【第八章 リップル子爵とアデヴィト帝国】第四十三話 トーアヴァルデ

 

 帝国は確かにトーアヴァルデには近づいてきている。
 しかし、戦闘が開始されるような距離ではない。入口に到達したに過ぎない。それも、野営地を作って新たに作られた壁を調べている段階だ。帝国は、リップルとは違って撤退しても問題はない。攻めてこない可能だって残されている。

 リップル元子爵軍は、騎士を中心に一斉に動き出した。
 規則正しい動きではなく、統率も取れていない。ただ、門を目指しているのだ。

 先頭が門に到達する寸前に、門が内側に開かれた。

”開いた!”

”進め!勝利は我らの物だ!”
”何が神殿の主だ!所詮は何も知らない平民だ!”

 誰が叫んだのかわからないが、集団での声はまたたく間に広がっていく。
 そして、皆が一点を目指して殺到する。門を突破すれば何かが変わると思っているのだ。帝国に移住して、幸せな生活が出来ると考えている。貴族たちも、先を争うように門に向かっている。王国にいれば、いずれ粛清されてしまうのは間違いない。派閥に損害を与えた上に、公爵や侯爵に恥をかかせたのだ。主導したのは、子爵家だが二つの男爵家も同類と思われている。帝国に行くか、公爵が欲しがっている神殿が所有するアーティファクトを入手するしか道がないのだ。

 神殿が所有する関所を占拠して、帝国と交渉する。
 神殿を攻略したと言っている若造を騙して、アーティファクトを我が物にする。子爵が思い描く輝かしい未来が、手を伸ばせば届く所まで来ている。

 それが幻想だったとしても、幻想と気がつくまでは・・・。現実に絶望する瞬間までは、子爵は幸せで居られるのだ。

 門は5m程度進めば突破出来る。
 突破した先には開けた場所がある。平静を欠いた軍ほど脆いものはない。ただの群衆と化したリップル元子爵軍は、勢いのまま門を突破した遮るものがない場所を突き進んだ。

 そして、2万を割り込んでいた兵のすべてが、関所の門を通った所で、門が閉じられた。
 門が閉じられただけではなく、なぜか何もなかった門から弓矢を持った完全武装の兵が現れて、5mの関所の中で陣取っている。誰も居なかったはずの関所の壁の上にも同じ様に、弓矢と魔道具ボウガンを装備した兵が等間隔に並んでいる。よく見れば、石壁の隙間から魔道具魔法射出銃を構えた者たちが居る。

 揃いの防具は見るものを威圧する。

 ヴェストは、一射目を命じる。

”撃て!”

 命令を受けた者たちは、リップル元子爵軍の足元を狙って斉射する。

 今回の戦いで、神殿の守備隊が攻撃したのは、この最初に斉射した場面だけだ。
 あとは、勝手に崩れていった。門をむやみに攻撃する者。壁に登ろうとするが失敗する者。仲間を攻撃して生き残ろうとする者。

 ヴァストは、一射目が狙い通りの効果を発揮したのを確信してから、内門を閉ざした。

 ヴァストがやるべき事は中の奴らに呼びかけるだけだ。
”武装を解除して、神殿に下れ”

 愚かにも、神殿に武器を向けたことを後悔すればいい。
 ヴァストは、殲滅してもよいと考えていた。ただ、ヤスが殲滅ではなく主導者を捕縛しろと言ってきているので、それに従っている。子爵家や二つの男爵家が民衆にしてきた内容を考えれば、1度や2度ころした位では物足りない。殺したいほど憎んでいる人間も一人や二人ではない。ヴァストもその一人だ。

 だが、皆はカイルが言い放った
『別にどうでもいい。俺は弟や妹とイチカと仕事をしてヤス兄ちゃんを助ける!』

 ヤスはカイルとイチカと子供たちに約束した。
 リップル子爵に後悔させると・・・。形だけの謝罪を引き出すのは簡単だと思っている。しかし、カイルやイチカは謝罪を求めていない。
 大人たちも、カイルとイチカを見習った。だから、ヤスの嫌がらせに賛同した。

 結果、2万に届きそうな人間が関所のトーアヴァルデに捕らわれた状態になっている。
 腹も減って、体力も限界になっている。気力を失った者から、壁に背を預けて座り込んでいる。夜は眠れるようになっただけでも良かったのかも知れない。安全かわからないが、魔物の襲撃はない。
 一人、一人と死んだように眠っていった。

 そして・・・。
 リップル元子爵軍が関所に捕らえられてから、3日目の夜。

「マルス」

『はい。マスター。検査は終わりました』

「実行してくれ、結局、残すのは何名だ」

『179名です』

「意外と少ないな。もう少し多いのかと思った」

『神殿の基準で犯罪者も除いております。個体名リップル子爵の取り巻きだけ残します』

「そうか、処理を始めてくれ」

『了』

 ヤスとマルスが行っているのは選別だ。
 子爵軍の中で、リップル子爵や男爵の取り巻きを除いた者たちを神殿に取り込むのだ。
 もちろん、犯罪者や神殿に有害になりそうな者は、迷宮区で過ごしてもらう。紛争や戦争や討伐以外での殺人を行った者は、犯罪者として認定している。村から無理矢理連れてこられた者たちは、アシュリで解放する。戻りたい者は勝手に戻ってもらう。そこまで、神殿が面倒を見る必要はない。
 残りたいと言った者も、アシュリやローンロットに分散してもらう。

 残った179名は、辺境伯に引き渡す。話の都合で数名は死んでしまう可能性もあるが気にしない。
 王国の法で捌いてもらう。出来る限りは捕縛する。

 その前に、せいぜい苦しんでもらおうと思っている。

 179名は、マルスの指示で潜入していた栗鼠カーバンクルの眷属が魔道具を使って眠らせた。

 眠っている間に、他の者たちを処理したのだ。

 翌日、取り巻きの一人の声で、リップル元子爵は目を覚ます。

「閣下。閣下。起きてください!」

「どうした!?門が開いたのか?帝国が儂を迎えに来たのか?」

 どこまでも頭の中がお花畑の発言だが、本人は大真面目なのだ。
 昨日も部下たちを怒鳴り散らして門を開けさせようとしていた。命令は出されるが、命令を受けた方はそれどころではない。立つのも辛い状況なのだ。おかげで、子爵たちは生きていられたのだ。連れてきた者たちは、心が折れただけではなく、体力も限界だ。門が開いて助かると思った所で、攻撃を受けた、気力も体力も何もかもがなくなってしまっているのだ。気力が残っている者が10名も居れば、頭が正常に動かせる者が居れば、貴族たちを殺して神殿に命乞いをしたのだろう。

「違います!閣下。誰も・・・」

「なんだ!?はっきりと言わないか?」

「閣下。誰もいません」

「なに?どういう事だ。誰か、説明しろ!」

 説明出来る者が居るとしたら、ヤスとマルスだけだ。
 178名は誰も目の前で発生した事象を正しく子爵に説明出来ない。

 慌て始めるがもう遅い。
 子爵の所に集められていた食料も残りわずか。全員分はもう存在しない。

『愚かにして蒙昧なる子爵閣下。間違えた、元子爵。今そこに残っているのは179名だ。そして、隷属の首輪が178個ある。隷属を受け入れた者から開放してやろう』

 子爵の足元に、178個の首輪が出現した。

『言い忘れた。隷属の首輪は、他人がすると死ぬまで締まる仕組みだ。自分で自分の首に”隷属の首輪”をしろ。それから、残った一人は死ぬまで、その場所で飼ってやるから安心しろ』

 言葉が終わると、179名を取り囲むように鉄格子が出現する。

『お前たちのおかげで、関所の開通が遅れたが、明日にも開通が出来る。そうしたら、ここを帝国や王国の商人が通る。いい見世物が出来た。安心していい、お前たちがどんなに叫ぼうと外には聞こえない。お前たちには外の声が聞こえるようにしてやろう』

 その後、子爵たちが怒鳴ろうが、反応は何もなくなった。
 食料と水が届けられるが、リップル子爵領の農民が一日に食べる平均が届けられるようになる。

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