ショートストーリー

2020/03/20

【感じた重さ】失った物

 確かに、僕は、彼女の・・・君の重さを感じていた。ほんの数秒前に、君は僕の腕の中に居た。

 彼女は僕の前に現れた。僕は、一目見て君を愛する道を選んだ。そして、彼女もそれを受け入れてくれた。僕の心には、彼女がいて、彼女が側にいる日常が当然の事の様に思っていた。
 僕は、彼女の夢を聞いて、彼女は僕の夢を聞いてくれた。そう、二人を別つ事が来ることを考えていなかった。

 僕は、彼女と初めて身体を合せた公園に来ている。あの時は、確かに彼女を身体で感じる事が出来た。
 そして、彼女も僕の重みを感じてくれていた。二人は、これが永久に続くことを、信じて疑っていなかった。”疑っていない事”さえも、考える必要はなかった。
 僕は、今感じなくなってしまった重みをかみしめながら、彼女の後を追うことにした。

 やる事を果たしてから・・・。

 あれは、一年前の同じ日。彼女が、僕の重さを感じる事ができなくなった日。
 何が合ったのかは思い出したくもない。あの日、初めて僕たちはお互いを感じる事ができ、その時、僕は左腕と左目を失った。そして、失ってはならない彼女を失ってしまった。彼女との思い出だけを、心の中にとどめ、全てに決着をつける事だけを考えた。恩には恩で、彼女を屠ってくれた心優しき人。
 彼女は確かに僕の中で生きているし、僕は彼女の甘い誘う匂いや腰の柔らかさ、そして確かに感じる事が出来た彼女を、身体全体で覚えている。失ってしまった左腕で彼女を支え、抱き寄せた。その感触までも残っている。そして、触れた唇、触ってくれた事、彼女の中で果てた事。

 全てが昨日の事の様に、思い出す事が出来る。

 そう、ここで確かに彼女と結ばれて・・・そうして、永遠の別れをしたのだ。もうすぐ”やつら”がやってくる。もうすぐ彼女の所に行ける。それだけを、それだけを、それだけを夢見て僕が今日まで死なないで居た。

 もうすぐだ、もうすぐだ、もうすぐだ・・・・。


「そういやぁ林の奴事故ったって聞いたけど、何やったんだ?」
「あぁいつもの事だよ。」
「なんだ、そうか、それじゃぁ心配する事じゃないな」
「いやそうでもないみたいだぞ、昨日警察から連絡があってな、林の車に細工された形跡が見つかったけど、何か心当たりは無いか?って聞かれたよ」
「え!?そう・・・なのか?」
「え、奥、何か知っているのか?」
「細工か知らないけど、この前林に合ったときに、”車のバンパーに付いた赤色の染みが、どうやっても消えない”とはなしていたからな。”いたずらされているみたいだ”と話していたぞ」
「あぁその話なら俺も聞いたよ。塗り直しても翌日になるとまた同じ場所が赤くなるってな」
「事故起こすような細工には見えなかったからな」
「でも、もう退院するんだよな?」
「来週だって言っていたな、俺が迎えに行くことにしているんだよ。ほら、あいつあれだろ?」
「あぁまだ彼女の事で両親と揉めているのか?」
「そうみたいだよ。そりゃぁ両親としては…なぁ他の男の子供を産んだって言っている女を嫁には出来ないだろうからな」
「うん。林も解るけど、彼女に隠し通すつもりなんだろう?それでいいのか?」
「でも、ほれあいつ高校の時にも…な」
「それもわかるけどな」
「まぁ奥も一緒に向かいに行こうや、1年前見たいに、海見に行こう。男三人でって言うのはつまらないけどね。」
「そうだなぁ林の退院祝いに久しぶりに行くか…」
「よし、決まりだな。俺は、林を迎えに病院に行って、ここまで来るから、奥は、ここで待っていてくれ。」
「あぁ解ったよ。時間は?」
「林に聞いておくよ。退院時間の関係もあるからな、解ったら連絡するよ。」
「頼むよ。それじゃぁ今日は、俺バイトがあるからな」
「なんだ、まだ辞めてなかったのか?」
「そりゃぁなぁ生活が苦しいからな」

 そういって、奥と俺は別れた。一週間後の再開を約束して、俺はそのままバイト先であるレンタルビデオ店に向かった。
 最近、俺のバイト先ではちょっと変わった事が起きている、バイトの更衣室に、古い映画の金田一シリーズのなんだかと同じ様に印が付いているらしい、俺はその古い映画を見ていないから解らないが、映画好きの店長が言っているから間違い無いだろう。
 まぁ誰かのいたずらだろうけど、俺には被害はないし、直接関係ないだろうから気にしないことにしている。バイトだし危害がありそうなら辞めてしまえばいいと思っている。学校を卒業するまでの生活費稼ぎだし、別にここでなくてもいいと思っている。

「き!キャァァァ!!」

 今日のシフトで入っている女の子の悲鳴だ。

「どうした?」
 俺は、近くに居た別のバイトに声を掛けた。

「・・・」
 ふるえて声にならない。俺は、そのバイトを押しのけて、悲鳴がした方に目を向けた。そこには信じられない光景が広がっていた、”ぬいぐるみが、血を吹き出している”のだ!
 それも、二体のぬいぐるみが….ひとつは完全に潰れて原型を残さない様な状態になっていて、もう一つは左腕を切断さて、そして、左目だと思われ場所から大量の血が流れている。
 俺は、今までいろんな事をしてきたし人を傷つける事も沢山してきた。

 でもこんな薄気味の悪いぬいぐるみを見たことない。
 そして、ぬいぐるみは、どこから出しているのかわからない血が、今でも吹き出している。
 ぬいぐるみが俺を見たような感覚になる。そして、流れ出た血が、血が意志でも有るかのように、俺に近づいてくる。

「どうした!」
 そう店長の声で、意識が戻ってきたのが自分でも解った。

「店長。警察に届けますか?」
 俺は店長にそう聞いた。

「必要ないだろう。いたずらに警察を呼べるか?」

「店長…でも、俺の友達に林って交通かの警察官が居ます。そいつに相談してみましょうか?」
「いいよ。たんなるいたずらだろう。相手にすればつけあがるからな、何も無かったかのように振る舞えばいい」

「そうだ、木村お前片付けをしておけ」
「え?!解りました」
 店長は、俺にそういって店に戻っていった。女の子はまだ錯乱していて、話を聞けなかったが、とりあえず落ち着かせる意味もあるので、別室に連れて行った。
 店もこの時間は混むから早めに片付けて、店に戻らないとまた店長に文句を言われる。
 そう思って、ぬいぐるみに目をやると、当然の事だが、血が止まっていた。
 その変わり目線は俺を捉えている、まるで、俺を捜しに来たかのように思えるくらいだ。
 血を吹こうっと流しに向かうときに、何か解らない物に後ろに引っ張られる感覚にとらわれて、後ろを振り向いた。

「え?!」「・・・・」「・・・・・」「・・・・・・・」「なんで?え?」
 俺は自分の目を疑った、その状況に、現実を受け入れる事を脳が拒否しているかのように、状況の確認が出来ないで居た。

「ぉ木村。仕事早いなもうぬいぐるみ片付けたのか?床は明日掃除はいるから滑らないようにしておけばいいからな」

 そう、ぬいぐるみが”いなく”なっているのだ。
 俺は片付けていないし、一瞬後ろを振り向いただけで、俺は”何も”していない。
 でも確かに、そこに存在していたであろう物が存在していないのだ。


 木村の奴大丈夫かなぁあいつ彼女の事をまだ気にしているからな。
 自分が一緒に居ればあんな事にならなかったと・・・。
 彼女の両親にまで頭下げに言ったって話だからな。本人達は、木村が無事だった事を喜んでいるし、彼女も事故だったと思う事にしているんだし、蒸し返さなければ良いんだろうけど、自分が許せないんだろうな。

 まぁ俺が間に入れば問題ないだろうな。
 俺は、そんな事を考えながら、木村を見送った。
 来週か、仕事の納期も過ぎているし、一日休むのは問題ないだろう。

 それに久しぶりに男だけで遊ぶのも悪くない、林の彼女の事や木村のこともあって、三人で遊ぶ事も無かったからな。林には悪いけど、これがきっかけになればいいと思う。
 そんな事を思いながら、自分の会社に戻った。納期を終えたばかりで、皆帰っているが、残務作業が残っているし、来週休みを貰う為にも、やれる事は、全部やっておこうと思う。
 それに…部屋に帰っても、あいつが居ない事の方が辛い。
 木村の事も、林の彼女の事も、そして今の俺の現状も・・・。
 受け入れがたい事だが、やっぱり俺の軽率な行動が、今の結果を生んでいるとしか思えない。

 首筋をひんやりした感触の物が通った。何かに見られている。

 最近、何かから”見られている”と、感じる事が多い。それも何か解らない恐怖も感じる。

 今もその感じが首筋にある。安心を得る為に、首筋に手をやった.何も触る事がない。いつものように勘違いだと思うことにした。

「あぁやっぱりな勘違いだな」
 俺は安心を確信する為に声に出して確認した。
 その瞬間、指に何か触る感触がある。そう、雨でも指に当たったのかと思う様な感触がである。

しかし、指先から手の甲にその雨粒が徐々に移動している、手に付いた雨粒は少し粘着がある。
 .雨だと思い早くその場を離れる。

 そう頭が足に命令しても、足はその場に根でもはっているかのように、一歩を踏み出す事ができない。
 自分でもわからないが、雨に濡れた手を直視するのを拒んでいる。
 指は動く、目も動く、しかし、足も腕も動かない。

 そう左腕だけが動かない。右側に伸ばした左腕が動かないのだ、自分でも理解できない。
 右腕には雨粒を感じない、もちろん頭にも感じる事が出来ないが、左腕だけは雨粒を確認している。

 雨が降っているのだと、心が頭に言い聞かせて、理解させようとしている。

 雨で無いことは、もう頭では理解している。認めたくないのだ。

 右腕で、左腕を手の甲を触ったが濡れている感触がない。
 俺は、そのまま右腕で左腕を確認するように、手を這わせた。
 左腕に、触られていると言う感覚がない。

 そう腕が無くなっているように感じる。
 でも、右手には確かに左腕が存在している感触がある。

 やがて、右手が、有るはずの左肩に来た。肩に触れる右手には違和感がある。右手は確かに左腕が触っている。

 しかし、左肩には左腕が付いていた。そこには、あるはずの左腕の感触がない。
「ぅぅぅぅうぉきゅぅぎゃぁぉぅぇ」
 そう、腕が無くなっている。
 左目の視野も無くなっている。右手には、流れ出る雨の感触だけが伝わってくる…。「そうこれは夢なのだ」「そう俺は今夢を見て居るんだ」

「奥村。奥村。奥村。」
「….ん」
「奥村。あぁよかったぁ連絡が来たときにはびっくりしたぞ」
「ん。木村どうした?」
「どうしたじゃぁないだろう、お前がマンションの前で倒れて病院に運ばれたって聞いたから、俺バイト抜け出してきたんじゃないか?」
「俺、倒れたのか?」
「なんだ覚えてないのか?」
「あぁなんか、左腕が無くなる夢を見て居たのは覚えているけど、夢だからな」

「・・・・」
「木村。悪い冗談は辞めろよ。ほら、有るじゃないか」
 そういって、奥村は左腕を前に出した。

「・・・・」
「・・・木村、これ何だ?」
「奥、その事で刑事さんがお前に聞きたい事があるんだと、それで俺もその刑事に呼び出されたんだ」
「・・・俺は知らないぞ、何も知らないし、何もしていない。俺じゃない」
「解っている。解っている。俺はお前がそんな事出来ない事は知っている」
「でもなんだ、でも、なんだ木村、言いたい事が有るならはっきり言え!」
「・・・・」
 二人の男が入ってきた。

「奥村さん少し落ち着いてください。」
「・・・誰です」
「あぁ失礼、南署の高橋です」「小和瀬です」
 そう言って二人の男は名乗った。

「ちょっとその左手に握られている物についてお聞かせ願えればと思いましてね」
 そう、奥村の左手には刃渡り15cmほどのナイフが握られていた、握られていただけではなく、左腕の肩から手に掛けて真っ赤な血が付着していた。

「見たところ、自分の左腕には傷や怪我がありませんよね。先ほど医師立ち会いで確認させていただきました。そうなると、その血は誰の物でどこで付けられたのかが凄く気になります。お友達の・・・」
「木村です」
「そうそう、木村さんにも来ていただいて、あぁ奥村さんの携帯の発着履歴で、木村さんの名前がありまして、お電話差し上げたら、近くでバイトしていて、さっきまで奥村さんに合っていたって事でしたので、お忙しいとは思いましたが来ていただいて先ほどまで事情を聞いていました」
「・・・」「・・・」

「さて、奥村さん。木村さんのお話ですし、お二人で林と言う友人、あぁ林は南署の”交通課だった”林の事らしいですね。林の事を話していて、西口公園で別れたって事ですが、間違いないですか?」
「えぇ間違いないです。そこから、家に向かって」
「そうですね。奥村さんのお部屋は倒れられていた場所とはかなり離れていますけど、どちらにお行きになる予定だったのでしょうか?」
「え?蒲田にある自分の部屋ですよ」
「えぇそうですね。でも奥村さんが倒れられていた場所は、一年前に転落死があった公園近くのマンションの前ですよ」
「え?俺・・・僕は、確かに部屋に向かう為に、え!?」
「そうです。奥村さん貴方が倒れられていたのは、一年前に当時貴方の恋人だった小沢桂子さんが発見された場所です」
「・・・・。」「・・・・。奥、お前..なんで?」
「知らない。俺は行っていない、桂子の事は、忘れたい・・・俺じゃ・・・」
「しかしですね。事実貴方は、小沢さんが見つかったマンションの前で倒れていたのですよ、左手にそのナイフを握りしめてね」
「・・・・」
「何か思い出されましたか?」
「・・・」
「それに、そのナイフ、どこで買われたのですか?」
「・・・・」「・・・・」

「おや、お二人とも何か見覚えがある見たいですね。今日は、遅いですし、奥村さんも木村さんも混乱している様ですので、明日ゆっくりお話を伺います」
「・・・」
「あの?」
「何ですか、木村さん」
「いや、なんでも無いです」
「何か思い当たる事があるなら、早めに行っていただけるとこちらも調べる手間が省けて助かります」
「いや、本当になんでもないです」
「そうですか、わかりました。何か思い出されたら早めに言ってくださると助かります。調べれば解ることですからね。あぁそうそう、お二人には、明日お持ちの靴を調べさせていただくかも知れません。小沢桂子さんの転落死があった現場に、不明の靴後がいくつか見つかっていますし、それから屋上の手すりにナイフの様な物で付けられた傷もありますからね。その辺りの事を含めてお話が聞ければと思っています」
「・・・」「・・・」

「あ、それから、お友達の林ですが、本日付で退官しています。理由は一身上の都合と聞いています。多分明日は、林さんを交えてお話を聞かなければならないですね。三つの足跡についても聞かなければならないでしょうね」

 それだけ言い残して、高橋と小和瀬と名乗った二人の刑事は部屋を出て行った。
 そして、夜の廊下を歩く音が木霊の様に聞こえてきた。こつこつと遠ざかる足音が何かを遠ざけたがっている二人の気持ちを代弁する様に・・・。

 そして、そこには沈黙だけが残った。医者も看護師も次の患者を迎え入れる為に準備を始めていた、二人は一枚の戸を隔てた待合室の椅子に座っている。ナイフを握りしめていた腕は鈍く重くなっている。それ以上に二人の間には重く苦しい空気が流れている。
「奥、そのナイフ….捨てなかったのか?」
「捨てたよ、公園で捨てたのをお前も見ているだろう?」
「あぁ見ていたよ」
 二人は一変に入ってきた情報で混乱している。

「足跡って言っていたよな?」
「あぁ言っていたな」
「”水を巻いて”消したよな」
「あぁ」
「埃の上に付いた足跡だから、水で流せば全部消えるって言っていたよな?」
「あぁ確かに消えていたし、それ以外の痕跡も全部消したし、ここ一年何もなかったよな?」
「・・・・」「・・・・」
「・・・あれは事故だ!」
「奥村。奥村。解っている、解っている。だから何も言うな」
「ナイフも石も全部捨てたんだから…それに、石は煮沸して…血を洗い流したはずだし…解らないようにもした!」
 きぃ~ドアが開く音がした。そこには先ほどの刑事が二人立っていた。

「おかしいなぁ。何度出口に向かっても、ドアを開けるとまたここの扉の前に戻ってきてしまうんですよね。まぁそのおかげで面白いお話を聞けました。もう少し詳しくお聞きしたいので、署までご同行いただけないでしょうか?」
「・・・・」「・・・・」
 二人はうなずくしか無かった。

 一週間後、二人の元に凶報が届いた。
 林が死んだと言う知らせが届いたのだ。
 林は、夜病院から、見張りをしていた警官二人を振り切って逃亡した。
 病院の中庭に行き、近くにあった石で自分の顔を何度も何度も殴りつけて居たようだ。

 直接の死因は、大きな石が上から落ちてきて林の頭を潰した事だ。

 二人の警官が駆けつけた時には、既に林は死亡していた。

 三人とも自分達のした事を認め話している。
 三人は、奥村の当時の彼女であった、小沢桂子を自殺に見せかけてビルの屋上から突き落としたのだ、原因はいくつかあるようだが、大きいのは、小沢桂子が妊娠し、子供を産むといい出したことにあるようだ。

 そして、奥村が中絶を迫ってた。二人は言い争いから、奥村が、近くにあった石で小沢桂子の頭を殴ってしまった。
 そして、死なせてしまったのだ。それを隠蔽する為に、林に連絡をした。林は、林で奥村からの申し出を断る事が出来なかった。林は結婚を決めている女性を二度犯しているのだ、それも自分だと言わないまま。
 その事を、奥村も木村も知っている。高校の時に、当時の彼女を犯したのは木村と林、そうして二年前に犯したのは林なのだ、その事を知っているのは、三人だけの秘密になっている。林の彼女が産んだ子供は犯された時に出来た子供だが、その子供は事実林の子供だと言う事になる。
 その事実を、今回の奥村の事で白日の下に晒された。

 それが解っているかのように、病院に入院した日に、林は辞職願を提出している。

 そして、残された二人は全てを話て、罪を認めた。

 ただ解らない事がある。
 確かに、あのナイフは捨てたし、ビルの屋上には足跡が残っていない事も確認した。
 血の付いた石が現場に有るはずがないし、石は解らないように工作して捨てたのも確かな事だし、今回の林の自殺も遺書も無ければ何も無い。不可解な事ばかりが残る。そして一番の謎は、血まみれになっていた奥村の腕に付着していた血が人間の物では無かった。


 そして、三日後。奥村が、自分で左腕をドアに何度も何度も挟んで、左腕の組織がめちゃくちゃになるまで挟んだようで、その状態で死亡しているのが見つかった。
 残された、木村は何かを悟ったように・・・つぶやいた。

「そうかぁお前が全部やったんだな。ゴメンな。ゴメンな。許されない事だと解っているけど・・・もう許してくれ、お前達の事を忘れていたよ。本当にゴメン」

 そういって、刑事が持っていたボールペンを奪って、自分の左目に突き刺した。
「俺がやったのはこれだったよな。これで許してくれとは言わないけど・・・もう勘弁してくれないか?罪を償ったら、お前達への罪を償いに行くからな。本当にゴメンよ」
 慌てた刑事が、ボールペンを取り上げたがその時には、既に木村の左目は二度と光を見ることが出来ないであろう状態になっていた。

「ゴメンよ」
 そう木村は、呟くと気を失ってしまった。

「みーちゃん。みーちゃん。どこにいるの?」
「あっママ」
「どうしたの?お手々泥だらけになって!!」
「うん。にゃんにゃんがね。冷たくなっていたの?」
「え?にゃんにゃんが?」
「うん。ほら、いつもみーとママの方を見ていた、三本足のにゃんにゃんだよ」
「あ!それで、みーちゃんはどうしたの?」
「そのにゃんにゃんと約束していた事があったから、その約束を守ってきたの!」
「え?にゃんにゃんと何を約束したの?」
「う~ん。もう大丈夫かなぁ??」
「うん。怒らないから教えてね」
「うん。あのね。ママが、一年くらい前にこの近くの公園で冷たくなっていたにゃんにゃんを埋めてお墓作ってくれたでしょ。あそこの隣に埋めて欲しいって言われていたの」
「・・・え。だって、みーちゃん知らないでしょ…そんな事?」
「うん。でも、そのにゃんにゃんが言っていたよ。ママは優しい人で、他の人が見ぬふりしていたにゃんにゃんをしっかり弔ってくれたんだって。そして、時々お祈りをしてくれていたんだよってね」
「・・・。それ誰に聞いたの?」
「だから、三本足のにゃんにゃんだよ」
 ・・・・・。もしかして、この子の病気が奇跡的に治ったのは…そうなの?

「ねぇみーちゃん。ママと一緒にそのにゃんにゃんを埋めた所に連れて行って」
「いいよ。きっとにゃんにゃんも喜ぶと思うよ!」
 そう確かに”ここ”は、一年前に私が、頭を潰されて死んでいた猫を埋めた公園の花壇だ。
 そして、思い出したときに手を合わせたり、花壇に花を埋めたりしていたが、3ヶ月前まで病院のベッドにいた娘が知るはずもない事だ。

「ここなのね?みーちゃん。二人で、にゃんにゃんに名前付けてあげましょう。二匹が天国でも一緒に入られるようにね。みーちゃんが名前付けてあげて、そして呼んであげようね」
「うん。じゃぁ『ハナ』と『ケン』」
「そう。それじゃ、みーちゃん。二人で名前を呼んであげようね」

「うん。いっせいの」
『ハナ』『ケン』
「(ありがとう。娘を救ってくれて…)」

「(にゃ~)」「(にゃ~)」

「(お礼を言うのは私の方だよ。本当に、ありがとう。安らかに眠ってね!)(名前気に入ってくれた?娘をありがとう。お礼が遅くなってごめんなさい)」

 もう、ハナもケンも答えなかった。

fin

2020/03/20

【消された証】過去の清算

 俺は、消防士をしている。
 よくある話だが、この職業をしていると、”バカ”に遭遇する事が多い。

 今日も、高校生の”ガキ”が、公園で花火をしていると連絡が入った。”警察に言えよ”とも思うが、公園の遊具が燃えていると言われたら、緊急出動しなければならない。

 俺は、大木の様にはなれないだろう。
 やつは、中学生の時に、学校で自殺騒ぎがあり、それが後に事故だと言われて、最終的には、いじめの延長で殺されたと知った。その殺人がきっかけで、同窓会で数名が殺されるという事件があった。やつは、それがきっかけで、今でも収監されている犯人の所に、月イチで通っている。そして、独居老人が増えている田舎町で、独居老人をボランティアで休みの時に訪ね歩いている。
 本人は、罪滅ぼしだと言っている。やつの同級生も何人か紹介されたが、心に傷を持つのか、少し考え方が”普通”じゃなかった。

 今日、警察に引き渡した、”ガキ”も普通ではなかった。3人だったが、3人とも有名市立で、親や親族が、地元ならではの有名人だ。

「所長!」
「おぉおつかれ。引き渡しは終わったか?」
「えぇいつもどおりですよ。警察も受け取りを拒否していますからね」
「まぁそうだろうな。それで?」
「いつもどおりですよ」
「わかった。こちらの義務は果たしたのだから問題ない」
「お願いしますよ」

 どうせ所長の所にも金が流れてきているのだろう。所長もクズだが、それを良しとしている時点で俺も同類なんだろうな。

「佐伯!」

 消防署を出た所で、呼び止められた。
 振り向いた所に居たのは、幼馴染と言っていいだろう。近藤だった

「なんだ。近藤。迎えに来てくれたのか?」
「あぁ高橋に連絡したら、少し遅れると言っていたからな。お前を拾ってから、高橋を拾えばいいだろうからな」

 高橋も、同級生だ。3人でよくつるんでいろんな事をやった。
 だが、俺たちも今年で30になる。この前集まった時に、誰がいい出したかわからないが、”あの場所”に、行ってみようという事になった。

「わかった。それで足は?俺が出すか?」
「お前の乗れるか?」
「乗れるとは思うけど、近藤が車で来ているのなら、そっちがいいよな?俺なら、消防署に停めておいても大丈夫だからな」

 地方都市の消防署だけあって、職員は全員車で出勤してきている。ただ、夜勤明けで車の運転が怪しい場合は、消防署に車を置いたまま帰宅する事がよくある。土地だけは余っているので、職員なら駐車は無料だ。

「そうするか?」
「どこに停めている?」
「その先のコンビニ」
「了解。少し何か買ってから、高橋の所に行くか?」
「そうだな」

 高橋が勤めている会社は、市内にある。車で15分くらいだ。国道を通るか、バイバスを通るか、地元の連中が使う。北街道きたかいどうを通るかだが、近藤はバイバスを通らないで、北街道を行くようだ。時間的に、丁度いいのだろう。
 コンビニで買った、サンドイッチをつまみながら、近況報告をお互いに行う。

 それほど頻繁に会っているわけではないが、社会人になってから、1年くらい会わなくても報告しあう近況報告は少なくなる。
 ネットもある。そのために、自然と話は昔話になっていく。

 俺と高橋は同じ中学で、近藤が隣の中学。高校が、俺と近藤が同じで、高橋が違う高校。小学校が同じとかではなく、小学校の時の塾の合宿に参加したときに仲良くなった。
 3泊4日で、目的地の寂れた港町にある、山?にある”野外センター”で勉強をするというものだった。そこで、出会って意気投合した。

 小学生らしく、かわいい悪戯いたずらも沢山やった。
 そんな昔話しに花を咲かせていた。

 それは、高橋を拾ってからも変わらない。
 高橋は、約束の時間に間に合いそうに無いと言って、奴が働いている会社の入っているビルの地下にある。カフェで待っていて欲しいと言われた。
 30分程度待っていると、高橋が現れた。小腹も空いていたので、3人で軽く食事を摂ってから、目的地に向かう事にした。

 今から向かいのは、寂れた港町。
 俺たちも、なんで向っているのか、正直わからない。俺たちが、小学生や中学生の時の、話に花を咲かせているのには、理由がある。
 高校の時にも、学校は違ったが、よくつるんでいた。3人とも何か部活をやっていたわけではない。バイト先を同じにして、待ち合わせをして遊びに行ったりしていた。

 高校3年生。夏の終わり。


「佐伯。進路どうする?」
「俺は、消防士になるよ。子供の時からの夢だから」
「へぇそんな事言っていたな」

 子供の時からの夢と言っているが実際には違う。
 爺さんから言われ続けて、爺さんが死んでしまった事で、他に選ぶ事ができなくなってしまった”呪い”の様な物だ。

「それにしても、佐伯が消防士とは笑えるな」
「なんだよ。そういうお前はどうする?」

 近藤は、家業を継ぐのだろう。長男だったはずだし、妹だけだったはずだ。

「俺か?多分、高校卒業したら、水産加工会社に就職して、しばらくしたら、修行に出るだろうな」

 おでん屋をやっている近藤としては、それが決められた道なのだろう。
 それに反発する気持ちも有ったのだろう、俺たちと一緒にいる時間が多くなっている。

「そういや、高橋はどうする?」
「俺か?多分、学校の求人に適当に応募すると思うぞ」
「へぇそうなのか?」
「あぁ工業だからな。求人は多いし、殆どが就職だぞ。お前たちみたいなエリート様とは違うからな」

 そんな事を言っているが、俺たちの高校よりも、高橋の入った”科”のほうが偏差値が高い。工業は、”科”ごとの偏差値の開きが大きい。

「あ!そう言えば、佐伯も高橋も、免許取ったよな?」

 俺も、高橋も、5月産まれ。12月生まれの近藤と違って、夏休み中に免許が取得できる。
 就職組として免許の取得が学校から認められるのだ。

「おぉ」「あぁ」
「!!それなら、遊びに行かないか?」
「いいけど、どこへ?」
「どこでもいい。車で出かけようぜ!」
「はぁ車?持ってないのだけど?」
「あぁ大丈夫。俺が免許取ったとき様に、爺さんが乗っていた車もらってある。おやじが言うには、保険も入っている・・・らしい」

 近藤の爺さんの車は、Kカーだ。俺たちは、初めてのドライブで気分が高揚していた。
 目的地はなく、なんとなく車を走らせている。今までは、親父やお袋の車に乗らないと行けない場所にも、行ってみた。

 いつの間にか、辺りは暗くなってきていた。
 時間には、21時近くになっていた。3人とも普段から遊び歩いているので、親たちは何も言わなくなっている。

「そうだ!」
「なんだ、近藤!」
「あぁワリぃワリぃ。クラスの女子共が話していた事を思い出した」
「誰だよ?」
「誰でもいいだろう」「どうせ、飯塚さんだろう?」「っ違う。確かに、飯塚さんの友達らしいけど・・・な」

「そんな事じゃなくて、ほら、飯塚さんたちの町」
「あぁバイバスを行った所にある港町だろう?」
「そうそう、その町の話って聞いたこと無いか?」

 あの町には、いろいろな話しがある。
 野外センターの仏舎利塔に出る火の玉。誰も使っていないのに、水浸しになるトイレ。港の儀式で死んだ男が海に現れる話。元武家屋敷だった場所で夜中に聞こえるうめき声。夜中にプールに佇む子供。中学校の男子更衣室の老婆。いじめを苦に自殺した女子生徒が現れる沢。一度入ったら出られない消波ブロック。

 それぞれに逸話があり、心霊スポットになっている。
 新しくここに、廃業した焼却炉が、夜中に使われている。と、言うものだ。市内なら浮浪者でも居るのだろうという結論になるが、その焼却炉がある場所が、山の中でトンネルを抜けた先にあり、車がなければいけない場所にある。そして、トンネルが車一台が通れるくらいで、もちろん灯りなどない。人が住める場所もない上に、焼却炉も壊れて居るし、事務所だった建物も、土砂崩れで埋まってしまっている。
 その焼却炉で”何か”を燃やしているらしい。煙を目撃した人も居る。その上、土砂で事務所が埋まったときに死んでしまった。夫妻を見たという証言もある。この山を流れる沢が、いじめに苦しんだ女子生が自殺した沢の上流で、女子生徒とその両親では無いかとも言われている。

 そんな話を、車の中で近藤がした。

「それじゃ俺たちでその心霊スポットの真贋を鑑定してやろう」
「はぁバカじゃないのか?」

 しかし、高橋が運転する車は、バイバスに入っている。港町に向かう進路を取っているのだ。
 バイパスに入ってしまうと、あの町まで一直線だ。20分くらいはかかるだろうが。近藤が、愛しの飯塚さんたちが話していた内容を披露した。

 目的地はなかなか見つからなかったが、港町だが、すぐに山がある。狭い町だ。
 話では、港から煙が見える山となっている。この町には、港は二箇所あり、一箇所は小さな港で、地元の人間も殆ど行かないらしい。もうひとつは、灯台があり船も係留してある。バイバスから側道に入る。上り坂になっている側道を上がって、左に曲がる。そして、すぐに右に曲がる。駅方面に向かう。駅で一休みする事にした。地図を広げて確認すると、目的地がわかった。
 焼却炉は書かれていなかったが、港から近くて、山道があり、道幅が狭く、トンネルがある。その先が行き止まりになっている。途中に、プールがあり、さらに奥に行くと、お墓がある場所は、そこだけのようだ。

 車を走らせる。

 トンネルを抜ける。”何も”なかった。
「ほら、何も無い。学校が始まったら、飯塚さんたちに言ってやろう!」

 近藤がこんな話を大声でしだす。普段よりも、大きな声は、何か意図があるのだろう。実際、俺たちの話し声は、普段よりも大きくなっている。怖いわけではない。何も無いのはわかっている。

「なんだデマか?」
「焼却炉なんて無いぞ!」

 ゆっくり走っている車の中から周りを見るが、焼却炉は見当たらない。
 5分くらい車を走らせたら、少し広場の様になっている所が見つかった。

 一旦車を止めて、皆外に出る。

「Uターンして帰るか?」
「そうだな」

 皆同じ気分なのだろう。
 なんとなく気持ち悪い。怖いわけではない。気持ち悪いのだ。車のラジオもさっきから入らない。ライトを付けているのに薄暗く感じるのだ。この町で、霧が出るとはあまり聞かない。

 3人が車に乗り込んで、一気にUターンしようとして、アクセルを踏み込む。
 レーサがやるように、アクセルターンをしようとしたのだろ

「おぃ高橋。車がぁぁぁ」

 横滑りを起こしている。

「わかっている!」

”ドン!”

「・・・」「え?」「・・・」

 車が止まった。
”バン!バン!”
”ギャァァァァァ!!”

「なに?」「え?」

 皆、あわてて車から飛び出た。

「何も無いよな?」

 高橋が震える声で聞いてくる。
 車の周りを見るが、砂利の上に、車が横滑りした後が残されているだけだ。

 夜の街灯がない場所。周りを照らすのは、車のヘッドライトと室内灯だけだ。暗い。上を見上げると、星や月が出ているが、光が差し込んでいないかのように、辺りは真っ暗。漆黒の闇だ。

「確かに、人の声だったよな?」
「違う!そんな事はない!どこに、人なんていない!」

 車の後部座席の窓に、”人の手”の跡がある。徐々に赤くなっている。

「高橋。近藤!後ろ!」

 二人が後ろを振り向く。俺には、そこに”誰か”が居たように感じた。

「脅かすなよ」
「まったく、何も居ないよな・・・佐伯・・・どうした?」

 俺は、左腕に激痛を感じる。何かに握られて居るようだ。すごい力で、上腕を掴まれている。
 掴まれているところを、触るが何も無い。上腕が間違いなく締め上げられている。

 引っ張られる。俺だけじゃなく、皆も、同じ上腕を抑えている。車からどんどん離れていく。
 引きずられている。崖なのか、暗闇の方に、そこになにがあるのかわからないが引きずられる。

「やめろ!!!!」

 ふっと上腕を握る力が弱まる。
 高橋と近藤の腕を掴んで、車に戻る。

 運転席に座って、エンジンをかける。

 アクセルを踏み込むが車が前に進んでいる感覚が無い。

 フロントガラスや窓ガラスに、手形が浮かび上がる。赤く、赤い手形が無数に出ている。

「どけぇぇぇ!!!」

 前輪が空転していたのが、急激に地面をとらえて、車が急発進する。

 どこを走ったのかわからないが、トンネルを抜ける。周りの音が戻ってくる感覚になる。
 そうだ、トンネルを抜けてから、音が、虫の鳴き声が、エンジン音が、何も聞こえなかった。
 音が聞こえるようになると、ガラスを覆っていた手形が綺麗に消えている。何もなかったかのように・・・。

 山道をゆっくりと走りながら旧国道に戻る。街灯の下に車を止めた。

 何もいわないで、車から出て、確認する。傷どころか、車には、なんの跡も残っていなかった。
 高橋も近藤も、不思議そうに、気持ち悪そうに、車を確認している。

 そうだ、上腕は?

 掴まれていた場所を確認すると、4本の線が入っている。ただそれだけだ。太めの鉛筆で引いたような線だ。長さは、5cmくらいだろうか。高橋と今度にも、同じ跡が残されていた。左上腕に、4本の線ができている。どこかで、できた線なのだろう。そう考えるしかなかった。

 それから、どうやって帰ったのか覚えていないが、てっぺん近い時間になってしまったが、お互いの家の前で別れた。

 あれから12年。
 運転は、近藤から高橋に変わった。

 この辺りは、12年くらいじゃさほど変わらないのだろう。コンビニができたり、パチンコが潰れたり、その程度の変化はあるが、山道に入ってしまうと、何も変わっていないように思える。

「そういやぁ高橋。焼却炉ってあるのだろう?」
「あぁ調べた」

 あれから、俺もしばらく新聞を読むようになった。2日が経過して、4日が経過して、1週間が経過したくらいでやっと落ち着いた。

 高橋も気になって調べたようだ。焼却炉だけではなく、トンネル事やいろいろだ。

 焼却炉が有ったのは事実だったらしいが、事務所とかはなく、近くの農家がゴミをまとめて燃やす場所になっていたようで、実際に、12年前にはすでに使うのを禁止されていたようだ。あの広場は、ゴム集積所になっていて、月に数回。あそこまで、ゴミ集積車が上がっていって、回収する事になっているらしい。焼却炉は、広場の下に有ったらしい。
 そして、あの山のトンネルの先は、東京の物好きが購入しているらしい。トンネルの先は、私有地となって立ち入りが禁止されている。

 そんな話をしていると、トンネルが見えてきた。
 街灯が切れている状態では暗くて確認できないが、確かに、記憶にあるのと同じトンネルが目の前に見えてきている。

 トンネルの中に入る。高橋がハイビームにする。そのまま、車が暗闇を照らしながら進んでいく。狭いトンネルを抜ける。記憶している場所はもっと上のハズだ。

「どうする?」
「せっかくここまで来たから歩くか?」
「そうだな」

 車を、柵の前で止め、懐中電灯を手に持って外に出た。
 こんなに、空が近かったか?
 虫の鳴き声や、草木が揺れる音がしている。星や月明かりで十分明るい。柵を超えて、悪くなってしまっている道路を進む。

 10分くらい進んだのだろうか?
 広場になっている所が見えてきた。目的地だ。

 広場の真ん中まで歩を進める。やっぱりなにもない。

「佐伯!!」
「あぁ?」

 痛い。左上腕がすごく痛む。
 なんだ?どうした?

 横を歩いていたはずの近藤を見る。は居た。近藤も左上腕を抑えている。

「近藤!?高橋は?」

 高橋は、俺の左隣に居たはずだ。
 懐中電灯で、地面を照らすが、足跡もなにもない。もともと、そこに存在していなかったかの様だ。

「近藤!高橋は、ど・・こ?え?こ・・・ん・・・ど・・・う??」

 さっきまで近藤は居た、腕を抑えて、うずくまりそうになっていた。確かに居た、近藤も高橋もいなくなっている。

 左上腕に激痛が走る。
『ボクハオマエダケハユルサナイ!』

 誰だ!
『ボクヲワスレタヨウダネ。オモイダスマデタノシンデアゲルヨ』

 指が!俺の指が!
『ユビゴトキデ!!ボクハオマエニハネトバサレタ!!』

 はぁ誰でだよ。
 俺の指・・・ぎゃぁぁぁ今度はなんだ!近藤!高橋!助けろよ!
『フタリハコナイヨ。セイカクニハコラレナイヨ。モウシンデイルヨ』

 嘘だ!そんな・・・いてぇぇぇ何する。お前、出てこい!
『ホラショウコダヨ』

 近藤と高橋。おまえた・・・ち?
 えぇぇ??タぁもぉしちのいみにみちエぇピぃかいにすな??
『アァァコワレチャッタ。ナオセナイカナ?』

「大木。悪いな」
「いえ、大丈夫です。佐伯が無断欠勤ならしょうがないですよ」
「わるい。そのかわり、佐伯が見つかったら、休み交代させるからな」
「いえ、いいですよ。どこかで、抜けさせてもらえれば十分ですよ」
「そう言われてもな・・・そうか、そろそろ命日か・・・」
「え?あっその日だけは申し訳ないです」
「大丈夫わかっている。それに、昨日も、ムショに行ってきたのだろう?」
「え?あっはい。変わりないことだけ確認してきました」
「そうか・・・それにしても、お前の同級生ってよりも、同郷でクラスも同じなのだろう?」
「えぇそうですね」
「キャラクター豊かだよな」
「そうですね」
「刑事と、殺人犯と協力者?に、弁護士、お前も、普通なら濃い方なのだろう消防士なんてな。ITで有名になった奴も居るのだろう?医者と看護師や自衛官も居るよな?」
「えぇそうですね。あと、料理人と学校の先生ですかね」
「すごいって言葉が悪いけど、すごいな」
「えぇそうですね」
「それらが全員集まるのだろう?」
「いえ、二人はまだ来られませんからね。あと15年くらいですかね」
「そうだったな。お前たちは、許しているのか?」
「わかりません。少なくても、俺は桜と朝日の味方ですよ。もちろん、桜が許しているのなら、安城も飯塚も、やった事は最低だけど・・・」
「そうか・・・」

 消防署の電話がなった。
 出動要請ではなく、事務所の電話だ。

 所長が電話に出る。小さい消防署だからそうなってしまうのだろう。

「大木。お前にだ!森下桜と名乗っている」
「桜?珍しいな」

 大木は、やっていた書類作成を一旦止めて、電話に出る。

「桜?珍しいなどうした?」
『悪いな。靖。仕事中に・・・お前の家にかけたけど出なかったからな』
「いや。別にいいけどなんだ?」
『正式には、うちの上から連絡が行くと思うけど、佐伯が死体で見つかった。それも、少しだけまずい状況だ』
「え?どういう事だ?」
『さっきのは所長か?』
「あぁ」
『10分後くらいに少し出られるか?』
「大丈夫だ」
『ありがたい。美和も呼んでいる。あと、克己と沙菜もだ』
「そんな事なのか?」
『わからん・・・だから、お前たちの意見を聞きたい』
「わかった。それでどこにいけばいい?」
『10分後に、克己と沙菜が迎えに行く』
「わかった。都合を付けておく」
『たのむ』

 大木は、電話を切った。

「所長。少し出てきていいですか?桜がなにか、個人的に相談したいって事ですので、連絡はつくようにしておきます」
「あぁいいぞ。本当なら、今日お前は休みだからな」
「ありがとうございます」

 着替えた所で、克己が運転する車が、消防署の敷地内に入ってきた。

「悪いな。克己。沙菜も久しぶり」

 3人は、簡単に挨拶を交わした。
 実際には、沙菜と大木は、3年ぶりくらいの再開だが、そんな感じはしない。

 車は、5分くらい走って、国道沿いにある漫画喫茶に入った。
 克己が手続きをして、カラオケルームに通された。克己や桜がよく使う方法だ。内緒の話をするのに丁度良いのだと言っていた。

 すでに全員揃っていた。
「それで桜どういう事だ?佐伯が死んだ事は、まぁ良くはないが、正直どうでもいい。少しだけまずいってどういう事だ」

 桜は、全員を見回すようにしてから
「大木以外には、ちらっと言ったが、佐伯消防士が見つかった場所が、あの場所で、真一に頼んで買ってもらった土地だ」
「桜?大丈夫なのか?」
「あぁ真一には連絡した。そっちに警察が行くかもしれないってな」
「そうか、でも奴なら大丈夫だろう?どうせ、デスマ中だろ?克己!」
「真一の奴は、桜の連絡をいい事に、俺に仕事を振ってきやがった」
「受けるのか?」
「あぁ」

「すまん。桜。それで?」
「”まずい”のはこれからだ、あの場所では無いが、あの場所から下がった場所の広場があるだろう?」

 皆がうなずく
「あそこで、死体が4つ。一つは白骨化していた。見つかった」
「その中の一人が、佐伯って事だな。あぁそして、残りの二人は、克己と真一の知り合いだ」

 皆が沈黙する。
「白骨化した死体は、12年前に行方不明になった、克己と真一の学校の者だ」
「桜。12年前って、行方不明事件か?」

 話は皆知っている。克己と美和に関しては、警察に何度も尋ねられている。
 今回死体で発見された、佐伯/近藤/高橋からいじめられていた。一人の生徒が夏休み明けに居なくなったのだ。佐伯たちが何か知っていると思っていたが、3人は知らないと言っていた。確たる証拠がないまま、行方不明で処理されてしまっていた。

 彼らが大切にしている。昔、寺が有った場所の近くを、流れている沢までは、距離があるために、今回はそこまで警察の手が入ったり、マスコミが入る事は無いだろうが、どこからか嗅ぎつける者が居ないとも限らない。
 それに、彼らとあの山の関係を知られたら、興味本位で取材と称した暴力行為を受けるかもしれない。

「桜。それほどなのか?」
「そうだな。早ければ、今日の夕方のニュースで取り上げられるだろうな」

 死んだ二人は、左腕が切り落とされていた。致命傷は、首を深く切られた事らしい。

 そして白骨は、一部、高橋の車の荷台から発見された。掘り起こされた場所も特定している。そこには、車で轢かれた跡が残る衣服も見つかっている。佐伯は、自分の腹に切断に使ったと思われるボロボロの包丁を指していた。近くには、のこぎりも見つかっている。土の着いたスコップも一緒に見つかっている。

 警察は、佐伯が高橋と近藤を殺した後で、自殺したと見ている。
 12年前の行方不明事案に関係した3人が、それを確認しようとして、仲間割れをしたのではないか?
 奇妙だが、それで説明ができる。

 奇妙と言えば、3人の左上腕の同じ位置に、一つの黒い線が残されていた。

fin

2020/03/20

【消えない絆】それぞれの思い

 僕には、彼女が居る。他の人には見えないが、僕には彼女を感じる事が出来るし、彼女を見ることができる。
 彼女とのであいは、かなり前にさかのぼらなければならない。僕と彼女は、世間で言う”幼なじみ”の関係にある。僕が、彼女を好きだって事に気がついて、彼女が受け入れてくれたのは、つい最近の事で、彼女が肉体を失った日になる。

 彼女が好きなアニメの劇場版のチケットを買って、日曜日に映画に誘った。彼女は友達と行く予定だったようだが、僕の誘いを受けてくれた。

 そして、映画を見る前に、待ちの駅前の喫茶件で僕の気持ちを打ち明けた。
 彼女は、わかっていたのだろうか、すぐに返事をくれた。

「私も、幸宏君の事、好きだよ」

 そして、言葉を続けた
「気がついていた?美久も幸宏君の事を見ていたの・・・を」

 僕は、正直に美香に告げた。「気が付かなかった」と・・・。
 僕は美香だけが居ればいい。美香がどこにいても見つける事が出来るし、美香を感じる事ができる。

 僕の美香への気持ちを、美香に熱く語っている。そんな僕の話を美香は微笑んで聞いてくれる。

 でも、美香は優しく微笑んで
「私が居なくなっても、私を探さないでね。美久に優しくしてね」
 僕は、このセリフの意味を理解する事が出来なかった。

 これから起こる悲劇を考えていなかった。

 お盆の真っただ中の8月16日。僕たちは、喫茶店を出て、この街唯一の地下道を通って映画館に向かっていた。

 この日地下道を歩いたのには、理由が合った。地上が太陽の日差しで暑かった事もあるが、地上でお披露目するビルの取材が行われていて、通りがふさがれていて、歩きにくかった。

 しかし、この選択を僕は後々まで後悔する事になる。

 9時31分。事故が発生した時間だ。

 完成を控えたビルの地下部分で、ガス漏れから引き起こされたガス爆発が発生した。
 僕達は、このビルの前を通り抜けて、50m 位の所を歩いていた。後ろから、鼓膜を突き破る爆音と一緒に瓦礫が飛んで来た。

 爆音や瓦礫の後に襲ってきたのは、猛烈な炎の乱舞だった。

 僕は、壁際に吹き飛ばされて強く胸を打った。息が止まる思いがした。
 しかし、これは序章でしか無かった。その後の炎の乱舞で、僕は身体の左半分を業火にさらすことになる。

 僕は、美香だけは、美香だけは守らないと・・・握っていた、美香の手に力を込める。強く握り返されるのがわかる。美香を引き寄せる。僕の身体で、美香を業火から守り抜く。

 僕は、この時まで美香の手を握っていた。確かに、左手で美香の手を握っていた。

 しかし、握っているハズの左手には、美香の重さを感じる事が出来なくなっていた。

 そこで、僕の意識は闇に閉ざされた。

 次に、僕が左手に美香の手を感じたのは、病院のベッドの上だった。美香の右手は、僕の左手に確かにあった。
 しかし、右手の先にあるハズの美香が居ないのだ。

 そして、僕は左半分のから来る激痛を感じて、改めて周りを見回した。
 両親と幸昭の姿があった、そこにいるハズの、美香がいない。

 声が出ない。左手には、確かに美香の右手が見える。僕が、美香にプレゼントした指輪もしている。

 でも、美香が居ない。僕は、左半身の火傷を追ったが、命に別条ない。身体の一部のやけど以外は、問題ないようだ。

 そして、僕は痛みを堪えて、聞いた。
「美香は、どこに居るの?右手だけここにあるのに?」

「美香ちゃんは見つかってないの?」

 僕は、母親の言っている意味が解らなかった。
 そもそも、これから映画を見ようと思って、地下街を歩いていた、僕たちがなんで病院のベッドに横になっているのか?理解できない。

 そして、なぜ美香の右手だけが僕の左手にあるのか・・・・。

 消防士らしき人が入ってきて、僕の話を聞きたいとの話だった。
 消防士は、大木と名乗った。ナース・・・看護師のお姉さんの同級生だと話していた。

 先に僕の置かれている状況の説明をお願いした。

 大木さんが言うには、完成間近のビルの地下で、テナントの工事が行われていたが、そこでガス漏れ事故が発生して、1店舗で小さな爆発が発生し、その隣接していた店舗を巻き込む形で大規模なガス爆発に発展したとの話だった。

 そして、地下道に逃げ場を失った爆風と炎が吹き抜けていった。

 まさにそこは生き地獄だと言っていた。
 地下道は、全長700m程度の小さな物だった。その地下道の中で、今のところ生還が確認出来たのは、僕を含めて2名だけ。

 そして、僕は爆発から 4日間意識を戻さなかった。今も地下道では懸命な救出作業が行われているが、生存者は確認されていない。
 絶望的な状況だと言う事だ。

 僕は、恐る恐る聞いた
「美香は、僕の彼女は?」

 大木さんらの返答は機械的に
「まだ発見に至っていません」だった。

 そして、その場に居た医者は変な事を言い出した
「君、幸宏君の左手は握った状態で炎に晒されてしまって、指が癒着してしまって、開くことが出来ない」

 そんなはずはない。
 僕の左手は、美香の右手をしっかり握っている。
 僕には、解るのだ。美香の右手である事と、右手が脈打っている感覚が、美香は生きている。

 それから数日後、”美香の遺体が見つかった”と、連絡が入った。

 遺体は、綺麗な状態で全身が確認できる状態だった。
 最初の爆風で壁に打ちつけられたときに、頭を打ったのが原因ではないのか?っと言うことだった。

 しかし、美香は僕の左手と繋がっている。ここにいるのだ、僕にはそれが解るし、僕には美香だけ居れば十分だ。

 それから、数年が過ぎた。僕は、まだ左手に美香の右手を握っている。美香が存在している事の証明として、僕はこの手を離すことはないだろう。

 そんな時に、美久から呼び出された。
「いい加減にして、私だって、美香が居なくなって寂しいの、あなたが何時までもそんな事をしているから、美香はあなたを忘れてくれない。」
「私は、あなたが好きなの、美香を見ている・・・あなたが好きだったの・・・」

 そう言って、僕の左手を握ってきた。僕は、美久の手を振りほどいて、美香が待っているベンチに急いだ。

 そして
「美香は生きているよ、君たちには見えないのかも知れないけど、美香は居るよ僕を待ってくれている」

 美久は黙って僕を見送った。
 僕たちは、手を繋ぎながら、美久の方を振り向いて、手を振ってその場を立ち去った。

 僕は、この日ある決心をしていた。
 僕は、美香の居る場所に旅立つ事を考えていた。

 美香は確かに、僕の側に居るし、感じることもできるが、話すことができない。

 僕は、美香と一緒に居て、もっといろんな事を話したい。
 学校の事、友達の事、そして二人の将来の事・・・。

 だから、僕は、旅立つ決意をしていた。

 美香は黙って僕の話を聞いて、うなずいてくれた。

 美香は、僕と一緒に居たいと思ってくれている。でも、僕には、来てほしくないようだ。美香は、美久の事も大切に思っているのは知っている。
 僕に、美久と一緒に居て欲しいようだ。

 でも、僕は、美香と話せない現状をこれ以上受け入れる事ができない。僕は、美香だけ居ればいい。美香の代わりなんて欲しくないし、必要としていない。

 いろんな方法がある事が解っているが、僕は、僕に相応しい方法を選ぶことにした。
 美香の肉体が見つかった場所で眠るようにしよう・・・っと。

 明日が、ちょうどいいのだろう。
 8月16日。9時31分。僕の魂は、美香の待つ場所に旅立つことが出来た。


 ”おねーちゃんいい加減にして、おねーちゃんはガス爆発で死んだの、幸宏君の気持ちをかいほうして、そして、私の中から出ていって!”

 毎晩繰り返される悪夢に、美久は脅えていた。毎晩の様に繰り返される悪夢。

 美香が幸宏に告白されて、受け入れる”夢”を、そんな夢を見ている、自分と同じ顔を持つ姉の死の瞬間までを・・・・。

 いろんな場面が夢で繰り返される。
 幸宏を目で追っていると、姉である美香と目があう事を・・・。幸宏が、姉を好きだという事を・・・。

 前を歩く二人の背中を見つめている自分を・・・。繋がれた手を・・・。

 その繋がれた手が、姉が、幸宏が・・・爆風で飛ばされる瞬間を・・・。

 右手が無い姉が、幸宏を探している事がわかる。
 でも最後には必ず。

「美久助けて」

 怨嗟の様なこのセリフが、美久の中から消えない。
 私が、二人の仲を嫉妬したから?
 私が、美香の願いを邪魔したから?
 私が、幸宏を望んだから?

 美久は、美香に幸宏が繋ぎ止められているのだと・・・理解した。
 そして、幸宏を美香から解放する事で、美香と幸宏を助けようと考えた。
 しかし、それは最悪な結果を生んでしまった。

 幸宏の自殺と言う形で・・・。
 そして、美久も幸宏と美香に誘われるように、同じ道を歩む。

 同じDNAを持つ姉を求めるように、そして、自分自身を開放するために・・・。

— 現実

 事故から、3ヶ月が過ぎていた。
 幸昭はまだ、目を開けなかった。

「幸昭。幸昭。目を開けて、貴方だけでも・・・貴方だけでも、目を開けて・・・」
 母親の必死の呼びかけも、病室にこだまするだけだ。

 地下街ガス爆発事故。死者15名。負傷者223名。大惨事だ。
 看護師の増田も、当時の事はよく覚えている。病院がパニックになっていた。消防士の大木が、なん往復もしていたのをはっきりと覚えている。

 8月16日。
 美香と美久が、見に行きたいと話していた映画を、見に行く約束をしていた。
 兄である。幸宏が、美香の思いを受け入れたのだ。兄が、美香を選ぶのはわかっていた。
 美久も悲しそうな顔をしていたが、そうなる事はわかっていたようだ。

 最初の爆発で、爆発現場の上を歩いていた4人は、崩壊した、地下街に落下した。その上に、瓦礫が落ちてきて、下敷きになった。
 少し後ろを歩いていた幸昭は、地下街に落ちる事にはなったが、瓦礫の下敷きにはならずにすんだ。

 幸昭だけは、右手切断するという大怪我をおったが、命は助かった。
 しかし、目を覚まさない。まるで、夢の中を彷徨っているかのように・・・。

 そして、二年近くの時間が流れた。

 本来なら、今年が卒業で、今頃4人で進路を話していただろう。

「幸昭。もう二年が経ったよ。幸宏も美香ちゃんも、美久ちゃんも、見つかっているよ」
「幸昭くん。美香も、美久も、君には生きて欲しいと思っているはずだ。早く目を覚まして、私たちの最後の希望なのだから」

 両家の両親が来て、話しをしていく。

 最初の頃は見舞いに来ていた高校の友達も、受験や就職で忙しくなっている。田舎の夏休みは、高校3年生は、車の免許を取り始める。徐々に来る頻度が少なくなって、最近では誰も来なくなった。
 それを薄情と呼ぶには、少し可愛そうな気がしていた。

 8月16日。9時31分。

 増田は、ナースコールが押された部屋に向っていた。
 二年近く、意識を取り戻さなかった高校生の病室だ。本来なら、個室に入る必要がない患者だったが、諸事情があり個室に入っている。ご両親の負担ではない。

 面会時間ではないが、ご両親に連絡をした。
 30分くらいで駆けつけると言っていた。

 増田は、すぐに大木にも連絡をした。ついでに、旦那にも連絡をして、今日は帰れない事を告げた。

 幸昭は、何事もなかったかのように、本当に、少し寝坊した高校生が、ばつが悪そうに起き出した様だ。
 立ち上がろうとするのを、増田が抑えた。すぐに立ち上がれるわけがないと思ったからだ。

 幸昭は、駆けつけた大木から説明を聞く必要がないと言った。
 全部わかっているから・・・と。

 幸昭の両親と、美香と美久の両親が駆けつけた。
 4人の顔を見て、悪さがバレた子供の様な顔をした。

 しばらく、誰も口を開かない。
 幸昭は、大きく息を吸い込んで
「おふくろ。おやじ。おばさん。おじさん。俺、兄貴と美香ちゃん。美久が、いる所に行くよ。ごめん」

 本当に、それだけ言って目を閉じた。4人は、まだ混乱しているのだろうと思っていた。
 そして、幸昭が眠りに入ったのを確認した。今までと違う事に、安堵も覚えていた。

 しかし、幸昭は二度と目を開けなかった。

 そして、唯一生き残った、幸昭も”同じDNA”を、持つ幸宏を追うように、一切の説明を聞かなくても、すべてを理解しているかの様な微笑みを残して、兄と、愛する美久と、兄の愛した美香が、待つ場所に旅だっていった。

fin

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2020/03/19

【笑えない話】仕事を頑張る人

 あぁ今日も終電を逃してしまった。
 しょうがない。いつものように、プロジェクトの進行状況を確認して、問題がありそうなところをレビューしておこうかな。

 僕が務める会社は、ソフトウェアの開発を行っている。小さな地方都市の、小さな小さな会社ですが、幸いな事に仕事が切れる事がない。人手不足とまでは言わないけど、待機工数が発生しないくらいには仕事が充実している。こんな事を言うと自慢に聞こえかもしれないが、僕が開発した”開発ライブラリ”が売れている。
 音声を使って操作コマンド入力を可能にする開発ライブラリだ。各種デバイスで、似たような事ができるようになっているが、それらとは認識率が違う上に、デバイスによる差異をなくしたラッパーまで用意している。一回ライブラリの使い方を覚えれば、違うデバイスでも同じ使い方ができるのだ。僕が作ったのは、それだけではなく、使っている人の声が、聞いている人にどう聞こえるのか?それを、108の感情から割り出すようにしている。感情判定ができるようになっているのだ。急いで聞こえる時には、手順を数個飛ばすようなアプリケーションの構築ができるようになる。画期的なのは、そこではなく、ライブラリが自動的に組み込んだアプリケーションの機能を学習して、最適化を行う部分にある。僕の最高傑作と言っても過言ではない。

 そんな開発ライブラリだが、単体での販売はそれほど多くない。組み込みが容易なために、値段設定は高くなっている。そのために、ライブラリの一部機能だけを使いたい顧客からのカスタマイズ案件が多い。社内要因は、そのカスタマイズや、ラッパーの開発が主な業務になっている。

 僕は、深夜の暇つぶしを始める事にした。
 社内のルールで、帰宅時には全ソースをコミットする事が義務付けられている。いつ倒れてもおかしくない職場(けしてブラックではない)なので、最新版のソースは、ローカル環境と社内サーバにしっかり保存する事になっている。
 文章(仕様書や見積もりや発注書や議事録)は、ローカルには置かないで、社内サーバにだけ保存するようになっている。これらの設定を作ったのは、数年前に他界してしまった。真辺という技術者だ。僕が、頼んで来て構築してもらった。ネットワークから、開発まで一人でできる奴で、都会の会社で火消し部隊を率いていたようだ。

 さて、最新版のソースを取得して・・・。
「増田の所、コンパイルエラーが出ているじゃぁないか・・・。ぉぃおい、このコーディングはなんだ・・・会議中に、奴は何を聞いていたんだ」

 コミットするソースは、最低限コンパイルエラーが出ないようにする事と義務付けている。
 そうしないと、他の人が待機してしまう可能性があるためだ。コンパイルエラーを回避する方法はいくらでもある。これも、真辺の置き土産だが、コンパイルチェックを行った結果を読み込ませると、ソースコードの修正を行ってくれるツールがある。サーバに仕込んでいるので、一通りこれで、コンパイルエラーを回避しておくことにする。最終コミット者に、修正内容がエラー内容と修正前のコードと共にメールで伝えられるというおまけ付きだ。

「恵子ちゃんの所も酷いなぁコンパイル以前の問題だなぁ、ラッパークラスを作ればいいのに、そうすればNULL判定だけでこの部分のソースが綺麗になるし、わかりやすい」
「中村部長も・・・これじゃぁデータに依存しちゃう。データ依存すると、開発コストが嵩むって自分で言っていたのに・・・仕様がわからないから指摘だけだな」

 僕の深夜の時間つぶしはこうして進んでいく。始発が動き出す頃には、一通り僕のライブラリを使っているプロジェクトに対してのレビューが完了する。時計を確認すると、既に7時を回っていた。後2時間もすれば、皆も出社して来るだろう、僕は何時ものように、そろそろ帰ろう。
 ホワイトボードには、何ヶ月か前に書いた、”午後出社”の文字が残されている。まぁ無くても、僕が午後にならないと出社しないのは皆知っているから問題ない。こういう所は、小さな会社で助かっている。大きな会社ではきっとこうは行かないだろう。

 さて、パソコンも落としたし、コミットされたのも確認した。

 さて帰ろう。


「恵子ちゃん。結合してみようかぁ」
「は~い。わかりました。コンパイルは通ると思うので・・・」
「いいよいいよ、納期までまだ時間があるから、インターフェースが正しいかだけ確認しよ」
「わかりました」
「部長。ライブラリも組み込むので、キーを発行してください」
「おぉわかった。それにしても、田中の奴も面倒な事するよなぁ都度キーを生成しないとダメなんて・・・ほら、発行したぞ」
「ありがとうございます。部長それを言ったら、そのおかげでライブラリを利用する事が出来る会社を限定できているんですから」
「あぁわかっている。わかっている。ほら、早く結合しろよ」
「ん?エラーが出るなぁ。ライブラリの組み込みの所だなぁ・・・部長、何か変えました?」
「バカ、俺に弄れるはずないだろう。どうせ、インターフェース関連の問題だろう、ドキュメントみて調べておけよ、ちょっと客先に行ってくる。キーが必要になったら、自分で発行していいからな」
「わかりました。戻りは」
「15時位になると思う。もしかしたら、お客さんとそのまま食事に行くかも知れない。そうなったら連絡する」
「わかりました。誰かに聞かれたら、飲みに行くから直帰しましたって答えておきます」

 ・・・・昼休みも終わって、午後の業務が開始された
「増田さん。わかりました。部長、ライブラリをラッピングする API を作っていたみたいです。それを入れてみたら、うまくいきました」
「あぁそうか、この前の会議で、ラッピング API を使うようにいわれて、そっちに切り替えたんだったな」
「よしテスト始めるか・・・」
「おっとその前に、今のソースをコミットして置くか・・・」
「よしっと」
「恵子ちゃんは、UI 周りのテストを初めて、今回は弱視の人向けになるから、そのつもりでテストをやってね」
「わかりました。テスト仕様書はどうしましょう?」
「あぁ・・・まだいいかな。でも、ひな形が有ったはずだから、メモだけを作っておいてね」
「増田さん。今回は、テスト仕様書の納品はないですよね?」
「うん。現物納品だよ」
「それなら、画面ショットとかいらないですよね?」
「いらない。いらない。テスト項目だけ先に作って、後でレビューしよう」
「了解です。3倍でいいですか?」
「そこまでいらないかな。倍でいいよ」
「わかりました!」

 どうやらテストを始めるようだ。僕の出番はしばらくはなさそうだな。
 テスト仕様書も作るようになったし、大分業務改善ができているよね。でも、増田。倍は少ないと思うけどな。ライブラリを使っているからって、UI周りは新規開発なんだから、コードの3倍くらいはテストしたほうがいいとは思うけどな。まぁプロジェクトリーダの増田が決めた事だから、それでいいのかもしれないな。
 昨晩直した所も無事コミットされたし、さて、ライブラリの拡張でもやろうかなぁそれとも、ラッピング API の方を充実させようか。時間はまだあるから、手つかずになっている。ライブラリの拡張をやってみようか。

・・・・
「よし今日の業務も無事終わり!」
「そうですね」
「恵子ちゃん。時間も早いから、ちょっと飯でもいかない?」
「ゴメンなさい。今日デートなの」
「ぉぃ。またかぁ」
「そ」
「まぁしょうがないな」

 電話がなる音がした。
「はい。はい。そうですね。解りました」
「部長?」
「そ、客から要望が出てきて、バカな社長が、明日にも見積もりを出しますって言ったらしく、今から見積書の作成をやるんだって」
「部長戻ってくるんだ」
「らしいね。恵子ちゃんは帰っていいよ。いかなきゃぁならない所あるんでしょ」
「すみません。今日が、丁度一周忌ですので・・・逢いにいかなくちゃ」
「あぁそうだね。そうした方がいいね。その後で、僕とデートしてね」
「気が向いたら考えます」
「お疲れさま」
「お先に失礼します。部長によろしく言っておいてください。増田さん。私なんかをデートに誘う前に、ナースの奥様に何か買って帰ったほうがいいんじゃないのですか?」

・・・・
「増田君どうだい。出来そうかな」
「出来るとは言いませんが、できる限りの事をします。今日、遅くまでかかりそうですよ。最低でも検証コートを書いてから、流してみないとわからないですよ」
「わかった、ビルの管理会社には、私の方から申請を出しておく」
「よろしくお願いします。このビルで一人は嫌だなぁ」
「まぁそう言うな、後2ヶ月もすれば、新しい所に引っ越しするからな」
「え!?本決まりなんですか?」
「社長が今日決断したよ、それも逢って、その見積もりが重要な意味を持って来るんだ」
「え・・・あぁ・・・この見積もりの提出先が、引っ越し先なんですね。敷金をシステム開発費で減額するんですね」
「まぁ簡単に言ってしまえばそう言う事だな」
「わかりました、全力を尽くします」
「よろしく頼む。私も残るから・・・な」
「いや、邪魔なので帰ってください」
「ぉぃおい。邪魔は無いだろう、『お疲れのようですから、部長は引き上げてください』位の事は言って欲しいなぁ」
「何をいまさら・・・。いや本当に大丈夫ですから、居られても、プレッシャーにしかならないから、帰ってください」
「わかった、わかった。それじゃぁよろしく頼むな。お先」
「お疲れさま。部長、私、明日は午後から来ますね」
「おぉわかった。それじゃ」

 そう言えば、今日、嫁も遅くなるって連絡が来たな。
 数年前から目覚めなかった、高校生が目を覚ましたとかで、対応で忙しくなるとか言っていたな。

 どうしろって言うんだ、これじゃぁ検証コードが動かないぞ。ラッピング API を使って・・・ぉ?
 何だ、このオーバーライド。知らないぞ、誰かが作ったのか?
 ぉぉこれを使えば・・・出来そうだな。よし作ってみるか・・・・。

 23時
 出来た、ラッピング API のおかげだ・・・ん? これって、コミットされてないのか? サーバにだけソースが上がっていたのか?
 う~ん。う~ん。まぁいいかぁ他に影響しそうにないし、この見積もりでは必須の機能だから、コミットしちゃえ!
 さて見積もりの作成を行うか・・・。あぁそうかぁ、掃除の時間か

・・・・
「あれぇおばちゃん達って夜の掃除もやっているの?」
「何いってんだか、夜もこのメンバーだよ、一年前からずぅーとね。」
「一年前からかぁ・・・。」
「そうだね。発見したのも、おばちゃん達だったんだもんね」
「そうだよ、驚いたからね。」
「そうそう、増田さん。時々何だけど、パソコンの電源が付いたままになって居るけど、消してもいいの?」
「え、サーバ室の奴じゃぁ無くて・・・?」
「違う違う。ほら、今日も付いて居るでしょ。ディスプレイは付いてないけど、パソコン本体は動いている音するでしょ」
「夜だと静かだから、音で気がついたんだけどね」
「え!?だって、あのパソコン・・・・。田中さんが最後に使っていた物で、電源が故障して入らないはず・・・だよ」
「そうなの?だって、動いて居るでしょ。ほら音もするしね」

 増田は、パソコンに駆け寄って確認した、確かに電源が入っているし、HDD の駆動音もする。ファンの音も確かに聞こえてくる。増田は、おそるおそるディスプレイに電源を入れてみた。起動していない。ケーブルが繋がって居ないのではないかと思い。確認するが、問題ない・ディスプレイを他のパソコンに繋いでみたが、問題なく使える。
 そして、増田は決定的な事に気がついてしまった。居るはずが無い田中の椅子が暖かいのだ、そして、キーボード・マウスも微妙に暖かいのだ・・・・・・・・。

「あぁ田中さん仕事熱心だったからね」

 掃除のおばちゃんは、そう言ってその場を離れていった。
 心からの恐怖と、そして感情レベルで納得している自分が居る。恵子ちゃんの婚約者であった田中さんは、1年前の昨日、ここで倒れていたのが発見され、病院に搬送された。医師ができたのは、田中さんの死亡を確認する事だけだった。

 掃除のおばちゃんが最後に言ったセリフ「田中さん仕事熱心だったからね」が、頭から離れないでいる。

 会社の引っ越しも決まった。
 しかし、恵子ちゃんの隣の席には、電源が入らないはずのパソコンとディスプレイ。誰も使う事がない、マウスとキーボード。
 それから、田中さんが一番使っていた、コーヒーメーカが置かれている。会社も規模が大きくなって、一時的に机が足りなくなったが、田中さんの席だけは残されている。

 今でも、田中さんの席は誰かが使っている様に綺麗にキープされ、深夜にパソコンが起動されている。

fin

2020/03/19

【見えない手】港町の喧騒

 僕の田舎は、東名高速が通って居ることと、銘産となる海産物があるくらいしか取り柄がない。田舎町だ。
 その中でも、港に近い地区には、昔からの風習が残されている。中学校卒業を間近に控えた、十分冬と言われる季節に行われる行事だ。

 春漁の豊漁と、新しく船乗りになる、男児が行う行事だ。

 僕は、漁師にはならない。高校に進学するし、できれば、大学にも行きたい。伝統行事と言われるが、はっきりって迷惑この上ない。しかし、悲しい村社会・・・漁師ではない僕は、参加を拒否する事はできるはずだったが、円味まるみが参加する。
 村社会が色濃く残る。田舎町では、有力家に逆らう事ができない。僕たちの世代だけの話しなら、それほど困る事はない。嫌なら出ていけばいい。だが、親や兄弟の事を考えると、村社会での生活を維持する必要が出てくる。そして、祖父が円味まるみの船に乗っている事を考えると、拒否する事はできない。

 そもそも、円味まるみの家は、船元の家系だ。円味まるみの跡取りが、僕と同級生で、彼は船乗りになる事を決めている。
 僕には、行事の”参加を断る”選択肢は用意されていない。

 この行事は、漁師になる男児が、”船の上から海に飛び込んで、船の下を潜って反対側から登る”といった儀式だ。船乗りの行事らしく、服を着込んだまま行われる。昔は、沖に出て、服を着たまま海に飛び込んで、接岸した船に上がる行事だったが、死者が出たり、行方不明者が出たり、危険性が指摘されてからは、現在のような形に変更された。

 この形式になってから、けが人は出ているらしいが、死者や、行方不明者は出ていない。もう、20年以上もこの形式で行事が行われている。そして、過疎化が進む町としては、貴重な観光資源だと考えているのか、行事から、祭事になり、最近では、TV局が取材に来たりしている。
 数年前には、タレントが挑戦もしていた、しかし、その時が不漁になってしまった事から、長老たちから批判が出て、タレントや他の地方の人間の挑戦は、行わないようになっていった。

 今年は、何事もなく終わる予定だった。
 僕たちは、”そう”思っていた。しかし、大人たちの雰囲気が去年とは明らかに違っていた。

 縁日の如く、屋台も多数出ている。地方テレビの取材も来ている。

『今年は、円味まるみの跡継ぎが出るのか』
『”また”あんな事が起こらなければいいのだが』
『もうあの頃とは違う。大丈夫だろう?』
『いや、跡継ぎは、似ているらしいぞ?』

 過去に何かが合ったことを示唆している。
 変な空気が港中に流れているが、儀式は例年通りに行われる。

 町といっているが、”平成の大合併”で、市に吸収されたので、正式には、”町”ではないが、住民は”町”と呼称している。
 儀式は、船元達の挨拶から始まる。その後、区長や市長の挨拶が予定されている。以前は、町長だけだったが、市に吸収された関係で、挨拶する人間が増えたのだ。それに、マスコミが来る事から、普段なら欠席するような先生方まで列席している。

 儀式は、暖かい地方だといえ、春はまだ先だ。気温もそこまで上がらない、事実周りの人たちは、薄手とはいえコートを羽織っている。僕たちは、船の上で待機する事になるのだが、伝統的な衣装を着ることになっている。船の上で作業をする時の格好だが、潜る事を考慮して、厚着する訳にはいかない。その上、救命道具などを着けるわけにもいかないのだ。

 寒い格好で、待たされて、その上、十分に冬と言われる海に飛び込むのだ。
 万が一の時の対応も、消防署の指導などで行ってはいるが、長老たちの”伝統行事”という言葉で、安全性が担保されない状況になっている。

 船元が、一人一人儀式を行う男児の名前を呼んでいく、呼ばれた男児は、船元に会釈してから、海に飛び込むのだ。

 僕は寒さとこれから飛び込む海の冷たさに、心と身体を冷やしていた。
 長い長い、区長と市長の挨拶も終わりに近づいてきた。儀式に参加するのは、僕を入れて、6名。順番も決められている。独特の階級があり、最上位に、船元。その後は、船大工・船乗り・船守りと続く事になる。儀式は、階級が下の者から執り行われる。船元にも、力関係があり、順番で揉める事はない。
 僕の家は、祖父が船乗りをしているが、家系的には、船大工に相当する。そのために、順番は最後の方になる。

 今年は、船乗りが居ないので、僕の前に、船守りの田中が行う事になっている。

 田中が、名前を呼ばれて、海に飛び込んだ。
 船から飛び込むのも勇気が必要だ。船は、油を抜いて、計器類も外して軽くしているので、喫水はそれほどではないが、それでも、船の下を潜るのにも勇気が必要になる。田中も体制を整えてから、潜った。水中で吐く息が泡となって現れる。それが、船に近づいて、反対に現れた。無事に移動できた事が解る。後は、今までの4人の様に、上がってくるだけで終わりだ。
 船に上がるには体力が必要になる。冷たい海は思った以上に体力を奪う。縄を使って、船上に上がってきた。観客席に居る人達に一礼して、暖かい格好になっている。

 僕の名前が呼ばれる。
 最初は、かっこよく飛び込もうと思っていたが、田中と同じ様に一度、海に飛び込んでから、船の下を潜ることにする。
 船上から、周りを見ると、同級生の女の子達が何人か見学に来ている。両親や祖父母の姿も見える。心配してくれているのだろう。

 冷たい海に飛び込む。心臓が跳ね上がるのが解る。覚悟を決めて、肺にめいいっぱい空気を取り入れる。

 船底を回るためには、潜らなければならない。そんな当たり前の事も、自分が実行する段階になると、覚悟を決めていても怖い。
 目を開けたくないが、開けていないと、船底にぶつかってしまうかも知れない。ソレだけならいいが、不測の事態に巻き込まれた時に、状況を確認するためにも、目を開けておく必要がある。

 冷たい海。
 港の中とはいえ、暗く深い海。

 手で船底を確認しながら、進む。肺の中の空気が消費される。僕は、大丈夫だ!
 そう言い聞かせながら、船底を深い方に向かって進む。

 船底の先端だ!
 後は、戻るだけだ!

”ビックン”
 何か、足に絡まった。怖い。怖い。怖い。

 急いで、水上に向かう。何か引っ張られるような感じがする。怖いが、確認してみるが、足には何も捕まっていない。だが、確実に、右足に何かが絡まっている。ゴミかも知れないが、掴まれている感じがする。

 陽の光が見える。
 水上はすぐそこだ。

 肺に入っている空気を吐き出して、一生懸命に顔を海から、恐怖から、逃げる。

 顔が水から出る。
 助かった。

 無事反対側にも出られたようだ。
 同級生の女の子達が、拍手と笑顔を向けてくれる。両親も祖父母も安堵の表情を浮かべているのが解る。
 女の子達の笑顔が、僕だけに注がれているわけじゃないのは解っているが、それでも、嬉しい。

 船上から縄が下がっている、登れば、終わりだ。

 船に上がるために、縄に掴まる。

 その瞬間。
 僕の腕を誰かに掴まれた。握っていた縄を離してしまう。

 気のせいだろう。再度縄に掴まるが、今度は違和感はなにもない。
 いつまでも海の中に居れば、体力が奪われるだけで、良い事はない。力を入れて、縄を登る。甲板まで、あと少しだ

”おまえだ!”

 耳元で誰かが怒鳴った。
 腕を掴まれた、右足も掴まれて、海に引きずられる。

 縄を握っていた手を離して、海に落ちてしまった。
 周りを見るが、人が居るわけが無い。こんな大きな声なのに、周りには聞こえていないのか?
 失笑が起こっているのがわかる。

 疲れて、幻聴でも聞いたのだろう。気を取り直して、縄を握る。右手には、不自然と思える跡が着いていた。
 縄を握った瞬間に、右足を握られて、海に引きずり込まれる。

 『やめろ!』
 心の中で叫んだ!それでも、右手と右足を掴む力は弱まらない。

 海に引きずり込まれる。
 この状況になって、失笑していた観衆が、ざわつき始める。僕は、必死に、手足を掴む力に、抗おうとしている。
 
足を掴んでいる”なにか”を、確認しようとした時、

”違う!こいつじゃない!魂が違う!”

 何かが、”そう”叫んだ。
 その瞬間、僕の手足を拘束していた力が無くなった。縄を握って、一気に船に上がる。

「大丈夫か?」
「あぁ」

 船上で田中が話しかけてくれる

「何か絡まったのか?」
「わからない。でも・・・ううん。なんでもない。大丈夫だ」
「そうか・・・」

 田中も何かを感じたのだろう、それ以上、聞いてこない。田中の目線は、僕の右足に付けられている、”握られた”様な痣に向けられている。僕も、痣には気がついているが、勘違いだと思うことにした。
 大人たちは、僕が船上に居る事で安心したのが、儀式を続けるようだ。僕が、今の話をしても、鼻で笑われるのだろう。どんなに、真剣に訴えても、”彼”が海に飛び込むのは止められないのだろう。

 嫌な予感とはこういう事を言うのだろう。
 大声を出して止めたい。”彼”に飛び込むのを辞めて欲しい。でも、誰も・・・・僕以外は、それを望んでいない。

 ”彼”は、僕の方を一瞥して、立ち上がっている。
 縁に足をかけている。”彼”は、船元の跡取り。当然ながら、最後を飾らなくてはならない。僕たちが、儀式用とはいえ安全に気を使われた服装をしているのに対して、”彼”は、昔ながらの・・・伝統的な衣装を着て、儀式に挑むようだ。それが、船元であり、船員の命を預かる者の、”証だ”と、いいたいのだろう。

 ”彼”が縁に立ち上がる。
 ”彼”自信、失敗するとは思っていない。
 群衆も、”彼”が飛び込んで、潜って、出てくる。この流れが違える事がないものだと思っている。

 そして、船に上がって、挨拶をする。

「俺は、円味まるみの者だ。今回の儀式も、誰一人掛ける事なく」

 ”彼”は、ここで言葉を切って、僕を見る。少しだけイラッとした。”彼”は、口上を続ける。聞いていると、ただ普通の事を、大声で言っているだけなのは解る。

 ”っつ!痛!”

 右足に痛みが走る。痣がうずくと言えばいいのか?

「どうした?」

 田中が、そう声をかけてくれる。
 僕と田中のやり取りが気に入らないのだろう、”彼”は、僕たちを睨んだ。

「なんでもない。大丈夫」

 ”彼”の方を見て、頭を下げる。変に、言い訳してもいい結果にならないのは、経験から解っている。”彼”は、自分の話を遮られるのを一番嫌う。尊大だとは思わないが、やはり、”彼”は、円味まるみの跡継ぎなのだろう。

「俺は」

 ”彼”が、僕たちをみて

「俺たちは、成人する。諸先輩方、祖先の英霊。円味まるみの跡継ぎとして、儀式を成功させる!」

 ”彼”は、そう高らかに宣言して、海に飛び込んだ。

 飛び込んだ後で彼がなかなか浮いてこない。通常なら飛び込んだ後で、一旦浮上して、それから船の下を潜るようにする。彼は、一気に船の下を潜ろうとしているのでは?

 その場に居合わせた全員がそう思った瞬間。思いもよらない出来事が発生した。
 僕達が乗っていた船が動き出した。儀式の為に、エンジンは切っていた。しかし、船は確実に動いている。スクリューが回っている音さえ聞こえる。

「キーを抜け!早く!」

 その声に反応するように、船室に向かう。
 しかし、エンジンを回す為のキーは着いていない。

「キーがない!でも」

「「「きゃぁぁぁぁ」」」

 最悪な結果を連想させる悲鳴が港中にこだまする。

「血が・・・血が・・・」

 僕たちは、エンジンの停止を諦めて、船尾に向かう。
 僕たちが、船室を出たら、エンジンが停止した。

 船尾で、僕たちの目の前には、信じられない光景が広がっていた。

「・・・血か?」

 田中が一言だけそうつぶやいた。

 海の中で怪我をした事がある人なら解ると思うが、切断くらいの怪我をしない限り、海の中で血が解るくらいに出る事は少ない。目に見える範囲全部が、”赤く染まる”状態になるとは考えられない。どれだけの血を流せば・・・違う。多くの血が流れ出ても、ここまで広がる事はない。

 この血が全部”彼”の者だと誰もが思った。

 一瞬の静寂。
 永遠だと思える、刹那の時間がすぎ、”彼”が浮上してきた。

 微笑みを浮かべている。眼を開いて、なにかを見つめているようにも見える。

 僕たちは、”彼”が助かったのだと理解した・・・・。

 しかし、”彼”の微笑みは、最悪の結果を覆す事はできなかった。

 ”彼”の微笑みを受けて、観客から吐息が聞こえてくる。
 それが、悲鳴に変わった。

 ”彼”の身体は、永遠に頭の重さに耐える必要が無くなってしまったようだ。

 微笑みのまま、うつぶせになるように、海に顔面を鎮める。
 切断された首が、はっきりと解る。切断面が、観客の方に向けられる。

 悲鳴にならない悲鳴が聞こえる。

 それから、右足・左足・胴体・左腕・右腕。何かを暗示するように、順番に浮かんでくる。

 理解が追いつかない。
 ”彼”はまだ海の中にいるのか?これが、彼だとはどうしても思えない。そもそも、切断された身体は海に浮かぶのか?

 ”彼”の頭部が、”ぐるり”と回って、こっちを見た。誰しもがそう思ったのだろう。これは、”夢”だと・・・。しかし、”彼”の顔は、なにかに怯える様子もなく、微笑んだままだった。
 エンジンがたしかに止まって、スクリューの音もしなくなった。喧騒や悲鳴も聞こえてこない。

 ”ピィーピィー”

 笛の様な高い音が鳴り響いた。

『はっはははは』

 笑い声が、狭い港に木霊する。誰かが笑っているわけじゃないのは解る。確かに笑い声が聞こえた。

 どのくらいの時間が流れたのだろう?
 大人たちが海に飛び込む。女たちの叫び声が”遠く”から聞こえる。

 大人たちは・・・長老衆は・・・”あの時と同じだ”と、言って崩れ落ちてしまった。

 それから、暫くは何が起きたのかはっきり覚えていない。救急車のサイレンが聞こえた気がしたが、それは遠い別世界で起こった出来事だったと思う。
 しかし、現実に彼はバラバラになってしまった。そして、不思議な事にレスキュー隊や海に精通している人達が潜って探したが、彼の右手だけは発見する事が出来なかった。

 それからの事は、僕は覚えていない。どうやって、家に帰ったのかさえも覚えていない。涙を流した記憶も無い。

 そして、数日が経って、彼の右手は結局見つからないまま、葬儀が執り行われた。その時まで気にもしていなかったが、僕が儀式をした時に聞こえた声と僕の足を掴んだ手の事を思い出して、恐る恐る足を見てみた。足には、しっかりと手の後が残っていた。そう右手で掴まれた後が・・・。

 葬儀は何事も無く終わろうっとしていた。古株の言ったセリフが忘れられない僕は、思い切って祖父に問いかけてみた。祖父は、円味の船に古くから乗っているので、何か事情を知っているのでは・・・そう思ったからである。
 僕の問いかけに、祖父は何も答えてくれなかった。しかし、一言、”葬儀が終わったら書斎に来い”それだけ言い残して、その場から立ち去ってしまった。僕は、葬儀が終わるのを待って、祖父が言った書斎に向かった。祖父は既に着ていて、椅子に座って僕を待っていた。

 僕がドアを開けて入る。

「ドアを閉めろ」
 普段とは違うキツイ口調で僕に命令をした。そして、

「足を見せて見ろ」
 僕は言われるがままに、祖父に掴まれた後が残る足を見せた。

 足のあざを見た祖父は、僕を抱き締めて・・・話し始めた。それは、僕にだけ聞こえるように耳元で囁いているようでもあった。

「よかった、お前が無事で、本当によかった。このあざを着けられた者は、全員あいつらに殺されているんだ、よかったお前が無事で・・・本当によかった」

「あいつらって?」
 僕は、好奇心と同じくらいの恐怖心から祖父に尋ねた。祖父は、僕を抱き締める腕を少し緩めながら話を続けた。

「昔、そう俺が儀式を行うよりも昔の話だが、昔は沖から泳いで来る事が習わしになっているのは知っているな」

 僕は、頷いた。

「その時に、悲劇が起こった、一人の青年が泳げないのに、儀式に参加させられたのだ、この儀式は、お前も知っていると思うが、基本的には船乗りの関係者だけに限られる。その泳げない者は、船乗りでもなんでもない家の息子だった。しかし、ある船本の跡取りが面白がって、その青年も一緒にやらせる事になったのだ、本来そんな事は断れば良いのだが、その青年の家は、船本から魚を仕入れていたために、断れなかったのだ」

「そして、当日、悲劇が起こってしまった。泳げない青年は海に飛び込んだが、それでなくても泳げないのに、衣服を着けたままでは、溺れるしかなかった。その青年は、必死になって泳ごうっとしたが、もがけばもがくほど溺れてしまう。そして、青年は、溺れてしまった。その時に、青年は必死に何かに捕まろうとして、船本の青年の右足に掴まったが、船本はその手を左足で蹴って、振りほどいてしまったのだった」

「そして、青年はそのまま海の底に沈んでしまった。昔は、今ほどしっかりしていなかったし、船本の力は絶対的な力があった、この件は、青年が自分からやるっと言い出して、溺れて死んでしまった悲しい事故として処理された」

 そこまで一気に話すと祖父は、腕の力を緩めて、僕に椅子に座るように言った。

「それで、その青年はどうなったの?」
 ちょっと間抜けな質問だったが、祖父に聞いてみた。祖父は、困った顔になり。

「死体は出てきたが、右手だけは見つからなかった」
「え?」
「そう、今回と同じで、右手だけは見つからなかったのだよ」

 それだけ言って、祖父は黙ってしまった。僕は、聞かなければならない事を思い出した。

「それって、円味の所の話なんだよね? その話って今回が2度目って事はないよね?」

 暫くの沈黙の後、僕が口を開きかけた瞬間に・・・。

「そうだ、円味の大将のお父さんの話だ、今回のような事故は、2度目じゃない、前に円味の分家筋にあたる末丸の所の小僧が成人を迎えるときに起こった。その時には、今回と同じように、船が勝手に動き出して、末丸の小僧をスクリューに巻き込んだが、一命を取り留めたその代償として、小僧は右手を失った。右足には、今でもはっきりとあざが残っている」

「あぁだから、あのおじさん儀式には顔出さないし、水辺にも絶対に行こうっとしないんだ」

「そう、だから、お前からあざの話をされたときに、俺は・・・。俺が、円味の船に乗っているからか?っと思ったんだ」

「それはないでしょ、最後に耳元で『違う。こいつじゃない。』って言っていたから・・・」

 祖父は、僕の話を聞いてからは一言も発することなく、立ち去ってしまった。

 それから、必死の捜査にもかかわらず、彼の右手は見つからなかった。
 彼の右手は、どこに行ってしまったのだろうか? そして、僕の足に依然として残るあざは何を意味するのだろうか・・・・。

 それから数年が経って、僕の右足のあざも綺麗とは言わないが、消えかけてきた。僕は、結局祖父の後をついで、船乗りになる道を選んだ。そして、初出港の日・・・。何気なく、見た右足に、消えかけていた記憶を呼び起こすかのように、あざが克明に現れた。しかし、そのあざは以前の物とは明らかに違っていた、僕にはそのあざに見覚えがあった、そう、誰に相談する事なく、誰に証明されるわけでもないが、僕にははっきりと解ってしまった。それは、彼の右手が残したあざなのだ。

 僕がそのあざを撫でようっとした瞬間、違和感を覚えた。あざに触れないのだ、実際には触れるはずだが、いくら手を向けても、あざに降れることが出来ないのだ・・・。そう、見えない手がそこにあるように・・・僕があざに触るのを拒否している。

 そして、今でも僕の右足には、彼の無くなった右手がしがみついている。

fin