【第八章 リップル子爵とアデヴィト帝国】幕間 ルーサ

   2020/04/18

 俺は、ルーサ。貴族籍はすでに抜けているので、ただのルーサだ。あの夫婦に請われてリップル領で孤児たちを集めたり、攫われそうになるのを助けたり、スラム街で死にそうになっている餓鬼を助けたりしていたらいつの間にかスラム街の顔役の一角を占めるようになっていた。

 裏方仕事が好きな俺には丁度良かった。
 貴族の煩わしさもない。力だけが・・・。力がすべてを支配する場所は心地よかった。すべてを失った俺にはもっともお似合いの場所だ。

 あの夫婦も、孤児院を開設して餓鬼の面倒を見ている。
 どうしても、孤児院に馴染めない餓鬼が出てくると俺がまとめている”シマ”で面倒を見る。

 こんな関係が25年にもなろうかとしていた。今の領主になってから、雲行きが怪しくなってきた。俺の所に流れてくる餓鬼が増えた。餓鬼だけではなく、仕事を持っていた者や一端の冒険者や手に職を持つ者も増え始めた。

 俺は、そんな奴らを受け入れた。
 人が増えると厄介事も増える。俺の派閥は、”盗み”と”売り”と”人殺し”を禁じている。それが嫌なら出て行けと言い切っている。元々、手に職を持つ者が多かったので、文句は少なかった。やられっぱなしは性に合わないので、仕掛けられた戦いなら応戦する。

 リップル領の裏社会では大きな勢力になってきている。表にも根を張っている。スラム街で物を作って合法的に売ったり、他の領に情報を流したり、人数だけならトップ5に入る構成になった。影響度では、トップ3になる。

 久しぶりに、あの夫婦の旦那が俺を訪ねてスラムにやってきた。

「ルーサ。頼み事がある」

「面倒事は嫌だぞ?」

「お前にしか頼めない」

「なんだよ。早く言えよ」

 孤児院なんかをやっていて鈍っているかと思って、殺気をぶつけたが、動じないだけではなく、殺気を返してきた。

「鈍っては居ないようだな」

「お前も同じだな。それで・・・」

 厄介事だ。
 領主と揉める。もしかしたら、息子の1人を殺るかも知れないだと?

「なぁそれなら、俺たちと一緒に逃げ出そう。餓鬼どもも一緒に逃げればいい。レッチュ領ならやり直せるだろう」

「駄目だ」

「な・・・。そうか・・・。アシュリの側を離れないのだな」

「・・・。そうだ。あの娘が眠った場所で、あの娘から守ってくれと託された場所だ。離れるわけにはいかない」

「それなら、俺も、デイトリッヒも呼べばいい。4人居れば、リップル家の私兵なら100や200程度なら勝てるだろう」

 実際には難しいだろうと思えるが、なんとかなるかも知れない。それに、目の間の男は妻と一緒に死ぬつもりだ。殺すには惜しい男だ。

「ルーサ。俺たちの子供を頼みたい。デイトリッヒと一緒に子供たちを、俺たちの最後の子供を頼む。カイルは、お前に似ている。イチカはアシュリに似ている。だから、だから、頼む」

「死ぬつもりか?」

「・・・」

「おい!」

「俺たちが、領主の軟弱な私兵に負けると思うか?」

 卑怯な言い方だ。俺は黙ってしまった。

「ルーサ。頼めるか?」

「報酬は?頼み事なら報酬が必要だろう?用意が出来ないのなら話を蹴る」

「何でも用意する」

「そうか・・・。お前たち二人の命を報酬とする。俺以外の奴に、殺されるな」

「わかった。報酬の支払いは、子供たちを逃した後でいいな」

「そうだな。デイトリッヒは、レッチュ領の領都を根城にしているから、レッチュヴェルトまで行ければいいだろう?」

「頼む。それから、俺たちがあんな青二才に遅れをとるとは思えないが、子供たちだけで先にルーサの所に来るだろう。そのときに、渡して欲しい」

「これは・・・」

「カイルやイチカたちが困らないようにするための物だ。それから、デイトリッヒに渡して欲しい物もある」

「ん?おま・・・。それは!」

 俺やスラムの住民たちが調べた、今代のリップル子爵の当主がやっている後ろ暗い事業や帝国との繋がりを疑われる事案の書類だ。

「いいのか?」

「安々と殺されるつもりはないが、奴らがこれを欲しているのは解っている。表の理由で孤児院の土地を寄越せと言ってきているが、本当の狙いは、”この書類”だ」

「それが解っているのなら、交渉すればいいだろう?」

「したさ。あの屑な息子が出てきて・・・」

「なんか言ったのか?」

「あぁ・・・。イチカを寄越せと・・・。本当の子供ではないのだから、別にいいだろうと・・・。それだけではなく、女児を・・・。俺たちの子供を差し出せば許してやると言いやがった」

「・・・。お前・・。いや、お前たちはよく我慢したな」

「我慢できると思うか?我慢していたら、お前さんにこんな頼み事はしていない」

 おいおい。そりゃぁ決裂だな。完全に、領主を敵に回した。
 話を聞いて納得した。この夫婦に、アシュリの親に、”娘を寄越せ。本当の子供では無いのだろう”は禁句だ。殺されてもおかしくない。それが、片耳を切り落として片腕を燃やしただけで済んでいるなんて奇跡に近い。

「わかった。カイルとイチカが俺のところまで辿り着いたら保護して助けてやる。デイトリッヒが居るレッチュヴェルトまで安全に行けるように手配する。それ以上は、過干渉だ。そのくらいは出来てくれないと、俺の仲間が命がけで得た情報を渡せない」

「それでいい。頼んだ」

 目の前に座る。元パーティメンバーを見る。話が終わって、俺が受けたので安心しているのだろう。
 そして、はっきりと解る。俺の前に座っている男は死ぬ気なのだと・・・。俺が、俺たちが愛した、アシュリが眠る場所を守るために、自分たちが大切にしたアシュリと子供たちの為に・・・。皆・・・。揃って不器用なのだ。

 アシュリが19で殺されていから25年。俺も今年で48になる。目の前に座る男は、59になるはずだ。

「時間は大丈夫なのか?」

 最後の酒宴を開く時間くらいは残されているだろう。
 明日から忙しくなるのは解っている。でも、今だけは、今だけは・・・。すべてを忘れて、目の前に居る男と酌み交わしたい。

「今日は大丈夫だ。領主の屋敷に火を放ってきた。今頃犯人を探しているだろう」

「おいおい。相変わらずだな」

「そんな簡単に性根が変わってたまるか」

「そうだな。今年のワインはいい出来だ。どうだ。飲んでいくか?」

「ルーサの奢りか?スラム街の顔役が、貧乏な孤児院の経営者にたかるなんてことはないよな?」

「いいですよ。お義父さん。ワインくらいならいくらでも奢りますよ」

 ワインとコップを2つ持ってきた。
 コップに並々とワインを注いで、二人で何も言わずにコップを持ち上げる。コップは合わさない。俺も男も解っている。今日が、アシュリの命日になるのだ。

 話をするわけでもなく、お互いのコップにワインがなくなるまで飲み続けた。
 最後の酒宴になるのは解っている。解っているが、言葉は必要なかった。

 俺は、いつの間にか眠ってしまった。
 男の姿はもうなかった。奴が座っていた場所に、古い布が何かを包んで置かれていた。

 俺は、それが何かすぐに解った。
 布は、アシュリが最後の時に着ていた服だ。焦げた痕や血も滲んでいる。包んでいるものは、何かの依頼で一緒になったエルフと人族の夫婦から買った”おるごーる”だ。アシュリが珍しく欲しがって、皆で金を出し合って買ってやった。蓋を開けると、音が流れ出す魔道具だ。アシュリは宝物入れにすると言っていた。

 手紙が落ちる。
 書きなぐったような文字だ。奴の文字で間違いない。

”頼み事ばかりで済まない。カイルとイチカを頼む。俺たちの仇討ちは必要ない。あくまで万が一だ。俺たちが負けるわけがない。だから、ルーサもカイルやイチカと一緒に待っていてくれ。あと、アシュリも一緒に連れて行ってやってくれ、お前に託すのが安心できる。安心できる場所で、アシュリを眠らせて欲しい。俺たちには出来なかったことだ”

 俺は、魔法を発動して手紙を燃やした。こうするのがもっともいいと思ったのだ。

 俺は、街から外に出ている奴らに指示をだした。子供たちが領都まで安全に移動できるルートを確保させた。街に放っている間者の数も倍にした。スラムを出て、レッチュ領に向かうと手下たちにも告げた。一緒に来る者は準備をしておくように伝えた。荷物が多いものは、先にレッチュ領のレッチュヴェルトに向かうように告げる。
 一斉に動き出す手下たち。他のスラム街の顔役にも街だけではなく、領を出ると告げておく。俺たちが本当に居なくなったら、支配している”シマ”を巡って争いが発生するだろう。それは勝手に解決すればいい。俺たちが口を出す性質のものではない。ただ、こんな俺たちでも必要としてくれていた者は居る。
 表の理由を考えて、移動すると告げる。何人かは一緒に行くと言ってくれた。語弊があるな。話をしたほぼ全員が一緒に行くと言ってくれた。

 俺たちの準備が終わったと同時に領主のバカ息子が動いた。
 孤児院をいきなり襲ったのだ。

 当日に、カイルとイチカが俺を頼ってやってきた。あいつに依頼されたように、カイルとイチカに預かった物を渡して、デイトリッヒを頼るように伝える。街から抜け出して、子供の足では遠い旅路になるだろう。それでも、カイルとイチカはしっかりと俺を見て脱出を始めた。
 カイルとイチカの脱出をわかりにくくするために、俺たちの仲間も正当な手段だけではなく、裏の手段を使って脱出を開始した。

 俺もアシュリが待っている場所に逝くつもりでいた。

 最後にアシュリが好きで聞いていた音を聞きながら武器の手入れをして・・・。狙うは、領主の首。他には何もいらない。

 懐かしくも不思議な音が流れる。何度も聞いているから知っている。アシュリと初めて朝を迎えた時にも流れていた音だ。
 もう音も終わる。

”ジージージー”

 終わった。さて、行くか!

”えぇーと。ルーサさん”

 え?なんだ?
 アシュリの声か?

”呼び捨てにしないと駄目だったね。コホン。ルーサ”

 間違いない。アシュリの声だ。

”お父さんとお母さんにお願いした。驚いた?”

 なんだ?
 何が・・・。

”あのね。もしだよ。もし、私が先に死んでも、絶対にルーサは生きて、お願い。私が生きて、頑張って生きていたと、知っている人が1人でも多く居て欲しい。できれば、私とルーサの子供が、ううん。そんなの関係はないね。ルーサ。大好き。これまでも、これからも・・・。一緒に居て欲しい。お願いだから、私が生きていた証を、お願い”

 ・・・

”アシュリ。明日からは、アシュリ・クロイツと名乗ればいいのかな?ルーサ・クロイツさん”

 俺は・・・。俺は、どうしたらいいの?

 ”おるごーる”の中には、俺が送った腕輪が一つだけ入っていた。

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