【都会へのUターン】地獄だった田舎暮らし
「オーナー。どうしましょうか?」
「お前は、何度言えばわかる。俺のことは”まさ”と呼べと言っているだろう!?」
「だって、オーナーはオーナーじゃないですか?」
「いいから、まさと呼べ!次は無いからな」
いつもの朝の風景だ。
俺は、新宿・・・。と、言っても有名な歌舞伎町ではなく曙橋という場所で生まれ育った。
新宿で過ごして大学も新宿にある2流の大学に入った。何も考えずに入れたIT企業に入社した。ブラック企業一歩手前の会社だった。働いて身体と心を壊した。地元に居るのが怖くなった。TV番組で取り上げられていた田舎暮らしに憧れを持って、比較的近くて田舎暮らしができそうな港町に引っ越しを決意した。結婚もした。結婚相手も東京で生まれ育った人だ。嫁もブラック職場で身体と心を壊して田舎暮らしに憧れを持っていた。
嫁との田舎での暮しは、楽しく問題はなかった。
田舎暮しが新鮮に感じていた。見るもの、感じるもの、すべてが輝いて見えた。東京・新宿という街が色あせて見えていた。
それが幻想だったと気がついたのは子供が産まれて幼稚園を探しているときだった。
幼稚園に子供を預けるという当たり前だと思っていたことで批判されたのだ。
周りとの歯車が合わなくなってしまった。
俺たちの行動が監視されているように感じてしまった。
実際には監視ではなく、俺と嫁は10年近く住んでも”よそ者”でしかなかったのだ。
俺の職業も良くなかった。ブラック企業だったが、そこで培った技術は本物だ。その技能を使ってWebプログラマやサーバ運営を行っていた。地方の会社にはまだサイトに毎月5-10万も払っている場合もある。人から紹介されて、そのサイトを月額1万未満(1,000円を切る場合もある)で預かっていた。
クラウドを使うまでもなく、自宅に置いたサーバで運営できる規模の会社がほとんどだった。港町らしく魚を扱ったり、釣り船のサイトだったり、小さいサイトが多くあった。しかし大手ショッピングサイトの営業に騙されて出店していた。出店料の割に売上が出ていなかった。俺には時間が有ったのでそれらの会社に足繁く通ってパソコンを教えたりサイトの作り方を教えたり、都会からやってくるIT営業の相手をしたりして信用と信頼を得ていった。
田舎では旦那が家にいて、嫁が外に働きに出るのは”おかしな家”と認定されるようだ。
子供(娘)を幼稚園に迎えに行くのが旦那だと”おかしい”と言われるのだ。また、俺も嫁も実家とは仲違いをしたわけではないのだが、子供が産まれてから1回しか両親が来ていないのも田舎からしたら”おかしい”と見えるようだ。
娘が通う小学校を選ぶときに、私立に行くという選択肢も有ったのだが、嫁も俺も学歴を重要視していない。娘にどうしたいのかを聞けばいいと思っていた。
これも田舎の人にとっては”おかしい”と見えたようだ。私立に行けるのなら行かせるのが当然。学歴がよいほうがいいに決まっている。子供の進路は親が決める。そんなことを嫁は職場で捲し立てられたようだ。
徐々に嫁の精神がおかしくなってきた。
”とどめ”は娘の言葉だった。
”小学校に行かなきゃダメ?”だ。
娘の話を聞いた。俺と嫁が”おかしい”から娘と遊んじゃダメと友達に言われたと泣きながら教えてくれた。
小学校入学を来年に控えた時期だった。決断するには時間が少ない。
だが確実に田舎にとっては普通のことだが、俺と嫁には違和感しかない状況が頻発した。
娘の数少ない友達が、娘が居ないのに勝手に家に上がりこんで俺の仕事部屋に有ったパソコンで遊んでいた。親に抗議しても”子供のしたことだから”で終わらせようとする。訴訟すると言い出す。都会に住んでいた人は怖いとか、何でも裁判にすればいいと思っているのかとか、俺が悪いとでも言いたい様子だ。
嫁も職場で孤立し始めた。
看護師をしている嫁は、患者には良くしてもらって居る。話も面白い知識も豊富、東京の話とかもできる。嫁は患者からは慕われていた。それがやっかみを産む土壌になってしまっていた。”いじめ”や”ハラスメント”のような行為にはなっていないのが、嫁もいつまでも居ても”よそ者”でしか無いと認識してしまう状況になっていった。
娘が祭りに誘われなかったと泣いて帰ってきた。
もう限界だった。憧れていた田舎での生活はブラック企業から逃げ出したいがために見えていた幻想だったのだ。ブラック田舎という言葉はないが俺たちはブラックな田舎に掴まってしまったのだ。
俺のところに旧友から連絡が入った。
その夜、嫁に話しをした。
「なあ。Uターンするか?」
「ん?Uターンって田舎に帰る事だよね?」
「そうだな。俺とお前なら、東京に帰ることを指すと思うけど?」
「そうね。確かにUターンだね」
嫁は真剣な表情ながら笑ってくれた。俺の表現が面白かったようだ。
「昔の知り合いが新宿で店をやっていたけど、身体を壊して田舎暮らしをしたいと言って俺に相談してきた」
「え?それで、どうしたの?」
「俺が感じたことを全部、正直に話した」
「それじゃ、田舎には来ないのね」
「できれば、田舎で生活したいと言い出した」
「え?どういうこと?なんで?」
「そいつは独り身だし、親の遺産が入ったと言っていた。この家と新宿に奴が持っていた家と店舗を交換したいと言い出した」
「騙されてない?」
「俺を騙すメリットが無いからな。家の権利書と店舗の権利書を先に渡してもいいと言っている」
「乗り気なのね?」
「うーん。6:4かな?お前が反対したら辞めるつもりだ。疑問点を全部潰してそれでも信じられないと思ったら辞めればいい。先方にもそう伝えるつもりだ。それで、先方がダメと言ったら辞めればいい」
「そうね。それなら、前向きに考えましょう」
俺と嫁は、Uターンを前向きに考えることにした。
その上で、娘のためという甘えは出さないと決めた。最終的に俺たちの選択に娘が巻き込まれるのはわかっているのだが、タイムリミットだけを決めて娘には引っ越すかも知れないとだけ伝えた。
俺の仕事の都合で引っ越しをするかも知れないと娘には伝えた。
「パパ!私のためならいい、引っ越ししなくていいよ?私が我慢すれば・・・」
「違うよ。パパが違う仕事をしたくなったから、東京に行こうと考えているだけだよ」
「そうなの?」
「そうだよ」
「わかった。パパ。無理しないでね」
涙が出そうになった。
それから、奴が来ると言ったので会いに行った。陽気で変わらない奴の笑顔に救われた気持ちになった。奴からは新宿の匂いがした。
奴が持っていた家はマンションではなく一軒家だった。親から受け継いだ古い家だと言っていた。場所は新宿5丁目。俺のテリトリーだ。古い家だから解体して立て直したほうが良いだろうと言っていた。更地にするところまでやってくれると言い出した。
俺の方は、今の家と離れだ。離れはサーバが置いてあるのだが、現状維持が決まった。なにか有ったときのメンテナンスと維持費は今の契約の7割を奴に渡す。全額でもいいと言ったのだが、会社を作るつもりも無いし税制上の問題もあるから、顧客との契約はそのままで、奴が俺の会社に雇われる形になった。保険やら税金やらのために3割を会社に残す。顧客が減って契約がなくなっても、契約の7割は変わらないという覚書をいれた。
俺と嫁の疑問点はすべて解決した。
奴も善意だけではない。何もしないで生活できる環境にあこがれていたのだ。独り者だから俺たちのように田舎のコミュニティに関わる必要はなく無視して生活していけばいいと考えていた。事実、生活の拠点は家だが、旅行に出かけたり、釣りに出かけたり、独り者なので買い物も近くの大手スーパーでまとめ買いしたり、それこそ外食で済ませたりして過ごすようだ。
都会になれた者は、よほどじゃない限り田舎のコミュニティに入っていけない。唯我独尊を突き通せば田舎での生活は過ごしやすいのかも知れない。俺には出来なかった。
俺は、奴との交換でUターンすることが出来た。
ただ田舎にあこがれていたときと違って今は田舎を活用していこうと思っている。
田舎には資源が大量に埋まっていた。仕事を与えれば喜んで実行してくれる誠実な人が多い。
ただ、田舎のコミュニティに縛られて呪縛のようになってしまっているのだ。
俺は、奴が持っていた店舗も引き継いだ。店長は奴の幼馴染で優秀な奴だ。奴にそのまま運営を任せても良かったのだが、俺の考えを店長に伝えた。もちろん、断っても問題ないし、店舗を買い取りたいということなら相談に乗るという条件を提示した。
店長は俺の話しに乗ってくれた。
もともと、コンセプトが乏しくて赤字にはならないが儲けも少なかった。奴の知り合いが誰を気にすることなく飲める場所として作ったのが始まりだったようだ。奴が田舎に引っ込んでしまうことから常連が来なくなる可能性を危惧していたのだ。赤字になるようなら店舗を締める考えを持っていたようだ。
俺の提案はよくある物だ。
田舎から安価に仕入れて都会で売る。
俺や嫁が都会に疲れてしまったのは、情報が多いのに情緒を感じることが出来なかったことだ。田舎に住んでみてわかったのは情報の伝達が早いのに情報が多くない。物の価値を自分たち目線でしか測ることが出来ない。
釣り船屋や漁師と契約して市場に出しても値段がつかない魚介類を安く譲ってもらう。
運搬は、田舎で燻っていた者たちに声をかけて中古の冷凍車やトラックを手配した野菜なども田舎のほうが安い場合がある。市場に入られる移動八百屋と提携することで野菜の確保も行った。馴染みにしている場所からの購入も行う。腐っても東京だ。食材は大量に集まる。田舎では入手が難しい食材も”そこそこ”の値段で手に入る。
娘も英語を話せるようになりたいとインターナショナルスクールに通っている。
こうして、俺と嫁のUターンはひとまず成功した。
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